第28話:選挙では余計なことをしない方が良い
ある日の定例会終了後。
「高木、少し残ってくれ。ふたりで話したい」
神木先輩は神妙な顔で俺を呼び止めた。
……この後の話は20年たった後でも覚えている。
夕暮れ時、人気のない校舎裏でふたりきりになった。
ドキドキするシチュエーションだがそんな展開にはならない。
「私は、お前に副会長をやってもらいたいと思っている」
相変わらずの直球勝負だ。
敬愛する神木先輩にこういってもらえたことは本当に嬉しかった。
俺の人生の中で、唯一、誇れる出来事だったかもしれない。
「先輩……」
「当然だが、この申し出はテニス部を辞めて欲しい、という意味だ」
そうなのだ。
最初にそう言っていた。
この時期に部活を辞めるという選択肢を選ぶ歴代会長も多かったそうだ。
本格的に生徒会執行部の仕事をするのであれば、両立することは出来なくなる。
仮に退部しなかったとしても、練習にはほとんど行けないだろう。
今の俺は週に一度、定例会の日だけ練習を休んでいる。
あくまで俺は「硬式テニス部員」という立場で関わっているのだ。
もちろん、練習が終わった後に仕事を手伝うといったこともしてはいる。
だが、神木先輩をはじめ他の執行部員に比べると圧倒的に働いていない。
「そして、来年はお前が生徒会長になってくれないか?」
神木先輩から直々に「後継者」になって欲しいと言われた。
言っておくが、俺は神木先輩のことが本当に好きだ。
心から嬉しかった。
だから、この申し出を断るのは胸が痛む。
本音を言うと一ノ瀬が居なかったら、その道を進もうとさえ思っていたのだ。
でも、俺はもう一度、過ちを犯す。
「先輩……、ごめんなさい。
俺は、テニス部の仲間を裏切りたくない」
生徒会執行部で過ごす時間は俺にとってかけがえのないものだった。
でも同じように、テニス部で過ごす時間も失いたくない。
なにせ、過ごした時間はテニス部員の方が長いのだから。
それに……。
この申し出を受けてしまったら。
俺の頭の中はまた、一ノ瀬でいっぱいになってしまうだろう――。
我ながら最低な理由だ。
「お前の気持ちは解っているつもりだ。でも、少しだけ考えてみてくれないか。
それでも考えが変わらないようであれば、私の言葉は忘れてくれ」
もしも、俺がこの申し出を断ったら別の人を「後継者」にしなければならない。
それは神木先輩の望むところではないだろう。
今の俺ならそれが解る。
当時の俺は自信の無さからこの申し出を受け入れられなかった。
期待されるのは嬉しいけれど、失望されるのが怖かったのだ。
どちらにしても俺は、俺の勝手な都合で神木先輩の想いを台無しにする。
やり直しても何も変わらないじゃないか。
……俺は二度もこの人を裏切るのか?
それだけは――嫌だ。
「神木先輩は、俺たちのことをどう思います?」
当時は自分のことしか考えていなかった。
今は少しだけ、周りが見える。
神木先輩の考えていることを聞いてみたいと思った。
「皆よく働いてくれると思っているよ。
奈津季は静かだけどやることはキチンとやる。
大場はいつも筋を通す、本当に真面目だ。
拓斗はああ見えて自分の意見をしっかり持っている」
流石です、神木先輩。
本当に皆のことをよく見てくれている。
「だが、生徒会長に必要なのは主体性だ。
今のメンバーの中で、それがあるのはお前だけだと思っている」
最高の誉め言葉だ。
嬉しくて泣きそうになる。
だけど……。
「ありがとうございます。
でも、次期会長は中森でいいと思うんですよ」
「そう、か……」
俺の言葉が否だと理解した神木先輩は珍しく落ち込んだ表情をした。
やめてくれ、それは貴女に似合わない。
「でも、先輩の意志は俺が継ぎます!」
神木先輩の眼をじっと見つめて、そう言った。
「高木……。でも、それは……」
解っている。
これは越権行為だ。
規律を重んじる北上先輩にはかなり嫌われるだろう。
そして、神木先輩もこれを良しとしないと思う。
それでも、俺はこの道を譲らない。
「俺は生徒会長にはなりません、だけど仕事はします。
そして、必ずやり遂げます」
言うのは容易い、けれど、実際にそれを行うのはとても難しい。
というより、不可能に近い。
ひとりの人間に与えられた時間は有限なのだ。
「…………」
神木先輩もそれをわかっているから、何も言えずにいる。
「一ノ瀬のことは、どう見ていますか?」
「ん……、正直、梨香はまだ会ったばかりだからな。
でも良い娘だというのはわかるよ」
神木先輩は俺から目をそらしてそう言った。
先輩もまだ一ノ瀬のことは量りきれてはいないようだ。
「アイツは、人を支えるのがとても上手いんです」
一ノ瀬は優しいだけじゃない。
ちゃんと厳しさも持っている。
そして、強い意志がある。
「だから、大丈夫ですよ」
「高木?」
「業務は大場と奈津季さんが居るから大丈夫。
中森は一ノ瀬が支えてくれます。
ああ見えて、一ノ瀬って責任感も強いんですよ」
神木先輩は俺の事をじっと見つめた。
真偽を定めているようだ。
だから、俺は出来るだけ真っすぐにその眼差しを受け止めた。
「そして、お前が皆をまとめる、ということか?」
いつもと違う少し厳しい口調だった。
「駄目、ですかね……?」
「そんなに甘い道じゃないぞ?」
神木先輩は知らない。
俺がすでにその道を歩んできたことを。
だから不安になるのもわかる。
「先輩、信じてください。
一ノ瀬と、大場、中森、奈津季さん。
川場高校第35期生徒会執行部員の皆でなら大丈夫です」
堂々とした態度で、はっきりとそう言った。
俺に出来ることはこのぐらいしかない――。
神木先輩はため息をひとつ。
そして、俺の頭の上にポンと手を置く。
「お前を信じるよ」
神木先輩はいつもの優しい声でそう答えてくれた。
ごめんなさい、神木先輩。
実を言うと、俺も自分が生徒会長になる世界を見てみたかったんだ。
そして俺の隣に一ノ瀬がいたらもっとよかった。
……でも、俺は一ノ瀬を傷つけなくない。
結局、貴女よりも彼女を優先してしまったんだ。
――そして、生徒会役員選挙の日。
選挙とはいえ、多くの場合は信任投票となる。
理由は立候補者が少ない、というのもあるが、そもそも枠が広いのだ。
会長1名、副会長2名、会計3名、書記2名、会計監査4名が最大数。
まあ、大抵の場合、枠いっぱいまでは集まらない。
最低人数は各役職が1人ずつの5名だ。
だから立候補先が被った場合は内部で調整すればよい。
そうすれば最大で12名までは執行部員として活動できる。
というわけで、生徒会役員選挙はある意味、儀式のようなものに近い。
だが稀にあるのが、会長職をかけて戦いあう、ということだ。
やはり生徒会長というものは特別だからだろう。
だから、一般生徒が立候補することがある。
立候補前の調整はあくまで生徒会室で普段から働いている人の中でする行為だ。
突然「生徒会長に、俺はなる!」と立候補する人がいた場合は当然選挙になる。
まあ……、大概は中学生時代の俺のような痛い人だったようである。
長い歴史の中で、そういった人が選挙で勝ったことはないそうだ。
実際問題として、神木先輩のように「次期会長」という人はすでに露出が多い。
大抵は体育祭執行部として指揮をとっているし、文化祭執行部にも多大に影響を与えている。
新入生歓迎会で全校生徒の目に留まっているというのも大きいだろう。
そんなわけで、生徒会役員選挙は半ば出来レースと化しているのが実情だ。
これが良いか、悪いかは……正直微妙なところかもしれない。
選挙管理委員会が定めるところの選挙運動が、春からずっと行われているようなものなのだから。
個人的にはこっちの方が良いと思う。
なんといっても高校の自主性はかなりのものだ。
残念な人が会長職に着いたら、本当に体育祭や文化祭が台無しになる。
下手をすれば中止になることだってあり得るのだ。
実施されるのが当たり前、そんな風に思っている人は多いかもしれない。
けれど、わりと薄氷の上で多くの人が尽力して成し遂げている事なんだ。
……俺はそのことを痛いぐらいに知っている。
何せ、実際に体育祭を中止寸前まで追い込んだ経験があるからな。
結局、俺は過去と同じように会計監査での立候補となった。
中学時代の友人、小林のメッセージを思い出す。
すまないな、俺は生徒会長になりたいわけじゃなかったのだ。
あの頃はただの功名心だった。
次期会長候補として副会長に立候補したのは中森だ。
あれでいて、中学校時代に生徒会長を務めている。
順当にいけば彼で何の問題もない。
一ノ瀬は俺と同じく会計監査、そして大場は会計、奈津季さんは書記となった。
先輩達は前職をそのまま引き継ぐ形で、神木先輩が晴れて生徒会長となる。
なお、2年の副会長には文化祭執行部長の吉村先輩が着くことになった。
男の先輩は平澤先輩だけだったから少し心強い。
……でも生徒会室の女子勢力の優勢は変わらないだろう。
何せ神木先輩が強すぎる。
今回は一般生徒の立候補は無かったので生徒会役員選挙は全て信任投票だ。
「先輩、どうしよう、俺、信任投票で落ちたら……」
当時の俺は本気で気後れしていた。
中学校の黒歴史が色濃く影響している。
なお、今回は完全に冗談だ。
「安心しろ、高木。
そんなことになったら盛大に笑ってやる」
と、まるっきりフォローになっていない言葉をくれたのは沙希先輩。
「その時は庶務として雇ってやるさ」
こちらは神木先輩だ。
まあ、確かにそれならそれでいいか。
なお信任投票でもちゃんと全校集会は行われる。
そして、その中で立候補者は演説をしなければならない。
この演説をもって、信任か不信任かを決めるのである。
選挙は公正に行われなければならない。
これは教育の一環なのかもしれないな。
社会の縮図をこの小さな世界の中に作って疑似体験させているのだろう。
「奈津季さん、緊張してる?」
体育館の壇上にはマイクが設置されている。
そしてその横に並べられた椅子に今期の立候補者が並んで座った。
全校生徒をステージ上から見下ろす形だ。
流石にちょっと緊張するシチュエーションである。
「だ、大丈夫……」
少しも大丈夫な感じはしない。
声が震えている。
「大丈夫だよー、リラックス、リラックス」
お前はいいよな。
一ノ瀬は相変わらずだった。
こういう場面で物怖じしないくせに、人見知りなんだから不思議なものだ。
なお、俺は運よく一ノ瀬と奈津季さんの間に座っている。
何だ、この最高の席は。
「いいかい、手のひらに人という字を3回かいて……」
「それはもう5回ぐらいやった」
もう15人飲んじゃっていたか。
まあ、迷信というか、ただのおまじないだもんな。
「なっちゃん、あっちにいるのは全部ジャガイモだと思えば良いよ」
「無理!」
あー、わかる。
ジャガイモはないわ。
その感性はどうかしている。
……まあ、俺のおまじないと似たようなものだけど。
そうこうしている間に神木先輩の演説が始まった。
「生徒会長に立候補した、神木 彩音だ。
前年度は副会長をしていた。体育祭執行部、部長でもある。
私の事はすでに知っての通りだと思うからここで多くは語らない。
言いたいことはひとつだ」
神木先輩はここで一度演説を止めて、生徒全員を見渡した。
「私の事を信頼して、ついてきて欲しい――以上だ」
流石です。
やはりこの人にはカリスマがある。
自信に満ちた態度、そして表情。
美しい声が体育館に響き渡る。
原稿など一切なし、ただ生徒たちの方を見据えて紡ぐ言葉。
そこに迷いや緊張など一切なかった。
胸を打ち抜かれた下級生も多いのではないだろうか。
続く吉村先輩は無難な感じだった。
決して悪くないけど、神木先輩の後というのが可哀想だ。
そして続くのは中森……。
「僕は中学の頃、生徒会長をやっていました。
その頃は行事のことも良くわかっていなくて、苦労も絶えません。
でも色々と努力をして乗り越えてきました」
ここまでは良かった。
「たとえば、文化祭。
僕の中学の文化祭では……」
そこから始まったのは中森年表だ。
この話に大半の生徒は興味がないだろう。
あと、今期の生徒会活動にもあんまり関係がない。
持ち時間3分なのに、もう5分は話している。
「あははは、拓斗、おもしろいねえ」
楽しそうにしているのは一ノ瀬だけだ。
本当に許容範囲が広いヤツ。
まあ、俺のつまらない話でさえ笑って聞くぐらいだからな。
「あのー、すいません……、後ろの方達」
そういって声をかけてきたのは選挙管理委員の人だ。
「はい?」
「少し、スピーチ短く出来ませんか?」
「えっ! 今から……!?」
慌てふためいたのは奈津季さんだ。
奈津季さんはスピーチの内容を紙に書いて持ち込んでいた。
……結構書き込んであるな。
「どうしよう……」
可哀想に、この短期間で上手く纏めるのは難しいだろう。
「奈津季さん、君に秘策を授けよう」
「えっ!?」
中森年表の発表会の合間にこっそりとネタを授ける。
「……で、終わらせるんだ」
「短すぎない?」
「いいんだよ、その方が受けがいい」
一般生徒の立場からすれば演説など短い方がありがたい。
なお、奈津季さんの場合。
その容姿だけで不信任するヤツなど絶対にいないと思う。
「わかった、高木君を信じるよ」
おおう、予想外に嬉しい返答だった。
中森の長い演説の後は沙希先輩と大場の演説。
ふたりとも見事に無難にこなした。
まあ、中森の後だから楽で良いよね。
そして、嘉奈先輩の番。
背が低いのでマイクの準備に少し手間取った。
「岩倉 嘉奈です」
開口一番で大爆笑だった。
いきなり噛んだ。
そういえば、新入生歓迎会の時の寸劇でもこの噛み噛みが良かったんだよな。
ずるいなあ、この才能。
「高木君、どうしよう?
嘉奈先輩の後だけど、アレで大丈夫?」
「俺を信じなさい」
正直いって、自信はあまりない。
が、ハズレでもなく、アタリでもないだろう。
何せ、俺は器用貧乏なのだ。
「副会長候補のお話が長かったので、私は簡単に済ませます。
書記の長瀬 奈津季です、よろしくお願いしますね」
案の上、奈津季さんの演説は無難な受けだった。
……でもちょっと安心したのは内緒だ。
全ての事に自信を持てる程、俺は格好良くない。
「ありがとう、高木君」
トコトコと歩いて戻ってきた奈津季さんの安堵した表情にこちらもほっとした。
「いえいえ、どういたしまして」
続いて俺も演説をする。
壇上では緊張して早口になりやすい。
とにかく落ち着いて、ゆっくり話すことを心がけた。
「高木 貴文です。会計監査に立候補しました。
生徒会活動の経験はありませんが、精いっぱい努力したいと思います。
よろしくお願い致します」
信任投票で不信任になるのはむしろ難しい。
たとえば、わざとマイクに頭をぶつけるとかしない限り、実現しないだろう。
無難に挨拶をしておけば良いのだ。
「一ノ瀬 梨香です! 会計監査です。
よろしくお願いしまーす!」
短い!
しかし流石だ、一ノ瀬。
多分、それ一番生徒受けが良いかも。
ただ、ちょっと常識外れだけどな!
――結果。
誰ひとりとして不信任なることなく、第34期生徒会執行部の役員は当選した。
……なお、言わなくてもわかるだろうけど最も不信任票が多かったのが中森。
次点が俺だった。何故だ……。




