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たとえ人生をやり直せるとしても俺は同じ過ちを繰り返す  作者: 大神 新
第2章:どうしても失いたくなかったもの
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第19話:夕暮れに歩く男女がカップルとは限らない

 体育際の準備は佳境に入っていた。

 体育祭執行部の打ち合わせは生徒会室ではなく一般教室で行われる。

 日差しが強くて教室の中にまで、眩しい光が入り込んできた……。

 エアコンもない教室なので死ぬほど暑い。

 といっても、当時の夏は高くても気温30度程度。

 昨今の灼熱化する真夏とは少し違う。

 だからこそエアコンがついていないのだろうけど。


 神木(かみき)先輩が進行する会議の内容は日進月歩だった。

 競技の内容が決まったかと思うと、必要な器材や準備の段取りなどが次々と決まっていく。

 神木先輩の凄いところはそれを彼女の意見で強引に進めるのではなく、周囲の意見をきちんと聞いてまとめ上げているところである。


 俺は、うだるような暑さに負けて、それをただ見守るだけだった。


「どうした、高木?」

 ひょっこりと顔を出したのは沙希(さき)先輩だ。


 暑さで俯いていた俺の視線の前に顔を出すために、身体を傾けて顔を横から突き出している。

 長くて綺麗な髪が机の上に垂れていた。

 その一部が耳に掛かっている辺り、妙に色っぽい。


「沙希先輩、視線の先に顔を出すの止めてください」

 流石にこれにはちょっとドキっとした。


「何でよー?」

 そのままの体制で視線を向けられると弱い。

 天然少女っぽい嘉奈(かな)先輩は雰囲気と裏腹に結構ガードが堅い。

 逆に知的美人な沙希先輩はこういう無防備なところがある。


「顔が近いです、唇に触れたらどうするんですか」

「大丈夫、そうなったら責任を取ってもらうから」

 そういって無邪気に笑って見せた。

 うわー、これは可愛い。

 沙希先輩のような美人タイプの人に言う言葉じゃないかもしれないが。


「あ、じゃあ責任取るから……良いですか?」

 そういって沙希先輩の肩に手をかけた。

「よし、死んでもらおう」

 責任の取り方ってそっちですか。

 手の甲を優しくつねられてしまった。


「ぼーっとしていると、彩音(あやね)に怒られるぞ」

 そう言って神木先輩の方を指さす。


「それは怖いですね」

「うん、言いつけておくから安心して」

 止めてください。


 そこからは真面目に会議に参加した。

 といっても、いくつか意見を言ったり、おかしなところを指摘した程度だ。

 正直な話、俺が本気で自分の意見を通そうとすれば大概出来てしまう。

 大人になると、口先だけは上手くなるからな。

 あまりそういった技術は使いたくなかった。



 ――そして日が傾いた頃。


「よし、じゃあ今日の会議の結果を反映して実施要項を作成する。

 次回は具体的な準備、当日の流れについて確認しよう。

 今日のところはこれで解散とする」


 神木先輩の締めの言葉で体育祭執行部員は三々五々に帰っていった。

 この時間から部活動に出るのも難しいだろう。

 俺はひとまず生徒会室へ向かうことにした。


「高木ー!」

 教室の扉に手をかけたところで神木先輩から声がかかる。


「生徒会室に寄れるか?」

「はい、そのつもりでした」

 というわけで、ふたりで肩を並べて歩くことになった。


 神木先輩は身長が高いわけではないので隣にいると目線が少し下になる。

 毅然とした態度の神木先輩を見下ろすのはちょっと不思議な感じだ。

 ……本来、精神年齢で言うと二回り近く年下。

 この事実はずっと気にしないようにしている。

 不思議なもので、当時の先輩というのはやはり先輩なのだ。


「ちょっと頼みたいことがあるんだ。

 体育祭実施要項を作るのを手伝ってくれないか?」

 

 実施要項というのは行事の開催概要をまとめた書類だ。

 開催日時、場所と言った当たり前のことから始まり、競技内容、プログラム、使用する器材など細かい部分まで記載する。

 普通に書くと大変なのだが、基本的に前年度に使用したものがある。

 それを改変すればそれほど大変な作業ではない。

 開催日時と競技内容以外はそこまで変更する場所がないからだ。


「今日はもう部活に出るつもりないので大丈夫ですよ」

「そうか、助かる」

 歩きながら、申し訳なさそうな表情でこちらを見ながら言う神木先輩。

 そんな表情はしないで欲しい、こちらは快く引き受けているのだ。

 けど……こういう気持ちはどう伝えれば良いのだろう。

 大人になっても上手くできないことはたくさんあるものだ。


「今日は嘉奈(かな)しかいないからな、文章編集を頼みたい」

 神木先輩の頼み事は実施要項の内容についての相談ではない。

 すでに要項の主な項目は会議で決定済みである。


 生徒会室には少し古いタイプのワードプロセッサがある。

 当時はワープロと呼ばれていた。

 パソコンと違い、文章を編集・印刷することしか出来ない。

 ファイルはフロッピーディスクと呼ばれる四角い保存媒体が使われていた。

 ……最近はオフィスの大掃除でたまに出てくるぐらいのものだ。

 記憶容量は1.44MB、昨今のデジカメだと写真1枚すらまともに保存できない。

 当時はあらゆるファイルの容量が少なかったからなあ。


 神木先輩は残念ながらこのワープロが使用できない。

 人には向き不向きがある。

 これを使用出来るのは執行部員でもそれほど多くなかった。

 もちろん、器用貧乏な俺にとってはお手の物である。

 結局、2年生になる頃にはブラインドタッチまで身につけていたっけ。


 なお、嘉奈先輩は書記なのでもちろん使用出来る。

 けど、残念ながらタイピング速度に難があるのだ。

 ……ちまちまと文章を打ち込んでいる嘉奈先輩は可愛くて好きなのだけど。


――チリンチリン。

 生徒会室では中森と嘉奈先輩が話し込んでいた。

 ふたりとも体育祭執行部ではあるが、今日は別の作業をしてもらっていたのだ。

 まあ、会議に出ても基本的に意見を言わない人達だからな。

 この辺りの割り切りが実に神木先輩らしい。


「とりあえず、去年の実施要項に赤書きをするからちょっと待っていてくれ」

 そう言って神木先輩は会長席に座って作業を始める。

 肩書は副会長だが、やっていることはほぼ会長である。


 なお、3年の先輩方はすでに引退に近い。

 今では時々しか生徒会室にはやってこなくなってしまった。

 ――若い世代だけにしておいた方が打ち解けるのも仕事を覚えるのも早い。

 と、北上会長は言っていた。

 後を継ぐのが神木先輩だったから安心して任せたというのもあるだろう。


「あれ、沙希ちゃんは?」

 目が合った嘉奈先輩から声をかけられる。


「先に戻ってませんでしたか?」

 さっきまで一緒に会議に出ていたのだが、教室を出る時には見かけなかった。


「ここにいるよー」

 といって、俺の背中から顔を出した。

 ……肩に手を乗せないでください、惚れてしまいますから。


「どこ行ってたんですか?」

「それは内緒」

 そう言って嘉奈先輩の横に座る。

 なんていうか、あそこは指定席みたいなものだな。

 なお、行先を追及するのはおそらく失礼な事なので止めておく。


 俺は書棚の奥からワープロを取り出して机の上に広げた。

 神木先輩に依頼される前に去年のファイルを探して読み込んでおく。

 なお、実施要項のような内部文章は基本的にワープロを使用している。

 逆に生徒会広報誌のような、対外文章はあえて手書きだ。

 その方が温か味があるからという神木先輩の考えである。

 

「高木って意外と器用だよな」

 声をかけてきたのは中森だ。

「意外は余計だろ。そっちは作業終わったのか?」

「ああ、ほとんど嘉奈先輩がやったけどな」


 二人が手掛けていたのは体育祭のポスター制作だ。

 会議とアンケートで決めた今年のスローガンを元に校内頒布用のポスターを毎年作成している。

 美術部からの提供と一般公募で集めたもので元デザインが決定。

 すでに執行部内で話し合われてロゴの入れ方まで決められている。

 二人はそれを印刷できるような形に手直しをしていたのだ。


「沙希ちゃん、聞いてよ。拓斗(たくと)ったら酷いんだよ。

 すごく下手くそなの!」

 なお、中森が下の名前で呼ばれている件についてだが。

 単に文字数が少ない方が呼びやすいという理由だ。

 決して中森の方が皆に好かれているというわけではない。

 ……多分。


「そうかそうか、頑張ったな、嘉奈」

 沙希先輩は言いながら嘉奈先輩の頭をなでなでしている。

 ああ、どっちも羨ましい。

 嘉奈先輩をなでるのもいいけど、沙希先輩になでられるのも魅力的だ。


「酷いなあ、先輩。下手くそなのは仕方ないじゃないですか」

「結局、何してたの?」

 と意地悪に聞いてみる。


「サインペンの蓋を開けて渡したり、消しゴムで下書き線を消したりはしたぞ」

 おお、本当に何もしていないじゃないか。


 ちなみに嘉奈先輩はワープロ打ちこそ苦手だが達筆である。

 真面目な話、「綺麗な字をかける」というのは羨ましい特技だ。

 俺はもうPCがないとまともに漢字も書けないぐらい駄目になっている。

 嘉奈先輩は絵心もあるので、こういった仕事では右に出るものがいない。

 まさに適材適所である。


「高木、お待たせ」

 そう言って声をかけてきたのは神木先輩だ。

「早いですね」

 原稿を貰いにいくために立ち上がる。


「ああ、いい、そこに居てくれ」

 そう言うと神木先輩の方が席を立ってこちらにやってきてくれた。

 すぐ隣に座って朱書きした去年の実施要項を手渡された。

 修正箇所はやはりそれほど多くない。


「今日中になんとかなりそうか?」

「この分量ならそれほど時間はかかりませんよ」

 すでに開催日時や年度なんかの分かり切った部分は修正してあったので手早く作業にかかる。


「おお、流石に早いな」

 そういって椅子を近づけて横からモニターを覗き込む。

 顔が近い、神木先輩の少しウェーブがかかった髪が肩に触れた。

 止めてください、集中できないんで。


「こんな感じでどうですか?」

「うん、確認したいから印刷してくれ」

 ……もうちょっとゆっくり打ち込んでいれば良かったかもしれない。


 神木先輩は印刷した文章と自分で作った朱書きを真剣な表情で見比べた。

 やはり、熱量が違う。思わずその顔に見惚れてしまった。


「よし、問題なさそうだ。職員室に行くぞ」


 本来なら執行部で承認を取ってから提出、というのが正式な手順である。

 しかし、それでは無駄に会議が増えるだけだ。

 それなら先に職員会議を通した方が手っ取り早い。

 実施要項そのものも、ある程度なら後から修正出来る。

 この辺りは会社の仕様書と同じである。

 実際、去年の実施要項も「改訂版2」と記載されていた。


 かくて、再び神木先輩とふたりで廊下を歩く。


「ここまで来れば、あと一息だ」

 神木先輩は軽く伸びをしながらそう言った。

 スローガンを決めて、競技を決めて、ポスターを作って、実施要項を作成する。

 この先は当日にむけての具体的な準備だけである。

 こうなれば会議や対外的な広報等も無くなるので、執行部長としては肩の荷も下りたことだろう。


「流石ですねえ、神木先輩。とても真似出来そうにありません」

「何を言っているんだ、来年はお前がやるんだぞ」

 高校の体育祭は毎年やっているのに、運営する生徒は毎年違う。

 企業であればまともに仕事が出来るようになるまで3年ぐらいは下積みだというのに……。

 まさに光陰矢の如し。

 学生生活における時間というのは本当に貴重なものである。


 ……いやまあ、おじさんになってからも無為に過ごすことはないけどな。

 そもそも自由になる時間が少ないし。


「先輩、少し疲れていませんか?」

 小さくあくびをした神木先輩が少し気になった。

「なんだ、心配してくれるのか?」

「そりゃしますよ」

 昔の自分はこういう気づかいなんか出来なかった。

 いつも自分のことばかり考えていた気がする。


「私は大丈夫だ、安心しろ」

 そう言った神木先輩は少し嬉しそうだった。


 夕暮れの陽射しの中、制服を来た男女がふたりで歩く。

 それは遠目から見ると慎ましいカップルにしか見えないかもしれない。

 けど、実際はこんなものだ。

 俺と神木先輩ではつり合いが取れていない。

 それでも……、神木先輩の隣を歩けるのは嬉しかった。


 どこにでもある、当たり前のような時間。

 でも、こんな時間がとても大切だったと気がつくのは、いつも過ぎ去った後だ。


 やり直しの世界はそれを実感させてくれる。

 たとえ、何も変わらなくても、何も変えなくても。

 俺にとっては十分、幸福な時間だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] あの子と絡むことがなくても充実した学校生活遅れてたんだね。 そもそも、あの子はこの学校にいるのかね。 ぶっちゃけもうあの子と会えない時点で大きく改変されちゃってるから主人公の思惑通りにはなら…
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