Big Brother
「ボクは勇者テイルだ。けれど、そんな肩書、どうでもいい」
そう言って彼は、傷一つない綺麗な手で僕の手をぎゅっと握りしめた。
「ぜひ、兄貴だと思ってほしい。長男として、弟を守る。だから――力を貸してくれないか」
雨が降っている。
木々を濡らす露が、芽吹いたばかりのつぼみをなぞり、流れ落ちていく。
村は明るい。雨が降っているというのに、その曇天すら吹き飛ばしてしまいそうなほどに。
呻き声が聞こえる。あちこちで。
切り飛ばされた戦士の腕。武器を手放すことなく持ち主は逝った。
どうして、という問いかけが繰り返される。
どうして、
どうして、
「ボクは勇者テイルだ」
テイルは出会った時と同じような顔で、村長の喉笛を掴み、壁に叩きつけていた。ギリギリと食い込む指が、彼の気管を狭め、徐々に死へと導いていく。
彼は空を仰ぐ。村長が紹介したこの場所は、カミを祀っている場所なのだという。
僕らが知っている教会とは、形は程遠い。
「国を背負い、世界を背負う。だから、許すわけにはいかないんだ」
テイルは辛そうに、目を伏せながら、しっかりと相手を見据えて言う。
――邪教を。
ぼきり、という音がして、村長の首は、小枝のような音を立てて折れた。彼が手を離すと、そのまま村長の体はすとんと落ちた。
同じパーティの僧侶、ナオミさんがそっと額に手を当てて死者を悼む。
「悪魔に魅入られた者に、神の情けがありますように――」
炎が、村を舐めていく。
やがて、邪教を祀る神殿も焼け落ちる。
「テイル、あの人はどこに行ったんだい?」
「あの人って?」
酒場。女性陣は先に寝てしまっている。
パチパチとはぜる暖炉が、テイルやマスターの輪郭をぼやけたものへと変えてしまう。
「あの、屈強な人。お父さんみたいな。棍棒を使ってた――」
「ああ、ギースのことか」
かちん、と銀のグラスをテーブルに置きながら、テイルは口元を引き締めた。
「彼はもういない」
「どうして?」
マスターが、リンゴの皮を剥いている。一心不乱に、シャリシャリと。
ちぎれた皮がそこら中に散らばる。
「彼はスパイだった。人間側であったのに、魔物側についていたんだ」
ぱちん、と再び火が爆ぜる。
「ボクの手で殺した。せめてもの、慈悲のつもりだ」
僕はテイルと共に、ずっと冒険を続けている。
長い坂がある。競争だ、先に上ったほうが勝ち。
そう言うと、テイルは困ったように笑う。
そして、後ろを振り返って意見を聞く。
「テイル様は、――の兄ではありませんか」
ナオミの言葉に、テイルはもう一度照れたように笑った。
「じゃあ、行こうか」
激しい息遣いが木霊する。薄暗く、じめじめとした鍾乳洞。
踏み出すたびに、びちゃっと水が跳ねる。
ナオミさんの首が転がっていた。驚愕に目を見開いたまま、彼女はぷかぷかと水に浮かんでいる。
彼女の体は未だに祈りを捧げ続けている。
「ねぇ、――」
テイルはひゅっと剣についた血糊を払いながら言う。
「キミは、ボクを裏切らないよねーー?」
砂漠の中にいた。統率を失ったゴブリンの群れが、無秩序に蠢いている。
テイルは先陣を切って飛び込み、彼らの首を跳ねていく。
ビシャリ、ビシャリと、血飛沫が、砂漠の砂に染みこんでいく。
「眩しいわ」
ギースさんが日傘をさして、ぽつりと呟く。
ゴブリンの悲鳴も、砂に吸い込まれていく。
「我が娘、ナオミを連れ戻してくれんか」
必死の懇願。玉座から降りた王は、跪いたテイルに目を合わせて、肩に手を載せる。
「魔物たちは、ナオミの能力を恐れておった。おぬしたちが救ってくれれば、必ずや、おぬしらの一助となるだろう」
テイルは拳を床にぐっと押し付けて言う。
「我が国の王、わが父も同然の方に乞われ、どうして拒めましょうか。勇者の名に懸けて、きっと――」
僕らは坂を下っている。
「いやぁぁぁぁ!」
ナオミさんの悲鳴。
「化物! 化物がそこに!」
「どこにもいないよ、ナオミ」
テイルが抱きしめても、ナオミさんはいやいやをするようにもがく。
「化物! おぞましい化物!」
雷が落ちた。
咄嗟に大木の下へ駈け込もうとする僕を、ギースさんが捕まえる。
「いいか坊主、カミナリってのは、デカい木に落ちやすいもんなんだ。じっとしてろ」
「ギースさんは怖くないの?」
「怖くありませんよ」
ナオミさんがそっと微笑む。
「雷は、悪を裁くため、神が遣わすものなのです。どうして我々に刃が向けられることがありましょうか」
「テイル! 競争しようよ!」
テイルは額を拭いながら、困ったような笑みを浮かべる。
「そうだね、このまま濡れネズミになるよりは、マシかもしれない」
「じゃあ、あそこの、大きな木のところまで!」
太陽が、僕らを焼き尽くそうとしている。
「勇者よ、それは――」
「お納めください。魔王の首です」
テイルの言葉に王は絶句し、王妃は絶叫と共に首を振る。
「あなた! あの子が! 私たちのナオミが――!」
「貴様、気でも狂ったのか!」
「ボクのことは兄貴だと思ってくれればいい」
そう言って、勇者はこちらに手を差し伸べる。
「ボクのことは、兄貴だと思ってくれればいい」
そう言って勇者はこちらに手を差し伸べる。
「ところでキミの名前は? なんて言うんだい?」
「……テイル。テイルって、いいます」
逆光。
玉座に座った魔王の首を刎ねた。
僕の手は豆が潰れて荒れている。
「ギース、僕はもうだめだ」
「何を言ってんだよ、テイル! お前は勇者じゃないか!」
ギースは弱気になった僕を、何度も慰めてくれた。彼の方がはるかに強いのに、勇者と呼び、いつも守ってくれた。
父親のような人だった。だから、兄にはできなかった。
「テイル、いいか、自分というものをしっかりと持て。魔物って言うのは、自分の中に潜むもんだ」
「あなたならきっと大丈夫です。わたくしが付いていますわ」
ナオミさんは、姉のような人だった。人一倍神を信じていた。
気高い人だ。民のため、立ち上がったのだ。
僕は誰もいない街を歩いている。
誰もいない街を歩いている。
テイルがいない。
僕はずっと、テイルと共にあった。彼を守るつもりがいつも、守られていた。
でもそのテイルがいない。
彼はどこにいるんだろう。
塔を駆け上がる。螺旋階段を一段一段踏みしめるたび、カチンカチンと硬質な音が響き渡る。
絶叫が聞こえる。人の声には聞こえない。魔物のものだ。
とうとう追い詰めた魔物は、高台から飛び降りた。人型のせいか、飛べずに落ちた。
「魔物なら、魔物らしく飛べばよかったんだ」
僕は剣を鞘に納める。
平和の訪れに笑みが漏れる。
「テイル、どこだ。君は、僕の兄貴じゃないか。弟を放り出して、どこに行ったんだ」
何度も何度もテイルを呼ぶ。返事がない。
確かにここにいるはずだ。
「テイル、競争しよう」
「ほら、あそこにテイルが立っているだろう? あそこまで。競争だよ、テイル」
「何を黙ってるんだ、テイル」
「テイル!」
「僕の勝ちだ、テイル。ほら、早く来いよ」
「なんだよ、僕が弟だからってバカにするのか?」
「今更なんだ、アニキ面なんかするなよ!」
屍と炎。
雷と太陽。
「あなたが勇者ですか?」
「違う。勇者は、テイルだ」
「……テイル様は、どこへ?」
「新たな悪を滅ぼしに行ったよ」
「そう信じたいのですね、あなたは」
「敵ながら……いえ、もはや味方のいないあなたは、もはや憐れですね」
テイルの影がずっと伸びている。
僕は彼をずっと追いかける。




