表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たとえ人生をやり直せるとしても俺は同じ過ちを繰り返す  作者: 大神 新
最終章:その選択肢の答えは最初から決まっている
101/116

第76話:選択肢の中には選ばないという答えもある

 その日は卒業式だった。

 北上(きたかみ)先輩や容子(ようこ)先輩を見送ったのが遥か昔のように感じられる。

 そして、今回見送る対象は彩音(あやね)先輩達だ。


 1年生は卒業式に参加出来ないが、2年生は在校生として参加することになる。

 朝のホームルームが終わったら、2年生は3年生より先に体育館へ入場した。


 壇上に向かって広げられているパイプ椅子は全部で800席近い。

 ここまで綺麗に並べられていると圧巻である。

 季節はすでに春ということだが、この時期はまだ寒い。

 しかし、多くの生徒は正装として制服を着ている。

 コートやマフラーの類も無い。俺も学ランの詰襟をしっかりと閉じていた。


 ――卒業生、入場。


 放送と共に吹奏楽部による演奏が始まる。

 しばらくして3年生が入って来た。流石に皆、堂々とした顔をしているな。

 この時点で泣きそうになっている人もちらほらと見かけた。

 全員が入ってくるまで、俺達はずっと立ったまま待つ。


 ――着席。


 その言葉でやっと座ることが出来た。

 なんだか古い風習というか、俺はこういう儀式的なものは苦手だ。

 開会の言葉を校長が述べたら国歌を斉唱する。

 その度に立ったり、座ったりと忙しい。

 

 卒業証書の授与だが、本校は生徒数が多いので代表者が受け取る形だ。

 各クラス男女1名ずつ、大抵は学級委員長がやることになる。

 式で名前が呼ばれるのは名誉なことかもしれない。

 でも、俺はあの場所で目立ちたくないと思ってしまった。

 授与式が終わるといよいよ、我らが生徒会長の出番である。


 ――在校生、送辞。


 放送で3年生全員が起立した。壇上の中森はわりとしっかりしている様子だ。

 ……俺だったら緊張して吐きそうになっていたに違いない。

 中森(なかもり)生徒会長は懐から原稿を取り出して読み始めた。

 結構しっかりと練習したんだろうな。

 最後まで噛むこともなく見事に読み上げる。

 堂々としている姿を見ると、しっかり俺たちの代表だと思えた。


 ――卒業生、答辞。


 今度は3年生が着席して2年生が起立する。

 壇上に向かう途中の彩音(あやね)先輩が中森の肩をポンとたたくのが見えた。

 ほんの少しだけ、嫉妬する。いいなあ、中森。

 俺はあの場所に立ちたかったのかな。過去の後悔をほんの少しだけ思い出す。

 

 けれど……今の状況はとても気に入っているのだ。

 俺はこれで良かったと思う。

 テニス部にも行けて、生徒会室にも居られるのは幸せだった。

 あの場所に立つ、そのためには失う物の方が多い、そう思うんだ。


 「すっ……」


 彩音先輩が壇上に立って、マイクに手をかける。

 息を吸う音が聴こえた瞬間に体育館の空気が変わった。

 張り詰めたわけではなく、静かで穏やかな気配に満ちていく。 


「冬の寒さも幾分か和らぎ、日差しの暖かさを感じるようになりました。

 本日は素晴らしい卒業式を挙行してくださり、誠にありがとうございます」


 静謐な空気に、彩音先輩の美しい声が染み渡る。


「思い起こせば、入学当初は期待と不安に胸を膨らませていました。

 そんな私たちに先輩や先生方、多くの指導を頂き、今があります」


 原稿は持っていない。ただ、生徒と教職員の方をまっすぐに見ていた。


「私は生徒会執行部に入り、多くの仲間と出会うことが出来ました。

 若輩者でありながらも、生徒会長として多くの学校行事に取り組んだ日々。

 その中で多くの生徒と出来た繋がりや思い出が私にとって一番の宝物です」


 言葉よりも、美しい声が胸の奥に暖かく響く。

 

「在校生の皆さんには、時に辛く当たったこともあったかもしれません。

 でも、夕暮れの陽射しの中、共に歩いた道を今でも思い出します」


 それは少し低めで、とても綺麗な音色。


「多くの苦難を共に歩みました。時に迷い、立ち止まりそうになったこともある。

 けれど、共に笑い、共に選び、お互いを労った。掛け替えのない時間です」


 間の取り方が心地よい。俺は彼女の声がとても好きだった。


「手のかかる後輩、そう思っていたらいつの間にか頼れる相手になっていた。

 もう大丈夫、私の想いはきっと皆さんがこれからも引き継いでくれるでしょう」


 目をつぶって、深く、彩音先輩の声に耳を澄ませる。


「私は安心してこの学校を卒業し、将来の夢を実現するため邁進する所存です。

 最後になりますが、学校生活を支えてくださった全ての方に感謝申し上げます」


 信じられないぐらい綺麗で、美しくて、気高い。誰よりも堂々としていた。


「ここに居る全ての皆様の、益々の発展を祈って、答辞といたします。

 神奈川県立 川場高等学校 第34期 卒業生代表 神木(かみき) 彩音(あやね)


 凛々しい、という言葉はまさに彼女の為にある言葉かもしれない――。



 教室に戻り、ホームルームを終えたら生徒会室へ行く。

 彩音先輩達と話すのもこれが最後だと思うと胸が痛かった。

 もちろん、同窓会のようなものでも開かれれば別だろう。

 だけど俺の記憶にはそう言ったものが開催された記憶はない。


 こんなものは一時の感情だ。そんな風に言うつもりはもちろんない。

 ただ、人はこうやって出会いと別れを積み重ねて大きくなるのだ。

 だから、別れを惜しんでも、いつまでも引きずることは無い。


 俺自身、大学生になってからの交友関係の方が大切になった。

 今でも付き合いがあるのは、最後の仲間である彼らだ。


「おはようございます!」

 そう言って生徒会室へ入ると、すでに3年の先輩達が生徒会室に来ていた。


 懐かしいので当時のように挨拶をすることにしよう。


「よう、高木!」

沙希(さき)先輩、今日も綺麗ですね」

 艶やかで綺麗な髪、そして眼鏡が良く似合っている。

 意外と毒舌だけど、根はやさしくて面倒見が良い。


「おはよう、高木君」

嘉奈(かな)先輩、今日も可愛いです」

 奈津季(なつき)さんよりも長い髪、日本人形みたいな人だ。

 色々と小さくて可愛い。でも中身は意外と大人なんだよな。


「高木!」

「彩音先輩、今日も凛々しいです!」

 軽くウェーブのかかった髪が良く似合っている。

 今も昔も、憧れの先輩だ。


「さすがですね、彩音先輩。答辞、聞いてて泣きそうになっちゃいましたよ」

「そうか、そう言ってくれるとは嬉しいよ」

 本当に堂々としている。俺なんかよりもよっぽど男らしい。

 ……これは誉め言葉じゃないかもしれないけど。


 挨拶をしたら学ランのボタンを外して人心地つく。

 式中はずっと詰襟を閉じていたから窮屈だったのだ。


「あー、すまん! 皆、悪いんだが私と高木、ふたりにしてくれないか?

 少しだけ……そうだな、5分でいい」

 全く予想していない展開だった。


「あ、いいですよ、ふたりで話したいなら場所変えますから」

「すまない、高木。ここで話したいんだ」

 生徒会室で、ということか。


 何を話したいのか分からないけど、その気持ちはわかる。

 だから俺も、去年は北上先輩と彩音先輩のために勝手に席を外した。


 彩音先輩のその言葉に、その場にいた全員が静かに席を立った。

 流石、彩音先輩。カリスマが半端ない。


 ……しかし、生徒会室で彩音先輩とふたりっきりというシチュエーション。

 これ、なんか凄い背徳感があるんですけど。さっきまで壇上に居た人だ。

 俺とはつり合いが取れていない。


「高木、お前に餞別をやりたくてな」

 なんだろう? ボタンとかかな?

 でも女子からそんなの貰うとか聞いたことない。まあ何でもいいや。

 彩音先輩から何かを貰えるのならとても嬉しい。

 家宝にして末代まで大事にしようと決めた。


「ハグとキス、どっちがいい?」

 一瞬で思考回路が吹き飛ぶ。

 えっと、どういう意味、どういうこと?


「いいから、選べ。5分しかないんだからな」

 いや、選べと言われても、何ですかその究極すぎる2択。


 思わず、彩音先輩の唇を見る。

 多分、口紅ではなくリップクリームだろう、艶やかで綺麗でうっすらと紅い。

 いやいや、駄目だって。一ノ瀬に何て言えばいいか分からない。


 かといって、ハグと言えばアレだろ。

 花火大会の時を思い出して顔が真っ赤になる。

 あの神の感触をもう一度だと?

 つい彩音先輩の胸に目が行ってしまう自分を全力で殴りたい。


「さあ、どうなんだ?」

 そういってじりじりと近づいてくる。


「いや、あの……」

 何て答えていいのか分からずに、先輩と距離を取るために後退した。


「嫌、なのか……?」

 その表情はお願いだから止めてください。貴女には似合わない。


 でも……、俺はそう言わないといけないのかな。どちらも嫌だ……、と。

 決してそんなことはない。でもこれは奈津季さんの時と同じだ。


 後ずさりしている内に、膝裏に何かが当たった。


「高木!」

 そう言って先輩は俺の肩をガシッと掴む。

 俺はその勢いに負けて後ろに倒れそうになった。


 ……受け止めてくれたのは生徒会室の中央にある椅子だ。


「よし、やっと座ったな」

 彩音先輩は満足そうだった。


 ああ……、そういうことか。

 俺は、この椅子に座ったことが一度も無い。

 特別な思い入れがあったわけじゃない、ただそれは違うと思っていた。


奈津季(なつき)が寂しそうに言っていたんだよ。

 お前がその椅子に座ったところを見たことがない、ってな。

 それで少しだけ心配になったんだ」


 あの人は……! どうして、そんなに優しいんだ。それに彩音先輩も……。


「お前はさ、精神論を簡単に否定する。なのに自分は駄目なんだな。

 会長じゃない、そんなことを気にするなよ」

「彩音先輩……」

 確かに、その通りだった。


 俺は伝統や慣習に対して否定的だ。別に嫌いなわけではない。

 ただ、そこに合理的な意味がないからだ。何の利益もない犠牲に意味はない。


 でも、俺自身は合理的な人間じゃない。

 ずっと思っていた。俺にはここに座る資格がない、と。

 俺は会長になるという道を踏み出せなかった人間だ。


「お前はきっと、大場(おおば)や奈津季がここに座っても何とも思わない。

 なのに、自分が座ることだけは許さないんだろ?」

 その通りだ。俺は誰がこの席に座っても何も感じない。

 ただ、自分だけは座ってはいけないと思う。俺にだけ、その権利がない。


「私はな、お前のそういうところが嫌いじゃない。

 でも、何だか嫌だな。だって、お前はここに座っていいんだから。

 お前は、私の後継者なんだろ?」

 そう言って、彩音先輩は会長席に座った俺を抱きしめた。

 華やかな香りに包まれる。彩音先輩の匂いだ。


「時間切れだ。選ばなかったお前が悪い。だから、両方してやる」

 首筋に少しだけ冷たい温もりが走った。

「彩音先輩!?」

 先輩の髪の毛が頬に触れる。


 どうしてこんなにいい匂いがするのだろう。

 傍に居てくれた時間はそれほど長くなかった。

 温もりが遠ざかっていく。でも、これは当たり前のことだ。


「詰襟、ちゃんと閉じておけよ」

 そう言われてハッとする。……一ノ瀬に何て言おう。

 でも、その前に先輩に言わなきゃいけないことがある。


「こんなことして……。

 俺が彩音先輩のことを好きになったらどうしてくれるんですか!?」

 また、考えてしまった。もし一ノ瀬と出会っていなかったら。

 俺はこの人のことを好きになっていたかもしれない。


「10年早い!」

 彩音先輩はそう言って、笑いながら俺の額を人差し指でビシっと弾いた。

 ああ、やっぱり、こうなるのか。


「先輩……、俺、10年ぐらいなら待っちゃいますよ?」

 思わず自嘲気味にそう答える。俺は10年経っても一ノ瀬を忘れられなかった。


「んー? そうか。なら、やっぱりお前はいい男だ。その時は付き合ってやるよ」

 その返答は予想していなかった。


「へっ!?」

 思わず、間の抜けた声をだす。

「安心しろ。お前ほどの男に10年も想われたら、誰だって振り向くよ」

 なんで俺はここまで心を打たれなきゃいけないのか。

 精神年齢では2回りも年下なんだぞ。


「先輩は凄いです。なんか俺のことは全部、解っているみたいですね……」

「買いかぶるな。私は普通の女子高生だよ。ただ、お前のことはずっと見てきた」

 その表情は徹底的に、綺麗だった。どこが普通の女子高校生なのか。


「彩音先輩……ありがとうございました!」

「おう、気にするな、高木」

 そう言って、豪快に笑う。なんて人だ。


「さて、そろそろいいかな。お前は今日、その席に座っていろ。

 皆、卒業する前にその姿を一度見たかったんだ」

 そうか、だから……。


 ――チリンチリン。


 生徒会室の扉が開く。


「ふふっ、流石だな、彩音」

「彩音ちゃん、お見事!」

 沙希先輩と嘉奈先輩が入るなりそう言った。


「高木ー、良かったなー」

 平澤(ひらさわ)先輩も嬉しそうな顔をしている。


「お前、意外と意地っ張りだったんだな……」

 吉村(よしむら)先輩、そういうわけじゃないんですよ。


「高木君……、良かった」

 奈津季さん、ごめんね、心配かけて。


「あー! 高木くんが会長席座ってる!」

 一ノ瀬を見て慌てて詰襟を確認する。

 うん、大丈夫。でも後でちゃんと話すからな。


「おはようございまーす!」

 そう言って入って来た久志(ひさし)君と麻美(あさみ)ちゃんが扉を開けて立ち止まる。

「せんぱーい!」

 泣きそうな顔で近寄って来たのは意外にも久志君だ。


 大場に中森、次々と入ってくる大切な仲間たち。

 見える世界は隣に置いたパイプ椅子から見た景色とそう変わるものではない。


 でも、何だろう。初めてこの部屋の真ん中に座れた気がした。

 不思議だな、ここからは皆の顔が良く見える……。

 いつだったか、奈津季さんの言っていた言葉を思い出した。


 ――私たちの代の中心は高木君だよ。


 自惚れかもしれない。

 でも、この時、その言葉の意味が分かった気がする。


 俺はずっと後悔していた。

 生徒会長に立候補しなかったこと。この椅子に座れなかったこと。

 いつまでも拘っていたのは俺の方だった。


 やり直しの世界は、優しすぎる。

 俺はこんなこと、知らなかったよ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 彩音先輩はカッコよすぎるし、生徒会のみんなは優しすぎるし泣いてしまいそうになりましたよ… 奈津季さんに彩音先輩と高木君はホントに一ノ瀬に出逢って居なければ色々とこのまま報われそうでしたね……
[一言] 卒業っていう別れのお話、しかも彩音先輩たちとの別れってだけでもくるものがあるのにこんな暖かい優しさに溢れたお話になってて泣きそうになる
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ