第16話:最近は第2ボタンを下さいと言わないらしい
文化祭が終わった後は高校受験一色だった。
正直言って、落ちるんじゃないかと不安だったが無事に合格した。
あんな事件があったから内申点には少し心配があったけど、公正に評価してもらえたようだ。
公立高校とはいえ、学区で一番偏差値が高いところだったから厳しかった。
テスト問題など覚えていないので普通に勉強したよ。
もちろん、器用貧乏を活かして総合力で勝負した。
満点だった教科はひとつもないが全教科合計で9割に迫る得点で何とか突破。
……安全ラインが8割だからそんなに余裕はない。
――そして、中学校の卒業式が無事に終わった。
あとは家に帰るだけなのだが……。
卒業式の日にしていたことは記憶にある。
中学生は卒業すればお互いに会うことはまずない。
すぐに高校生になり、新しい生活が始まってしまうからだ。
人間関係は惜しむ間も無く上書きされる。
だから中学生の卒業というのは、ほとんど決別に近い。
もちろん、同窓会のような機会はあるのかもしれない。
特別な関係になっていれば高校生活の傍らで付き合いが続くかもしれない。
けれど日常的に会える日々は確実に終わりを告げる。
そういえば寺田はマラソン大会の後、見事に杉浦さんとカップルになっていた。
猛烈に羨ましい。
寺田はあの時、放課後に学校の外周を走っていた。
その姿は杉浦さんの目にも止まったようだ。
「寺田君が走っている内は帰れない」
校舎の窓からこっそり寺田を見守る杉浦さん。
……みたいな感じの青春が繰り広げられていたに違いない。
俺も同じぐらい走っていたけどな!
やはり目に見える、アピールするということ大事である。
誰にも気がつかれないままの隠れた努力は本当に伝わらない。
でも、俺は「頑張ってます」をアピールするのは好きじゃない。
なんていうか、それは格好悪い事のように思えるから。
そんなこと言っているから、アラフォーまで独身の憂き目にあったわけだが。
話は変わる。
この頃は気になる異性から第2ボタンをもらうなんて慣習があった。
何故第1でなく第2ボタンなのかというと、2つ目のボタンなら外しても制服がそこまで着崩れないこと。
そして、心臓に近いボタンだから、ということだそうだ。
まあ、諸説はあるが……古く、戦争時代の別れの儀式だったと聞く。
昭和の時代だ。
スマホが当たり前になった現代社会は事情が違う。
今どきの中高生はもう、こんなことをしなくなっていると聞いた。
別れの儀式は連絡先の交換やツーショット写真が定番のようだ。
「ボタンとか残っていても、将来やり場に困りそう」
その感性は否定しないけど、俺はこの慣習、好きだったな。
制服のボタンには校章が描かれている。
記念品と考えると中々、理にかなっているのではないか。
それに制服は3年間、変わらずに身に着けていた物でもある。
だからこれは大切な思い出の一片だ。
合理的ではないけど、そういうものが残っているのは良いことだと思う。
なんていうか、ロマンがある。
……若者に嫌われそうな発想だけどな。
さて、本題に戻ろうか。
わが校の制服は学ランだったのでボタンは全部で5つある。
だが第2ボタンは残念ながら制服には1つしかない。
当たり前だ。
確かに第2ボタンは特別、だけどそれ以外のボタンに価値がないわけではない。
今でいう人気者のイケメンなんかは、制服のボタンは全部無くなっていることもあった。
袖についているボタンすらなくなっているヤツもいたっけ。
マントのように学ランを羽織って卒業証書が入った筒を持っている姿は中々絵になるものだ。
……まあ、そんな奴はあんまりいないけどな。
もちろん、俺の場合は全てのボタンが健在だった。
実際はそっちの方が大多数だ。
そもそも器量もなく、才能もなく、人脈もない俺に誰が興味を持つ。
そんなことは解っていた。
興味を持たれない俺は、逆に自らアプローチをすることを考える。
結果、クラスメイト全員にメッセージをもらっていた。
いわゆる寄せ書きを卒業アルバムに残そうと企てたのだ。
我ながら、安直というか拙いというか、そんな普通の発想だった。
というわけで史実にそってまずは寺田と小林にサインを頼む。
――最高の3年間だったぜ!
寺田のこういう暑苦しいところ、結構好きなんだよな。
あとは手加減を覚えてくれればいう事はない。
――高校では生徒会長になれよ。
……すまん、小林、本当に。
誰よりも世話を焼いてもらった気がする。
後は教室にいる連中に片っ端から声をかける。
次々と集まっていくメッセージが嬉しい。
普段、あまり話さない連中ともこの時ばかりは話が出来た。
もちろん、杉浦さんと河上さんからもメッセージを貰う。
――高木君と会えて良かったです。これからも仲良くしてね。
杉浦さんは本当に良い子だ。胸の奥がほっこりした。
また会えるといいなと思う。
――また、皆で旅行にいけるといいね。
河上さんの言葉も嬉しい。
最後のメッセージに未来の事を書いてくれた。
続いて百瀬さんにサインを頼みに行く、ここは外せない。
「高木君!」
が、唐突に呼び止められた。
あー、クラスで1番人気の吉野さんだ。
かなりの数の男子の告白をいなしてきたんだろうなって風格があった。
男子が女子から何か貰うみたいな慣習はないので見た目ではわからない。
が……、なんかちょっとうんざりしている感じだ。
ここまで来るのに苦労したのだろう。
「どうしたの?」
吉野さんはもはや学年の人気者、ヒエラルキー最上位、王女様みたいな人だ。
……ちょっと言い過ぎかもしれない。
多分こんな言い方したら怒られる。
吉野さんそのものは、とても理知的で、可愛いというより美人な印象。
バスケ部なのもあって髪はいつも後ろで束ねている。
今日はストレートに下ろしているのもあって少しドキっとした。
大人びていて、アラフォーの俺とも話しが通じるぐらいの人だ。
正直言って、好印象しかないのだが……。
ヒエラルキー最上位だよ?
何か、恐れ多い感じを受けてしまう。
俺は常に最下位だったからな。
「ちょっといい?」
そう言って、袖を引っ張る。
ああ、その仕草は可愛いぞ。
袖を引っ張られて連れてこられた先は体育館の裏だった。
あー、これは男が出てきてボコボコにされるパターンか?
……でも心当たりがないぞ。
「あのね……」
辺りを警戒していたが、吉野さんは俯きながらも顔を真っ赤にしている。
あー、これは俺の知人の誰かを呼んできてくれないか、みたいなヤツか。
小林かな、確かにアイツは良い男だと思う。
瞬時に察知した俺は、彼女の言葉を待つ。
「あの……」
こういう時のタメって、期待しちゃうからやめて欲しいんだよね。
何度このパターンでガッカリしたことか。
まあ、流石に期待した方がアホだってわかってきたけど。
「…………」
好きな人の名前を言うのを恥ずかしがるのは解る。
けどもうちょっと手っ取り早くお願いします。
最低でも百瀬さんと久保のサインは欲しいんだ。
なんていうかこれは大事な気がする。
すでに史実を破ってはいるが少しでも努力はしたいんだ。
一ノ瀬に逢える可能性は少しでも多くしたい。
「好きです! 私と付き合ってください」
どうやら意を決したようだ。
って、ん?
要領を得ない。
「えっ、誰? もう一回言って。誰を呼んでくればいいの?」
思わず聞き返してしまった。
想いを伝えたい相手がいることは分かったが、それが誰かわからないとこちらとしても協力出来ない。
「あ、いや、だから……」
吉野さんは顔を耳まで真っ赤にしながら人差し指で正面を指した。
こらこら、指は人に向けない方がいいよ。
思いつつ振り返る。そこには誰も居なかった。
「だから、高木君!」
ん……? 俺?
俺に何の用だというのだろう?
「ああ、もう! 高木君、私と付き合ってください!」
その言葉の意味を咀嚼して理解するまでに少しの時間が必要だった――。
……マジか!?
告白されているぞ、俺が!? 吉野さんに? なんで?
でも、吉野さんかあ。
彼女と付き合ったらこの先、凄く楽しい高校生活が待っていそうだ。
だけどなあ。
進学先は知らないが、間違いなく同じ高校ではない。
うーん、やっぱり長続きしないんじゃないか。
高校に入ったら絶対、俺よりいい男が現れるだろうし。
……などと、無駄なことを考える時間は数秒だった。
「ごめんなさい」
それ以外の言葉ってないよな。
「……本気?」
さっきまでの頼りなさそうな表情はどこ吹く風。
しっかりとこっちを見据えている。
強い意志を感じる瞳だ。
「うん、ごめんね」
目を見てはっきりといった。
「ああああん! フラれたああ!」
おお、思っていたのと違うリアクションだ。
「そもそも、なんで僕?」
「言わせないでよ、そんなこと!」
吉野さんは結構、気が強い女の子だ。
だから、お姫様っていうよりは王女様。女王様じゃないよ。
「ああ、ごめん」
「謝らないで!」
この言葉、一ノ瀬にもよく言われた気がする。
全く違うシチュエーションで、だけど……。
「別に好きな人がいる……とか?」
聞いてきたのは吉野さんだ。
「うーん、まあそんなところかな」
「何で言葉を濁すのよ」
うぐ、中々突っ込みが鋭い。
「片想い、だからね」
「じゃあ別に私と付き合ってみてもいいじゃない」
切り返しは早かった。
流石、女の子。
吉野さんのこういうところはすごく良いと思う。
「そうだね、正直……僕はそんなに吉野さんのことを知らないし。
知ってみたら変わるかもしれない」
「なら、なんで?」
彼女は「なら付き合って」とは言わなかった。
多分、もう理解しているのだろうな。
「好きな人のことを忘れられる気がしないから」
「あーもう、やっぱり駄目な人だったわ!」
うん、その通り、俺は駄目なヤツだ。
「ああ、ごめん、高木君が駄目な人ってわけじゃないの。
私って自分の事を好きになってくれなさそうな人にひかれちゃうのよね」
それは大変そうだなあ。
でも、そういう気持ちも解るかもしれない。
手に入らないからこそ、凄く欲しくなる。
「……高木君、きっと後悔するよ」
「うん、僕もそう思う。吉野さんはすごく可愛いし、賢いよ。
だから、絶対に幸せになれると思う」
「高木君に言われたくないわ」
やはり、この子は理知的だ。
モテる理由がよくわかる。
自分が可愛いことも解っているのだろう。
彼女なら、想い人がいる相手でも気持ちを手繰り寄せることが出来ると思う。
「あー……、いる?」
そう言って俺は自分の制服の第2ボタンを指さした。
「ううん、そっちは取っておいてあげて。私は3番目で良い」
「ん? よくわからないけど、了解」
そう言ってボタンをむしり取る。
……結構力が要るな、コレ。
鍛えてなかったら多分取れなかったぞ。
「ありがとう」
そう言って吉野さんはボタンを受け取った。
「あと、ひとつお願いがあるの」
すっかり吉野さんのペースだ。
「何?」
「しばらく……、そうね。10分ぐらいはここに居て」
「えー……」
まいったな、百瀬さんと久保に会いに行かないといかないのに。
「いいから!」
「わかりました」
文句を言ったら殺されそうだ。何の意味もないわけじゃないだろう。
あー、しかし、まさか女の子に告白されるとはな。
人生で初めてかもしれない。
自分で言っていて悲しくなるけど。
「あの、吉野さん」
そのまま走り去りそうな彼女を呼び止めた。伝えたい言葉がある。
「何よ?」
吉野さんは少し不機嫌そうに振り返った。
「ありがとう、すごく嬉しかった」
その言葉を聞いて、吉野さんの口角が上がった。
少しだけ顔が赤くなった気がする。
「私は悲しいわ!」
嬉しそうにそう言った吉野さんにアルバムを渡す。
――絶対にアナタを後悔させてみせます。
アルバムに強いメッセージを残して吉野さんは走り去っていく。
ああ……、なんて惜しいことをしたのだろう。
絶対に一ノ瀬より美人で良い女になるよ、あの子。
――10分後。
吉野さんの言いつけ通り、しばらく待ってみたが……何も起きなかった。
どうしよう、そろそろ移動しようかな。
そう思っているとふいに、人影が見えた。
あ! アレは……。
「谷地さん?」
声をかけるとビクッと震えて、おずおずとその姿を現した。
……もしかして、結構前から居たの?
「あの、あのね、高木君」
うーん、これは流石に、そういう事か。
でも、どうなんだろ。
谷地さんの性格だと、こういう事にはならないと思っていたけどな。
なんていうか、告白とかする勇気も無さそうな感じなのに。
……もしかして、これ。
吉野さんプロデュース? なんとなく、理解した。
だからボタンも3番目で良いってことか。
あの子、本当に優しいんだな。
「ありがとう、ございました」
震えそうな声で、谷地さんは言った。
そう思ってくれたのが嬉しかった。
余計なお世話、じゃなかったんだな。
大人になるとそういう判断が難しい。
誰かのためになると、そう信じて行った結果が本当に誰かのためになるとは限らない。
善意のつもりでしたことが、迷惑だったと言われたことがある。
誤解されて損することもあった。
「気にしないで」
出来るだけ優しい声を出したつもりだ。
正直言って、どう対応したらいいのか迷った。
偽善的に優しく接するよりも、解りやすい拒絶を伝える方が彼女のためかもしれない。
特に、彼女の場合はそういうものに抗う強さが必要だ。
……少しだけ考えたけど、そういう理屈で接するのは違うと思った。
心には心で応えるべきだ。
「好きです」
谷地さんがその言葉を言うのにどれだけの勇気を振り絞ったのだろう。
彼女の気持ちを考えると涙が出そうになった。
それでも俺は、過ちと解っている過去を繰り返そうというのか。
そんな風に思ってしまうけど。
愛情に対して同情や偽善で応えるのは、最低な行為だ。
愛情に対しては、愛情以外では応えられない。
だから、それが無いのなら。
拒絶するのが唯一の答えであり、優しさだ、と思う。
「ありがとう、気持ちは嬉しいけれど、僕には別に好きな人が居るんだ」
だから、第2ボタンをむしり取って黙っている谷地さんに手渡した。
「えっ? いいの?」
なんとなく、吉野さんではなく、彼女に渡せてよかったと思う。
「むしろ、こんなものでしかなくて、ごめんね」
そう言って、彼女の頭をなでる。
彼女の事情に、生理的嫌悪感がないと言ったら嘘になる。
俺は聖人君子じゃない。
だからこそ、そうしてあげたいと思った。
「君は一人じゃない、だから困ったときはいつでも誰かに頼っていいんだからね」
立ち去る人が残す台詞ではないかもしれない。
けど、これは本当にそうだと思うから。
「うん、ありがとう、高木君」
谷地さんには笑顔でそう言ってもらえた。
――私を助けてくれて、ありがとう。
谷地さんからもメッセージを貰った。
過去には存在しない言葉。
自己満足のつもりだったけど、お礼を言われるのは本当に嬉しい。
――それから。
俺は教室に戻って百瀬さんを探す。
当時は嫌わているかもしれない、迷惑かもしれないと思っていた。
残念ながら嫌うという感情はある程度、相手に興味がないと沸いてこない。
俺は多分、そういう対象になることすらなかったのだろう。
女子数人のグループの中に百瀬さんを見かけた。
躊躇したくなる状況だが、彼女がひとりになるのを待つのは現実的ではない。
ツカツカと歩み寄った。
「一言でいいから何か書いてください」
そういって卒業アルバムの空白のページを開く。
周囲の女子にも同じように書きこみをお願いした。
「高木君、結構人気あるんだ」
メッセージを書きながら、そんな一言を言われた。
「ん? 何のこと?」
本当に心当たりがない。
「制服のボタン」
そう言って胸元を指さした。
「あー、これか」
俺ごときがふたつも無くなっていれば大したものかもしれない。
「ねえ、私にも頂戴」
……ん? どういうことだ?
「高木君さ、格好良くなったよね」
……おかしいな、こんなこと生涯で一度も言われたことないぞ。
「こ、こんなもので良ければ……」
そう言って4番目のボタンをむしり取った。
こんなことになるとは全く思っていなかったよ。
「マラソン大会の時は素直に尊敬したよ」
おお、やっと褒めてもらえた。
正直、百瀬さんにこう言われるのは凄くうれしい。
「でも、別に高木君のことが好きってわけじゃないからね!」
頬を染めながら釘を刺された。
ツンデレか!
……でも俺は事情を知っているんだ。
「あー、隣のクラスの岡崎でしょ。大丈夫、絶対にうまく行くよ!」
実は高校生になってふたりが付き合っているというのを風の便りで聞いた。
「……何で知っているのよ」
顔を赤らめながらアルバムと制服のボタンを交換する。
「ありがとう」
そういうと、百瀬さんはにっこりと笑ってくれた。
髪が短いので表情が良く見える。
……やっぱり、可愛いな。
――高木君は凄い人だと思う。高校に行っても頑張って下さい。
百瀬さんのメッセージは変わってしまった。
「凄い人」、そう言われるのは誇らしい。
けど、少しずるい事をしてしまった背徳感がある。
この時点の俺は彼女に尊敬されるような人間ではなかったのだから。
久保を探すと廊下で悪そうに座っている姿を発見した。
なんでああいう体勢になるんだろうか。
「メッセージ、書いてくれない?」
一瞬怪訝な顔をした久保は、少し考えた後。
今まで見たことのない穏やかな顔でアルバムにペンを走らす。
本当はいいヤツなんじゃないか、そう思えるような表情だ。
――女作って、うまくやれよ!
余計なお世話である。
だけど、誰が書いたかすぐにわかる内容は嬉しい。
「ありがとう」
そういうと久保は少し照れた顔をした。
そして……。
「悪かったな」
小さな声だった。
「何のこと?」
もちろん、聞こえていた。
あえて言ったのだ。
「ああもう、何でもねえよ!」
機嫌の良さそうな声で、怒鳴られてしまった。
さて、これで本日のミッションは完了だ。
中学生活もこれでお終い、そう考えると少し寂しい気持ちにはなる……。
が、数々の黒歴史を辿る日々は本当に辛かったのでもう2度とやりたくない。
結局、ただの罰ゲームだったな、このやり直し。
「高木君ー!」
遠くから手を振りながら走ってくるのは杉浦さんと河上さん。
「おお、お疲れ様」
なんだかんだ言って、中学生活を良くしてくれたのはこのふたりかもしれない。
走ってきた杉浦さんは少し息を切らせていた。
「ボタンちょーだい!」
ん? 何故だ?
「あれ、杉浦さんは寺田と……」
「そうだけど! 私、高木君のこと好きだったんだから」
は? どういうことだ? 史実にそんなことはなかったぞ。
ただ、残念なことに過去形である。
「えっ!? いつから……?」
「2年生の文化祭」
おいおい、それじゃ暗黒時代の俺のことも好きだったってことじゃないか。
この子は谷地さんや吉野さんとは違う。
やり直す前の俺の事を好きだと言ったのだ。
……そっか、杉浦さんを可愛いと思うのは、よく笑うからだけじゃない。
彼女に俺への好意があったからだ。
他人から好かれることは無条件に嬉しい。
それを心地よく感じたからこそ、自然と出た感情だったのだろう。
「十香ちゃんも貰ったって聞いたから……」
なるほど、百瀬さんがトリガーで歴史が変わったのか。
やはり、未来を形作る要素が何かなんて、わからないものだな。
「だから、記念に。……駄目かな?」
申し訳なさそうな表情が似合わない。
「いえいえ、こんなもので良ければ」
5番目のボタンをむしる。
もはや学ランはマントのようになった。
「ありがとう」
そう言って笑う彼女は、やっぱり、可愛いと思う。
俺が感傷に浸っていると杉浦さんは後ろの河上さんと交代する。
そして、河上さんは黙って手を出した。
「えっ?」
「私も……せっかくだから、もらっていい?」
上目遣いで見られるとドキドキするから止めて下さい。
俺は最後のボタンをむしり取った。
「ありがとう!」
そう言って、ふたりは手を振りながら去っていく。
俺も片手を上げて答えた。
かくて、全て無事だったはずの制服のボタンはひとつもなくなった。
百瀬さんに告白したあの日。
もしも杉浦さんに告白していたらどうなっていたか。
思わず、そんなことを考えてしまった。
でも、戻らない過去を振り返っても仕方ない。
俺は「やり直さない」未来を選んだのだから。
無事に帰宅すると制服を見た母が狂喜乱舞した。
根掘り葉掘りと今日のことを聞いてくる。
それに答えるのは正直、大変だった。
……母よ、本来の俺にまともに好意を示してくれたのはひとりだけなんだぞ。
なんてね。
そんな人が居てくれた。それだけで十分すぎるほどの救いだ。
長い中学校生活がやっと終った。
高校生から始めて欲しいと思ったこのやり直し生活。
でも今、中学生活はあって良かったと思う。
確かに、罰ゲームのような日々だったけど、楽しいこともあった。
友人たちと過ごした日々はかけがえのない時間だったと思う。
それを大切に出来ていなかった過去の自分を改めて自覚することが出来た。
残念ながら、この頃の繋がりは途切れてしまった。
それでも集めたメッセージはアルバムに残り、いつでも見ることが出来る。
だけど、俺は忙しい日々に流されて、それを見ることなく過ごしてしまった。
時には昔のことを思い出して、古いアルバムを見るのも良いかもしれない。
たとえ黒歴史であったとしても、今の自分を作る大切な要素なのだから。
そんなことを考えさせられた、2度目の中学校最後の日だった。
 




