第50話:春先はいくら寝ても眠い
彩音先輩達が生徒会室に来なくなってからしばらく経った後。
体育祭執行部の部長には中森が就任した。副部長は一ノ瀬だ。
新入生歓迎会の日に来てくれた4人の1年生は無事に庶務になった。
ただ、この時期は1年生もそこまで頻繁に生徒会室に来ない。
少し閑散としてしまう生徒会室が少し寂しいところだ。
体育祭の準備の方は順調に進んでいた。
スローガンも決まったし、競技の内容も検討が進んでいる。
部長は中森だが、大方の仕事は一ノ瀬に見てもらっていた。
都合、頻繁に電話して進捗状況の確認と今後の業務方針を説明する。
何故か一ノ瀬と話していると要件が終わった後も延々と会話が続く。
気がつくと日付が変わっていた、なんてことは良くあった。
これは過去の世界からも変わっていない。
この日は朝から、良い天気だった。
都合、春先の陽気に合わせてやって来る睡魔と戦いながら授業を受ける。
……奮戦虚しく、途中から記憶はない。
放課後になって生徒会室に行くと、一ノ瀬がみずたまりになっていた。
机に突っ伏して、盛大に寝息を立てている。
すまない、俺との電話のせいだな。
だが、お前も悪いんだぞ。
――私が寝るまで電話切っちゃ駄目だよ!
そう言うくせに、いつまでも寝ないのだから。
暖かくなったとはいえ、このまま寝ているのは少し心配だ。
羽織るものがなさそうだったので学ランを脱いでかけておいた。
机の上にはよだれが広がっている。
……さすがに汚いな。
ちり紙を大量に取り出して拭き取る。
口を開けたまま寝るからだぞ、まったく。
不細工な表情を見て、やはり可愛い生き物だなと心底思う。
頭をひと撫でして、生徒会室を後にする……はずだった。
「高木せんぱーい」
声をかけてきたのは美沙ちゃんだ。
猫撫で声で先輩のことを呼ばないでください。
ドキドキしちゃうから。
「見ちゃいましたよー、かいがいしいですねえ!」
凄く楽しそうな表情だ。
これは良くないところを見られてしまった。
「……どこにいたの?」
生徒会室に入った時は一ノ瀬しか見えなかったはずなのだが。
「いやー、先輩を驚かせようと思ってこっそり背中に着いてたんですよ」
何、この娘、恐ろしい。
出会ってから日も浅い先輩を驚かせようとするってどういう心理?
そういえば、これはつい最近、一ノ瀬にもやられたな。
生徒会室に入るときは後ろに注意する必要がある。
……どんな危険地帯だ。
「そしたら、梨香先輩の世話を始めるから思わず見惚れちゃいました」
美沙ちゃんは少し不思議な子だった。
掴みどころが無く、何を考えているかよく分からない。
でも、これは絶対、先輩をいじりに来てるよね?
凄く悪そうな顔をしている。
過去の世界でもやたらと冷やかされたのを思い出す。
心優しい麻美ちゃんを見習ってほしい。
「これぐらい普通じゃないかな」
「普通、よだれまで拭きますかね? 私だったら自分のでも嫌ですよ」
それはまあ、そうかもしれない。
「……いや、俺も普通に嫌だよ」
「きゃー、嫌でも梨香先輩のだったら気にしないんですね!」
おい、やめてくれ、そのノリ。
「ズバリ! おふたりは付き合っているんですか?」
こういうのに興味があるお年頃ですもんね。わかりますよ。
でも面倒なのでハッキリさせておこう。
「いや、違います、片想いです」
何故か敬語になってしまった。
「えっ!? 片想いって……、高木先輩が梨香先輩を好きってことですか?」
やたらと楽しそうな美沙ちゃんだった。
まあ、これを使えば向こう1年は先輩の弱みを握ることができるからな。
「そうだよ、俺は一ノ瀬のことが好きなんだ。相手にされてないけどな!」
だが、俺はそう簡単には動じないぞ。
「ふーん、そういうことですか。でも結構、脈があると思いますよ?」
残念だが、美沙ちゃんはまだ一ノ瀬のことを良くわかっていないようだ。
「ないない、アイツは中森や大場にも似たような態度だからさ」
今度、ちゃんと見てみると良い。
「いえいえ、私が言いたいのはそういうことじゃないんです」
「へっ?」
思わず、間の抜けた声を出してしまった。
「いいですかー、外で寝ている女の子って、そんなに無防備じゃないんですよ」
いや、一ノ瀬は無防備だぞ。
そうじゃなきゃ、よだれなんか垂らさないだろ。
「だから、高木先輩が学ランをかけた時点で梨香先輩は起きています!」
ビシっと人差し指を立てる美沙ちゃん。
いや、一ノ瀬はそう簡単に起きないぞ。
起こすのは本当に大変なんだ。
あと、寝起きは凄まじく機嫌が悪い。
「よだれを拭く、その辺りからはもう狸寝入りですね。
私だったらこの時点で拭かせないように身を起こします」
うん、一ノ瀬も起きてたら身を起こしたと思う。
「つまり、高木先輩の行為を許容したということ。
何故なら、その後に高木先輩がどうするか知っていたからです」
いや、だから一ノ瀬に限ってそんなことはないってば。
「最後に頭をポンポンして去っていく。これ、何回かやってますよね?」
……それだけは認めよう。
「つまり、頭を撫でてもらいたいぐらいには高木先輩の事を好きってことです」
すげえ、超ポジティブシンキングだ!
「あー……、そうだったらいいなあ」
とりあえず、言葉に出来たのはそれだけだった。
「今のを見て私、おふたりのこと気に入っちゃいました! 応援しますよ!」
目がキラキラしている。
これに逆らうのは無謀だな。
「ありがとう、じゃあ、俺は部活に行ってくるから……」
そう言って、生徒会室を立ち去る。
「頑張って下さいね!」
……何について言っているのか微妙に分からない。
でもまあ、可愛い女の子に頑張ってと言われるのは悪い気がしなかった。
――部活終了後。
生徒会室には寝ている一ノ瀬と奈津季さん、大場が残っていた。
「お疲れ様ー、何か手伝うことある?」
「ああ、大丈夫だよ、梨香さんが寝てるぐらいだし」
大場も仕事が出来るなあ。
「コイツずっと寝てたのか?」
「いや、さっきまでちゃんと仕事してたよ。ひと通り終わったら寝ちゃったんだ」
終わったならさっさと帰れよ、暗くなったら危ないだろ。
……俺は居てくれて嬉しいけどさ。
「ねえ、高木君……」
なんだか寂しそうな表情で奈津季さんが声をかけてきた。
「どうしたの? 何か問題でもあった?」
「お花見の時から考えていたんだけど……。夏休みに花火大会に行かない?」
おお、珍しい、どうしたんだろう。
「うん、行こう」
即答した。
「奈津季さんと花火大会なんてドキドキするなあ。浴衣着てくれるの?」
凄く楽しみだ。
「いや、高木君とふたりでじゃないよ?」
即答だった。
要するに、花火大会に彩音先輩たちを誘いたい、という事らしい。
「いいじゃん! 声かけてみなよ」
「その……出来れば高木君に企画してほしくて」
ああ、なるほどそういうことか。
場所取りとか待ち合わせとかの段取りあるもんね。
「うーん、どうしようかな」
ちょっとだけ意地悪を試みる。
いつまでもやられっぱなしなのは悔しい。
何せ、俺の方が大人なんだからな!
「えっ、駄目なの!?」
「それよりも後輩と仲良くしないといけないかな、と」
なお、愛すべき後輩達は先ほどのように問題なく育っている。
もう少し打ち解けたら生徒会室を自分の居場所だと思ってくれるだろう。
「そっか、そうだよね……」
ああ、悲しそうな顔しないで、軽い冗談だから!
ちょっとやり過ぎてしまったかな。
「ねえ、梨香ちゃん」
そう言って奈津季さんは一ノ瀬をツンツンする。
ソイツはそう簡単には起きないぞ?
「高木君が意地悪するんだよ、何か言ってくれない?」
なっ、なんだと!?
一ノ瀬は即座に起き上った。
「高木くん!」
うわ、ビックリした。
寝起きでそんな声だせるのか、お前。
「なっちゃんをイジメないで!
そんなことしてると高木くんの家に行ってあげないよ?」
お前、その約束を盾に取るなよ。
未だに実現していないのには理由がある。
日程を決めようとすると一ノ瀬がはぐらかすのだ。
やはり、家に来るのは勇気がいるらしい。
俺は無理に誘う気は無いから、それとなく覚悟が決まるのを待っていた。
……結局、来てくれないというオチも、もちろん考慮に入れてある。
いっそのこと史実通り、皆にも来てもらった方が良いかもしれない。
一ノ瀬が約束を気に病むぐらいなら、そっちの方がスッキリする。
「悪かったよ、軽い冗談のつもりだったんだ」
「えっ!?」
奈津季さんは驚きを隠せずにいた。
俺が奈津季さんにこんな冗談を吹っ掛けること無かったもんな。
「梨香ちゃん、高木君の家に行った事あるの!?」
そっちですか!
「ないよ、ただしつこく誘われてるだけー」
おい、お前、その言い方は傷つくから止めてくれ。
「なんだ、良かった。簡単に男の人の家に行っちゃ駄目だからね」
「うん、分かったー!」
奈津季さん、そんなことを言うなんて……。
まあでも、普通に考えて無いよな。
男の家にひとりで行くなんて危ないだけだ。
ましてや俺は彼氏でもなんでもない。
「で、高木君」
奈津季さんがこっちを見ながら意地悪そうに笑った。
なるほど、これはそういうことか。
「花火大会の件なんだけど……」
「責任を持って取り纏めます!」
俺は即座に、思い切り返事をした。
「ねえ、梨香ちゃん、さっきの話だけど……」
どうやら、取引は成立したようだ。
「えー……?」
一ノ瀬、お前、少し寝ぼけてないか?
「高木くんの家なら大丈夫だと思うんだ。
だから梨香ちゃんが行きたいなら、私は止めないよ?」
凄い手のひら返しだ。いや、有難いけども。
「わ、私は別に行きたい訳じゃないんだよ!」
ツンデレか。
いや、よく考えるとデレ要素がない、これはただのツンだ。
「じゃあ、よろしくね、高木君」
「任せてください」
どうも、俺は意地悪には向いていないみたいだ。
見事に手のひらの上で踊ってしまった。
いくら歳を重ねても女子には永遠に勝てる気がしない。
「あー、でも後輩と仲良くってのも大事だよね」
会話に入って来たのは大場だ。
「そうだねえ、何かいいアイデアない?」
腕組みをして考えている一ノ瀬も可愛い。
目は覚めたようだ。
「うーん、バーベキューとかどうだ?」
交流を深めるにはやはり課外活動が良いだろう。
先のお花見は先輩達の送別会、今回のは後輩の歓迎会だ。
「何それ、楽しそう!」
やはりコイツは花より団子。
俺は結局、一ノ瀬のことばかり考えている。
彼女が喜びそうな企画を真っ先に提案した。
「いいかも! でも高校生だけで出来るかな?」
奈津季さんの指摘も、もっともだ。
「問題ないと思うよ、そんなに難しいことじゃない」
社会人になるとそういう機会も多くなるからな。
もうすっかり手馴れてしまっている。
「後は休日に来てくれるかどうかだね」
特に正樹君と美沙ちゃんは難しそう。
「1回ぐらいはお願いしても良いと思うよ」
大場の意見も筋が通っている。
どのみち、生徒会執行部の活動で休日がつぶれるというのはあることなのだ。
「じゃあ、高木くん、開催の方向で。後よろしく!」
一ノ瀬に丸投げされた。
「わかったよ、こっちも企画させてもらいます」
両手を上げて引き受ける。
「ふふっ、高木君って、梨香さんの言いなりだよね」
大場に笑われてしまった。
「ふふふ、確かに!」
奈津季さんまで……。
今日も生徒会室は平和だった――。
「高木くん、なっちゃんには悪いんだけど……」
生徒会室を出て、いつものようにふたりで駅まで歩く道すがら。
一ノ瀬はバツが悪そうに切り出した。
「私、花火大会はお休みしても良いかな?」
自分から言い出してくれて良かったよ。
どこかで話題を振ろうとは思っていたのだ。
「うん、いいよ」
「えっ!? そんなあっさり? 普段なら食い下がるのに……」
一ノ瀬は花火大会が苦手だということは知っている。
まず、人混みが極端に嫌いなんだ。
その上、暗い。音が大きい。
一ノ瀬の苦手なものがそろい踏みしている。
映画は平気なのに、と不思議に思うところだが苦手とはそういうものだ。
俺はピザは好きだがチーズは嫌いだという人に会ったこともある。
「一ノ瀬には来て欲しいけどさ、花火大会の人混みが嫌なんだろ?」
「うん、そうなの……」
申し訳なさそうにする一ノ瀬の頭をポンと撫でる。
「他にも嫌な事とかあったら遠慮なく言ってくれ。
俺、そういう気を使うのはあんまり得意じゃないから……」
そう言った俺の頭を、一ノ瀬は逆にポンと撫でた。
「そんなに気を使って疲れない?」
「いや、だって一ノ瀬には嫌な思いして欲しくないし。
お前、頼まれたら断れないところあるだろ?」
一ノ瀬は嫌な事でも引き受けてしまうことが多々あった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、高木くんにはちゃんと言うし」
「そっか、それならいいんだ」
昔と違って、一ノ瀬にはまだ遠慮がある。
それは当たり前のことだし、ある意味では良い事なのかもしれない。
でも俺は一ノ瀬に我慢をして欲しくないのだ。
「ありがとね、梨香のこと心配してくれて」
一ノ瀬はぼそりと言った。
彼女は中学生の頃まで自分の事を名前で呼んでいたそうだ。
たまにその癖が出るのだが、本人は気づいていないことが多い。
この癖が出るのは油断している時だ。
少しは安心してくれているということだろう。
やり直しの世界では一ノ瀬との時間が半年も短い。
当時の今頃と同じぐらいには信用されているようで良かったよ。
過去の世界で、俺は一ノ瀬に対して無神経な事も多かった。
当時の俺ならば花火大会も一ノ瀬へ同行を求めただろう。
そして無邪気な俺の頼みを断れずに、一ノ瀬は嫌な思いをすることになる。
もう、そんなのは嫌だ。
今も上手くやれているかはわからない。
俺は一ノ瀬にとって取るに足らない存在だ。
彼氏でも何でもない、何の権利もない。
だから、こんなことを言うのはおこがましいだろう。
それでも、隣を歩く彼女を見て思う。
今度はちゃんと、守ってやりたい。




