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斎宮と花の君  作者: 紺野
9/21

2 花揺らす風②

 

 2 

 舞い散る落葉たちが、野宮の庭を柔らかく染めていく。

 百合乃は頬杖をついて、ひらりひらりと落ちていく紅葉を眺めていた。

「秋ねぇ」

「秋ですねぇ」

 合いの手を入れたのは、彼女の後ろでやはり庭をしみじみと見下ろしている柊木だ。

「……気持ちいいわね」

「気持ちいいですねぇ」

 ゆったりと時間が流れていく。

「いい天気だし」

「いい天気ですねぇ」

「夜、散歩に行きたい」

「夜、散歩に……――は?」

 のんどりとした空気に流されて、つい頷きかけてしまった柊木だったが、なんとか踏み止まった。百合乃がチッと舌打ちする。

「駄目です! 駄目駄目っ、絶対に駄目です。宮から出ることさえ許されませんのに、夜中に散策にお出かけになるなど。言語道断、危険でございますよ」

 百合乃はつまらなそうに振り返る。

「危なくなんてないわ。桜真と一緒だもの」

「桜真殿と? ですが、もし宮の者に見つかったりでもしたら」

「ふっふーん、だいじょーぶっ」

 鼻高々と笑って、百合乃は何やらごそごそと、部屋の奥から引っ張り出してきた。

 ――見覚えのある唐櫃。そして中から出てきたのは、どこぞの大納言の盗難品である疑いがかかった、例の萌黄の狩衣だ。

「これを着ていけば、まさか斎王だとは思われないでしょ」

「……そうかも、しれませんけど」

 柊木は思いきり渋い顔をする。

「そうね、もし斎王が消えたりしたら、みんな大慌てになるわ。困ったわねぇ」

 そう言う百合乃の顔はむしろ楽しそうだ。

 何か企んでいる。そう直感した柊木は、思わず後退さった。

「……百合乃さま?」

「でもスバラシイ解決策があるわ。誰かが代わりに、あたしの寝所で寝ていればいいのよ。あたしの衣を着てね」

 甦る、あの花見の目の悪夢。柊木はもう、諦めた。

 

 今夜は新月だ。月が無いので空が暗いかというと、逆に星たちがその存在を主張してくる。ただし騒がしく瞬いているのは空だけで、地上は静寂に包まれていた。

 けれど、百合乃の足元では、歩くたびにカサカサと落葉が笑う。

「わぁ、真っ赤なのね。暗くてもわかるわ」

「そうだね」

 黒木の鳥居の辺りは、一面落葉で埋め尽くされていた。桜真が持っている松明の火を映したのではない、葉そのものの紅。

「あ、そっか。桜真は毎晩ここを通っているのよね。ごめんなさい、つまらない?」

「まさか」

 思わず、繋いだ手を強く握ってしまった。すると百合乃は、少し照れたように甘えた声を出した。

「じゃあ、もっと遠出してみましょ」

「え?」

「……少し、ちょっとだけ。東の方に歩いてみない?」

 東。

「都に帰りたいの?」

 ここから東に向かうなら、それしか考えられない。

「別に、都が好きなわけじゃないのよ?」

 今さらかもしれないけど、と前置きをして、百合乃は決まり悪そうに言った。

「家族がちょっと、心配なだけ」

「家族?」

 たしか百合乃の父は、行明親王だ。いつか彼女から聞いた話では、とてもお茶目な性格の人らしい。それから高通という兄と、兼季という弟。みんな両親が同じというのが自慢の兄弟なのだと言っていた。

 桜真に「家族」はいなかったが、大沢他の森の仲間たちが自分にとってそう呼べる存在なのだろうとは思っている。では、もし自分があの森から出て都で暮らすことになったら、どうか。きっと、毎日心配でたまらないだろう。そう考えると、彼女の心情も推し量れる。

「じゃあ、都が見渡せるところまで行ってみようか」

「ほんと」

 本当に嬉しそうな百合乃に、桜真は笑顔で頷いた。

 桜真が手を引いていったのは、東ではなく、北。都を一望できる、嵯峨天皇陵を目指した。

「あたし、こんなところまで来たの、初めて」

「すぐそこに大沢池があるよ」

「あっ、そこなら行ったことがあるわ。桜がきれいなのよね。お花見に行ったの、去年」

 『桜がきれいなのよね』……その言葉が、桜真の中で山彦のようにこだまして響く。

 感無量というのだろうか。他の誰に誉められるより、万倍も嬉しい。うっかり天に昇ってしまいそうな心地だ。

「また見に行きたいなぁ、桜」

 どこか遠い目の百合乃の呟きに、桜真は興奮を隠せない。

「来なよ! ……じゃなくて、行きなよ!」

 百合乃は少し考え込むように俯いていた。

「百合乃?」

 顔を上げた彼女は、またしてもニヤリと、何か悪巧みをしているように笑う。

「連れていってよ」

「え?」

「あたしが野宮に居られるのは、来年の春までなの。そしたら伊勢に送られてしまうわ。だから、今度の春に、桜を見せに連れていって。今日みたいに、二人で」

 来年の春。百合乃は伊勢に行ってしまう。

「……もう、会えなくなる?」

 桜真は立ち止まり、暗い表情で百合乃を見つめる。百合乃は呆れたようだった。

「だから、未来の話をするのは嫌なのよ。まぁ、春までは考えたって仕方の無いことだわ。それまでは、毎日会いにきてね」

 桜真はハッとした。いつか言わなければとは思っていたのだが。

「冬になったら、会えなくなる」

 長い眠りにつくから。花を、咲かせるために。

「……そっか。雪が降ったら大変だものね。夜、寒い中に来てもらうのも悪いわ」

「春になったらすぐに会いにいくから、絶対」

 桜真は強い口調で言った。百合乃は嬉しそうに微笑む。

「あたし、ちゃんと待ってる。そしたら一番に、桜を見に連れていってくれる?」

 桜真は力強く頷く。そして繋いだ手を強く引き、百合乃を抱き寄せた。

「必ず。……世界で一番きれいな桜を見せてあげるよ」

 百合乃は両手で彼の衣をぎゅっと掴み、瞳を伏せる。

「うん。絶対よ?」

「約束する。一緒に、見に行こう」


 目的地に着いた頃、空は明るくなってきていた。夜が明ける。朝が、来てしまう。

 桜真は松明の火を消した。

「どうしようか。皆、心配する」

「大丈夫よ。きっと柊木がごまかしてくれるわ」

 その柊木が一番大騒ぎしてしまいそうだが。

「……そういえば、桜真と太陽の光を浴びるのは初めてよね」

 桜真に手を引かれながら、百合乃は瞬く。

「一緒に居るのは、初めてだね」

 野宮に向かう行列の時と、大沢他の桜見の時は陽の下で見たけれど。

 そう桜真が喉の奥で付け足していると、緑一色だった視界がだんだんと開けてきた。林を抜ける。

「さぁ、着いた。向こうに都が見えるよ」

「えっ」

 足元に気を取られていた百合乃は、期待に満ちた瞳を上げた。そして、凍りつく。

「……なん、だ?」

 桜真も同様に、顔が強ばった。

 彼方に望む、平安京。四角く囲まれた、繁栄の都市。

 その都は、重い闇に覆われていた。

「何なの。あの、都に充満している黒い靄みたいなのは」

 百合乃の顔が青ざめていく。桜真も、目を見張ったままで呟いた。

「百合乃にも、視えるんだね」

 夜の闇ではない。

 あれは、呪だ。怨念が都中を包み込んでいる。敵意や殺意といった負の気がほとばしっているのを、痛いくらいに肌で感じる。

 平安の都が、呪詛されている――

「一体、どうして……誰が、こんなこと」

 百合乃が力なくへたり込んだ。その肩を支えながら、桜真は暗黒と化した都を見据える。

「行か、なきゃ」

 おもむろに、百合乃が立ち上がった。

「え、行くって……都に?」

「そうよ!」

 桜真を見据える瞳は強い。

「駄目だ。危険だよ。 特に君は皇族だから―」

「皇族って言わないで! 好きで皇族に生まれたんじゃない」

「百合乃……」

 桜真は立ち尽くす。

 都は、その視界から外れていた。だから、二人はまだ気付いていなかった。夜の闇が白み、青くまでなっていた空。そこに突如として黒雲が生まれ、龍のごとく天に渦巻いていたことに。

 一瞬、全てが消えた。

 全ての色が消え、輪郭も失われ、世界が白に溶けた。真白な、閃光に。

 そして轟音が大地を揺るがす。二人が身を伏せながら都を見やると、その上空には漆黒の雲が浮かび、次々と雷を落としていた。暗雲は恐ろしい速さで空を覆いつくしていく。

 つんざくような雷鳴が響くなか、都が赤く揺らめいた。

「都が……都が、燃えてる!」

 百合乃が思わず前に出た。桜真がそれを必死に押さえる。

「百合乃、危ない、落ちるよ!」

「放して。父さまが……父さまあぁっ」

 百合乃は前のめりになって膝を折った。

 『父さま』。彼女の家族は、あの都の中に居るのだ。

「――行こう」

 百合乃の腕を引き上げる。

「桜真……?」

 見上げる彼女の顔には、生気がない。

「早く立って、百合乃。一度、野宮に戻って、馬で行くんだ」

 

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