第1話:気がつくと中学生になっていた
目が覚めると、木と鉄の匂いがした。
ん-、あのシチュエーションだと俺は完全に死んでると思うんだけど。
どういうことだ?
クソだるい身体を起こすと、目の前には机、その上には教科書が広がっている。
なんだこれは。状況が全く理解出来ない。
ぼやける視界で見えるのは授業をする教師、同い年ぐらいかな。
――俺の名前は高木 貴文。
絵にかいたような普通のサラリーマンで、アラフォーのオッサンだ。
この歳になっても独身、婚活もしているがそろそろ潮時かもしれない。
一時期は笑い話で「独身貴族」だの「生涯独身」だなんて言っていた。
だが、もはや笑い事じゃない。
色々と覚悟を決めて人生に向き合わなきゃいけない時期だ。
正直言って、色々と焦っていた。
このままではいけない。そう思いつつ日々は過ぎ去っていく。
そんな中、俺は仕事の出張先で交通事故にあった。
空を舞ってアスファルトが目前に迫る……、最後の記憶はそこで終わっている。
周囲を見渡すと学生が並んでいた。どうやら中学生ぐらいのようだ。
目を細めてみるが全く見えん。そういえば眼鏡はどこに行った?
いやまあ、あの状況だと吹っ飛んだだろうけど……。
どう見てもここは事故現場じゃない。学校の教室かな?
なんだか懐かしい感じがする……。
「じゃあ、高木。次を読んでくれ」
と、先生と思しき人から指名される。
「あー、え……?」
突然の事に超焦った。え、何、どういうこと?
「19ページの4行目だよ」
隣に座っている女の子がこっそりとフォローしてくれた。
あわてて教科書を拾い上げて音読する。
どうやら国語の授業のようだ。
「じゃあ、次」
事なきを得てほっとする。
しかし何だ、この状況は。
ひとまず大人しく授業を受けて休み時間に入るのを待った。
「ありがとう、助かったよ」
隣の女の子にはちゃんとお礼を言っておく。
「いえいえ、それより授業中に居眠りしちゃだめだよ」
真面目そうな女の子からは模範的な回答が返ってきた。
少しだけ、はにかんだ表情が可愛い。
どことなく中学生時代に仲良くしてくれた女の子に似ている。
それにしてもおかしいな、さっきから声がいつもと違う。
自分の声じゃないみたいだ。
状況に困惑しつつ、ふと胸元に目を下ろした。
どうやら俺は制服を着ているようだ。そして校章らしきものを目にする。
あー、これは知っているわ。懐かしいな、通っていた中学校のヤツだ。
……んん?
気がついて俺は慌ててトイレに走った。あそこの手洗い場には鏡がある。
少し走っただけなのに息が切れた。こんなに貧弱だったっけ?
やっと辿り着いて鏡を見るとクソダサい学生が写っていた。
知っているヤツ……昔の俺だ。
いやまあ、今もクソダサいオッサンなんだけどさ。
それにしてもこの頃は酷かった。
まず前髪を切れ、そして良く見えないなら眼鏡をかけろ。
……いや、そういう問題じゃない。
俺は一体全体、どうなんたっだ? もしかしてアレか!
テンプレート的な「死んで異世界に転生」みたいな?
ついに俺にも「時代」がやってきたのか!
……でも何の特殊能力もなさそうだぞ。
ただ、中学生の頃の自分に戻っただけ、みたいな感じ。
体力もないし、見てくれも悪い。おい、誰か説明してくれ。
俺はどうすればいいんだ?
しかたなく、半泣きになりながら教室へ戻る。
「高木ー、ちゃんと手を洗ったか?」
ひとりの男子が馴れ馴れしく声をかけてきた。
良く見ると、小林じゃないか。思い出してきたぞ。
中学時代の数少ない友人だ。
いよいよもって、これは過去に戻っているというのが正しい認識だろう。
……どうすんだよ。当時のクラスメイトなんて、ほとんど覚えてないぞ。
色々と頭はモヤモヤしたが、とりあえず情報を仕入れるしかない。
幸いなことに、クラスメイトの名前が思い出せない件については策がある。
何せ周囲は中学生だ。
「すまない、急に記憶喪失になったんだ!」
こう言ったら、仲の良かった男友達の寺田が即座に乗った。
「マジか! 精霊の影響かもしれんな。
いいだろう、俺がみんなのことを思い出させてやる」
あああ! 止めてくれ、その中2のテンション。
なんか色々とムズムズする! いや、嫌いではないけれど。
と、いうわけでクラスの男子は全員、顔と名前を一致させることに成功した。
もっとも、元々知っていた顔で知っていた名前だ。
覚えるというよりは、思い出すだけのこと。それほど難しいことではない。
そして、中学生ならではのアレで女子の紹介は無かった。
まあいいや。「精霊の影響で記憶をなくした俺」が女子の名前を聞いて歩く。
正直、そんな恥ずかしい事は絶対やりたくない。
この年頃は男子の方が幼いというか、アホだからな。
女子にそんなことをしたらドン引きもいいところだ。
まあ、女子の顔と名前は今後の生活の中で一致させるとして……。
問題はこの状況をどう受け取るか、だ。
ある意味「人生やり直し機」状態で記憶を持ったまま中学生になっている。
これが現状だということは認識した。
しかし……、中学生に戻ったところで独身アラフォーの俺が何をすれば良い?
無能が無能なまま、無能な肉体に戻ってもどうにもならん。
マジな話、大学受験とかもう1回やったら多分、落ちるぞ?
なんだこの最悪な状況。
どうせやり直すならせめて、何らかの特殊能力があったっていいのに。
これじゃクソがクソなりにクソな人生を辿るだけじゃないか。
どうせなら異世界に転生させてくれよ!
あー、でも無能力で異世界行ってもすぐに死ぬ気がする。
それはそれで凄く嫌だな……。
さて、いつまでも文句を言っていても仕方ない。
大人らしく、これからどうするか考えよう。
これはいわゆるタイムリープってヤツか。
過去の行いを変えることで、未来を変えることが出来るかもしれない。
それが出来るのなら、事故死の未来を未然に防ぐことも可能だろう。
しかし……正直に言おう、それに興味はない。
あそこで死ぬのが俺に与えられた天寿だというのなら、全うして構わない。
別に死ぬほど痛いとか苦しいってわけでもなかったしな。
妻も子供も居ないし、あの先に何か良いことがあったとは思えない。
死は受け入れるとして、他に何かあるかな?
後悔の無い人生を送ってきた、と言えば聞こえが良いかもしれない。
だけど、俺は適度に自分の人生を諦めている。
あのまま生きて行っても良かったし、あそこで死ぬならそれでいい。
守りたい特別な人など居ない。
変えたいと思うぐらい思い入れのある過去も無い。
そもそも何の願いも無いことに気がついた。
あの時、ああすれば良かったのに!
そんな劇的な選択肢のある日常なんて送ってきていない。
基本的に目の前にあることをただ必死にこなしてきただけだ。
頭の中で考えを巡らせる。
けれど、いくら考えても……。
この「やり直しの世界」の中でやりたいことは思い浮かばなかった。
おい、神よ!
なぜこんな無駄な時間と機会を俺に与えたんだ。明らかに無意味じゃないか。
後悔を抱えて生きている人や、愛しい人を亡くした人に与えてやれよ。
俺には……変えたい未来も、修正したい過去も、存在していないんだ。
もうこれ、普通にクソみたいな中二ライフを満喫するしかないってことなのか?