第31話:喜んでくれた事が何よりも嬉しかった
文化祭が無事に終わった。
生徒会執行部としての当面の行事は生徒総会、そして球技大会だ。
相変わらずそれなりに忙しい日々は続く。
そんな中、来週は一ノ瀬の誕生日だった。
当時の俺はこの頃、すでに一ノ瀬に告白して振られている。
それでも誕生日だし、ということでシルバーのアクセサリを送った記憶がある。
……今思えば、中々に重たいな。
しかも一ノ瀬の趣味じゃなかっただろうし。
そんなものを渡されても困っただろう、俺は考え無しだった。
今回はまだ出会ってから一か月程度しか経っていない。
どう考えても、そんなプレゼントは無いな。
でも、せっかくだから祝ってあげたい。
やるなら生徒会メンバーで軽く食事会みたいなのが良いか。
……この企画を立てる時点でちょっとギリギリかな?
だけど、一ノ瀬の誕生日は俺にとっても特別な日になっていた。
彼女が居なくなった後も、俺はずっと一ノ瀬の誕生日だけは祝っていたのだ。
少なくとも10年は続けていたと思う。
婚活を始めた5年前からは流石に止めるようにした。
だけど、それでも心の中から消えた日はない。
俺はずっと、彼女の幸せを願っていた。
元気でいて欲しい、今も笑っていて欲しい。
そんな願いを込めて、毎年、一ノ瀬の誕生日は大切に過ごした。
彼女が好きだった料理を作って、お酒を飲む。
……大抵の場合は、泣いていただけだったけどな。
他人の誕生日を勝手に記念日のようにするのは如何なものかとは思う。
けど、これぐらいは許してほしい。
「一ノ瀬、来週の火曜日って空いてる?」
生徒会室に居た一ノ瀬に声をかけた。
「えっとね……」
やはりピンポイントに狙うのはおかしいか。
それに他校に彼氏とかいるかもしれないしな。
歴史が変わっているのだから、そんな事実があったとしてもおかしくはない。
「ごめんね、その日は予定があるんだ」
ああ、やっぱりダメか。
「もしかして、彼氏と過ごす予定とか?」
「ち、違うよ! 彼氏とか居ないし!」
居ないんだ……。
つい良かったと思ってしまった。
「何か大事な用?」
一ノ瀬は心配そうな顔をしている。
生徒会の仕事かと思われちゃったかな?
「いや、別に大したことじゃないよ。
生徒会室で軽くパーティー出来ないかなと思っただけ」
「へっ? なんで急に?」
何故か間の抜けた表情をしている。
「いや、だって誕生日でしょ?」
「えっ! 何で知っているの?」
あ、しまった。
大前提を忘れていた。
「奈津季さんに聞いたんだよ」
とりあえずはこれでごまかした。
……あとで奈津季さんにちゃんと聞いておこう。
食い違いがあっては不味い。
「あの、笑わないでくれる?」
「うん、笑わない」
一ノ瀬が何故か恥ずかしそうにしているのがちょっと気になった。
「家族でやってくれるっていうから、その……」
高校生にもなって、ということかな?
そんなにおかしいことではないと思うけど。
「あー、なるほど。うちも妹のパーティーはやっているよ。
あ、年子だから来年は高校生だけど普通にやると思う」
ちなみに妹は20才過ぎてもやっている。
「えっ!? そうなんだ」
「うちは母親と妹、女子だけはちゃんと祝うんだ」
俺はひとり暮らしを始めてから正月すらも実家に帰っていない。
だが、母の誕生日パーティーだけは毎年、確実に帰っていた。
……帰らないと親父が怒るのだ。
「何それ、じゃあ高木くんはパーティーしてもらえないの?」
「うん、俺も親父も弟もパーティーは無し」
「あはは、面白い家だね!」
こんな会話でも笑ってくれる一ノ瀬。
やっぱり好きだな。
「じゃあさ、水曜日はどう?
先輩達いないから定例会もないだろうし」
来週は修学旅行なので先輩達は不在となる。
出来れば皆で祝いたいところだが、仕方ないだろう。
「うん、大丈夫だよ。高木くんはいいの?」
「水曜日なら部活休んでも怪しまれないからむしろ都合がいいかな」
定例会ということにしておけば何の問題もないだろう。
「なら、良かった!」
「じゃあ、みんなに声をかけておくね」
と、いうわけで、一ノ瀬の誕生日パーティーが開かれることとなった。
――パーティー当日。
学生のやるパーティー、しかも校内なので当然、お酒は無し。
ジュースとお菓子を持ち寄っての歓談なのでそれほど特別なものでもない。
だけど、雰囲気は大事だよね。
しかしこれ、奈津季さんの誕生日もパーティーしないとおかしくなるよな。
忘れないようにしよう……。
幸いにして奈津季さんの誕生日はとても覚えやすいので記憶に残っている。
「では、梨香さんの16才を祝って、乾杯!」
音頭を取ったのは中森だった。
「ありがとうー!」
珍しくちょっと照れた表情だ。
可愛い、これが見れただけでも開いた価値がある。
それにしても16才かあ……若いなあ。
あ、でも一応、結婚出来る年でもあるんだな。
……余計なことを考えてしまった。
「はい、梨香ちゃん」
そういって奈津季さんは綺麗に包装された小箱を取り出す。
「えっ!? いいの?」
「いや、だって誕生日だし」
いそいそと空ける一ノ瀬。
ああいう時間って本当に楽しいよね。
中には1組の赤色の髪留めが入っていた。
おお、さすが奈津季さん、一ノ瀬の趣味を良くわかっている。
「これ可愛い! ありがとう、なっちゃん」
そういって奈津季さんを抱きしめる。
ああ、この景色はなんて尊いのだろう。
ずっと見ていたい……。
そんなことを考えていたら一ノ瀬がじっとこっちを見ている。
「もしかして、期待してる?」
ちょっとだけ意地悪をしてみた。
「高木くんは何をくれるのかなあ……?」
どうせ用意していないんでしょ?
と言った表情でからかいに来ている。
ふっ、残念だったな。
「大したものじゃ無くてごめんね」
といって、小さな箱を取り出した。
「あるの!?」
さっきまでの意地悪そうな表情から嬉しそうな表情へぱっと変わる。
無邪気な瞳が眩しい……。
「チーズケーキ?」
何を送るのかはかなり迷った。
アクセサリの類は当然却下。
何か文房具にしようかとも思ったのだが……。
普段使いするようなものは特別感が無いかな、と。
食べ物が良さそうだったので、一ノ瀬の好物を送ることにした。
「普通、誕生日ケーキだったら苺ショートじゃね?」
と中森から突っ込みが入る。
それはそうなんだけど……。
「ありがと、高木くん!」
わざわざ近くまで来なくても良いんだけどな。
残念ながら流石にハグは無かった。
無意識に、一ノ瀬の頭に手を伸ばす。
寸でのところで手は止まった。
思わず、髪を撫でそうになった自分が怖い。
「どうしたの?」
不思議そうな顔でこっちを見る一ノ瀬。
「何でもないよ」
胸の痛みをこらえて、優しく言った。
「これ、美味しい!」
満面の笑みでそういってくれると本当にうれしい。
「良かった」
これでも一生懸命に選んだのだ。
「でも何でチーズケーキなの?」
と、大場にも突っ込まれた。
「あー、一ノ瀬ってミルク苦手じゃん?」
これは紅茶に入れないことからすでに周知の事実である。
「だから生クリームもダメなのかなって」
「あ、なるほど」
昔、そう思って一ノ瀬に聞いた。
食べられないことはないけど苦手だそうだ。
「高木くん!」
向き直ると何故か一ノ瀬がキラキラした目でこっちを見ている。
「本当にありがとね!」
嬉しそうな顔だ、本当に良かった。
一ノ瀬に喜んでもらえたの嬉しかった。
贈り物をしたのはこっちだ。
けど、俺はたぶん、一ノ瀬よりも幸福になっている。
好きな子が自分の贈り物で笑ってくれる。
15年間、贈り物するどころか会うことすらなかったのだ。
そう考えると涙が出た。
あれ……コレ、駄目なヤツだ。
「ごめん、ちょっとトイレ」
そう言って生徒会室を出る。
人気のない校舎裏でうずくまった。
涙が止まらない、何でだろう。
決別したことに後悔はない。
でも、俺が苛まされていたのは、寂しさだけじゃなかったんだな。
これは……無力感か。
ずっと、一ノ瀬のために何もしてあげられなかった。
さっきの嬉しそうな顔が焼き付いて離れない。
どうしよう、止められる気がしない。
だけど、一ノ瀬のいる生徒会室に早く戻りたい。
しまった……。
一ノ瀬に逢えると思うと嬉しい気持ちに拍車がかかる。
なんで俺は、普通に過ごすこともまともに出来ないんだろう。
誕生日を祝う側が、祝われる側の何十倍も幸せになるなんて。
完全にどうかしている。
その後、何とか気持ちを静めて生徒会室に戻った。
「遅かったね、大丈夫?」
そう言って心配してくれたのは一ノ瀬だ。
「ああ、ごめん、大丈夫だよ」
出来るだけ優しい声でそう返事した。
結局、俺たちは生徒会室で談笑してその日を楽しんだ。
ふたりきりで過ごしたいという気持ちも少しはあったけれど。
多分、一ノ瀬はこっちの方が好きだろう。
「ねえ、高木くん」
学校からの帰り道、自転車組と別れるとふたりきりになった。
「今日は本当にありがとね」
至近距離で笑うのは反則だ。
今日はとても楽しかった。
お礼を言いたいのはむしろ俺の方だったけど……。
「どういたしまして」
そう返事をして、思わず頭を撫でた――。
「あっ、ごめん!」
気が付いて慌てて手を離す。
「高木君にセクハラされたー!」
なんだよ、その表情。
でも、よく考えたら今の一ノ瀬がそんなに嫌がる理由はないのか。
「悪かったよ……」
言葉ではそう言った。
でも内心は少し違う。
「あははは! 冗談だよ!」
一ノ瀬が、こう言ってくれることを解っていたからだ。
「誰かに怒られでもした?」
お前だよ、と言いたくなったが、今の一ノ瀬には関係がない。
「前に、奈津季さんに怒られた」
「酷いっ! 私だけじゃなくて、なっちゃんにまで手を出すなんて!」
そのノリは止めてくれ。
……でも、楽しそうで良かった。
学校最寄り駅の改札口を過ぎたらお別れだ。
ここではいつも、寂しい気持ちになる。
「ねえ、高木くん」
改札口の手前で立ち止まった一ノ瀬に腕を掴まれた。
何だろう?
「もう一回、してくれない?」
上目遣いは止めなさい、と言っているのに……。
「な、何を……?」
思わず瞳を反らしてしまった。
「もう、わかっているくせに……」
コイツがこうやって人をからかうのは、良く知っている。
そっちがその気ならやってやろう。
俺はそっと、一ノ瀬の頭を撫でた。
――挑発したお前が悪いんだから、文句言うなよ。
俺がその言葉をかける前に、一ノ瀬が笑った。
「えへへー、私は別に気にしないよ!」
そう言って、改札口に駆け込んでいく。
予想外の反応に思考が追いつかなかった。
「じゃあ、またね!」
そういって、いつものニコニコした顔で手を振る。
そして、ホームへの階段を登っていった。
残された俺は改札口に入ることも無く、一ノ瀬の頭を撫でた手を見ていた。
……結局、今年の一ノ瀬の誕生日も例年と同じぐらいに涙まみれだったな。




