2 花揺らす風
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大沢池に映る山々は、緑から暖色へとその表情を変えた。それもまた、美しい。木々は色付いてゆく。散るその瞬間の葉の色こそ、彼らの命の色だ。
こんなに天気の良い日は、昼寝が一番だ。秋の太陽はまだ暖かい。
「だからさ、桜が咲かなくていいって言った人だよ」
「紀貫之だろ?」
「違うよ、もっと『あら』とか『わり』とかつく人だってば」
「ああ?」
紅音が心を浮き立たせながら帰ってきてみると、陽だまりに腰を下ろして、桜真とハルが唸りあっていた。
「知らねぇよ。じゃあ……、菅原道真?」
「あっ、ちょっとそんな感じかも」
「どうしたんだい、そんな睨めっこしてさ」
興味深々で声をかけると、彼女に気づいた桜真が笑顔で手を振った。
「紅姉! ちょうどいいところに」
「社会勉強がしたいんだとよ」
「へぇ?」
手招きされて、紅音も桜真の隣に座る。
「『春に桜が咲かなければいい』って言った人って、誰だかわかる?」
「てゆうかソレ、失礼だな、俺たち桜に」
「あぁ、それは在原業平だね」
「そう、その人だ! どんな人?」
目を輝かせる桜真の横で、「『あら』も『わり』もついてねぇじゃねぇか」とハルがぐちる。
「そうだねぇ、『伊勢物語』の主人公として有名だね。ハル以上の女好きさ」
「えっ、すごい。ハルヨちゃんよりも?」
「そこで驚くな。むしろ、お前に似てるぞ。伊勢の斎王と恋をしたんだからな」
桜真は無言で目を見張った。
「『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』。桜真の言ってる歌はこれだね」
ハルがフンと鼻を鳴らす。
「俺にはその雅びがさっぱりわかんねぇ。理解不能だ」
すねたような彼を見て、紅音は思わず苦笑いを浮かべる。
「まぁ、都人の考えなんて、あたしらにはわかんなくたっていいのさ。『いつか消えるものなら最初から無い方が良い』なんて、寂しいこと言うよねぇ」
「ね、ねえ。その人は斎王とどうなったの」
「さぁな」
真剣な表情で尋ねる桜真に、ハルはそれしか答えなかった。
「でも同じ都人でも、菅原道真は全く逆の歌を詠んだね。あたしはそっちの方が好きだよ」
「え、どんなの?」
「春を忘れるなって歌さ」