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斎宮と花の君  作者: 紺野
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1 萌芽の鼓動④

「ねぇ、あんたたち知ってるかい?」

 大沢池おおさわのいけの森に降る朝陽を浴びながら、緑たちは目覚める。特に早起きな紅音べにねは、皆の目覚めを待ちわびた様子で話しかけた。といっても、今この森に人影など無いのだけれど。

「なんでもね。桜真おうまとハルが、一人の女のコを取り合ってるみたいなんだよ。今日も朝早くから、楽しそうに出掛けていったし。どっちが勝つんだろうねぇ」

「早咲きなら桜真だけどねぇ」と笑う紅音の周りで、既に花は落ちきってしまっているが椿たちがにわかにざわめく。しかし、しばしの間を置いて、稲妻のような怒号が響いた。

「何ですってえぇッ」

 突如として人型で姿を現したのは朱香しゅかである。鬼よりも般若よりも恐ろしい形相で、紅音の椿に迫った。あまりの迫力に、周りの椿たちから悲鳴があがる。

 人型になれるほどの妖力を持った紅音と朱香は、椿たちの頭格と言える。その一方が大噴火した今、宥められるのは紅音だけだった。

「あらまぁ、恐い顔。みんなが怯えちまってるじゃないか」

「紅姉っ、それ、ホントなのっ」

 怒りで顔を真っ赤にする朱香だが、一人で椿に向かって怒鳴りちらしているさまはどこか滑稽である。

「二人がどこに行ったか教えてよっ」

「なんだい。桜真に好きな人ができたのが、そんなに悔しいのかい?」

 あくまでも平静に紅音が言うと、朱香も少しばかり落ち着いて、声は荒げなくなった。

「……違うもん。あたしは、桜真様のことが大好きなの。だから、桜真様の恋路を邪魔する奴は許さないの。……どうせハルは、本気じゃないんだよ」

 先番が口をへの字に曲げて言うと、紅音は「はぁ?」と驚きと呆れの入り交じった声をあげた。

「普通、自分の恋路を邪魔されたら怒るもんじゃないのかい?」

 朱香の顔から怒りが消え、釣り上がっていた眉がだんだん下がってくる。

「だって、桜真様にとって、あたしは妹でしかないの。……ハルだって、きっとそう思ってるに決まってるし……」

「本当に素直じゃないねぇ。いつか損をするのは、あんただよ」

「…………ハルは、どこに行ったの」


 

「……そろそろ、か?」

 ハルは思い切り空を仰ぎ見た。群青色の見事な五月晴れ。真夏の眩しさを思わせる太陽は、わずかに西に傾いていた。

「まだみたいだ」

 カエデ紅葉の木に登っている桜真は、都の方へ目を凝らして言った。

 ここは、都から嵯峨へと向かう大通り。だが、大沢池には通じていない。もう少し南の、奥嵯峨や嵐山の方面に行く時に利用される大道だ。

 そして今日、ここを通る目玉は、野宮ののみやに向かう斎王一行。沿道には見物にやってきた貴族たちの牛車が連なって、にわかに賑わいを見せていた。

 桜真とハルはいつもの狩衣と直衣を着て、それこそ貴族の麗しき子息といった風体でその中に紛れ込んでいた。カエデ紅葉の木に登っている桜真は、どうしたって人々の注目を集めてしまっていたが。

『なんじゃあ、お若いの。これは一体、何の騒ぎじゃね?』

 かすれた老人の声で話しかけてきたのは、桜真が腰かけている紅葉である。周りの人間には聞こえていない。

「こんにちは、お爺さん。もうすぐここを、新しい斎王が通るんだよ」

 ――もう一月ほど前になる。都に百子はくしを探しに行った桜真とハルは、彼女の実家を守る芳輝ほうきという梅に出会った。そして彼女に、今日この日に百子が野宮に向かうと教えてもらったのだ。

『大通りで待っていれば良い。きっと、顔ぐらいは見ることができるはずだ』

 そう言って笑んだ芳輝は、去りぎわに真面目な顔を見せた。

『桜真。あの子に惚れているのなら、どうか守ってやってほしい。わたしには、もうできないのだ。頼む』

 真剣な芳輝の瞳に、桜真も力強く頷いた。

(……もうすぐ、あの子に会える)

 百子の笑顔を思い出す。明るい表情が、自然体のままで生きているのだと直感させた。もしかしたら自分は、彼女のそんな、自分を飾らないところに惹かれたのかもしれない。

 などと。桜真が悦に入っているのを、しゃがれた声が一気に現実に引き戻した。

『おお、あれかのう? やあ、華やかなり、華やかなり』

「えっ」

 ハッとして道を見やると、確かに華々しい斎王の一行が見えた。間違いない。

「ハルっ、来た!」

 紅葉の根元に座り込んでいるハルに向かって、桜真は大声で叫ぶ。そして、一丈(約三メートル)はあろう高さから軽やかに飛び降りた。

「ああ、そうみたいだな。よし、じゃあそこらの木の影から、かぐや姫さんのお顔を拝見させていただこうぜ」

(……来るんだ。あの子が)

 だんだんと、近付いてくる。車を引く男たちの足が、一歩一歩確実に、こちらに進んでくる。それにともなって、桜真の心臓の音が大きくなっていく。

 脳裏にちらつくのは、やはりあの日の彼女の笑顔だ。今日も微笑んでくれるだろうか。

 全ての音が、鼓動にかき消された。そして、百子の興が目の前にやってくる。

 姫巫女の横顔が、見えた。真っ白におしろいが塗りたくられた肌。紅のはかれた唇。晴れの装いは重たげで、髪はいくつものきらびやかな装飾品で飾りたてられいる。澄ました顔は伏し目がちで、憂えているようにも見えた。

 あの日の明るい笑顔など微塵も見えない。

 そうして、通り過ぎていってしまった。沿道には目もくれずに。かすかな残り香に、あの梅の香が聞こえた。桜真は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

「…………なんか、ツンツンした感じの女だったな。本当にあれが、お前の惚れた女だったのか?」

 期待はずれだと言わんばかりに、ハルが腕を組む。

「そう……いや、違う」

「ああ? どっちだよ」

「あの子だ、間違いない。でも、全然、違う」

 今日も、笑ってくれると思ったのに。

 しゅんと落ち込んでしまった桜真に、ハルはやけに明るい口調で言った。

「まあ、女ってのは変わるもんだしなぁ。良かったじゃねぇか、口説いてから冷たくあしらわれるよりは。何も女は、あの子だけじゃないんだしよ。な?」

 沈黙。

 慰め、励ましたつもりが、余計に重苦しい空気にしてしまった。先にそれに耐えられなくなったのは、やはりハルである。

「……諦めなくたっていいと思うけど、な」

「え……?」

 桜真が、暗い表情のまま顔をあげた。

「まだ何もしてねぇだろ。彼女は、お前のことを知りもしないんだぜ。それなのに、このまま諦めちまっていいのか。このまま終わらせちまって、お前はいいのか?」

「嫌だ」

 考えるより先に、口が動いた。

「なら、やれるだけやってこい。後になって後悔しないくらいに、できるだけのことはやってみせろ」

 頼もしい瞳に、心強い声。ハルはいつだって、迷った自分の背中を押してくれる。本当の兄弟のようにどこまでも優しく、力強く。

「――うん!」

(諦めない。あの日の彼女を、見つけるんだ)

 

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