第13話:体力をつけることにした
さて、次のイベントは再びのマラソン大会だ。
正直、この体力の無さはいい加減どうにかしたい。
でもあまり歴史を変えたくはないしな……。
そんなことで悩んでいたら事件が起こった。
「おい、ふざけんなよ!」
えーっと、何? 揉め事?
見ると寺田と久保がにらみ合っている。
何だこれ? こんなの歴史にないぞ。
まあ、でもこうなったら仕方ない。
「どうしたの?」
迷わず首を突っ込んだ。
「げっ高木、お前は関係ないだろ!」
久保は苛立った様子だったが露骨に俺を嫌がった。
まあ、……そうなるよな。
「いや、寺田は友達だし普通に関係あるよ。何かあったの?」
見た感じだと、どうも寺田から絡んでいるようだった。
おかしいな、寺田は久保を怖がっていたはずなのに。
「杉浦さんに謝れ!」
憤慨してそう言ったのは寺田だ。
「だから、ふざけんな! 言いがかりだろ」
なんとなく状況を理解した。
杉浦さんのノートに思いっきり足跡がついていたからだ。
「ノートを床に置いてたのが悪い」
悪びれもせず、指で地面を差して言う久保。
「だから、置いてたんじゃない、お前が落としたんだろ!」
寺田の言い分だと久保がノートを落として、その上で踏みつけたということか。
「寺田君、もういいから!」
杉浦さんとしては変ないざこざは起こしてほしくないのだろう。
この場を収めたいという気持ちが表情に出ていた。
さて、どうしたものかな。
「杉浦さんも良いって言っているしさ、ここは引こうよ」
俺は仲裁に入ることにした。
「でも……」
寺田はもう後に引けない感じだ。
気持ちはわかる、けどここは我慢した方が良い。
女性を目の前で庇うのは恰好良いけど、いざこざを嫌う女性も多い。
「ふざけんな、言いがかりつけたのはそっちだろ。
それで済むと思ってんのか? 謝れよ」
あー、久保さん、もう止めてあげて。
俺が代わりに謝っても良いのだけど、それじゃ納得しないだろうな。
「よし、じゃあこうしよう。
僕と寺田と久保でマラソン大会の順位を競う。
で、一番のヤツの言うことを何でも一つ聞く、これでどう?」
と言ったら久保は思いっきり笑った。
「は? 本気で言ってんのか?
お前らが俺と勝負するって? マラソン大会で?」
「な、寺田、それでいいよな!」
「…わかったよ、絶対負けないからな」
なお、寺田は化学部で運動はそこまで出来ない。
対して久保はサッカー部なので普通に運動出来る。
そして俺は言うまでもなくゴミカスだ。
「お前ら、馬鹿なのか?
まあ、いいよ、じゃあマラソン大会後に公開処刑してやる」
公開処刑って……何されるの? 中学生怖い。
「ごめんね、杉浦さん」
なんとかその場を納めて杉浦さんに謝る。
「ううん、ありがとう」
あー、やっぱりクラスでは目立たないけど、この子は可愛いなあ。
寺田が惚れるのも解る。
「で、寺田。お前どれぐらい走れるの?」
「……前回150位」
なお、我が校は男子生徒が全部で306人だ。
マラソン大会は全学年で行われる。
文化部で2年生、150位ならむしろかなり良い方だろう。
「一応聞いとくけど、高木は?」
「298位だ」
胸を張って答えた。
後ろから9番目。なお、出走していない人が4人いた。
これには寺田も杉浦さんも静かになった。
後で久保の順位を確認したところ57位だった。
さすが運動部……。
だが、俺には勝算がある。
満を持して俺の才能である「器用貧乏」を投入する。
マラソンのような努力の積み重ねで勝負するようなものは相性が良い。
ここからはロールプレイングゲームで言うところのレベル上げだ。
寺田はその日の内から走り出した。
うんうん、青春しているね。
好きな子のために頑張るっていいよな。
俺は寺田のそういうところが好きだ。
俺も出来ればそうありたかったけど……。
一ノ瀬に助けてもらうことはあっても、俺が一ノ瀬を助けてやれたことはない。
アイツからは、いつも貰ってばかりだった気がする。
何かをしてあげたいけれど、何も出来ることがなかった。
寂しいけれど、求められていないのだから仕方のないことだ。
俺は自宅に帰って、まず母に相談する。
最初に手に入れるべきものは「ランニングシューズ」だ。
これがないと下手をすると怪我をする。
だが、すぐには走り出さない。
あまりにも運動不足だったせいで、走ってもトレーニングにはならないのだ。
何事にも順序がある。
とりあえず始めたのはスクワット、そして腹筋と背筋。
走るためには最低限、自分の体を支える筋肉をつけないといけない。
トレーニングというのは科学である。
ただ闇雲に頑張ればよい、というものではない。
まず、筋肉は2種類ある。
速筋と遅筋で、それぞれ担っている役割が違う。
速筋は瞬発力、遅筋は持久力。
速筋は筋肥大するが遅筋は肥大しない。
マッチョになりたければ速筋をひたすら鍛えると良いだろう。
これからマラソン大会に挑む俺に必要な筋肉は言うまでもなく遅筋。
……なのだが、それだけでは勝てない。
「速く走る」ためには速筋も必要なのだ。
速筋を鍛えるには最大負荷でトレーニングを行うことが大切。
ダンベル上げなら1回しか上げられない重量がいい。
逆に遅筋を鍛えるには長時間のトレーニングを行う。
腹筋なら100回ぐらいやっても良い。
まあ、これは極端な話。
この時の俺ぐらいに貧弱であればどんなトレーニングをしてもかなりの効果がでる。
ここはバランス良く、10回を3セット。
ただし、筋肉痛になるぐらいじゃなきゃ意味がない。
大事なのは「10回やる」のではなく、「10回しか出来ない」負荷をかけ続けることだ。
スクワットも腹筋も背筋も、自重ではたかが知れている。
筋肉が付いてきたら負荷を上げる必要があるのでダンベルも欲しい。
……さすがに買ってもらえなかったので2リットルのペットボトルに砂を詰めて代用する。
翌日の早朝、俺は自転車で河川敷をひた走っていた。
初日の筋トレですっかり身体中が痛い。
マラソンで走るのには筋力の他に、心肺能力も必要だ。
幸いにしてこちらは筋肉とは別に鍛えることが出来る。
自転車は体への負荷を約6分の1にしてくれるから、心肺トレーニングにはうってつけなのだ。
ひたすら息が切れた状態を維持するようにペダルを回す。
最後に大切なのは食事と休息である。
とにかく、良く食べて、良く寝ること。
食事は最も有効なトレーニングの一つだ。
タンパク質を優先的に、あとは炭水化物も脂質もしっかりとる。
偏ってはいけない。
体脂肪率については体をしっかりと作った後に落とせばよいのだ。
朝ごはんにどんぶり飯を食べて、昼飯は菓子パンではなく弁当にチーズとゆで卵をつけた。
全身筋肉痛、息も絶え絶えで登校する。
「おはよう……」
「おう、高木、おはよう……」
お互い、ボロボロだった。
寺田は今日も放課後に走るという。
……あんまり無理するなよ? 怪我するからな。
俺は帰宅して夜は再び自転車だ。
筋肉トレーニングは連日続けて行ってはいけない。
筋肉には回復する時間が必要だ。
おおよそ三日かかる。だから中二日は空けないといけない。
逆に心肺トレーニングは頻度が大切だ。
こちらは出来るだけ毎日行った方が良い。
翌日。朝の自転車で違和感があった。
……筋肉痛がすでにとれている。
さすが中学二年生。
何の追加能力がない、やり直しの世界。
でも若い肉体というのは、それだけで十分チートじゃないか。
頑丈かつ健康な体に生んでくれた両親に心から感謝する。
暗黒時代の俺は「運動の出来る人に生まれてくれば良かった」とほざいていた。
殴ってやりたい。この身体は十分に「運動の出来る肉体」だ。
これなら、中一日で筋トレしても大丈夫そう。
――数日後。
寺田は今日も走ると言っていた。
流石に心配になったので「少し休んだ方が良い結果になる」と説得した。
根性論のオーバートレーニングは逆効果だ。
筋肉は傷つく一方だし、下手をすれば怪我をする。
壊れた筋肉で80パーセントのトレーニングをするより、ちゃんと休んで120パーセントのトレーニングをすべきだ。
能力は限界を超えた領域で運動することにより初めて向上する。
80パーセントでトレーニングしても疲れるだけなのである。
2週間もすれば砂入ペットボトルでは負荷が足りなくなった。
……初日は自重でも十分だったのにな。
買ってもらったランニングシューズを履く。
靴底は厚く、足首までしっかり包み込む初心者向けのタイプだ。
いよいよ走り込みを始める。
筋トレは十分にしたつもりだが、走るとやはり筋肉痛になった。
体重を受け止める筋肉は筋トレだけで強化することが難しい。
ただ体幹や蹴り足の方はしっかりとしているので、怪我には至らないだろう。
しばらくはこの筋肉痛と付き合っていくしかない。
さらに2週間もすると4km程度、息も切らさずに走れるようになった。
体育の授業もマラソンに変わったが、授業中は真面目に走っていない。
大抵は筋肉痛か回復期なので無理は出来ないのだ。
早朝の自転車は10kmのランニングに変わった。
概ね50分で走れる。
1km辺り5分、十分な速度だ。
ただ、久保に勝つには少々心もとない。
ここからは本格的にマラソンのトレーニングになる。
要するに、ただ走るのではなく「速く走る」練習をしなければならない。
これは簡単なことではなく、日々の積み重ねと計画的なトレーニングが必要だ。
しかも、自分の能力に見合ったものでないといけない。
幸いにしてまだマラソン大会まで1ヵ月もある。
今の肉体ならかなりのところまでいけるだろう。
そして、マラソン大会まで残すところ1週間。
寺田の方もかなり早くなっていた。
これなら久保と良い勝負が出来るかもしれない。
俺はすでに休養期に入っている。
筋肉は負荷をかけないと減衰するし、心肺に至っては休むと即座に能力が落ちるのでトレーニングは継続はしている。
だが、運動強度はかなり落とした。
当日に万全な状態で挑めるようにするためだ。
この日は久保がサボりだったので授業中にちょっと本気で走ってみることにした。
今の俺なら4kmを16分ぐらいで走れるだろう。
……これ、多分やりすぎた。
スタートと同時に先頭に出る。
そのまま陸上部の連中と並走した。
4周もすれば数人の女子を周回飛ばし。
5周目で百瀬さんをとらえた。
「頑張れー!」
軽く声をかけた。
「高木君!?」
そのまま、サクッと追い越して前へ出る。
後ろで手を振ってみた。
……思わずやってしまったけど、これは仕返ししたみたいで恥ずかしい。
大人げないことをしてしまった。
寺田を見かけたけど、背中を叩くのは止めておいた。
無事に走り切ってゴールすると先生から呼び止められる。
「高木、お前、周回数間違えていないか?」
…まあ、普段30分近くかけているヤツがこんなに早いわけないもんな。
「あ、すいません」
と答えて2周ほど余計に走ってゴールとした。
それでも20分だから十分なスピードだろう。
まさに打てば響く、若い肉体とは恐ろしいものだ。
 




