第3話:ハッピーエンドにならない結末を願うことにした
やり直しの世界は無事に2日目を迎えた。
自分が中学生である、ということは未だに受け入れ難い。
「今日は塾に行くの忘れないでね」
家から出るところで母親から念を押された。
この日は学校の後に塾へ行くことになっているようだ。
……そんなのに通っていたのか。本当に記憶がない。
そもそも俺は念押しをされる程、駄目なヤツだったらしい。
いろいろとショックすぎる。
学校の授業はひと通り受けたが、こちらも細かいところが抜け落ちていた。
授業の内容は理解できているのだが、実際に問題を解くとなると手が止まる。
要するにテストで点を取るのは難しいという状況だ。
こちらはそれなりに対策しないといけないだろう。
高校受験もあることだしな。
塾に通っていたのは僥倖かもしれない。
それにしても本当にこのまま人生をやり直さなきゃいけないのか。
急に目が覚めたら病室、みたいなことはないよな?
それはそれで怖い。俺は平穏な日々が続いて欲しいだけなのだ。
その日は1日中、静かに授業を受けた。
しかし先生どころか、クラスメイトまで不思議そうにしている。
俺は一体どんなヤツだったんだ。落ち着きが無さすぎるだろう。
放課後になり、部活動に勤しむ輩を眺めながら塾へと向かう。
通学路の途中にあるので無事にたどり着くことが出来た。
「おはようございます」
と、先生に挨拶をすると今度は驚かれた。
ん? どういうことだ? 何故挨拶で驚く、普通の事じゃないか。
そうは思いつつも、俺に出来ることは席に着くだけだ。
大人しく授業を聞いていたところで板書ミスに気がつく。
「先生、そこの下の方、式が違ってますよ」
指摘したら先生だけではなく、一緒に授業を受けている連中からも驚かれた。
「高木がしゃべった!?」
は? 俺、こっちでは無口だったの!?
他校の生徒もいるんだから、この機会を活かして仲良くなっておけよ。
……そういえば、元々は人見知りだったっけ。我ながら自分の2面性が怖い。
ヤバイな、相当ひどいぞ、当時の俺。
いや、知っていたけど、……まさかここまでとは。
講義が終わった後は、逃げ帰るように自宅へ帰った。
夕飯はリクエスト通りの茄子味噌炒めだった。
美味しい。まさに母の味だ。
でも懐かしいという感情はそれほどない。
……何故なら俺も作れるからだ。
身も蓋もないが、独身生活が長いと何でも出来るようになる。
そして気がつけば、料理の味付けは普段から食べていたものに近づいていく。
要するに、試行錯誤してたどり着いた先は「母の味」になる。
――母が亡くなった後。
「母の味」の料理を作れるようになってから、調子に乗って実家で振舞った。
家族全員から笑われた。良い意味で、だ。
なお、妹に言わせると母よりもほんのわずかに辛いからイマイチだそうだ。
まあ……若干、自分の好みに合わせたのは認めるよ。
でも、お前のはとにかく「母が1番!」だからだろ。
父は茶化しつつも半泣きだった。……どうでも良いか、こんなことは。
自宅に帰った俺は母と、妹、そして弟と一緒に夕飯を頂いた。
親父は居ないけど、見事な一家団欒だ。
母の味、母の料理、それはとても嬉しかったけれど。
俺にとって大切なことは、こうやって家族でご飯を食べることかもしれない。
本当に懐かしい。母が妹に早く食べなさいと急かす。
アイツはすぐにテレビに夢中になるからな。
逆に俺には「もう少しゆっくり食べなさい」と言う。
独身生活が長いから、こういう賑やかな食卓は本当に久しぶりだった。
何だか、胸の奥が暖かくなる。
しかし、ひとつだけ、大きな問題がある……酒が飲めない。
煙草はすでに止めていたのでなんとかなった。
とはいえ、この先ずっと晩酌が出来ないと考えると背中が冷たい。
俺はこの世界で無事に生きていけるのだろうか?
はっきり言って、俺は未だに現実をきちんと受け止めきれていない。
だけど、そろそろ方針を決めないといけないだろう。
この「やり直しの世界」で俺は何をすれば良いのか。
いや……、何をしたいのか、かな。
過去に戻って何かを変えたいと思うことが無かったと言ったら嘘になる。
あの時、ああすれば良かったと思うことは確かにあった。
けれど、じゃあ、違う選択肢を選んだ結果どうなっていたのか。
それを考えるのは無意味な気がする。
その選択をしなかった時点で、その可能性は消滅しているのだ。
だから、現実をどうこうする方が先決だ。
必死でその時、その瞬間を生きて何とか乗り越えてきた。
そうやって築いた今を、俺はそれほど悪いとは思っていない。
確かに違う未来があったら楽だったかもしれない。
でも、乗り越えた今がある以上、そんな可能性に興味はないのだ。
だから、俺には過去へのこだわりや後悔はそれほどない。
何かを変えて、その先にあるものを見たいとは思わないのだ。
乗り越えた先にある今こそ。何よりも大切だと思う。
苦労した分、強くなれたのだ。
それを積み重ねてきたからこそ、今がある。
逆の選択肢を選んだことで苦労しなかったとして。
それは本当に俺のためになったのだろうか。
俺のタイムリープは自由に行ったり来たりをする能力じゃない。
問答無用で過去に戻ったっきりだ。
むしろ、違う未来を選んだ結果、もっとひどい結末を迎えそうで怖い。
何も考えずに新しい人生として歩んでみるのも悪くないかもしれない。
どんな未来になるかはもちろんわからないけれど、しがらみも無い。
それはそれで文字通り第2の人生を謳歌することになるだろう。
うん、良いかもしれない。
……でも、母ともう一度逢えた時に気がついてしまったのだ。
――嬉しかった。
結果は変わらない。けれど、繰り返すことで感情は動く。
そうか……。やり直すということの側面には「繰り返す」ということがある。
ある発想が頭の中によぎった。同じ人生を辿る……。
そうしたら、「居なくなった人」にまた会えるかもしれない。
いや、待て。その発想は無為で無謀で危険だ。
何より、もう一度会ったところでどうする?
同じようにひどい目にあって終わりだ。辛くて悲しい思いをするだけ。
そんなものを辿っても、何にも良いことなんてない。
それは十分に理解している。
むしろ、この状況でどうやって過ごすかを考えるのがいいはずだ。
何せ今の俺は大人だ。
中高生なら、たとえ容姿はアレでも大人の魅力で女の子なんて簡単に落とせる。
……駄目だな。俺の恋愛経験はゴミなんだ。
中途半端だった20代の頃と違って、リア充に憧れる気持ちもない。
どっちかっていうと穏やかな生活を送りたい。
「居なくなった人」に会いたいという気持ちは、後悔じゃない。
多分、これは願いだ。
どんな選択をしても彼女は居なくなる。
それは母の死が逃れようのない現実であることと同じだ。
変えられない事実だ。過去をやり直せるとしたら。
むしろ「居なくなった人」を好きにならなかった未来を見てみたい。
そうしたら、俺はどうなっていたのかな。
本来ならそう思うべきだろう。
何故、やり直しの神はこの記憶を消さなかった。
この想いを消さなかった……。
そのせいで、思い至ってしまった。「居なくなった人にもう一度会える」と。
この選択がいかに愚かで、いかに無意味で、いかに最悪だったのか。
全部わかった上で、俺はその道を進むことにした。
せっかく与えられた千載一遇チャンス、別の人生を歩む可能性。
俺は、それを一切否定して、過ちを繰り返す道を選ぶ。
この時点で、この物語は100パーセント、ハッピーエンドにはならない。
必ず、昏く悲しい結末を迎えることになる。
それでも俺は。
……居なくなった人、一ノ瀬 梨香にもう一度、逢いたいと願ってしまった。




