第45話:遊園地は親しい人と行かないと楽しくない
球技大会2日目の夜。
疲労困憊で家に帰ると夕飯時に母から妙なことを聞かれた。
「彼女とはその後、どうなの?」
思わず噴飯するところだった。
「いや、彼女じゃないよ」
あまり詳しい話はしたくないけど、服を買って貰った手前、邪険には出来ない。
「ふーん、そうなんだ」
俺の反応から、状況は察してもらえたようだ。
「ここにね、遊園地のフリーパスチケットが2枚あります」
何だと……?
「お父さんが会社の抽選会で当てたんだって。
良かったら行って来たら?」
チケットの中身を確認すると、ネズミの国だった。
……一ノ瀬とネズミの国、か。
最高過ぎる、しかもタイミングが良い。
明後日から春休みだ。
元々、どこかに誘うつもりだった。
でも遊園地はチケット代が高いから、奢りは少しキツイ。
また短期のバイトでもしようかと思っていたところなので渡りに船だ。
「有難いけど、いいの……? 真菜も行きたがるでしょ?」
妹も遊園地には目が無い。
「そういうのは気にしなくていいの!」
これ、わざわざ用意してくれた、みたいなことはないよな……?
いや、そんなことを考えるのもアレだ。
ここは子供らしく素直に甘えておこう。
「じゃあ、……ありがたく頂きます」
「うん、楽しんできてね!」
おそらく、この恩に報いるには、この家に一ノ瀬を連れてくることだろう。
ほとんど不可能だと思うけど、そうできるように頑張ります。
――翌日。
例のごとく教室を出る一ノ瀬を待ち伏せる作戦を取った。
が……、我がクラスのホームルームの方が長かったようだ。
教室を見るとすでに一ノ瀬の姿は無かった。
仕方なく、生徒会室へ向かう。
「おはようございます」
挨拶をして生徒会室に入ると、すでに嘉奈先輩と沙希先輩が定位置に居た。
「おはようー、高木君」
「おはよう、高木」
ふたり同時に返事が返ってきた。
息ぴったりでほっこりする。
……でも、これを見られるのもあと少しなのか。
少し寂しい気持ちになった。
しかし、一ノ瀬が居ない。
どういうことだ、まさか直帰したのか?
「あの、一ノ瀬を見ませんでした?」
思わず先輩に聞いてしまった。
「さあ、こっちには来てないと思うぞ。そのうちに来るんじゃないか?」
やはり来ていないのか……。
「ところでさー、高木君と梨香ちゃんって、どうなの?」
嘉奈先輩から予想外のツッコミが飛んできた。
「どうって、どういう意味ですか?」
「付き合ってんのかってこと!」
沙希先輩に逃げ道を塞がれる。
「あー、単に俺の片想いですよ」
まあ、誤魔化しても仕方ない。
本当の事を言った。
「えー、まだ付き合ってないの?」
「嘘じゃないだろうな!?」
うわー、ふたりとも凄い楽しそうだ。
でも、残念ながら俺と一ノ瀬はふたりが期待するような関係ではない。
「おはようございます」
そんな話をしていると奈津季さんが入ってきた。
出来れば人が増える前に一ノ瀬に来て欲しい。
せめて、他の男子が来る前に来てくれないかな。
「何を話していたんですか?」
あまりにも盛り上がっているふたりの先輩を見て奈津季さんが参加してきた。
「神木先輩の胸が大きいよねって話だ」
俺はこれ以上、注目の的になりたくなかったので話題を変えるつもりで言った。
「あー、確かに! 凄いですよね。何カップあるんだろう……」
流石、奈津季さんは神木先輩が好きなだけあって、話題には即座に乗った。
「Fカップって言ってたよ」
沙希先輩、アナタ、それを普通に答えちゃ駄目でしょう。
それにしてもFカップかあ……すげえ。
「流石、凄いスタイルですもんね……」
「奈津季はどれぐらいなの?」
ちょっと待って、この話、続けちゃうの?
「私はDカップですよ、全然及びません」
何故、普通に答える。俺がいるんですよ、奈津季さん。
「いや十分だろ。奈津希も大概、スタイルいいよな」
「沙希ちゃんはまだいいじゃん、Cあるんだから。
私なんてギリギリBカップだよ」
嘉奈先輩……? だから俺もいるんですよ。
「そういえば、梨香はどのぐらいなんだろう」
そう言ってニヤニヤしながらこっちを見る沙希先輩。
相変わらず、悪い人だ。
「俺が知るわけないじゃないですか」
「なんだ、つまんない」
高校生の会話は怖いなあ。
「Bカップって言ってた気がします」
「ぶふっ!」
奈津季さんの言葉を聞いて思わず笑ってしまった。
……アイツも見栄を張ることがあるんだな。
なお、一ノ瀬はギリギリAカップである。
Bカップから限りなく遠い方のギリギリだ。
言うと怒られるから、絶対に内緒である。
「高木、良かったな」
そう言って沙希先輩は俺の肩に手を乗せる。
まあ、普通なら一ノ瀬のバストサイズを聞いて喜んでいると思うだろう。
「高木君……?」
しかし意外と察しの良い嘉奈先輩が怪訝な顔でこっちを見ている。
いや、この時点で知らなかったのは間違いないですよ。
知ったのは社会人になって再会し、一緒に暮らすようになってからの話である。
「おはようございまーす!」
一ノ瀬の元気な声が聞こえてほっとした。
思わず胸元に目が行ってしまうのは不可抗力である。
「一ノ瀬! ちょっと話があるんだけど……」
出来ればふたりで話したかった。
だから、ちょっと席を外して欲しい体で声をかけたのだが……。
「いいよ、話して」
そう言って目の前にパイプ椅子を広げてちょこんと座る。
……空気を読んでください。
まあ、別にいいか。
さっき片想いだと宣言したばかりだ。
「ここにですね、ネズミの国のペアチケットがあります」
「行く!」
即答だった。
何? この子、いつもと違って超ちょろいんだけど。
後ろで嘉奈先輩が拍手していた。
「いや、……いいの? 俺と一緒でも?」
「だって、ネズミの国でしょ! 誰とでもいいよ!」
あー、そういうことか。
一ノ瀬は遊園地、中でもネズミの国が大好きだった。
人混みを極端に嫌うところがあるのだけど、遊園地だけは許容出来るらしい。
「おー、誰とでもいいんだ」
沙希先輩も拍手していた。
「うん、奢ってくれるなら拓斗でも大場君でも行くよ!」
一ノ瀬、それは少し悲しくなるぞ。
そしてこれは他の男には絶対に隠しておかなければならない情報だ。
「じゃあ、春休み、よろしくお願いします」
「うん、ありがとー、高木くん。大好き!」
う……ぐあ……。
大好きという響きは脳に直接刺さるな。
何も言い返せなかった。
最後はその場にいた全員が拍手をしていたという……。
――春休み。
当然のように部活をサボって、俺は一ノ瀬の最寄り駅で待っていた。
集合時間はまさかの午前6時半。
なお、この日は前回の箱根ツアーと違って一ノ瀬プレゼンツである。
「おはよー……」
待ち合わせ場所に来た一ノ瀬は壮絶に眠そうだった。
まあ、そうだよな、この時間だし。
この日の服装はスカートではなくパンツスタイル。
シャツの上からパーカーを羽織っていた。
動きやすい服装から本気度がうかがえる。
個人的にはスカートが好みなのだが、一ノ瀬なので普通に可愛い。
「大丈夫か?」
「うーん、楽しみで昨日あんまり寝れなかった……」
子供か! まあ、一ノ瀬らしくていいけどな。
「とりあえず、電車乗ろう!」
時計を見た一ノ瀬は慌てて先行した。
服装を褒める間もなく、改札口をくぐって電車に乗る。
「こんなに早くなくても良かったんじゃないか?」
「駄目だよ、だって開園から行かないと勿体ないじゃん!」
やはり本気だった。
「乗換の駅は調べてあるから、寝てていいよ」
幸いにして、電車はそれほど混雑していない。
「高木くんは眠くないの?」
「俺は朝練で毎日朝5時半に家を出てるからな」
そのかわり寝るのは大抵、21時だけど。
当時の俺は高校生らしくない生活リズムを刻んでいた。
「なんかズルい……。でも、寝る」
「おう、現地着くまで体力を温存しておけ」
その言葉を受けて、一ノ瀬は普通に寄りかかって来た。
えっ……、何してんのお前?
箱根旅行の特急電車を思い出す。
あの時は寝ている状態から体勢を崩しただけだった。
「おやすみー」
そう言って、当たり前のように肩に頭を乗せる。
……完全に油断していた。
早起きし過ぎてちょっと寝ぼけていたのかな。
まあ、一ノ瀬のすることは良く分からないから考えても仕方ない。
それに窓に頭をぶつけたり、逆隣の人に寄りかかるよりはマシか。
それにしても、この体勢、幸せすぎるなあ。
一ノ瀬に触れていると、いつものことながら胸の奥が温まる。
少しだけ心が痛いけど、それが心地が良い。
残念ながら、その時間はそれほど長く続かなかった。
後半は乗換が連続する。
少し休ませてやりたかったけど、仕方がないので起きて話をして過ごした。
そして、無事にネズミの国に到着する。
「来たあああああ!」
その瞬間に一ノ瀬のテンションは振り切れた。
さっきまでの眠そうな表情が嘘のようである。
今日のデートプランは俺の手元にはない。
全て、一ノ瀬にお任せした。
ひとつだけ条件を付けてある。
それは「俺の事を考えないでプランを組んでくれ」というものだ。
「じゃあ、まずはコレをつけて」
そういってカチューシャを渡された。
いきなりハードである。
まあ、しょうがない、ここは夢の世界、ネズミの国だ。
……コレ、男の方がつけてなくても良くないか、などとは突っ込まない。
今日は徹頭徹尾、一ノ瀬プレゼンツである。
「まずは全部の乗り物に乗りたい」
という事なので片っ端からアトラクションに乗り込んでいく。
当時はファストパスもないのでテクニカルな回り方をするのは難しい。
比較的空いているところを見極めていくしかない。
「次はあそことあそこに行って、ご飯はあそこで食べて……」
行きたいところがあり過ぎて、興奮するようにこれからの予定を話す。
あー、もう可愛いなあ。
「高木くん、あっち空いてるから行くよ、走って!」
……若い。
元気でいいなあ。
遊園地デートで一番の問題はアトラクションの待ち時間だ。
正直言って、この時間が俺は苦手だった。
婚活で遊園地デートした時は死にたくなったよ。
待ち時間にひたすら会話のネタを考え続けた。
二言三言で終わった日には目も当てられない。
沈黙の時間は真綿で首を絞められているようだった。
「そういえば、前に嘉奈先輩がね……」
「えっ? そんなことあったの?」
「奈津季さんが神木先輩の事を好きすぎてさ……」
「あははは、なっちゃん、そんなことしてたんだ」
「神木先輩はああ見えて……」
「いや、それは高木くんが彩音先輩を好きすぎるだけでしょ」
一ノ瀬との待ち時間は楽でよかった。
適当に話しているだけであっという間に時間が過ぎる。
……相変わらず、俺が勝手にしゃべっていただけだったが。
「もうだいたい乗ったかな?」
一ノ瀬がそう言った頃には結構な時間になっていた。
待ち時間が長いから仕方ない。
「うん、次はどうする?」
「高木くんは大丈夫? 疲れてない?」
珍しく心配してくれた。
いや、違うか。
目の前にいる一ノ瀬はまだ俺とそんなに長い時間を過ごしていない。
まだ少し、遠慮があるんだろうな。
「俺はずっと楽しいだけだよ。一ノ瀬、まだ乗りたいんでしょ?」
一ノ瀬は園内を周るのも好きだが、アトラクションに乗りたがる子だった。
俺は特段に好き嫌いはない。
楽しそうにしている一ノ瀬と一緒に居られるだけで幸せだ。
「なんか、私のペースにつき合わせちゃって、ごめんね」
「気にしなくていいって、何回も言ったろ」
まあ、一ノ瀬の気持ちもわからなくはない。
俺だって、同じ立場ならそう思うだろうから。
「じゃあ、高木くんの好きなヤツ教えて。
せめてそれにはもう一回乗っておきたい」
ふむ……、それぐらいならいいか。
「小さな世界、かな」
「えっ、意外だね。もっと派手なのが好きだと思ってた」
俺には特段、好きなアトラクションはない。
強いて言えば、皆好きだ。
ただ「小さな世界」は特別だった。
何せ、俺の好きな人が一番好きだったアトラクションだからな。
……やり直しの世界ならではのインチキしているのは百も承知だ。
その時、一ノ瀬が少し嬉しそうにしていたのは分かった。
だから俺も嬉しかった。
「次はアレにもう一回!」
「おう、もう俺は居ないものと思って自由に行っていいからな」
吹っ切れたように遊び回る一ノ瀬にほっとする。
離れているエリアを移動する時間すら楽しい。
しばらくすると夜のパレードが始まる時間が近づいてきた。
「高木くんってパレード見たい派?」
「また気を使っているのか? 俺はどっちでも良いよ」
パレードが始まるとアトラクションの待ち時間が激減する。
それこそ、待ち時間が10分以下になる場所もあるぐらいだった。
「じゃあ、アレに乗りたい!」
「了解!」
調子にのってコースター系のアトラクションに3回ぐらい連続で乗った。
一ノ瀬が遠慮なく3回目の提案をしてくれて良かった。
とにかく俺に気を使って欲しくない。
だけど、楽しい時間はいつまでも続かなかった。
「一ノ瀬、時間は……?」
「もう帰らないと駄目だね」
門限は最初から延長してもらってあったそうだ。
親に「高木くんと一緒」だと話したらオーケーが出たとのこと。
……それ、大丈夫なヤツなのか?
俺の事をどんな風に話しているのか、知りたいけど流石に聞けない。
「帰りたくない!」
そう言った一ノ瀬の気持ちは良くわかる。
俺だって帰りたくないよ。
「大丈夫だよ、また誘うから」
「本当?」
珍しく、可愛い反応だった。
頭を撫でて返事をする。
「うん、楽しかったから、俺もまた来たいし。
今なら電車もそんなに混まないから、行こうよ」
「わかった……」
お土産をたっぷりと買ってネズミの国を後にする。
結局、フリーパスがあってもここで散財するのはお約束である。
俺もあの時、生徒会室に居たメンバーにお土産を買っておいた。
何も買わずに帰ったら何を言われる分からない。
電車に乗り込むと、現実の世界に引き戻される。
「ありがとう、高木くん。今日は本当に楽しかったよ」
「いやいや、俺の方こそ、付き合ってくれてありがとう」
はっきり言って、俺は遊園地にひとりで来ても楽しくない。
今日は一ノ瀬と一緒だったから楽しかったのだ。
「まあ……チケットは貰い物だから俺のおかげではないけどな」
「あはは! そういえば、そっか」
またバイトしてお金をためて誘おう。
こんなに喜んでくれるなら、バイトしている時間も楽しくなりそうだ。
「お礼なら、今度、家に遊びに来なよ。母さんも妹も会いたがってたし」
ほぼ冗談だった。
しかし、何気に双方の親に公認の間柄になっているな。
「えっ? 高木くんの家?」
くっくっくっ、さすがにこれにはうろたえたな。
「うーん……、いいよ、じゃあ今度遊びに行くね」
「えっ!? 本気?」
この受け答えは予想外だった。
いやまあ、過去に確かに来たことはあるよ。
けど、あの頃は皆でだったし……。
「何よー、自分で誘っておいて。
紹介とかはちょっと嫌だけど、高木くんの部屋は見てみたいかも」
部屋に上がる気なの!? ふたりきりになるのに大丈夫か?
「あー、うん。じゃあ、掃除しとく」
「うん、よろしくね!」
かくて、恐ろしい約束が成立してしまった。
なお、帰路の電車内で一ノ瀬の電池は切れてしまったようだ。
気持ち良さそうに隣で眠る姿が、愛しくてたまらない。
幸福すぎて、不安になる。
でも今は先のことを考えるのは止めよう。
手元には、確かな温もりがあるのだから。
俺に出来るのはこの時間を大切にすることだけだ。




