第32話:必殺、尻バット!
生徒総会、それは今年の運営方針を決める一大イベントである。
一般的にはそうなのだが、当校の趣旨としては予算大会、という方が近い。
各委員会、部活動に配分する生徒会費の予算についての説明会のようなものだ。
もちろん、年間のイベントスケジュールや生徒会執行部の運営方針なんかも議論されることもある。
だが大抵の場合は事前に配布する資料に基づいて説明するだけだ。
目安箱への投書対応や全校アンケートなどを普段から行っているので、生徒総会でわざわざ決議するようなことはほとんどない。
生徒総会が近づくと、とにかく会長および会計、会計監査の仕事が多くなる。
俺と一ノ瀬は会計監査なので会計である大場と沙希先輩につきっきりとなった。
「高木、梨香、こっちの申請書の合計があっているか確認して」
沙希先輩から各部の申請書を束を渡される。
部から提出される申請書にはその用途について明細が記載されている。
たとえば、練習用のボールが400個で120,000円などだ。
だが、申請書の明細と合計金額に相違があることがある。
明細よりも大きい金額を申請している時点で減額の見込みがあるのだ。
そのため、明細の金額を単純に足して申請金額と合致しているかを確認する。
書類が多いのでこの時期は電卓をひたすら叩いてた記憶しかない。
……表計算ソフトがあればすぐにでも終わることなのだがな。
生徒会室にあるボロいワープロではちょっと無理だ。
ちなみにこのワープロの消耗品であるインクリボンやフロッピーディスクなんかの購入費も生徒会費から出ている。
「わかりました」
生徒会室の奥の引き出しに入っている大型の電卓を取り出した。
「00」のキーが付いているので普通の電卓よりも入力が早く出来る。
「あー!」
引き出しの中を見て一ノ瀬が大きな声を上げる。
一ノ瀬にも電卓を渡したのだが、一ノ瀬は引き出しの奥に手を伸ばした。
……人の体の上に普通に乗るなよ。
都合、背中から抱きしめられているような状況だ。
残念ながら、背中に胸の感触がするとかはない。
一ノ瀬の胸部はささやかだ。
これが神木先輩だったらなあ……。
「懐かしい!」
失礼なことを考えている間に背中の温もりはすり抜けていた。
一ノ瀬に手にはなんとソロバンが携えられている。
あー、そういえば、ソロバン使えるヤツだったな。
「高木くん、勝負しようか?」
得意げな顔でこっちを見ている。
好きだよなあ、勝負。
「いいだろう」
俺は負けても構わない。
一ノ瀬が楽しめるのならそれで良いのだ。
「梨香、間違えないでよ?」
と、少し心配そうな沙希先輩。
「大丈夫ですよ、むしろ俺の方が間違えそうで怖いです」
実際、こういう単純な計算は電卓よりもソロバンの方が圧倒的に早くて正確だ。
ふたり並んで座って、中央に積まれた申請書を検算する。
終わったら自分の左側に書類を積む。
それをひたすら繰り返す。
こういった作業は割と得意なのだが……。
――パチパチパチパチ。
はええ……。
中央に積んであった合計36枚の申請書はあっという間になくなった。
結果、一ノ瀬の方が6枚も多い。
くっ、結構健闘したつもりなのに。
「いえーい! 勝ったああ!」
嬉しそうで良かった。
この辺りのテンションは流石に高校生らしい。
なお、一ノ瀬はわざと負けるようなことをするともの凄く怒る。
なので、今回もちゃんと本気で勝ちに行ったということを付け加えておく。
「じゃあ、高木くん。罰ゲームで」
何故だ、そんな約束は無かったぞ。
そういうのは最初に決めておかないと。
「何をすれば良いんだ?」
「んー、そうだなあ……」
悪い顔をしている時の一ノ瀬は最高に楽しそうだ。
「一発、思いっきり殴っていい?」
……ガチのやつじゃないか。
「俺に何か恨みでも……?」
「ないない、ただ面白そうだから!」
これを面白いと思うのはいささか猟奇的ではないですかね。
何故、俺はこんな子が好きなのか。
「まあ、いいけど……、変なとこ殴らないでよ?」
といって、立ち上がる。
「やった!」
だから、なんでそんなに嬉しそうなのかな。
立ち上がった一ノ瀬は妙にやる気だった。
「待ちなさい、梨香」
沙希先輩から静止がかかる。
そうだよね、良くないよね。
「梨香が手を怪我するといけないから、これを使いなさい」
そういってプラスチックの野球バットを手渡した。
なんでそんなものがあるんですか!
まあ、ゴルフクラブよりはマシだけど。
「沙希先輩、それだとガチになっちゃいますけど」
「高木なら大丈夫!」
沙希先輩はサムズアップしてそう言った。
……この人もすごく良い顔しているんだけど、何で?
というわけで、ふたりで生徒会室の外に出る。
おかしいな、さっきまで予算申請の書類を審査していたはずなんだけど。
「くっくっくっ、高木くん、覚悟は良い?」
ヤバイ、今までで一番良い笑顔しているよ。
流石に正面から殴られると危険なので背中を向けた。
一応、それなりに鍛えているので女子の腕力かつプラスチックならそれほどダメージは無いはずだ。
「加減してくれよー」
「いくよっ!」
――パァアアアン!
臀部への凄まじい衝撃で思わず前方へ倒れた。
滅茶苦茶痛い、軽く涙目になった。
あの、一ノ瀬さん……?
両手をついて、振り返りながら見上げる。
一ノ瀬は震えている。
「あははははは!」
そして目が合うと人差し指でこっちを差しながら盛大に笑い出した。
ヤバイ、コイツ、絶対に頭がおかしい。
「加減しろって言っただろ、中学生か!」
まあ、去年まで中学生だったのは間違いない。
「はー! はー! はー!」
一ノ瀬は笑い過ぎて呼吸困難になっていた。
尻を抑えながら立ち上がると今度はこちらに寄りかかってくる。
「くくくくく!」
まだ笑うか、この女は……。
「もうダメ、死ぬ……」
俺の肩に掴まりながらなんとか呼吸を整えようとしていた。
相変わらず距離が近い、おかげで一ノ瀬の甘い匂いがする。
「大丈夫か?」
少し心配になったので背中をさすってやった。
「あー、おもしろかった。ありがとう、大丈夫!」
平然と、一ノ瀬はこっちを見て至近距離で笑った。
そしてそのまま生徒会室に戻っていく。
思わず立ち尽くしてしまった。
一ノ瀬は中々戻らない俺の方を見て手招きしている。
俺としてはもう少し、一ノ瀬の優しい感触に浸りたかったのだけど。
「……くくく! あはははは!」
室内に入ると沙希先輩が指をさして、こちらを笑っている。
沙希先輩、貴女もか。
「ふ……、ふふふ……」
良く見ると大場も盛大に笑いをこらえていた。
「なんですか、ふたりとも!」
「あはははは!」
一ノ瀬も再び笑い出し、生徒会室の壁をバンバン叩きだした。
「いやー、まさか高木が四つん這いになるとは思わなかったわ」
今にも思い出し笑いをしそうな沙希先輩。
「いや、あの威力は笑い事じゃないんですけど」
「くくくく……」
一ノ瀬の方はすでに笑い過ぎて机に突っ伏していた。
あーもう、本当にこの人たちは。
盛大に話が逸れたが、各部活動の予算申請書の精査は続く。
割と面倒なのが、明細の中身についての裏を取る、という作業だ。
先ほどの例だと練習用のボールが400個で120,000円。
これは逆に言えば練習用ボールは300円であるということだ。
実際にボールの値段を調べて安ければ、これは妥当ではないと突っ込める。
今ならオンラインショップですぐに調べることが出来るが、この当時はそういうわけにもいかない。
スポーツ用品や文房具のカタログを見て金額を調べるという地味な作業が続く。
このように申請書の粗を探し指摘するという少し嫌な作業が会計の仕事だ。
――後日。
各部の予算申請書の精査が終わったら、今度は部を集めて折衝会を実施する。
生徒総会はあくまで承認の場で、会計の本当の仕事はこの折衝会だ。
まずは、こちらから申請書の不備を指摘する。
特に問題のない部についてはここで終了だ。
「こちらの用途、もっと詳しく書いてください。
テーピングはわかりますがテープですか、包帯ですか?」
「あの、冷却スプレーとかもあるので……」
「じゃあキチンと分けて申請して下さい」
「こちらの予算は過多ですね。
練習用のボールは1個200円でも買えますよね?」
「試合用だと1個600円なんです」
「じゃあ練習用と試合用で別々にして下さい」
このようなやり取りがひたすら続く。
もちろん、部の方も黙って言いくるめられるわけではないので、割と骨肉の争いとなる。
沙希先輩も大場も毅然として態度で対応しているから恰好良い。
会計監査はその場で計算をやり直したり、金額を調べたりの補助をする。
「あー、疲れた! アイツら、本当に言うこと聞かないんだから!」
沙希先輩は生徒会室に戻ってくるなり悪態を付いた。
「本当ですね、まったくしつこい奴等だ!」
大場も結構ストレスが溜まっているようだ、いつもと少しキャラが違う。
「まあまあ、向こうも死活問題ですし」
俺はテニス部に所属しているのであまりこちら側の肩を持つわけにもいかない。
微妙な立場である。
テニス部が突っ込まれている時は部員と目を合わせられなかった。
「まあ、でも後は再申請があったとこだけで相手にすれば良いから少し楽か」
折衝会は大抵の場合複数回行われる。
2次、3次と繰り返すうちに、相手になる部は減っていくので楽にはなる。
ただ、残った部は一癖ある連中なので厄介なことには変わりがない。
この時期の会計は本当に大変だ。
――さらに後日。
第2次の折衝会に向けて再び俺と一ノ瀬の間に申請書が積まれた。
「ふっふっふ。また勝負する?」
不敵な笑みを浮かべる一ノ瀬。
悪い顔しているなあ。
だが、こちらも負け続けるわけにはいかない。
「いいだろう」
そういって、電卓を置き、鉛筆を取り出す。
「高木、もしかして……」
「ソロバンに勝つには暗算しかない!」
勝つためには手段を選んではいけないのだ。
「いやー、それさ、あんまり検算にならなくない?」
沙希先輩のツッコミはどこまでも正しい。
「では、こうしましょう。
勝負が終わった後、俺は一ノ瀬の申請書を電卓で検算する。
そして、俺の申請書は一ノ瀬が検算する、ということで!」
「まあ、それならいいけど。ダブルチェックになるしね」
というわけで、再び無駄な争いが始まった。
申請書を手に取り、繰り上げっぽい数字を記入して検算完了の箱へ突っ込む。
――パチパチパチ。
相変わらず一ノ瀬は早い、が……。
俺は次から次へと申請書に手を伸ばしては意味ありげな数値を記入して検算完了の箱へ突っ込んでいった。
……断っておくが俺に一ノ瀬を越える暗算能力などない。
だから、検算をしているふりをして箱に突っ込んでいるだけだ。
ようするに、イカサマをしている。
皆、真面目だから絶対にバレない。
「あああ! ヤバイ!」
どうやら一ノ瀬が珠をはじき損ねたようだ。
アレをやってしまうと一から計算しなおさなきゃいけない。
その間に1枚リードした。
いや、まあ俺は検算していないのだけど。
「勝った!」
1枚も検算することなく、目の前の申請書は無くなった。
結果、俺の方が2枚多い。
「まだだよ、高木くんが間違えていたら私の勝ちだから!」
露骨に悔しそうな一ノ瀬を前に検算済の箱を交換した。
電卓を取り出して申請書を確認する。
「ああああ! 負けた!」
ソロバンを使った一ノ瀬の方が検算が早い。
あっちのが2枚多いのにな。
「よし、こっちも問題なし。さすがだな、一ノ瀬」
このイカサマは博打のようなものである。
検算していないので、もし不備があればこの時点で負ける。
だが、2次申請時の申請書に不備があることはほぼ100パーセントない。
何故なら最初の段階で指摘し、直されたものだからだ。
各部の部長もそこまでアホではない。
「さて、じゃあ一ノ瀬。罰ゲームだ。俺の言うことを聞いてもらおう」
さりげなく、ここでルールを変えておく。
罰ゲームの内容を「言うことを聞く」にしてやった。
「うー! 悔しい!」
負けず嫌いな一ノ瀬は真剣に悔しがっている。
……これ、少し背徳感あるなあ。
だって一ノ瀬は負けてないし。
しかし、尻バットの借りはなんとしても返したいのだ。
許せ、一ノ瀬。
この勝負を思いついた時点で、お前はすでに負けていたのだ。
俺は平然とイカサマをする男。
――ポンポン。
肩を叩くのは沙希先輩だ。
耳元に息がかかるぐらい近くに口を寄せてきた。
止めて下さい、ドキドキします。
「お前、計算してないだろ」
あ、バレた。
「な、何を言っているんですか?」
「安心しろ、梨香には言わないで置いてやる」
なんだか腹黒い展開だ。
「何が目的ですか?」
「あとで私の言うこと何でも聞いてね」
そこだけ可愛い声で言われても。
……恐ろしい人に弱みを握られてしまった。
悪いことは出来ないものだ。
「わかったよ……、高木くん」
そういって悔しそうな顔でこっちを見る一ノ瀬。
真面目だ。
「何すれば良いの?」
半泣きになりながら、被害者ぶったわざとらしい声を出す。
その表情でこっち見るな、興奮しちゃうから。
一ノ瀬のこういうところはあまり好きじゃない。
けれど、可愛いと思ってしまっている時点で完全に敗北している。
「うーん、そうだなあ……」
一ノ瀬にしてもらいたいことを妄想する。
正直、この時間だけでも十分に幸せだった。
とはいえ、あまり過激なことはお願い出来ない。
「肩を揉んでもらおうか」
スキンシップがあるものだとこの辺りが限界か。
「なんだ、それぐらいならいいよ」
……一ノ瀬にとってはそんなに罰にならないらしい。
「よろしくね」
トコトコと近くまで歩いてきた一ノ瀬に背中を向ける。
「うー……」
「おお、一ノ瀬って結構、握力あるんだね」
普通に気持ち良かった。
「くうう……」
あれ、どうした?
「んんー!」
これ、もしかして何かしてんのか?
「あー、梨香。高木って結構鍛えてるから全力で握っても多分効かないよ?」
「ええーっ!」
まあ、テニス部だから肩の筋肉はあるんだよな。
「軟弱そうなのに! ……そういえば、高木くん。
沙希先輩に肩揉んでもらったことあるの?」
「あー、うん。球技大会の時かな?」
「ふーん、そうなんだ」
――ザクッ。
「痛っ! ちょっ、爪立てるのは反則!」
「くっくっくっ!」
またしても、悪そうに笑う一ノ瀬だった。
狂暴なヤツだ。
結局罰ゲームを食らったようなものだったけど、ここで終わりではない。
「ふっふっふっ、一ノ瀬よ」
「何? 高木くん? 気持ち悪いんだけど……」
本気で嫌そうな顔するなよ、傷つくだろ。
「お前、気がつかなかったのか?」
「何のこと?」
やはり、全く気がついていなかったようだ。
まあ、普通は自分の手元に集中するもんな。
「いや、俺、イカサマしてたんだけど」
「へっ!?」
「あー、言っちゃうんだ?」
そう言ったのは沙希先輩だった。
「当たり前じゃないですか、俺は一ノ瀬にだけは嘘をつきませんよ」
これは本当のことだ。
今までもイカサマをしたり、嘘のうわさ話を吹き込んだりしたことはある。
けれど、その全てはいつも種明かしをしていた。
俺は一ノ瀬に対して悪意を持った嘘はつかない。
騙す気はさらさらないのだ。
思いやりの嘘は時々つくけどな。
「……高木くん?」
当然、一ノ瀬はご立腹である。
「俺がお前より早く暗算できるわけないじゃんか。
少しは人を疑わないと駄目だよ? 俺はお前の将来が心配だ」
これはちょっと本音である。
天真爛漫な一ノ瀬は、ともすれば騙されやすい。
警戒心を持って欲しいというのは昔から思っていた。
……まあ、それはそれで一ノ瀬の良さが失われてしまうかもしれない。
ずっと自分の庇護のもとにおいておければ……。
そんな保護者のようなことを考えてしまった。
一ノ瀬は種明かしを黙って聞いていた。
すべてが終わった後、ニッコリと笑う。
「うん、じゃあ高木くん。
罰ゲーム、倍返しでよろしく」
お前、なぜ未来のそんな言葉を知っている……!?
いや昔からあったのか。
――かくて。
一ノ瀬はあらたな必殺技、ダブル尻バットを炸裂させるのだった。
恋人同士のような甘い関係じゃなくても良い。
一ノ瀬とこうやって話せるだけで俺は十分に嬉しい。
悪そうな表情も、悔しそうな顔も、大きな笑い声も、心地よく胸に染みる。
こういう時間が、ずっと続けばいいのに。
……尻バットはご免こうむるけどな!




