並走する過去 第4話:失恋ダイブ
いつの間にか、やり場のない気持ちを抱え込んでしまっていた。
梨香さんのことが気になって仕方ない。
少しでも彼女と話していたいと思ってしまう。
そんな自分が嫌だった。
梨香さんとは仲間としてやっていきたい。
恋愛対象にしたくなかった。
それでも、笑顔を見ると心が惹かれてしまう。
彼女のことを好きだと実感する。
その想いは、自分の願いに反してどんどん強くなっていった。
放課後は生徒会室に顔を出す。
前は直接コートに向かう事も多かったのにこのところ毎日だ。
だって……生徒会室に行けば、梨香さんに逢える。
「高木くん、どうしたの?」
「あ、いや、ちょっと寄っただけだだよ」
珍しく梨香さんひとりだったので、ふたりきりになってしまった。
部活に行かなきゃいけないのに、後ろ髪を引かれてしまう。
まるで自分の抑制が出来ていない。
「今日は部活いいの? もしよかったら手伝ってほしいんだけど……」
こんな風に頼られると嬉しかった。
断るなんて、出来っこない。
「ああ、うん。手伝うよ」
今日は練習を休むって言ってないから少し不味いことになりそうだ。
でも、この時間を失いたくない。
自分が駄目になっているのを思い知る。
「こっちのファイルなんだけど……」
そういってフロッピーディスクを取り出した。
ああ、なるほど、ワープロの作業か。
立ち上げて指定されたファイルを開く。
梨香さんの指示するファイルを開いて、印刷をかけた。
ワープロの印刷は1行ずつしか印字されないから、結構時間がかかる。
その間も、すぐ隣に座っている梨香さんからずっといい匂いがしていた。
もうだめだ、何か狂ってしまっている気がする。
梨香さんを見ると相変わらず、何か良いことがあったかのように笑顔だ。
インクリボンがついた印字ヘッドが何度も往復する。
その間、僕は彼女の隣に居れることがただ嬉しかった。
「おはようございます!」
「おはよう、拓斗ー!」
生徒会室の扉が開いて中森が入ってきた。
なんだか少しほっとする。
残念な気持ちもあったけど、これで少しは自分のペースに戻れそうだ。
「あれ、高木? 今日も来てたんだ」
「あー、うん、ちょっとね」
ワープロの印字が終わったので書類を手に取る。
「はい、どうぞ。じゃあ、僕は部活に行くね」
「ありがとー、呼び止めちゃった?」
申し訳なさそうな顔をしないで欲しい。
悪いのは僕だ。
「ううん、気にしないで」
手を振ってテニスコートへ向かう。
道中で思わず、ため息がこぼれた。
このままじゃ不味い、だけど、止められそうにないな。
スポーツは良い。
身体を動かしている間は余計なことを考えずに済む。
大きな声を出して、力の限り走る。
部員と話すのも楽しいし、疲れるけど時間が経つのはとても速かった。
中学時代の運動音痴が嘘みたいだ。
もっとも、テニスの実力は部内でも下の方だけど。
それでも週に1回、練習を休んでいる割にはついていけている方だと思う。
練習が終わると皆は帰路に着く。
暗くなるとボールが見えなくなるから秋は早く練習が終わってしまう。
僕は皆よりも練習量が少ないから、練習後は良くロードワークに出ていた。
最終下校時刻まで1時間以上もある。
いつものように4km走ることにした。
あれほど嫌いだったマラソンも今は苦にならない。
僕は随分と変わった、そう思う。
けれど、今も自分の事は嫌いだ。
どうして、こんなに上手くできないんだろう。
練習と違って走っている間は色々と考えてしまう。
このままでいいのか、本当はどうしたいのか。
梨香さんとはうまくやろうとして、これまでにことごとく空回りしてきた。
文化祭も一緒に回れなかったし、デートに誘ったけど上手くいかず。
正直、もう呆れられているんじゃないかと思う。
だったら……いっそ告白して振られてしまった方が良いのかもしれない。
そうすれば諦めもつくというものだ。
ロードワークから戻って生徒会室を覗く。
当たり前のように、真っ暗だった。
文化祭も終わったから、こんな時間まで残っている人はいない。
……梨香さんに逢いたかった。
こんな風に思ってしまう自分が嫌だ。
僕はトボトボと家路に着いた。
いっそのこと、家まで走ってしまえば良かったのかもしれない。
――翌朝。
誰よりも早く来て、サーブの練習をする。
早朝の空気は澄んでいて、とても気持ちが良い。
ボールはコップを持つように握る。
トスは出来るだけ高い所から上げると位置がズレにくい。
打点に合わせて上げれば止まっているボールを打つのと同じだ。
ストロークやボレーの技術は他の部員にはとても敵わない。
けれど、ひとりでも練習できるサーブだけは違った。
カゴ一杯のボールを打って、自ら球を拾う。
無心で打ち込みを続けながら、覚悟を決めた――。
「おはようございます」
「おはよう、高木」
神木先輩が会長席に座っている。
今日は定例会だ。
2学期の球技大会の実施要項と全校アンケートの内容が決まった。
議題そのものは多くなかったので会議は少し早めに終わる。
まだ外は明るい。
「あの、梨香さん」
意を決して話しかける。
「どうかした?」
「その……、今日、一緒に帰れないかな?」
「別にいいよー。なっちゃんは?」
すぐに奈津季さんを誘おうとした梨香さんに割って入る。
「いや、出来ればふたりで……」
「えー……」
断られそうそうな雰囲気だったのだけど、ここは押しの一手だ。
「お願いします」
「もう、しょうがないなあ」
何となく、こちらの意図を理解してくれたようだった。
「ごめんね」
「謝らないでよ。私、すぐ謝る人は嫌いなの!」
返す言葉もなかった。
「くすくすくす……」
多分、僕はとても情けない顔をしていたと思う。
「あはは、冗談だよ!」
そういって、いつものように笑ってくれた。
でも、これは彼女の優しさだ。
梨香さんは本当に、謝る人は嫌いなのだと思う。
だから僕は、もう結末を予想している。
ふたりの帰り道はいつも通り、笑いながら歩いた。
この時間が、とても好きだった。
もしも、願いが一つだけ叶うのなら。
恋人同士になれなくても良い。
ただ、この時間が無くならないで欲しいと願う。
「ごめん、話したいことがあって……」
「謝らないで」
ごめん、と言いそうになって言葉を飲み込む。
「いいよ、ちょっと歩こうか」
梨香さんがそういってくれたので、通学路から少し離れた河川敷へ出た。
「話って?」
堤防に腰を掛けて髪をかき上げる梨香さんがとても綺麗だった。
梨香さんは意外にも、真面目に話す時は茶化さない。
だから、胸の奥にあった気持ちを素直な言葉にする。
「梨香さんのことが好きです」
溜めずに、大きな声で言った。
「私も、高木くんのこと好きだよ」
えっ!?
「でも、ごめんなさい。付き合うとかは考えられない」
ああ……やっぱり、そうか。
「いや、いいよ、わかってたことだし」
ちゃんと気持ちを伝えられて良かった。
「高木くんはさ、すぐに謝るけど……」
梨香さんはそう言って、少し間を置く。
傷つけないように慎重に言葉を選んでいるようだった。
「何も悪いことしてないと思うよ。それなのに、なんで謝るの?」
その言葉が胸に刺さる。
「それは……」
思わず、今もごめんと言いそうになった。
僕は卑屈になっているんだ。
「高木くんは、自分のこと好き?」
「…………」
嫌いだ。
でも、それを言ってはいけない気がした。
「私、自己嫌悪する人は嫌い」
やっぱり、そうか。
まるっきり見透かされているような気分だ。
「だから、まずは自分のことを好きになってよ」
梨香さんは、そう言って優しく笑った。
そんなこと、簡単に出来るわけ無いじゃないか!
僕は今までずっと、自分のことが嫌いだったんだ。
頭の中がグルグル回って、胸の奥が痛い。
中学時代の失恋とは比べ物にならないぐらい、辛かった。
自棄になった。
だから川へ向かって飛んだ。
――ザバン!
川の水は思ったよりも冷たくなかった。
「えっ!? 高木くん! 大丈夫!?」
ああ、ごめん、驚かせちゃったね。
やっぱり、ダメだったかあ……。
でもなんだかスッキリした。
「梨香さん。お願いがあるんだ!」
「いいから早く上がってよ! 風邪ひいちゃうよ!」
「これからも、友達でいて欲しい」
避けられて話せなくなるのは嫌だった。
虫のいい話だけど、前と変わらずに接して欲しいと思った。
「駄目かな……?」
梨香さんは少し悩んだ顔をした後、笑った。
「高木くん、私、言ったでしょ。
高木くんのこと、好きだよ。
嫌いじゃないよ」
「――ありがとう」
梨香さんの言葉が、心から嬉しかった。
川から出て、河川敷に上がる。
ビショビショで服が重い。
「もう! 本当に大丈夫?」
「あー、うん。そんなに寒くないし」
「そういう問題? ビックリしたんだからね!」
そして、ふたりで笑い合った。
笑い疲れて目が合う。
「あのさ、しばらくは好きなままで居てもいいかな?」
「えー、どうしようかなあ」
駄目なのか……。
「うそうそ、冗談だよ。
好きなだけ、好きでいて」
そういって、梨香さんは笑ってくれた。
おかしいな。
告白して振られてスッキリする作戦だったはずなのに。
僕は前より彼女のことが好きになっている気がする。
……なんだか、片想いなのに彼女のことを名前で呼ぶのがしっくりこない。
「ありがとう、一ノ瀬さん」
「えっ!? どうしたの急に?」
「今日からは苗字で呼ぶことにするよ」
「なんでよ!」
「いいじゃん、別に」
「いいけどさ……。高木くんって本当に変な人だよね」
心底、不思議なもの見るような顔をしている。
「それ、一ノ瀬さんにしか言われないけど」
「ううん、絶対みんな思ってるよ。高木くんは変な人!」
自分のダメなところをこんなに見られたのはたぶん、彼女だけだと思う。
彼女を苗字で呼ぶことにしたのにはもう一つ理由があった。
下らなくて、情けない理由だ。
一ノ瀬さんは、皆から親しそうに「梨香」と呼ばれる。
多分、将来、彼女と付き合うことになる男性にも。
僕は彼女にとって少しでもいいから、特別な人になりたかった。
だから、せめて皆と違う呼び方をしたかったんだ。
彼女は独りよがりな想いを馬鹿にせず受け止めてくれた。
無様で卑屈で醜い僕を、それでも好きだと言ってくれた。
濡れた服で電車に乗るわけにもいかないから走って帰る。
その道中である思いが胸の中に渦巻いていた。
僕は、変わりたい。
彼女の言ってくれた言葉通り、自分を好きになろう。
そして強くなりたい。
せめて、胸を張って彼女を好きだと言える、そんな自分になるんだ。




