第29話:文化祭当日はやたらと忙しい……わけでもない
文化祭当日。
……俺は割と暇だった。
クラスの出し物は喫茶店。
中学校の頃に比べれば少し自由度は増した気がする。
だが、食券制、しかも事前購入型なので現金の清算は一切ない。
在庫が溢れかえる、みたいな事態は発生しないように配慮した結果だろう。
担当の時間は教室内で接客だ。
食券を受け取って、冷蔵庫からケーキを取り出す。
そして、お茶を入れて運ぶだけの簡単なお仕事である。
その時間以外は特にやることもない。
文化祭で一緒に校内を回るような親しい仲の友人は居なかった。
頼みの綱のテニス部の連中はここぞとばかりに彼女を連れて歩いたり、他校の生徒をナンパしに行っている。
普段は気持ちよく付き合っているが、ああいうノリにはついて行けない。
結局、生徒会室に行くことにした。
生徒会室の外には普段、ガラクタのような器材が山積みになっている。
文化祭の最中はそれらを隠すように「川場祭」と書かれた大きな看板が設置されていた。
それをくぐって中に入る。
「あれ、奈津季さんだけ……?」
「おー、高木君」
嘉奈先輩か沙希先輩は居ると思ったのだけど。
「さっきまで沙希先輩はいたよ、暗幕が足りないって出て行った」
あー、良くある話だ。
なお、神木先輩は体育館の舞台で挨拶中だろう。
それ以外にも軽音学部と組んで演奏もするらしい。
どこまでも多才な人だ。
2日目にやるミスコンに出ても上位は確実だろう。
「奈津季さんは暇なの?」
「あー、うん、そう聞かれると答え難いけど……。
装飾班は当日にやることあんまりないんだ」
よく考えれば確かにその通りだ。
「一ノ瀬は?」
「梨香ちゃんはクラスの出し物を手伝ってるよ」
「そっか。人見知りのくせに、よく頑張ってるな」
ノックもせずに生徒会室の扉を開けた、あの時のように。
勇気を出したのかな。
転校生でクラスの人気者、流石だ。
「……高木君ってさ」
珍しく、奈津季さんから声をかけられた。
「んー? どうしたの?」
「梨香ちゃんのこと、好き?」
溜めた割には大したことない質問だった。
「好きだよー」
そういって、棚からマグカップを取る。
「奈津季さんも飲む?」
「あ、うん。ありがと」
コポコポとお湯を注ぐ。
緑茶のティーパックを入れて手渡した。
「はい。隣、座っていい?」
「別にいいけど」
おお、許可が下りた。
ふたりきりだから嫌がられるかと思ったけど。
「やっぱり奈津季さんは綺麗だねえ」
「あー、はいはい」
あしらわれるのは毎度のことだ。
奈津季さんは一ノ瀬と違って、あまり目を合わせてくれない。
それでも美人の隣に座れるのは幸せなことである。
艶やかな黒髪と綺麗な横顔に少し見惚れてしまった。
「……動揺もしないんだね。つまんない」
「んあ?」
我ながら間の抜けた返答だ。
「梨香ちゃんのこと」
「ああ!」
そうか、確かに他人の恋の話とか面白いもんな。
学生の感性をすっかり忘れていた……。
よく考えたら昔の自分なら間違いなく動揺していたよ。
「だって、事実だし、隠してないし……」
「そっかあ、ちょっと意外。
高木君って、なんか女の子はみんな好きって感じだったから」
「いやいや、女の子はみんな好きだよ。
あってるよ。奈津季さんも大好きだよ?」
「あー、はいはい」
くっ、またしてもスルーされた。
「……やっぱり、バレバレだった?」
少しだけ興味がある。
こういうのってどこで気が付くのだろうか。
「んー、他の人は気づいてないと思うよ」
「へっ、そうなの?」
意外だった。
でもよく考えたら猛烈にアピールしているわけでもないか。
「うん、神木先輩は知ってそうだけど」
「それはそうだろうなあ」
神木先輩には全て見透かされている気がする。
「奈津季さんは何で気が付いたの?」
「だって高木君、最近嬉しそうにしてるから」
それはその通りだ。
最近の日々は嬉しいことが多い。
一ノ瀬と会ってから、ずっとだ。
こんな気持ちで日常を過ごせる日が来るなんて思っていなかった。
「意外と上手くいくんじゃない?
梨香ちゃんもまんざらではなさそうだよ」
珍しく奈津季さんから話題を振ってくれた。
これも嬉しいことだ。
「あー……、でもそれさ。
俺を中森に置き換えても同じこと言えない?」
「えっ? うーん……、確かに」
そこは否定してほしいところである。
でも事実なのだ。
アイツは誰にでも気がある様に見える。
「最初から諦めてるよ、一ノ瀬は高嶺の花だ」
「そうかなあ……。
でも梨香ちゃんが何を考えているかは私もわかんないや」
奈津季さんはいつも正直である。
美人で綺麗で裏表がない。
素晴らしい女性である。
本当に、こういう人と結婚したい。
「高木君は片想いでいいの?」
「うん、それでいい。
俺は一ノ瀬に何の期待もしていないよ」
たとえ届かなくても良い。
今はそれでもこんなに穏やかな気持ちで居られるのだから。
笑顔見れる、声が聴ける、話が出来る。
とてもそれ以上を望む気なんかない。
……今はまだ。
「そっかあ……、なんだか寂しいね」
「まあ、仕方ないさ」
――チリンチリン。
そんな話をしていたら生徒会室の扉が開いた。
「なっちゃん! やっと終わったよー」
「お疲れ、梨香ちゃん」
……さっきの話、聞こえてないよな。
「あれ、高木くん? 今日は暇なの?」
くっ、この言葉、次から人に言うのは止めよう。
言われると結構辛い。
「あー、うん……。暇です」
「これからふたりで回ろうと思ってたけど、一緒に来る?」
それは何とも魅惑的な選択肢である。
「うーん、何となく邪魔しちゃ悪い気がするな」
「えー、別にいいよ、一緒に行こうよ!」
こう言ってくれる一ノ瀬。
やっぱり優しいな。
行きたい気持ちはあるが、誰かひとりは生徒会室にいた方が良い。
「後でテニス部の連中と合流する予定だから気にせず行っておいで」
ふたりに罪悪感を持たれるのもなんか嫌なので嘘をついた。
「そっか。じゃあ行こう、なっちゃん!」
そういってすぐに奈津季さんの手を引こうとする一ノ瀬。
ああもう、その仕草も可愛いな。
「まって、お茶が……」
「ああ、いいよ、俺が飲んでおくから。
ふたりで楽しんできなよ」
「うー、じゃあ、お願い」
そういって差し出されたマグカップを受け取る。
「奈津季さんが口を付けたカップにドキドキしています」
「変態! 高木くん、それはさすがに変態です! アウトです!」
楽しそうに言う一ノ瀬。
おそらく人を変態扱い出来て嬉しいのだろう。
眼がキラキラしている。
「えー、……男ってこんなもんだよ?」
「最悪だ、最低! 女の敵!」
だから酷い台詞を嬉しそうに言うなよ。
でも一ノ瀬らしくて良いな。
「そんなこと言って、どうせカップに移すんでしょ。
いこう、梨香ちゃん」
奈津季さんには見事にスルーされてしまった。
「じゃあね、高木くん!」
手を振って去っていく一ノ瀬に片手をあげて答えた。
部屋から出て行ってしまうのは少し寂しい。
奈津季さんのカップに残ったお茶を自分のカップに注ぐ。
あのふたりに混ざって文化祭を回るのも、楽しそうだったなあ……。
ただ、後から男子生徒、特にテニス部員には詰め寄られそうだけど。
「すいませーん、ビニールテープってありませんか?」
一般生徒が生徒会室へやってきた。
「あー、はい。
じゃあ、ここにクラスと名前を書いて下さい」
ビニールテープ自体は備品の山の中にかなりの量がある。
ただ、在庫は管理されているのでこういう台帳処理が必要だ。
大した金額ではないけれど、これも文化祭の費用として計上される。
会社でボールペンやファイルなどを持ち出す際と似たようなものである。
割と学生の方がこの辺りの管理は厳しいかもしれない。
「ありがとうございましたー!」
生徒会室に誰かひとりでもいた方が良い、というのはこういった対応のためだ。
文化祭執行部の本部には必ず数人が詰めている。
けど、とりあえず生徒会室に来る、という生徒もそれなりにいるのだ。
窓の外を見ると多くの人が歩き回っていた。
文化祭執行部は当日も仕事が多い。
見回りを担当している生徒は校内を注意深く観察していた。
非認可のポスターがあれば剥がす必要がある。
教室の展示や出し物があらかじめ提出された企画通りかチェック。
禁止されている現金での取引も見つけたら注意しなければいけない。
一ノ瀬と奈津季さんもそういったものがあれば指摘するだろう。
ただ遊んでいるわけでもないのだ。
……多分。
俺は暇なのでお茶を飲みながら、ひとりでぼーっとしていた。
昔はこういう時間の使い方は嫌いだったけど、今はそうでもない。
常に刺激的な毎日など、絶対にない。
仮にそうだったとしたら、いつかはその刺激にも飽きてしまうだろう。
だから俺はこういった、何気ない時間も大切だと思うようになった。
それに……今は日々がとても楽しいのだ。
一ノ瀬のことが思い出せる。
昨日話した事、元気な声、そしてさっきの表情。
思い浮かべるだけで、嬉しかった。
それさえも出来ない時間が長かったせいで感情を整理するのもひと苦労だ。
嬉しかったことを思い出して、咀嚼して心の中へ染み渡らせる。
そうすると胸の奥が暖かくなる。
こんな感傷に浸れるのはひとりの時間だけだ。
「すいませーん、ガムテープってありませんか?」
「あー、はいはい、ガムテープは使用禁止ですよ。
養生テープでいいですか?」
「えっ、普通に使っているところありますけど……」
「じゃあ、そちらに伺います。
とりあえず、ここにクラスと名前を書いて下さい」
養生テープを渡したらガムテープ使用の現場に行く。
「ガムテープ使うとタイルとか壁が剥がれるので止めてください。
こちらの養生テープを使ってやり直してください」
文化祭執行部ではないけれど生徒会執行部の権限でこの程度は出来る。
「ここにクラスと名前を書いて下さい。
あ、これは先ほど渡した養生テープの台帳です。
悪いことした人の名簿ではありませんよ」
次からは注意して下さいね、と伝えて生徒会室へ戻る。
文化祭は2日間あるが、結局俺はこんな感じで過ごした。
なお、過去も似たようなものである。
一ノ瀬とふたりで回る、そんな甘い思い出は無かった。
出来るとしても、望まない。
俺は一ノ瀬とどうにかなりたいと思っているわけではないのだ。
ただ、もう一度。
彼女と過ごした学園生活が送れるのならそれで十分だ。
――チリンチリン。
「あれ、高木くん?」
一ノ瀬がひとりで戻ってきた。
「一ノ瀬、どうして……? 奈津季さんは?」
「高木くんこそ、どうしたの? テニス部は?」
お互いがお互いのことを聞いてしまう。
俺と一ノ瀬には良くあることだった。
「なっちゃんはクラスに戻ったよ。
私はやることないからこっちに来たの」
「ああ、そっか。
俺は約束ドタキャンされちゃっただけ」
「あー、それは残念だねえ」
一ノ瀬は残念な俺を笑ったりからかったりはしない。
こういう時は優しく共感してくれる。
……実は嘘なので少しだけ胸が痛んだ。
それにしても、一ノ瀬と生徒会室でふたりっきりか。
一緒に帰ることもあったので別に初めてというわけじゃないけど……。
いいなあ、ふたりっきり。
皆と一緒でも別に構わないけど、同じ部屋にふたりで居られるのが嬉しい。
なんだろう、落ち着くというか、安心するというか。
「お茶でも飲むか?」
「うん! よろしく」
二つ返事だったので一ノ瀬のマグカップを取り出してお湯を注ぐ。
アイツは紅茶派だ、ティーパックを入れて、砂糖だけつけて渡す。
ミルクは嫌いだから必要ない。
……顔も思い出せなかったのに、よくもまあこんなことを覚えているものだ。
「ありがとうー!」
そう言って嬉しそうに受け取った。
対面に座って、その顔を眺められるだけでも幸せだ。
「ねえ、高木くん」
こっちを見ながら何か悪そうな顔をしている。
「何?」
「勝負しない?」
うーん、悪い予感しかしない。
そういえば、この頃の一ノ瀬は沈黙が苦手だったっけ。
何かしていないと落ち着かないのかな。
「どんな勝負?」
「目を反らしたら負けっていうのはどう?」
……それ、どうやっても決着つかないヤツだぞ。
お前は負けず嫌いだし、俺がお前から目を反らすと思うのか?
「いいけど……」
「じゃあ、今から開始ね!」
そう言って嬉しそうにこっちを見る。
いい表情だ。
一ノ瀬は目が大きい。
肌が白いからか、化粧は全くしていない。
唇が少し荒れているけど健康的な色だ。
丸顔で少し団子鼻、可愛いなあ……。
立て肘をついて一ノ瀬と見つめ合う。
たまらなく、優しい時間だった。
「そういえば、高木くん。
なっちゃんと何を話していたの?」
……これは難しい質問だな。
もしかして少し聞かれていたか?
「奈津季さんから何か聞いた?」
「なっちゃんに聞いたらなんだかはぐらかされちゃって。
余計に気になっちゃうんだよね」
さすが奈津季さん、口も堅い。
でも、もしも会話を聞かれていたらとしたら余計な誤解は与えない方が良いな。
それに、俺は一ノ瀬に嘘をつくのが嫌いなんだ。
「一ノ瀬が生徒会室に来てくれてから、俺は毎日が楽しくなったよ」
「へっ!?」
なぜ間の抜けた返事をする。
さては変なところだけ聞いたな。
「だからさ、一ノ瀬が生徒会執行部に入ってくれて嬉しかった。
俺は君のことが好きだけど、これ以上、何も望まない。そんな話だよ」
「あー……、うん」
お、珍しく少し照れたか。
可愛いなあ。
でも赤くなるようなリアクションはない。
俺にはきっと、そんな表情を見せてくれることは無いのだろうな。
一ノ瀬の彼氏になる人が羨ましい。
「ありがとう、一ノ瀬」
出来るだけ、気持ちを込めてそう言った。
「……高木くん」
見つめ合いながら、一ノ瀬が名前を呼んでくれる。
やっぱりこれだけで、俺には十分すぎるほど嬉しい。
「その手には乗らないよ?」
え……?
「あ、彩音先輩だ!」
そう言って、一ノ瀬は生徒会室の窓を指さした。
思わずそっちを見る。
「いえーい! 勝ったああ! 高木くん、弱すぎ!」
あ、そういえばそういうルールだった。
「一ノ瀬……、あのな」
「何よー、高木くんだって嘘ついて目を反らさせようとしてたじゃん!」
いや、だから……嘘じゃないんだって。
――バタン!
鈴の音が鳴らないほどの勢いで生徒会室の扉が開いた。
「はあー! 疲れたあああああ!」
そう言って入ってきたのは沙希先輩、そして嘉奈先輩だ。
「お疲れ様でーす!」
「おう、梨香、高木もか、お疲れ様」
続いて神木先輩も戻ってきた。
どうやら体育館の舞台側のプログラムが終わったようだ。
「もしかして、邪魔しちゃった?」
いたずらっぽく、嘉奈先輩に茶化される。
「そんなわけないじゃないですかー!」
お前も即答すんなよな。
……でも、まあいっか。
ふたりきりは嬉しい。
けれど、皆で居るのも悪くない。
昔、一ノ瀬に言われたことがある。
――私はふたりより、皆で居る方が好き。
俺と一緒に居るのが嫌だ、という意味ではない。
そう言っていた。
今なら解るよ。
ふたりでいることはそんなに難しいことじゃない。
でも、皆で居られるのは……きっと今だけだから。
楽しそうに笑う、一ノ瀬と先輩達を見て、本当にそう思った。
あの表情も、俺ひとりでは引き出せそうにないや。




