第39話:特急列車ってテンション上がるよね
待ち合わせ場所で待っていると目を擦りながら歩いてくる一ノ瀬が見えた。
手を振るが反応が薄い。
「おはよう、一ノ瀬」
「おはよー、高木くん……」
朝の8時だが、かなり眠そうだった。
「大丈夫?」
「ううん、駄目。眠いー!」
本当に朝が弱いヤツである。
そのまま電車に乗って、乗換を2回。
到着したのは小田原駅だ。
電車に揺られている間に一ノ瀬の元気は回復していた。
乗車時間は中々のものだが、ふたりで話しているとあっという間だ。
「ここからまだ乗り換えるの?」
「うん、こっち」
箱根登山電車で箱根湯本駅へ。
目指す目的地はこのまま登山電車に乗って行った方が近い。
だけどまずはここが最初の観光ポイントなのだ。
「ここからはバスで移動することになるんだけど……」
「うん?」
ひとまず駅ホームから見える景色を指さす。
「さて、一ノ瀬。何となく、見覚えない?」
「え、私ここに来るの初めてだよ?」
そう言われると思った。
というわけで今日は資料を持ってきてあります。
「じゃあ、こっちは見覚えある?」
「あー! 知っている! 最初の方の話で出てきたところだよね?」
こっちはすぐに分かるというのが面白い。
「……えっ、ここって実際にある場所なの?」
ここ、箱根は一ノ瀬の好きなアニメの舞台なのだ。
知らないのも無理はないと思う。
当時はあまり、聖地巡礼とか流行ってなかったからなあ。
「うん、駅舎とか割とそのままでしょ?」
「本当だ―!」
一ノ瀬のテンションが分かりやすく上がった。
楽しそうで良かったよ。
箱根湯本駅からはバスに乗って仙石原へ移動する。
時期的にもうススキは終わっているけど、個人的に好きな場所なのだ。
「わー、凄い! これ全部ススキ?」
「秋に来ると綺麗なんだけど……人が多いからね」
一ノ瀬は人混みが嫌いなので、今日のような時期外れの方が良い。
それに、冬の方が対岸に広がる山並みが綺麗に見える。
透き通るような青空に冬枯れの山肌が良く映えていた。
移動が多いので一ノ瀬が疲れないようにゆっくり回る。
この後は近場の茶屋で一休みすることにした。
「次はどこに行くの?」
「大涌谷ってところ。ちょっと匂いがキツイけど大丈夫かな?」
のんびりとお茶を飲みながら話をする。
「匂いって、温泉のヤツ? うー、私ちょっと苦手かも」
「辛かったら言ってね、その場合はすぐ下山しちゃえばいいから」
「うん、わかったー」
説明に対するリアクションが可愛い。
対面の席に座っているので、正面から一ノ瀬の顔が見れる。
平日はほぼ毎日見ているはずの顔なのに、ふとした瞬間に見惚れてしまう。
「どうかしたの?」
「いや、あらためて可愛いな、と……」
「あははは! 高木くん、そればっかりだよね」
照れるどころか笑い飛ばされた。
小一時間程、くだらない話をしたら茶屋を後にする。
再びバスに乗り、桃源台駅へ。
楽しみにしていたロープウェイが見える。
「わー、アレに乗るの!?」
一ノ瀬は遊園地の絶叫系マシンが好きだ。
だから、ああいう高いところを走る乗り物も楽しめると思っていた。
「うん、だけど高いのが苦手な人もいるから、揺らすなよ?」
「そんなことしないよ!」
……あまり信用できない。
本日の天候は快晴。
これは俺も楽しみで仕方ない。
ロープウェイに乗ると一気に高度が上がる。
しばらくすると仙石原方面に見える山並みを見下ろすようになる。
俺が楽しみにしているのはその向こう広がる景色だ。
「おおお! 富士山だー!」
そう、ロープウェイから見える富士山は最高なのである。
雲一つない青空の向こう側に純白の雪化粧が映える。
冬は空気が澄んでいるのでその姿がくっきりと見えるのだ。
大涌谷は標高が高いので、周囲の雪景色も美しい。
「あそこの湖の向こう側から敵が攻めてきたんだよ」
「あっ、本当だ! ちょっと面影ある」
持ってきた資料を見せる。
これを用意するのも結構大変だった。
全く、ネットがない世界というのは難しい。
結局、ビデオを借りてテレビを使い捨てカメラで撮ったよ。
「あと、あの辺からビルが生えてくる」
「そうなんだ、凄い!」
……一ノ瀬が嬉しそうでほっとした。
普段から緑の上履きを履いているぐらいだからな。
ロープウェイに乗っている間はずっとテンションが高かった。
目もキラキラしているように見える。
かくいう俺も、青空に浮かび上がる富士の姿に胸が高鳴りっぱなしだった。
隣には一ノ瀬もいる。こんなに幸せな時間は他にない。
「うー、確かに臭い、そして寒い!」
鼻息を止めながら話す一ノ瀬が可愛かった。
吐く息は白く、手袋がないと手が凍える。
マフラーを巻きなおして、上着をしっかりと着直した。
「しばらくすると匂いは慣れるとは思うけど、辛かったら言ってね」
「うん、大丈夫ー」
臭覚は麻痺するのが早いので匂いが辛いのは最初だけだ。
それでもここまで匂いが強いと気持ちが悪くなる人もいるだろう。
「しかし、家出してここに来る主人公も凄いよね」
「でも、すっごい良い景色だよ」
標高1000メートル越えは伊達ではない。
普段、雪なんてほとんど見ないけどここまで来れば銀世界だ。
しばらく大涌谷をウロウロして、遅まきの昼ごはんを頂いた。
建物の中は暖かいので人心地つける。
折角なのでお土産に黒卵を買った。
袋販売しかしていないのでその中からひとつを取り出して一ノ瀬に渡す。
「これ食べると寿命が7年延びるらしいよ」
「あははは! それは流石に嘘だよ」
卵食べて延命出来るのなら確かに楽でいいよな。
そして、再びロープウェイに乗って早雲山駅へ。
ケーブルカーで強羅、登山電車で箱根湯元へと乗り継いでいく。
「凄い、こんな山の中走っていくんだ」
「これ乗っているだけでも結構楽しいよね」
そして、最後に箱根湯本の街中を当てもなく散策した。
一ノ瀬は目的地のない散歩も好きだったのだ。
「温泉街って雰囲気が良いよねー」
「ああ、わかる。大抵は渓谷沿いにあってさ。
綺麗な旅館が並んでるのは何とも言えないよな」
特に土産物を買うでもなく、のんびりと歩いた。
「温泉入りたいなあー!」
たしかに、この寒さである。
温泉に入ったらさぞ気持ち良いだろう。
……その後、湯冷めするのは間違いないけどな。
「私ね、大人になったら何にもしない旅行がしたいの!」
「何だそれ?」
胸の奥がチクリとした。
その旅行には記憶がある。
「2泊3日でね、2日目はずっと宿にいるんだよ」
「温泉入って、卓球する?」
痛々しかったけど、楽しかった1日を思い出した。
「そうそう、で、昼寝して夜はカラオケするの!」
「それは楽しそうだ」
一ノ瀬はずっと嬉しそうに話している。
「本当? 本当にそう思う?」
「ああ、思うよ」
「馬鹿にされなかったの初めてかも」
……そうだったのか。
「なあ、今度一緒に行かないか?」
「高木くんと私で?」
「うん、何にもしない旅行、俺も行ってみたい」
もう一度、行けたらいいなと本気で思う。
「うーん、さすがに親が許してくれないと思うなあ」
俺とふたりでってとこはオーケーなのか。
「高校卒業してからでいいよ」
一ノ瀬は未来の話をするのが好きだった。
たとえ、叶わなくても良い、ただの希望の話。
とりとめが無くても構わない、楽しいと思えるのならそれだけでいい。
「そうだね、じゃあ高校卒業したら一緒にいこうか。
……もちろん、高木くんの驕りね!」
「頑張ってバイトします」
「あはは! よろしくお願いします」
嬉しそうに笑ってくれて良かった。
今の一ノ瀬とならきっと、楽しいだけの旅行になると思う――。
「帰りは特急電車に乗ろう」
行きは元気だが帰りは疲れている事が多い。
だから少しでも楽な方法を選択する。
これも旅のコツのひとつだ。
「えー、勿体無くない? 私は鈍行でも良いよ?」
まあ、学生だしな。
だけどここは特急に乗っておきたい。
何故なら、一ノ瀬は間違いなく寝る。
鈍行だと隣に座れない可能性もあるし。
スマホがあれば遠隔でチケット取れるから楽なんだけどな……。
仕方が無いので券売機でロマンスカーのチケットを購入した。
隣同士に座ることを考えただけでもドキドキする。
……アホなのか、俺は。
なんだかどんどん駄目になっている気がする。
でも、キラキラした目でこっちを見てる一ノ瀬がいるんだから仕方ない。
本当に可愛いなあ。
「おー、凄い、特急列車ってテンション上がるね!」
わかってもらえて嬉しい。
旅行してる感、これを得るためになら多少お金を払っても構わない。
「いいよな、この雰囲気」
「うんうん、駅に着くまで話そうね!」
と、楽しそうに言っていた一ノ瀬。
……お前、数分で寝るってどう言うことだよ。
まあ、わかっていたことだけど。
脱いで畳んであったコートを一ノ瀬の膝の上にかける。
さらに背もたれを少し倒しておいた。
まあ、ぐっすり休みなさい。
特急電車を下りてからも、まだ少し移動しなきゃいけない。
夕飯を一緒に食べたいところだけど、流石に帰るだろうな。
こっそりと横顔を見ると一ノ瀬は不細工な顔をしていた。
女の子が口を開けて寝るんじゃない。
まあ、そこが一ノ瀬の可愛いところでもあるのだけど。
暇つぶしをするようなものは無いけど、別に良かった。
隣に一ノ瀬が居る。
たとえ触れ合えなくても、俺は十分に幸福だった。
胸の奥が暖かい。
これ以上、他に何も無くていい。
「高木くん……」
ん? 起きたか?
そう思って隣を見ると一ノ瀬が寄りかかってきた。
背もたれ倒してあったのに!
一ノ瀬の髪が首筋に触れる。
なめらかな感触が気持ち良い。
俺の身長が足りないせいで肩で受け止められず頬まで倒れてきた。
一ノ瀬の匂いがする。
甘くて優しい香りだ。
右半身に心地良い重さを感じる。
触れ合っている部分が少しだけ温かい。
悪いことをしているような気分になる。
けど、今はいいんだ。
一ノ瀬は誰とも付き合ってない。
だから、何も我慢しなくていい。
好きな人を傍に感じる、そのことを普通に喜んでいいんだ。
嬉しくて涙が溢れた。
どうしてだよ、別にそこまで特別なことじゃないだろ。
恋人同士でなくても稀にあることだ。
ほんの少しだけ姿勢を正して、一ノ瀬の頭を肩で受け直した。
このままだとアイツの姿勢が厳しいからな。
あと5センチ、俺の身長が高ければ良かったのに。
出来るのならずっとこうしていたい。
優しい気持ちになれる。
一ノ瀬が傍にいると、俺はこんなにも幸せなんだな。
ズタズタに引き裂かれていた心が少しずつ癒やされていく。
一ノ瀬の温もりが凍てついた世界を溶かす。
乾ききって荒れ果てた胸の奥に暖かいものが注がれた。
こんな時間が訪れることになるなんて思っていなかったな。
胸の痛みが、心地良い……。
「高木くん、もっと早く起こしてよ!」
乗換駅について肩をゆすって起こしたら、一ノ瀬は不機嫌だった。
「あー、いや。だって気持ち良さそうにしてたから……」
あそこから起こすのは流石に無理がある。
……それに、あの温もりを手放したくなかった。
「もう、せっかくだから話したかったのに」
それはまた、嬉しい言葉だな。
「今日は楽しかった?」
「んー、まあ、普通?」
嘘をつくなよ。
お前、あんなに楽しそうにしてたじゃないか。
察することはできるけど、出来れば俺は言葉で欲しい。
「俺は一ノ瀬と一緒に行けて凄く楽しかったよ。本当にありがとう」
「……高木くんってそういう台詞、平気で言えるよね。なんか信用できない」
「なんでだよ!」
「あはは! ばーかばーか!」
照れ隠し、なのかな?
一ノ瀬らしい表情、やっぱり好きだ。
折角なので一ノ瀬の最寄り駅までは一緒に行くことにした。
改札口の手前で見送る。名残惜しいなあ。
「ねえ、高木くん」
出口手前で振り返る一ノ瀬。
これには少し、ドキっとした。
「また行こうね!」
……お前の方こそ、良くそんな台詞を普通に言えるよな。
「あのさ、一ノ瀬」
「なあに?」
その表情にたまらなくなってしまった。
「帰ったら、電話していいかな?」
「電話? うーん……」
当時、俺と一ノ瀬は頻繁に電話をしていた。
話の内容はほとんど生徒会執行部の仕事についてだけど。
お互いに家の電話を使っていたので、変な意味で親公認だった。
「そんなに私と話したいの?」
……相変わらずだな、お前は。
「話したい」
だから、俺も変わらずに答える。
「もう、しょうがないなあ」
そう言って、一ノ瀬は嬉しそうに笑ってくれた。
やっぱり、俺はこの顔が一番好きだ。




