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斎宮と花の君  作者: 紺野
2/21

1 萌芽の鼓動②

 2

 桜真おうまの桜が一番乗りで咲くと、それが合図のように、嵯峨中の桜が一斉に花開く。そしてその香に誘われて、多くの人間が花見を堪能するために大沢地にやってくる。

 今は、桜がちょうど満開で、訪れる人々も最も多い時期だ。

「……来ない、なぁ?」

「……来ない、ねぇ……」

 ハルが飽きたように言うと、桜真も諦めの色が見える声で答えた。

 彼らは、大沢池への一本道を見渡せる山の斜面に潜んでいた。二人の視線の先では、花見に向かう、もしくは都へ帰る貴族たちの、きらびやかな牛車が行き交っている。

 いまだ彼女は姿を見せない。二人は日々、そこそこの中流貴族の麗しき子息、というような風体で桜見客の中に交じり、彼女を捜していた。しかし、それももう限界のように思われた。

 桜真はため息をつく。

「今年は来ないのかなぁ……」

「そうかもな。しようがねぇ、やっぱり都まで行って……」

 ハルが作戦を練り直し始める。すると、隣で暗い顔をしていた桜真が突然ハッとして、大沢池へ向かう牛車の一つを指差して叫んだ。

「あっ、あれ!」

「何だ、例の女の車か」

 ハルが思わず身を乗り出すと、桜真は興奮しつつも首を横に振った。

「違う、そうじゃなくて。あの車、彼女と一緒に来ていた、たぶん彼女が仕えてる人だと思うけど、その人と、同じ車だ」

「あれがか。…………おい、あれは王女おうにょの乗る牛車だぞ!」

「え? おうにょ?」

「内親王宣下のない皇族の女のことさ。……どうやらお前の想い人は、相当良い家の育ちらしい。皇のお姫様とお近付きになれるくらいだからな」

「……そういえばその人、確か『ハクシさま』って呼ばれていた」

 細くなってしまっている一年前の記憶の糸を辿り、桜真がつぶやく。

「なにぃ? そういうことはもっと早く言え! ――とにかく、これで活路は見いだせたぞ。まずは、都で『ハクシ』という名前の王女を捜そう。かぐや姫は、その周りにいるはずだ」

 先が明るくなってきた。つられて桜真の顔も明るくなる。

「うん! ……って、え? かぐや姫?」

 かぐやというのは、言わずと知れた有名な物語の姫である。その名を突然口にしたハルの意図がわからず、桜真は首を傾げた。

「かぐや姫は、熱心に求婚する貴公子たち、そして帝であっても、結婚を固く辞退した。――良家の娘さんが、お前みたいな、どこの馬の骨とも知れない男を相手にするわけないだろ。お前にとってはかぐや姫も彼女も似たようなもんだ。高嶺の華すぎるんだよ」

 ハルは人差し指を起てて左右に振り、やけに偉ぶった素振りで語った。あまりの言われように、桜真は頬を紅潮させる。

「そんなこと、わからないだろ」

「いーや、わかるね。そうだ、もしかすると、もう結婚しているかもしれないなぁ」

 確かにありえないことではない。彼女に夫や恋人がいる可能性は、充分にある。

 考え始めると、桜真は居ても立っても居られなくなって、やっとのことで次の言葉をつないだ。

「と、とにかく。早く都へ行って、ハクシ王女を探そう!」

「おう」

 ハルは頼れる兄貴の顔で応えた。

 その日の夕暮れ。彼らは近くの里から無断で拝借した馬に乗り、平安の都へと駈けた。




「なんだか……空気、悪いね」

「ああ、大気が淀んでる。いつも以上に居心地が悪いな」

 平安京の南端、羅城門らしょうもんをくぐると、朱雀大路に出る。この朱雀大路というのは、いわば都の本通りで、その東側が左京区、西側が右京区となっている。ここは、このもとの花の都だ。

 だが。そこに一歩足を踏み入れると、どうだろう、この息苦しさは。外から見た時には少しも気付かなかった。全てが人間の手で支配され、それに囲まれているこの都は、もとから桜真やハルにとって快適な居場所ではない。しかしそれにしても、この空気の重さは異常だ。さらに奇妙なことに、人間たちの様子はまったく普段どおりで、何の異変にも気づいていないようだった。とはいえ、最近の飢饉、疫病の流行りによる治安の悪化の為か、暗くなれば人影もまばらだ。

 ともかく二人は、馬を引いて朱雀大路を北上した。大抵の高級貴族の屋敷は大内裏のある北側に密集しているからだ。

 今夜の空には、どんよりと厚い雲がかかっていて、月も星も見えない。桜真は歩きながら、そんな暗い空を見上げていた。

「雨、降るかな。最近少ないよね」

「ついこの間淀川が氾濫したかと思えば、今度は水不足。気紛れなんだよなぁ、お天道さまってやつはよ」

「ちょっと待って、ハル」

 唐突に足を止め、桜真は何かに気付いたように左京側に顔を向けた。そしてクンクンと鼻を鳴らす。

「この匂い」 

「どうした、何か見つけたのか」   

「あの子のつけてた、お香の匂いがするんだ。えっと……あっちの方から!」

 言い終えるより早く、彼は馬の手綱を手放して、左京の方へ駆け出していった。そして角にあたると周りの空気を探るように嗅ぎ分け、さらに進んで行く。

「お、おい、待てよ!」

 暗闇の中で桜真を見失ってしまわぬように、ハルは慌てて後を追おうとする。だが、自分の馬と桜真に置いてけぼりを喰らった馬、二頭を連れて追いかけるのは、至難の業だった。

 桜真は微かな匂いを辿って、左京を北へ北へと進み、大きな屋敷の前で立ち止まった。

「……この家からだ」

「こ、の、バカ、一人で勝手に突っ走るな!」

 やっと追いついたハルが肩で息をしながら怒鳴った。無我夢中で微かな匂いを追いかけていた桜真は、彼の存在をすっかり忘れていたことに気付き、バツの悪そうな顔で謝る。

「ごめん。でも、この屋敷から、確かにあの子の香と同じ香りがするよ」

「ここからか?」

 二人の前に建つその邸宅は広く、内部の様子は高い檜の垣根によって隠されていた。だが、それでも中から人の気配が感じられる。もとより、こんな立派な屋敷が無人のはずがない。

「どうしようか。こんな夜中に突然押しかけたりしたら、きっと迷惑になるだろうし」

 しかしハルは全く聞いていなかったようで、さも当然のごとく言い放った。

「よし。裏の方へ回って、壁を越えて中に入ろう。馬はその辺に適当につなげておいて」

「えっ、それじゃ泥棒みたいじゃないか」

 桜真は顔をしかめたが、ハルには罪悪感など皆無らしく、飄々とした態度を改めない。……そういえば、馬を借りてきたときも、こんな会話があった気がする。

「女を盗もうって言うんだから、充分泥棒さ」

「――盗っ人か。ならば容赦はしないぞ」

 その凛とした声が響いたのと、ハルの首筋に氷のように冷たいものが触れたのは、同時だった。

「なにっ……」

 ハルは瞬時に振り返ろうとしたが、できなかった。

 彼の首筋にあてられているもの、それはぎらりと鋭く光る、長剣であったのだ。

「何するんだ、おまえ!」

 突然ハルの背後に現れた長身の人物に、桜真も身構える。

「この家に害を与えようというのなら、許さない。排除するまでだ」

 あくまでも淡々としたその声は、男にしては異様に高い。身にまとうは真白な直垂。暗がりでもすぐにわかった。立烏帽子は被っていないが、それは白拍子の衣裳だ。白拍子というのは、男装して舞う舞姫のこと。つまり、ハルに刃を向けているその人は、女性であった。涼やかな面立ちの彼女は、剣を握っていない左手で、ハルの馬の背を優しく撫でながら言った。

「さぁ、どうした? かかってこい」

 かかってこいと言われても、桜真は何の武器も持っていない。何より、桜真は気づいていた。――彼女は人間ではない。

「おまえは……なんだ?」

 桜真は半分惚けて、率直に疑問を言葉にしてみた。

「わたしはこの家を守護する。それだけだ」

「――おい。悪いが、泥棒なんてのは冗談だ」

 唐突に、今まで黙していたハルが口を開いた。

「なに?」

「俺たちはただ、人を捜していただけだ。それでその人がここに居るって聞いて、尋ねてきた。とりあえず本人かどうかを先に確認したいから、忍び込んで確かめようって相談していただけなんだよ。別に、この家に害を与える気なんざ全くない」

 肌も真白なその女性は、二、三度瞬いてから頷いた。

「なるほど。つまり客人だったのだな」

 ハルの嘘と真実がごちゃ混ぜの説明に、彼女は驚くほど素直に長剣をしまった。しかし「忍び込んで」を客人のする行動とするあたり、自称守護者としていかがなものか。

 晴れて自由の身となったハルは、やれやれと伸びをする。

「紛らわしいことを言って悪かったな」

「いや、こちらこそ。勝手に勘違いしたのだ。失礼した」

 彼女は苦笑して謝罪した。どうやら本当にハルの法螺ほらを信じてしまっているらしい。好戦的だった瞳からはぎらついた光が消え、凛々しく美しい女性のそれとなった。

 桜真は彼女の変貌ぶりに呆気にとられ、固まったままだ。

「刃を向けた償いに、わたしもその人探しを手伝おう」

 彼女は男のような言葉遣いであるが、決して偉ぶっているようには聞こえない。心地よい長高しぶり。男性的な、壮大で崇高な美しさ。しかし、彼女の笑顔は、それとは相対するように人懐こい。そこに内面の純粋さがうかがい知れた。この場合の純粋さは、悪く言えば能天気とも言う。先ほどは鋭い眼をしていたものだが。

「……あれ?」

 桜真は妙なことに気づいた。ここまで辿ってきたあの匂いは、目の前に立つ彼女から香ってきている。

「お姉さん、何の薫物を使ってる?」

「薫物? わたしはそんなもの使っていないぞ」

「どうしたんだ、桜真。突然」

 目を丸くしたハルに、桜真は眉を下げた。

「あの子の香り、この人からしてる」

「なんだと?」

 人違いだったのか。桜真とハルはがっくりとうなだれた。一方、男装の彼女は一人、手を顎へもってきて、ふむ、と考える仕草をとっていた。そして、顔を上げて言った。

「わたしと同じ香りのする人間を捜しているのか? それなら……それは、この世でたった一人だけだ」

「え?」

「何?」

 今度は桜真とハルが同時に顔を上げた。

行明ゆきあきら親王の一人娘、百子はくしだ。彼女に何か用か?」

「ハクシを知ってるのか」

「『百の子』で百子だ。本当の名は違うが、表向きはそうなっている」

「そんなことじゃなくて!」

 ハルが苛立つ。しかし彼女は、逆にきょとんとして言った。

「何を言っている。お前たちの尋ねて来たこの家が、彼女の父親、行明親王の邸宅である白華殿はっかでんだ。そんなことも知らずに来たのか」

「本当か」

 ハルが檜の垣根に囲まれた屋敷を振り返る。

 桜真は言いにくそうに、けれどもはっきりとした声音で言った。

「あの、僕が会ったその子は、百子王女じゃなくて、そのお付きの女房だったんだけど。お姉さんと同じ香りがしたんだ」

「そんなはずは……そういえば、まだ自己紹介もしていなかったな。わたしの名は芳輝ほうき。この家の梅の樹の化身だ。東庭にまだ咲いている。そちらは見たところ、……桜か」

「ご名答。嵯峨の大沢池の桜だ。俺は春夜しゅんや、こっちは桜真」

「梅……だから前に来た時には、わからなかったのか」

 去年、桜真が探しに都へ来たのは、遅咲きの桜も散ってしまった頃。梅は早春が盛りであるから、とうに散ってしまっていたのだ。

 桜真が一人納得していると、芳輝もまた、合点がいったように頷いた。

「そういえば昨春、百子は嵯峨へ花見に出かけた。もしや、お前たちがその娘に会ったのは、その時分だったのではないか?」

「そうそう」

 今思い返しても、胸が高鳴る。

「ならば。やはり、おまえたちの探し人というのは、百子のことだな」

「僕が会いたいのは、お付きの女房の方なんだってば」

「ああ。それは百子だ」

「だからっ……!」

 堂々巡りである。埒のあかない会話に、ハルが痺れを切らせた。

「芳輝、どういうことか最初から説明してくれ」

 こちらは百子の女房だと言っている。芳輝は、それが百子だと言う。さっぱり意味がわからない。

「百子の愛用している薫物は、わたしから作った梅花香だ。同じものは二つと無い。わたしと同じ香りがしたなら、それは百子本人に間違いない」

「その香りが女房に移ったっていうことは?」

 充分考えられることである。だが、芳輝は首を横に振った。

「百子の供に出掛けていった女房は、もう三十路を越えている。わたしのことは『お姉さん』と呼ぶのに、彼女を『あの子』と呼ぶのか?」

 桜真たちは見かけよりも遥かに年上なので、実年齢を考えれば別段不自然なことではない。だが、確かに、桜真の脳裏に焼き付いている少女は、到底三十路には思えない。

「一体どういうこと?」

 困惑しきりの桜真に、芳輝は鷹揚に頷いた。

「あの日。百子は、嵯峨の桜が見たい、けれども皇族という堅苦しい立場では嫌だと、わがままを言っていた。ふふ、いつものことだ」

 まるで自分の娘のことのように、語る彼女の顔が綻んでいる。優しげな瞳には愛情が溢れていた。再び傍らの馬を撫でながら、芳輝は続けた。

「一番親しい女房を拝み倒して、立場を入れ替えて花見に向かったんだ」

「立場を、入れ替えて?」

 桜真とハルが思わず目を丸くする。芳輝はやはり楽しげに笑った。

「着物を交換し、顔を扇で隠して、女房の方が皇族用の牛車に乗った。周りの従者どもは誰一人として気付かない。愉快だったな、あれは」

「あの子……あの子が、百子、王女?」

 桜真は呆然として呟く。

「こりゃあ、高嶺の華どころじゃねぇ。蓬莱の玉の枝を持ってくる方が、まだ可能性があるんじゃないか」

 蓬莱の玉の枝というのは、かぐや姫の話に出てくる、幻の宝物。求婚してくる車持皇子に、それを持って来てくれたらと、かぐや姫が出した条件だ。ちなみに、皇子は手に入れることを早々に諦め、偽造品を姫に差し出す。結局すぐに見破られてしまうのだが。

「納得してもらえたようで良かった」

 芳輝はまだ馬を撫でている。

「どうする、桜真。百子王女に会っていくか?」

 ハルの言葉に桜真はハッとして、訴えるように芳輝を見た。

「芳輝さん! 百子に、今、会わせてくれませんか。会って確かめたいんです」

「それはできないな」

 芳輝は馬を撫でる手を止めて、きっぱりと言った。

 再び、危険な侵入者と疑われているのだろうか。ハルが彼女を見やる。

「ちょっとの時間でいいんだ。顔だけ見られたら、それで済む。頼むから、桜真だけでも中に入れてやってくれないか」

 しかし彼女の言葉は、疑念からはかけ離れたものだった。

「百子は今、この屋敷にはいない。先日から大内裏だいだいり左兵衛府さひょうえふで、斎戒沐浴の生活を送っている。残念だが男には会えない」

「何だと?」

 その意味することを察したハルが、思わず顔をしかめた。

 桜真はただ首を傾げる。

「どういうこと?」

「百子は、伊勢の斎宮さいくう――斎王いつきのひめみこに選ばれたのだ」

 

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