団子殲滅陣
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、急激に寒くなったといっても、まだ虫たちは健在ってとこだね。
本当、彼らも寒さにだいぶ耐性がついてきたんじゃなかろうか? お互い、顔を合わせたくない相手だろうに、見つけてしまったら始末せざるを得ない奴らもいっぱいだ。クモとかゴキブリとかね……。
前者は後者を食べてくれる益虫だけど、そのフォルムを嫌う人は結構多い。僕だってアシダカグモの立体ボディを見たら、「おお」と身震いしちゃうよ。こーちゃんだって、きっといい気はしないだろう。
人にとってヒーローとも称される行いなのに、見た目だけで忌み嫌われ、その命を奪われかねない……まさに、「ただし、イケメンに限る」という奴だろうね。
彼らばかりをあてにはできないと思ったのか、人間も様々な殺虫方法を生み出してきた。けど、その途中でいくつか不思議な事件が起こることもあったらしくてね。
その事件のひとつ、聞いてみないかい?
ウチの父親の話になるんだけどね。
当時、父親たちが住んでいた家は、毎年、夏ごろを迎えると虫たちが姿を見せ始めたらしい。祖父母は土いじりに慣れているせいか、ゴキブリや多少大きめの虫を見かけたところで、びびることはなかった。
でも、ゴキブリは一匹見つけたら、その裏に数匹、数十匹、ことによれば100匹単位で裏にいると言われているのは知っているだろ?
どうやらゴキブリは、コミュニケーションにフェロモンを使うらしくてね。フンから発するそれらによって、他の個体にサインを送るんだ。
もし、一匹を取り逃して長く生き延びたりすると、その間にしたフンから「ここは安全だよ!」サインが発せられっぱなしになる。結果、外から仲間が集まり、大所帯への一途をたどる……こいつが、言い伝えの原因のひとつらしい。
だから、見つけたら始末する。見かけなくなっても撲滅する。そんな殺意が湧くのも、遺伝子に刻まれた記憶かもしれない。
父親の家で対策として使っていたのは、ホウ酸団子だったらしいよ。最近も、使っている家はあるかな?
ゴキブリの好きな小麦粉や玉ねぎを混ぜ込んだ、ホウ酸入りの団子。それを食することによって、およそ数日の時間をかけながらゴキブリは脱水症状を起こしてしまい、死に至るという。
そして時間がかかるというのは、すぐ殺すよりメリットがある。毒で苦しみ出したゴキブリは、件のフンから出すフェロモンを、「危険、警戒せよ」サインへ切り替えるんだ。
標的のみならず、後続を断つことで長く不潔の気配を追い払う。そんな知恵が、件の毒団子には込められていたんだろうね。
コスト削減のため、父親たちは自分たちでホウ酸団子を作っていたらしい。じゃがいもをベースに、ホウ酸、玉ねぎ、牛乳、砂糖を練り込んでいき柔らかくしていき、ゴキブリに対して手ごろな大きさへ。
乾燥させて表面につぶつぶのような粉が出てきたら準備完了。コンロや排水溝を中心にセットをしていく。平屋だったせいもあるんだろうけど、気づいたら姿を見せる奴らに対し、家族でひとり10個分は用意していたとか。
そして迎えたある年の7月。上旬から25度に迫る、当時としてはかなりの暑さだった。
家の中どころか、外でも茶色い姿のゴキブリを、しばしば目にしたとか。
ゴミ捨て場の袋の下からはもちろん、電柱や停まっている自動車の影から、にゅっと姿を現わしてくる。堂々と目の前を横切るその様子に、父親はどこかなめられているような気さえしたとか。
父の兄にあたるおじさんも、昼間に風呂へ入りながら網戸を半開きにしていたところ、そのすき間から不意に飛び込まれたと話している。例年以上の盛り具合だ。
父親たちもまた例年以上に、ホウ酸団子を用意する。他の家々も、考えることは同じようで、回覧板を届けに行ったら、玄関の上がり口にホウ酸団子、というケースもあったらしい。
――これだけの厳戒態勢なんだ。近くゴキブリたちの数も減っていくはずさ。
父親はそう独りごちながら、今日も団子を作っていく。
けれどもその思いとは裏腹に、一ヵ月が経ってもゴキブリたちは鎮静の気配を見せなかった。そのくせ、設置したホウ酸団子はしっかり平らげられている。
いよいよ、ゴキブリたちも耐性をつけてきたのか? そんなウワサもささやかれ始めた、8月夜中のこと。
父親はふと、のどの渇きを覚えて、目が覚めた。
暑いと、どうにも寝付けない。ちょっと首を動かしただけで、自分の額を汗が伝っていくのがわかった。ふすまを隔てた向こうに祖父母が眠り、ちょっと間を開けて兄が眠りこけている。
彼らを起こさないよう、そっと起き上がった父親は、部屋を出るとすぐ、廊下の明かりをつけた。
以前、暗いまま歩いていて、スリッパでゴキブリを踏んづけたことがあるからだ。こうこうと照らしていないと、手元足元が怖くて仕方ない。
すっ、すっと明かりはつけながらも音は立てず、台所まで来て再びパチンと明かりをつけかけて、「ん?」と指を止めた。
廊下からこぼれる明かりの中、台所の入り口にたたずみ、横顔を見せる白い冷蔵庫。その足元に置かれるは、ティッシュにホウ酸団子。自分が一週間前に作成して、入念に乾かした一品だ。
そのティッシュの近くに、這っているゴキブリの姿が。それも二匹だ。
「ハ」の字を描く角度で、それぞれ頭を団子に近寄せている彼らは、互いの触角を前方へ何度も漂わせながら、様子を探っているらしい。
すっと、父親は一歩下がった。万が一にも、彼らを刺激して逃がすのは避けたかった。このままあと数ミリも前へ出て、ホウ酸団子を食らったならば、それは死の片道切符。遅かれ早かれ、命が終わる。
――食え……食え……。
その場を動かず念じながら、父親の目は釘付けになる。どうしてこうも、気にする相手の食事っぷりは、見届けたくて仕方なくなるのだろうか。
そして二匹がいよいよ、ずずいと前へ出てきて、その頭をホウ酸団子にくっつけたか否か、というところで。
どずん、と背中を押された。支えきれず、仰向けに潰れたところを、更に上から押さえつけられる。
二つの肩甲骨の間に痛み。ただ重いというだけじゃなく、いくつもくっつき虫を背中へつけた上で、もろともに圧迫されたかのように、チクチクとしたかゆみが広がっていく。
確かにかなりの音が立ったはずだ。でも、背後の廊下の向こうにあるふすまが、開く気配はない。更には、倒れ込んだことで目と鼻の先に這う姿を見るゴキブリたちも、いささかも逃げ出さず団子へ頭を突っ込んでいる。
そいつらが、いっぺんに視界から消えた。父親の頭上から伸びた、ぶっといホースを思わせる管が、ゴキブリもろとものホウ酸団子をくわえこんだんだ。いま、父親の頭上に見えるのは、薄だいだい色に染まった、蛇腹を思わせる管の表面のみ。
ごちゅり…ごちゅり……。
管がかすかにうごめきながら、身とも液体ともつかない咀嚼音を頭上で響かせてくる。すっかり縮こまって動けない父親の前に、やがて管がその身をおもむろに下ろしてきた。
その先端から、ぽとぽととこぼれ落ちてきたのは、先ほどまで地面に這っていた奴らと、ほぼ同じ大きさのゴキブリ。それが袋から計量カップへ注ぐ米のように、後から後から管より降り立っていく。
数匹はそのまま明かりの届ききらない台所の奥へ。残りは父親のすぐ脇を通り、玄関側と廊下の奥側へ分かれて、カサカサと動いていく。
数十匹に及ぶゴキブリたちの行進を間近で見て、父親はますます固まるよりなかった。ひたすら「自分の体にひっついてきたらどうしよう」とばかり考え、ついにそれは果たされずに済んで、小さくため息を漏らす。
家のあちらこちらで、がさがさとゴキブリの羽音がする。それを聞いてもなお背中を押さえつけられている父親は、何もできない。電球の明かりを遮り、わずかな明かりしか届かせない極太の管の下、じっとしているより他に。
やがてゴキブリたちがまた、父親の目の前。厳密にはその上にある、管の前へ集まってくる。管はちりとりのように身体を下げては、寄ってくるゴキブリたちを救い上げ、また「ごちゅり、ごちゅり」と大きな咀嚼をする。
二度、三度と同じことを繰り返して、とうとうゴキブリたちはいなくなる。ほどなく、父親の背中に感じる圧もなくなった。
叫ぶ、逃げる。そんなもろもろの行為は、ずっとかけられていた重圧の前には、どだい無理な話。身体の求めるまませき込んで、それから必死に息を吸う。
這いつくばった父親の前に、先ほどまで自分を押さえつけていただろうものが降り立つ。それはバールを思わせる太さかつ、無数のトゲを生やした茶色の足だったんだ。
かろうじて顔を上げた父親が見たのは、廊下の幅、高さ、ともに半分近くを埋め尽くすほどの、大きなゴキブリの姿だったとか。ぶるりと震えた巨体が、壁際のスイッチをかすめ、家中に闇のとばりが戻ってくる。
そこからはもう、父親がどんなに目をやり、腕を伸ばしても、あのゴキブリの姿や感触を捉えることはできなかったんだ。
そして翌日には、家中に仕掛けたホウ酸団子は、すっかり姿を消していたとの話だよ。




