第30話:フォークダンスとか踊ったことないんだけど
「高木くん、これ、よろしくね!」
食券を持ってきたのは一ノ瀬と中森だった。
……お前ら楽しそうでいいな。
「どうせなら奈津季さんと来ればよいのに」
「だって、なっちゃん忙しそうだったから。拓斗なら暇そうにしてたし。
せっかく高木くんからもらった食券使わないのも、もったいないでしょ」
悪気も他意もないんだよな、コイツ。
「まあ、いいけどね」
「なんだよ、俺が来ちゃ不満か?」
中森は茶化すように言った。
「うん、不満だ。どうせなら一ノ瀬だけの方が良かった」
「うあっ、酷いなお前」
「あははー! 嫌われてるねえ、拓斗」
いや別に嫌っているわけじゃないけども。
「まあいいや、ちょっと待ってて」
冷蔵庫に入っているケーキを崩さないように皿にのせる。
2枚の皿を盆の上にのせて、ドリンクを用意した。
それを持ってふたりの席に運ぶ。
道中で急に立ちあがった別の客をヒョイと避ける。
「高木くん、お盆使うの上手いんだね」
ふふ、大学生の頃、ファミレスでバイトしたことあるからな。
「まあね。お皿は片手で2枚もてるよ」
そう言って、ふたりの前に運んだケーキの皿を片手で2枚持って見せた。
「うお、すげえ」
いや、驚くほどのことじゃないだろ。
「ケーキじゃなければ3枚はいけるんだけどね」
「えっ、見たい!」
一ノ瀬にそう言われたら見せないわけには行かない。
「しょうがないな……」
空いた皿を3枚持って見せた。
親指と人差し指の腹で1枚、これは手から外側に向かって持つ。
2枚目は中指を突き出して、人差し指と薬指の間に挟み込む。
指3本で1枚、皿は中指で支える形だ。
最後の1枚は手のひらを目一杯使って小指と親指の付け根で挟み込む。
実を言うと、この上で手首の上にもう1枚を乗せて、手に持った前方のお皿で支えれば4枚まで持てる。
けど、4枚目は乗せているだけなので、このスタイルで皿を持ってはいけない。
何かにぶつかった時は流石に落としちゃうからね。
「へえ……、こうやって持てるんだ」
しょうもない特技に興味津々な一ノ瀬が可愛い。
「誰にでも出来るから、今度教えてあげようか?
……役に立たない特技だけど」
「教えて!」
即答だった。
今度、生徒会室で披露してみようかな。
この分だと先輩達も喜びそうだ。
他の客に接客しながらも、一ノ瀬に目が行ってしまう。
中森とケーキを食べながら楽しそうに笑っていた。
昨日言った通り、アイツは誰といても楽しそう。
目が合うと手を振ってくれた。
俺は苦笑いで返す。
いいなあ、一ノ瀬と喫茶店かあ。
ちょっと羨ましい。
他の男と一緒に笑う好きな人を見るのは残酷なことかもしれない。
高校生の俺だったら思いっきり嫉妬していただろうな。
でも今は穏やかな気持ちで見て居られる。
多くの絶望を味わってきた。
ほんの少しだけ、今の自分の心境は狂気だと思う。
心が壊れる寸前までいったからこそ。
何も感じずに彼女の笑顔を見て、俺は笑っている。
一ノ瀬が笑っていれば、それでいい。
来年の今頃は、あのふたり、付き合っているのかな。
歴史通りに進むのなら、そうなるはずだ。
流石にその時には今と同じ心境で居られるとは思えない。
でも……一ノ瀬には笑っていて欲しいな。
ふたりが帰ってからしばらくすると、無事に担当の時間が終了した。
が……、次の担当が来ない。
良くあることだけどな。
もうひとりの担当も困っていた。
「あー、いいよ。俺、今日は生徒会の仕事もそれほどないし。
次の人が来るまでこっちにいるから回ってきなよ」
せっかくなので普段クラスに居ない分、恩を売っておいた。
まあ、ウェイターのバイトに比べたら数段楽だしな。
会計は無いし、変なクレーム付けてくる客もいない。
ケーキやドリンクを乗せるお盆をクルクル回しながら客を待つ。
最終日なので、客も減っていた。
体育館の舞台でも演目はほとんど終わりに近づいているだろう。
余ったらケーキ貰って帰れるかな。
一ノ瀬の好きなチーズケーキが残るといいんだけど……。
そんなことをぼんやりと考えていると担当のクラスメイトが走ってきた。
「ごめん、ちょっと遅れた!」
ちょっとではなかったぞ。
……が、怒るほどのことでもない。
交代したところで、特に予定などないのだ。
仕方が無いので生徒会室へ行くことにした。
誰かいれば良いのだけど……。
――チリンチリン。
おもむろに生徒会室の扉を開けると神木先輩がひとりだった。
「うおっ!」
先輩……その悲鳴は可愛くないですよ。
反応はともかく、神木先輩のいで立ちには目をひかれた。
「なんて恰好しているんですか……」
「しょうがないだろう、さっきまで体育館でミスコンに出てたんだから」
ああ、それでチアガールの衣装なのか。
さすがに水着はアレだもんな。
「あんまりジロジロ見るな!」
「それは無理です、この際ですから目の保養をさせてもらいます」
あまりやり過ぎるとセクハラで捕まるかもしれない。
けれど、神木先輩相手ならこれぐらいは大丈夫だ。
「……相変わらずだな、お前は。
まあそう思ってくれるのは嬉しいけどな。
残念ながらクラスに行かなきゃいけないんで着替えるぞ」
えっ……嬉しいの?
その発言にはちょっとドキドキしてしまった。
「外に出て人払いしましょうか?」
とは言ったものの、社交辞令だ。
「ああ、別にいいよ」
そう言って普通に制服を着る神木先輩。
女子の着替え……そこに過剰な妄想を抱いてはいけない。
女子高は知らないが、少なくとも共学の高校で女子は下着姿になどならない。
少年誌に描かれる女子更衣室なんて想像の産物である。
大抵の女子はまず、着てから脱ぐ。
袖から片手だけを抜いて、内側の服の袖を通さずに外側の服に袖を通す。
逆の手も同じだ。
そして神木先輩は首元からチアガールの衣装を取り出した。
……神木先輩の場合、胸が大きいから少し大変そうだった、というのは内緒だ。
スカートなんかもっと簡単で一瞬だった。
これ、多分ズボンの方が面倒だよな。
なお、余談だがこの着替え方は俺も出来る。
過去に神木先輩から教えてもらった。
……使い道はあんまりない。
「神木先輩、次はクラスに行くんですか?」
この人の信念は相変わらずだ。
生徒会長である前に一人の生徒。
「ああ、すまないがここを任せても良いか?」
「もちろんです」
裏方に回るのはそんなに嫌じゃない。
先輩を見送ったらお茶を入れて人心地着いた。
しかし……俺は友達が少ないな。
まあ、ひとりでいるのは気楽で構わないのだけど。
大学に入ったら反動でやたらと友達を作ったっけ。
でも結局、社会人になって残ったのは数人だったなあ。
歳を取ると物思いにふけるだけであっという間に時間が過ぎるものだ。
ふと外を見ると奈津季さんが生徒の対応をしていた。
そういえばあの子、接客みたいな仕事苦手だったっけ。
慌てて生徒会室の外にでた。
「どうかした?」
「あ、高木君。
ガムテープが欲しいって言われてるんだけど……」
ああ、奈津季さんが一番苦手なヤツだな。
他人からの要望を断るのには結構勇気がいる。
「ガムテープは使用禁止で……」
俺はお決まりの文句を言って、養生テープを渡して去ってもらった。
「ありがとう、高木君」
「お礼を言われるようなことはしてないと思うけど」
奈津季さんの笑顔は直視すると危険だ。
一ノ瀬とはまた違った破壊力がある。
「ふふっ、そうかもね」
意外と、嬉しそうな奈津季さんだった。
「奈津季さんは今日、どうする予定なの?」
ふたりきりの生徒会室。
一ノ瀬の時とはまた違うな。
何で俺はアイツの前だと無様を晒してしまうのだろう。
「うーん、クラスの出し物も終わったし、特にやることないんだよね」
なるほど、奈津季さんも俺と同じクチか。
「一緒に後夜祭に出ない?」
「えっ? 俺と?」
後夜祭は確かキャンプファイヤーを中心にフォークダンスを踊るんだっけ。
俺には縁遠い行事だ。
フォークダンスなんて踊ったことが無いし、俺は歌や踊りのセンスが壊滅的だ。
史実では一ノ瀬にも会えないし、ってことでこのまま帰宅してしまった。
「行こうよ、高木君。梨香ちゃん会えるかもよ?」
うーん、そうは言われてもなあ。
俺が踊ったら足とか踏んじゃいそうだし。
――チリンチリン。
生徒会室の入口の鈴が大きく鳴った。
「ああああー、疲れたー!」
そう言って入ってきたのは神木先輩だ。
「お、邪魔したか?」
「いえいえ!」
そんなに速攻で否定しなくても……。
奈津季さんもつれないな。
「お疲れー!」
そして沙希先輩、嘉奈先輩、平澤先輩が入ってきた。
2年生はほぼ勢ぞろいだ。
「しかし、凄かったな、神木」
なんと、北上先輩と舘林先輩まで入ってきた。
凄いメンバーだな。
「彩音ちゃんね、ミスコンで1位に選ばれたんだよ!」
興奮しているのは嘉奈先輩だ。
「神木先輩は綺麗ですもんね!」
俺もそのテンションに応じた。
「いやあ、コイツの場合、組織票も多いと思うけど」
そう言ったのは北上会長だ。
なんと恐れ多いことを言うのだろう。
「まあ、否定しないさ。
容姿とかじゃなくて人望も大きいはずだ」
自分で人望があると言ってしまう辺りが凄い。
だが、それは間違っている。
「いえ、神木先輩は容姿でも間違いなく本校で1番です」
「いえ、神木先輩は間違いなく川場高校で1番綺麗です」
奈津季さんと俺の声が見事に重なった。
「ふふふ、息ぴったりで羨ましいな」
そう言って俺と奈津季さんの頭をナデナデしてくる。
まったく、この人は……。
俺の中身はアラフォーのおっさんだぞ。
「まあ、奈津季がエントリーしてなかったっていうのも大きいと思うけどな」
ごめんなさい、神木先輩……それは若干だけど否定できないかも。
急に賑やかになった生徒会室。
やはり、この雰囲気は好きだな。
「よし、じゃあ行くぞ、ふたりとも!」
そう言ったのは神木先輩だ。
「へっ? どこに?」
「決まっているだろう、後夜祭だ。
残り時間は少ないけどな!」
そう言って生徒会室に荷物を置いていく。
秋の夕暮れは早い。
最終下刻時間前とはいえ空の色はすでに真っ暗だ。
校庭に灯る炎が浮かび上がっているように見える。
そこにむかって生徒会執行部のほぼフルメンバーで飛び出した。
過去の最終日には帰ってしまった俺に、この記憶はない。
「あ、なっちゃん! 高木くん!」
そういって手を振っているのは一ノ瀬だった。
隣には中森もいた。
ああ、良かった。
ほんの少しでもいい、アイツと時間を過ごせるのなら、それは嬉しいことだ。
「よーし、じゃあ踊るぞ!」
そう言ったのは神木先輩だ。
「いや、先輩、俺は踊りはちょっと……」
本気で苦手なんだ、せめて練習させてくれ。
2,3日ぐらいくれれば何とか身につけるから。
……後夜祭はとっくに終わってしまうけど。
「高木、お前は何でも頭で考えすぎなんだ」
そういって、俺の両手を取る神木先輩。
そのまま水平に広げた上で、指を絡める。
ちょっと待って、心の準備が出来てないから!
「ついてこい!」
そう言ってステップを踏む。
ああ、もう、この人は!
どこまでも素敵な人だった。
いくつかステップを踏んだら、今度は嘉奈先輩だ。
「大丈夫だよ、私でも出来るんだから!」
いやいや、だからどうすればいいかわからないんだって。
華奢で身長も低くて、手も小さい。
それでも丁寧にリードしてくれた。
必死に足と手の動きを覚えようとするが難しい。
「大丈夫か、高木。
お前は大人びている割にスキンシップが下手だからな」
次は沙希先輩が手を取ってくれた。
……神木先輩や嘉奈先輩ほど上手くない。
だから、少しだけ自分でも動いてみた。
いや、これはもしかして、そうしろという意図か。
「それでいいんだよ、じゃあ次は奈津季だ」
「ええっ!?」
「はい、高木君。
私とは手をつなぎたくない?」
そう言って両手を差し出して来た。
嘉奈先輩と同じぐらい小さな手。
そんなわけないだろう。
でも、ふと見ると北上会長と一ノ瀬が踊っていた。
やっぱりアイツはああいう、背の高い人と一緒の方が絵になるな……。
「そこでよそ見しないでよ、傷つくなあ」
そう言って奈津季さんは俺の手を取った。
「あ、いやそんなことは……」
「いいから! 私でしっかり練習してね」
奈津季さんを練習台扱いなんてしたくない。
これで4回目だ、さすがにステップも覚えてきた。
リズム感はあんまりないけど、どう動けばよいかはなんとなくわかる。
「ほら、大丈夫、出来るじゃん。次は梨香ちゃんだよ」
言われてドキッとする。
……これを一ノ瀬とやるのか?
だって、そうしたら手を繋ぐことになるんだぞ。
「よろしくね、高木くん」
そして、一ノ瀬は当たり前のように目の前に現れた。
いや、何にもおかしくないんだけどさ。
毎度のことながら、頼むから心の準備をさせてくれ。
目の前に差し出された一ノ瀬の手。
これを握る……。
壮絶な抵抗があった。
触れられない日々が、頭を過る。
――以上を持ちまして、川場祭を終了します。
逡巡しているところで、音楽が止まり、校内放送が流れた。
時間切れ、である。
ああ……、やっぱりだ。
俺と一ノ瀬はいつもこんなものである。
タイミングが悪い。
すぐに動かなかった俺が悪いだけなのだけど……。
少しだけ、ガッカリした。
いや、そういうレベルじゃないな。
何時も何時も、上手くいかない。
これは絶望だ。
ふわりと、風が走る。
一ノ瀬の匂いが運ばれてきた。
……懐かしい、甘くて優しい、何よりも好きだった香り。
俺には、これだけでも十分だ。
「もう、しっかりしてよ!」
諦めきった俺の思考回路に一ノ瀬は強引に侵入してきた。
そして、俺の手を取り、当たり前のように指を絡める。
音楽はもう止まってしまったのに、ステップを踏めと瞳で言っていた。
そうだった。
絶望を与えるのは一ノ瀬のくせに。
悲しみの底から俺を一瞬で引き上げてくれるのも、一ノ瀬なんだ。
「こういうの、苦手なんだよ」
そういって、拙いステップを踏む。
離れた手を腰に回して一ノ瀬の目を見る。
ああ、軽く失敗した。
「あははは、高木くんらしいね!」
それでも、いつものように眩しい笑顔で答えてくれた。
……一ノ瀬が笑うだけで、俺の世界は簡単に救われる。
さっきまでの絶望が嘘のようだ。
――パチパチパチ。
生徒会執行部一同から何故か拍手。
慌てて手を離して、一ノ瀬から距離を取った。
……恥ずかしい。
「良かったな、高木」
そう言って、神木先輩が俺の肩に肘を置く。
やはり神木先輩も当たり前のように俺の気持ちに気づいていたようだ。
……なんだよ、もう。
やはり、高校生の熱量は恐ろしい。
こんなこと、大人になったら絶対に出来ないぞ。
 




