第14話:大抵の事は話せばわかる
マラソン大会当日。
不敵に笑う久保、お腹が痛そうな寺田、ぼーっとしている俺がそこにいた。
体調は万全、きっちりウォームアップしたら後はリラックスすることが大切だ。
集中力を高めるのは、スタートの1分前で良い。
大会本番は学校の外周ではなく、大きな公園を走ることになる。
周回遅れの人を追い越す必要がないので走りやすい。
通常のマラソン大会ではネットタイムとグロスタイム、二つの計測方式がある。
ネットタイムはスタート地点からゴール地点までのタイム計測。
グロスタイムはスタートの合図からゴール地点までのタイム計測だ。
わかりやすく言うと、ネットタイムは各個人が時計を持っているイメージ。
グロスタイムは一つの時計で計測するイメージだ。
近年のマラソン大会では計測タグを足や腕に固定するネットタイム計測が主流である。
もちろん、中学の授業で計測タグなど使わないから今回はグロスタイム計測だ。
この場合、スタート地点選びは重要である。
少しでも前に居た方が有利。
後方スタートだと、前方にいる人を追い越すのに無駄な体力と時間を使ってしまう。
俺は出来るだけスタートラインの近くへ移動しておいた。
――パァン!
空砲が鳴って一斉にスタートする。
通常、マラソンは後半にペースを上げる走り方が望ましい。
けれど、これは勝負である。
序盤に圧倒的な差を見せつけてしまうのが得策だ。
というわけで、まずは飛び出した。
寺田や久保から見たら、あっという間に見えなくなった、という状況だろう。
身体が軽い、景色が流れていく。
息はすぐに上がったけれど、苦しいところギリギリ我慢できる程度だ。
4kmという距離は鍛えた今、正直言って短い。
少し無理しているぐらいのペースで走るのが丁度よいだろう。
前方には陸上部の先頭集団が見えている。
アレにはちょっと追いつけそうにない。
そして今いる集団は各運動部のエース級の人たちだろう。
そんな中に、前大会298位が混ざっている。
これは作り話じゃない、実際に出来ることだ。
1番になることは難しい。
けれど「上位クラス」というラインであれば努力次第で誰でもたどり着くことが出来る。
ただ、そこまでの「努力」が出来るかどうかは、人それぞれであることは付け加えておく。
一ノ瀬は俺がそれを平然と出来ることが「おかしい」と言った。
今なら確かに解るかもしれない。
躊躇なく努力出来ることはある種、異常なのだ。
「すっすっ、はっはっ。」
呼吸を整えながら走る。
少しずつ2番目の集団からも遅れて来た。
横目でチェックポイントのタイムを見る。
大丈夫、申し分のないペースだ。
「すっすっ、はっはー。」
呼吸は吸うよりも深く吐くことを意識する。
自分で言うのもなんだけど、速い。
息が上がり、汗が滴る。
それなのに、去年よりも楽……というか気持ちが良い。
「すっすっ、はっはっ。」
……もうゴールが見えてきた。
時間は去年の半分もかかっていない。
ラストスパートで全力疾走する。
流石にゴール後は呼吸を整えることができなかった。
結局、16分をわずかに切ってゴール。
順位は……17位だそうだ。
この結果は想定の範囲である。
俺は何も極めらない代わりに、努力すれば何でも人並以上に出来る。
それが俺の才能、器用貧乏。
でもなあ、努力は人並み以上にしないといけないんだよ。
それで出来るようになるって凄く当たり前のことだと思うのだけれど……。
結果を得るために状況を分析し、最短経路で努力をする。
普通ならマラソンで早くなるために2週間は走らずに筋トレをするという発想はしない。
その道筋に確信を持っているから、不安や迷いが存在しない。
辛いから止めるという選択肢を頭から消せる。
一ノ瀬に言わせればこれは才能らしい。
……俺は自分の事を思い込みが強いだけの馬鹿だと思っていた。
でも、彼女がそう言ってくれるのなら信じてみようと思う。
女子は走る距離が2.4kmと短いため、すでに多くの人がゴールしていた。
待っているのも暇なので居合わせた百瀬さんに声をかけてみた。
「お疲れ様!」
「高木君!?」
だから、なんで驚くのだ。
「もうゴールしたの? 早くない!?」
まあ、確かに他の男子はまだ走っているしな。
「頑張りました!」
腰に手を当てて、胸を張ってみた。
「高木君……マラソン苦手じゃなかった?」
過去に周回遅れしてたしな。
「苦手だったよ」
ストレッチしながら軽く答えた。
「だったって……、何位だったの?」
「17位だってさ、凄いでしょ!」
ちょっと得意げになってしまった。
まあ、流石にちょっと誇らしいのだ。
努力して結果がついてくることは素直に嬉しい。
これは大人とか子供とかそういう問題じゃない。
だから、マラソン大会はそこら中で開催されているし、アマチュアが参加できるスポーツの大会は無数にある。
社会人でも仕事を休んでまで参加する人は大勢いる。
そんな人の気持ちを理解できなかった過去の自分は、無知だったな、と思う。
「いや、なんていうかもう……、おかしい」
百瀬さんは頭に手を当てて信じられないといった表情をしている。
少しぐらい褒めてくれても良いのに。
見ると寺田も無事にゴールしたようだ。
「おっと、じゃあ僕はそろそろ行くね!」
百瀬さんに手を振ってその場を後にする。
「おい、どうだった!?」
寺田は全力で走ったようで、倒れ伏していた。
おい、だめだぞ、ちゃんとクールダウンしないと。
「駄目だった……」
「そうか、負けちゃったか」
辺りを見渡すと不敵に笑う久保がいた。
「残念だったな、言う事を聞いてもらうぞ」
あれ、おかしいな。
「いやいや、最初にゴールしたの僕だよ?」
「はあ? お前なんか最初から居なかったじゃないか」
あー、そっか。
アウトオブ眼中、当時の言葉だが……。
見向きもされていなかったパターンだ。
ここまで馬鹿にされていたとは。
男子3日会わざれば刮目してみよと偉い人が言ってたぞ。
これは男子に限った話じゃないと思うけどね。
「じゃあ、結果を見に行こうか」
授業と違って大会本番でズルなんか出来ないからな。
「そんなの意味ないだろ!」
という久保と、ボロボロの寺田を連れてゴール地点へ行く。
ゴール地点で先生が名簿にタイムを書き込んでいる現場で自分のタイムを見せた。
「15分58秒……!?」
タイムを見た寺田も久保も驚きを隠さない。
「これ、陸上部レベルじゃないか……」
「単距離の人より早いかもね」
真面目な話、走りこめば走りこむほど速くなる若い肉体がちょっと楽しすぎてやり過ぎた。
最終的に努力を楽しんでしまうのも才能の一種だろう。
「ふざけるな、インチキしただろ!」
うーん、たしかにそういうレベルかもしれない。
「わかった、じゃあ今からふたりで走ろうか」
もう一回走って16分切りは無理だけど、18分切りぐらいは行けると思う。
「…………」
俺の提案に、久保は黙るしかなかったようだ。
――翌日。
「お前の言う事を聞けばいいんだな、土下座でも何でもしてやるよ」
難癖つけてくるかと思ってたけど久保は意外にも約束を守るとのことだった。
俺は最初から何を言うか決めてある。
身体を鍛えるのが楽しかったというのもあるが、勝負に勝ちたい理由もあったのだ。
「じゃあ、今日は僕と一緒に昼飯を食べよう」
「はあ?」
変な顔の久保を引っ張って、教室の端で机をつける。
「座って」
意外にも久保は素直に席についた。
「弁当は?」
「そんなもんねえよ」
いってパンを取り出す。
お、本当に昼飯食うんだ。
「ここから先はさ、賭けの対象外だから話したくなければ話さなくてもいいよ」
そう、付け加えた上で。
「ごめん、警察の件は少しやり過ぎたと思っている」
と切り出した。
「はあ!?」
「ただ、谷地さんにしたことは絶対に許せない。
でも僕がしたことも決して良いことではないと思っている」
「お前、何言ってんの?」
いじめは犯罪だ。だから警察沙汰にするのも悪くない。
けど、俺は久保とちゃんと向き合っていなかった。
それに……俺は久保がただの嫌なヤツじゃないと知っている。
過去の卒業式の日、俺はクラス全員にアルバムへ寄せ書きをしてもらった。
久保も例外ではない。
俺はその時の久保の表情を忘れていないのだ。
「久保はさ、格好いいじゃん。
強いし、サッカー部で運動も出来るし。
でもさ、谷地さんをいじるのは恰好悪いと思う」
「いや、だから……」
久保の返答は聞かずに言いたいことだけを言う。
久保も俺と同じなんだと思う。
自分を肯定してくれる人に上手く出会えなかったんじゃないかな。
「久保も色々、大変なんだろ。事情は全く知らないけど。
僕で良ければ話ぐらいは聞くからさ」
「ふざけんな!」
といって立ち上がる。
まあ、わかる。
良く知りもしないヤツにこんなこと言われたくないよな。
「はいはい、ふざけてませんよ。でも席を立つのは反則!」
そういうと渋々、席についた。
意外と素直なんだよな。
「とにかくさ、言いたいことはそれだけ。
僕も悪かった。でも谷地さんは悪くないからな」
「なんでそこまであの女を庇うんだよ」
おお、意外と話を聞いてくれるぞ。
「簡単な話だよ、僕が谷地さんの立場だったら、嫌だから」
「はあ?」
「生まれた時の体質とかさ。
そういうので責められるのってどうしようもないじゃんか。
僕たちは健康に生まれたからいいけど。
そうじゃない人は普通に生きてちゃいけないとか。
どうしてもそんな風には思えないんだよ。」
「説教する気か?」
「違うよ、押し付ける気はない。僕がこう思っているってだけ。
だから、谷地さんも杉浦さんもいじらないであげて。
あと、寺田もね」
「お前には関係ないだろ」
「あるよ、友達だし」
俺の言葉を聞いて久保は思い切りため息をついた。
「仲が良いことで」
「僕は、お前とも友達になりたいと思っているよ」
これは本心だ。
俺は一ノ瀬と決別してから友人の大切さを知った。
「気色悪い」
久保はそっぽを向いてそう言った。
表情を見せたくなかったのかもしれない。
「杉浦さんのノート、わざとじゃないでしょ」
「はあ?」
あの状況、寺田が一方的に絡んだのではないだろうか。
久保のイメージが悪すぎただけだ。
「だから、不可抗力だったんじゃないかって話。
気がつかずぶつかって落としたノートを、たまたま踏んだだけじゃない?
久保は妙に格好つけるところあるからさ」
……アレを恰好つける、と表現するのは違うかもしれない。
けど、中学生の空回りってそういうものだと思う。
どこか少し、掛け違えてしまうというか。
「……お前こそ」
「え? 僕?」
ここで俺の話をされるとは思っていなかった。
「殴っても、凄んでも、絶対に引かないよな、お前」
「あー、まあ、そうかな?」
中身はオッサンだからな。
「コイツに言うこと聞かせるのは無理だって思ったのは初めてだ」
褒められていると解釈して良いのだろうか。
「あ、ありがとう……」
「気色悪っ!」
そう言って久保は残ったパンを一気に口に運んだ。
「これで、賭けは精算だ」
そして自分の席に戻っていった。
いじめられる方に問題があるんじゃない。
いじめる方に問題があると思う。
でもそれは、ただ悪いということではない。
いじめている方も、救わなければいけないんじゃないか。
俺はそんな風にも思うんだ。
これで遺恨が残らないようになれば良いのだけど……。
人を説得することはとても難しい。
所詮、俺はただの器用貧乏だ。
こういう複雑な問題を解決することなど出来ない。
でも、言いたいことは言えたと思う。
それだけでいい、どうせこれは俺の自己満足なのだから。
 




