第26話:芯の強い女性の方がよっぽど男らしい件
気持ちを静めたくて、生徒会室を出て踊り場から校舎の外にでた。
晴れ渡った空に突然降り出した雨のような再会だったな……。
登場のタイミングが酷い、まるで心の準備が出来ていなかった。
あの角度だと俺が泣いたことは多分、一ノ瀬しか知らない。
自分の中にこんなものがまだ残っていたことには驚いた。
もうとっくに、枯れてしまったものだと思っていたのだ。
結局、20年近くたっているのにまだ大人になれていない。
……というか多分、もう一生、大人にはなれない気がする。
少し前、婚活中に「人は変わらない」ときっぱり言われたのを思い出す。
――だから、アナタとは上手く分かり合えないと思う。
俺は逆に「人は変わり続けていく」と思っていた。
でもそうだなあ、今なら彼女の言葉が理解できる。
何で俺は、こんなに変われなかったんだろう……。
あんなに忘れようと努力したのにな。
そして、こんなに諦めきっているというのに。
どうして俺は「もう一度逢いたい」なんて考えてしまったんだろう。
その答えは解っている。俺は、一ノ瀬が好きだ。
自分で思っていたよりもずっと好きだった。それだけのこと。
生徒会室から離れた校舎の裏、両手で壁を叩いて思い切り泣いた。
涙を止めるのに必要なのは我慢じゃない。
出し切ってしまった方が良いのだ。
だから数分ほど我を失った。
しばらくして涙が止まる。
どんなに悲しいことも、苦しいことも、永遠には続かない。
だから大丈夫なんだ。
涙を拭って、鼻をすする。
格好悪いことに泣いている時って鼻水も止まらないんだよね。
頬を叩いて気を取り直す。
うん、大丈夫。
こういうところはちゃんと大人だと思う。
「高木、大丈夫か……?」
「神木先輩!?」
涙の跡は消えているだろうか。
思わず目を擦ってしまった。
「高木……」
そういって近寄ってくる神木先輩。
え、あれ……近いんですけど?
「こっちを見ろ」
そう言ってじっと見つめてくる。
先ほどの一ノ瀬とのやり取りを思い出してしまった。
思いっきり目を反らして返事する。
「ななな、何ですか?」
「いいから、こっちを見ろ」
ドン!と壁に右手をついてこちらの視線を塞ぐ。
ってこれ、壁ドンじゃん!
女子に壁ドンされているんですけど!
仕方なく、神木先輩の眼を見た。
瞳の奥に意志がある、芯のある目だ。
「大丈夫か?」
今までに聞いたことのないぐらい、優しい声だった。
さらに左手でこちらの右ひじを引っ張る神木先輩。
思わず顔が真っ赤になった。
「神木先輩……?」
しばらく沈黙が訪れる。
「くっくっくっ……」
あれ? なんか前にもこんなことがあったような。
「あはははは! お前、全然だめじゃないか!」
といってこちらを指さして盛大に笑い出した。
そして一気に距離が離れる。
「神木先輩!?」
「いやー、お前って妙に女慣れしてるみたいなところあるだろ。
でも思い過ごしだったようだな!」
いや、まあ事実だけどさ。
「私、人を見る目はあるつもりだったんだ。
だけど、お前のことはイマイチ良くわからなくてな」
「わかり難くてすいませんね」
神木先輩はしばらく腹を抱えて笑っていたが向き直ってこっちを見た。
「いや、こちらこそ悪かった。
からかうつもりじゃなかったんだ」
じゃあ、一体どういうことだと言うのだろう?
「お前、ちゃんと笑えるんだな。安心したよ」
「えっ……」
いやいや、俺はちゃんと普通に笑っていたよ。
沙希先輩や嘉奈先輩と話すのも楽しかったし、奈津季さんもいたし。
「しかし、梨香のように上手くはいかないな。
一体、どうやったのか」
そういって、ポンと頭の上に手を置かれた。
いや、だからそれは……。
「梨香に聞いたんだ、お前にどうしたか。
お前がうろたえるの、初めて見たからさ」
何故、自嘲気味に言うのだろう。
ああ、でも。
昔と違って、神木先輩に弱いところは見られていない……か。
「同じようにしたら、案の上、ボロを出したな」
くっ、全く反論できない。
「私は、そっちの方が好感が持てる」
神木先輩は真面目な顔でそう言った。
「えっ!?」
「何だ、お前……。
女に慣れてないだけじゃなくて好意を持たれるのも慣れていないのか?」
そんなわけ……、あるかもしれない。
よくよく考えると人生の半分以上は余裕で片想いしているし。
「私はお前のことが好きだ、と言ったんだ」
……この人、いつも直球しか投げないんだよな。
「そ、それは!」
「恋愛感情はないぞ」
ピシャリと言われてしまった。
「お前が私に気を使ってくれたことは素直に嬉しい。
だから、私はお前に先輩らしいことをしてやりたいんだ」
本当に、この人はどこまで清廉潔白なのだろう。
「だから、泣きたいときはいつでも言え。胸を貸してやる」
そう言われてまた顔が赤くなった。
見られていたのか……。
しかし、先輩の胸を借りるのは流石に魅惑的過ぎる。
「俺も先輩のこと、好きですよ」
「安心しろ、それはちゃんと伝わってる」
くっ、まったく動じないとは……。
「お前が生徒会室の皆を大切に思ってくれていることは解っている」
それは、ただ……。
あの時間が有限であることを知っていただけで……。
「だから皆、ずっとお前を心配していたんだぞ」
いやいや、先週とか酷かったよ?
でも、その言葉に胸の奥が熱くなった。
「神木先輩……」
「なんだ?」
先輩は優しそうな表情でこっちを見透かすようにして佇んでいる。
本当に綺麗な人だ。
「なんで先輩まで、俺を泣かすようなことするんですか」
不覚にも、また涙が溢れてしまった。
俺は今でも自分を信じられないんだな。
あの場所に、受け入れらているという自信が無かった。
ずっと虚勢を張っていたのは認める。
本当は、一ノ瀬に逢えなくて辛かった。
でも、それでも、生徒会室は居心地がよかったんだ。
だけどそれは、一ノ瀬が居ない世界を肯定するみたいで嫌だった。
「良かった、私でもお前を笑わせることは出来るみたいだな」
俺はいちいち涙を流さないと笑えないのか。
……そういえば、昔は笑うのが苦手だったっけ。
「その胸で泣きますよ!?」
「よし、いいだろう。バッチ来い!」
そう言って両手を広げる神木先輩。
……いけるわけがない。
結局、いいようにからかわれてしまった。
神木先輩とふたりで生徒会室に戻ると心配そうな一ノ瀬と奈津季さんが待っていた。
他の方々は状況が呑み込めていない様子。
角度的に見えなかったのだと思う。
「本当にごめん、一ノ瀬さん。もう平気だから」
素直に謝るしかない。
「ううん、大丈夫だよ」
そう言って、もう一度にっこりと笑ってくれた。
あ、ヤバイ、これもう一回泣きそうだ。
完全に涙腺が崩壊している。
「ごめんねー、高木君」
隣でこっそり謝ってきたのは奈津季さんだ。
「ん? なんで奈津季さんが謝るの?」
「あー、ほら高木君って軽薄じゃん?」
はい……?
「だから絶対、梨香ちゃんのことも『可愛い』とか言うだろうと思ってさ。
騙されないように注意した方が良いよって言ってあったんだよ」
それはまあ、似たようなこと考えたけども……。
「いや俺、軽薄じゃないよ」
「それは置いておいて」
いや、捨て置けません。
「からかっても平気だから好きなだけやっちゃいなよ。
ってけしかけちゃった。
ごめんね、高木君、責められるの弱かったんだね」
なんか酷い誤解を与えてしまった気がする。
そして、そっちはそっちで穴が掘ってあったのか。
「いや、俺、別にそういうのじゃないから!」
「あー、ごめんごめん、気にしないで」
「いや、気にするよ!」
……かくて、やり直しの人生は再び元の軌道を取り戻したのであった。




