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たとえ人生をやり直せるとしても俺は同じ過ちを繰り返す  作者: 大神 新
第1章:やり直せるからと言ってやり直すとは限らない
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並走しない過去 第8話:決別の日

「何でお前が泣くんだよ!?」

 思わず声が大きくなってしまった。


 俺は一ノ瀬が泣いたところを一度も見たことがない。

 彼女はいつも前向きで、落ち込むことも滅多になかった。


「だって、私……高木くんと離れたくない」

 そう言って一ノ瀬は涙を流す。


「何でだよ、俺を要らないって言ったのはお前だろ……」

 一ノ瀬は俺の手を握り締めた。

 俺から触ろうとするといつも嫌がったのに……。

 なんで今日に限ってお前から俺の手を握るんだ。


「そんなこと言って無い!」

 泣きながらも強い言葉と瞳で俺の眼を見る。


 いつだってそうだ。

 彼女は話す時に目を反らさない。

 瞳で意思を伝えようとする。


「俺よりも彼氏が大事なんだろ、だから俺は要らない。そういったじゃないか」

「それは高木くんが言わせた言葉でしょ!」

 ここまで頑なになる一ノ瀬は久しぶりだった。


 どうしてだ? 訳が分からない。


 一ノ瀬には今、付き合っている人がいる。

 俺はそれを知っていて、なお彼女を愛しているのだ。

 それが悪いことだってのは理解している。

 だからすぐにでも身を引くべき。それは徹頭徹尾、解っている。


 ……だけど、だからといって簡単に離れることなんて出来ない。

 ずっと、ずっと彼女を好きだった。

 恋愛感情に順番なんて関係ない。それもわかっている。

 今の彼女の感情が何よりも優先される。

 だから彼女にとって俺は必要ない。そのはずなのに……。


「ねえ、私と話せるんだよ? 私と会えるんだよ?

 高木くんはそういう時間が無くなってもいいの?」

 一ノ瀬は心底寂しいと言った表情で俺をまっすぐ見ている。


 彼女の声が聴きたい、その笑顔を見てたい、それだけで良かった。

 彼女から「彼」の話を聞かされて心が壊れそうになったとしても。

 俺の世界の全てが絶望に染まって、この先、二度と笑えなくなるとしても。

 それでもいい、この些末な願いだけは許して欲しかった。


「いいわけないだろ……」

 俺は言葉を振り絞る。


「私は、高木くんと会いたいし、話したいよ。それだけじゃ駄目なの?」

 一ノ瀬はいつも心に従う。体裁など関係ない。

「駄目じゃないよ。そう言ってくれるのは凄くうれしい」

 だけど、それだけじゃ駄目だったんだ。


「だったら……!」

 一ノ瀬は未来よりも今を大切にする。

 この先がどうなろうと、今があればよい。


「でも、そう思ってくれるのはいつまで?」

 価値観が違う、と前に言われたことがある。

 俺は未来が欲しい。そのために、今を手放すのを厭わない。


 お互いの状況にそぐわない環境で、ほころびはどんどん大きくなる。 

 心はあっという間に罪の意識と嫉妬に絡めとられていった。

 ただ「逢いたい」という純粋な気持ちはどんどん嫌なものに蝕まれていく。

 多分、それはきっと一ノ瀬も同じだったんだろう。


 一ノ瀬から俺に向けられる感情は愛情じゃない。ただの優しさだ。

 それだけで肥大化した俺の感情を包み込めるものじゃない。

 一ノ瀬は俺と、どう接したらいいのかわからなくなっていたのだろう。


 つじつまの合わない言動が多くなっていた。

 会いたいと言われて会っても上の空。

 時々、思い出したようにこっちを見る。

 けれど、その瞳に俺が映っているようには見えなかった。

 一ノ瀬の中にあったのは同情か、罪の意識か。

 この関係に疲れていたのは一ノ瀬も同じだったはずだ。

 もしかしたら、一ノ瀬の方が辛かったのかもしれない。

 それなのに……。


「もう一緒に居られないの?」

 最後まで、彼女は別れを拒んでくれる。

「ごめんな、一ノ瀬」

 謝る必要なんかないはずだった。

 俺も一ノ瀬も間違ってなんかない。


「何で謝るの……?」

 寂しそうに言う一ノ瀬に、俺は何も言えなかった。


 俺のことを好きになってくれない彼女。

 だけど、俺には好きでいて欲しいと思ってくれている彼女。

 その存在を憎まないために、俺は俺自身を憎むしかなかったんだ。


「俺は、お前のことが好きなんだ」

 好きだから、一緒に居られない。涙が溢れた。

 同時に、俺の手を握る一ノ瀬の力が強くなる。

「ごめんね、高木くん。……ごめんねえ」

 一ノ瀬は悪くない。謝らないで欲しい。


 ちゃんとお互いを思い合えているのに、絶望的にすれ違ってしまう。

 一ノ瀬が俺の事を好きじゃないから。

 俺が一ノ瀬の事を好きだから。

 それだけで、致命的に噛み合わない。


 未練はあるけど、気持ちは割り切ったつもりだった。

 でもまさか、一ノ瀬が泣いてくれるとは……。

 俺のことなんかで感情を揺さぶられるなんて思っていなかった。

 それは素直に嬉しいことだ。

 おかげで俺は、自分が無価値だと思わずに済んだのだから。


「ありがとう、一ノ瀬」

 力の限り、暖かい声でそう言ったつもりだった。


 この手を離したくなかった。離したら、最後だ。

 明日から一ノ瀬のいない世界が始まる。

 それは俺にとって、何の彩もない灰色の世界だ。


「またね、高木くん」

 一ノ瀬はそう答えた。それはいつものことだ。


 彼女は別れ際にさよならと言わない。いつだって、そうだった。

 さよならは悲しい響きがする、だから希望を込めてまたねと言うのだ。

 俺は彼女のそういうところが好きだった。

 だから、一ノ瀬と会ってから、誰かにさよならと言ったことはない。

 いつだって別れ際には「またね」と言うようになった。


「ちがうだろ、一ノ瀬」

 でも、今は駄目だ。必要なのはその言葉じゃない。


「さよならを言ってくれないと、俺は納得できない」

 そう言った瞬間、一ノ瀬は少し震えたようだった。

「嫌だ、言わない」

 本当に、そういうところが大好きだよ。


「頼むから、言ってくれ」

 そうじゃないと俺は進めない。


 意を決して、俺は一ノ瀬の手を離した。

 もう泣いているのは俺だけだ。

 一ノ瀬は黙ってうつむいている。

 俺は一ノ瀬に背を向けた。ああ、これで終わりか……。

 でも、一ノ瀬がさよならを言わないでいてくれたのは少し嬉しかったんだ。

 それならずっと好きで居てもいいよね?

 もう二度と会えないとしても。

 

「バイバイ、高木くん」


 思わず振り返って一ノ瀬を見た。

 そこには泣きながら、それでも笑顔で手を振る一ノ瀬が居た。

 ああ、そうだね。

 いつまでも一ノ瀬を好きで居たら、俺はきっと一歩も進めない。

 だからこそ自分から決別を提案した。

 価値観も違うし、すれ違うこともいっぱいあったけれど。

 一ノ瀬はいつも、俺のことを解ってくれている。

 だから、一ノ瀬は言いたくもない言葉を言ってくれたのだ。


「さようなら、一ノ瀬」

 手を上げて、背を向ける。

 そして一ノ瀬の前から立ち去った。


 この日から俺は、独りの道を歩くことになった。

 その先に希望があるとは思っていない。

 むしろ、果てしない絶望と対峙することになるだろう。

 それでも、そうすることがお互いの為だと信じられた。

 少なくとも一ノ瀬の傍に俺がいることはきっと、彼女のためにならない。

 それだけは理解できたから。


 小さな言い訳だった。

 悲しみと戦う理由を「彼女のため」とした。

 ああ、そうか。

 俺はいつの間にか、彼女が居なきゃ何も出来ない駄目な人間になっていたんだ。

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