第九十六話
教皇様の葬儀の翌日。私とオスヴァルト殿下はダルバート王立図書館にやって来ました。
エルザさんに許可を取ってもらって、私は魔法学に関する書物を古代の文献から現代に至るまで読み漁っています。
さすがは大陸で二番目に大きな図書館。魔法学に関する書物の数もパルナコルタやジルトニアの図書館よりも断然多いです。
「ふぅ、俺は古代語が読めないから現代語の本からそれっぽい記述がないか探ってみよう」
「すみません。オスヴァルト殿下にも手伝ってもらって」
「いや、良いさ。何もせずして座して待つのも性に合わん。それにレオナルドたちは入館してはならんと言われれば俺が手伝うのは当然のことだ」
貴重な文献が多い特別な書物を取り扱う場所にパルナコルタの人間を無制限に入れるのにはダルバート王室も難色を示したらしく、私とオスヴァルト殿下のみが入ることが許されました。
ですから、時間短縮のためにオスヴァルト殿下にも調べものを手伝ってもらっているという状況になっています。
「フィリアさん、そ、それにオスヴァルト殿下。ご無沙汰しております……」
「アリスさん!」
「おお、アリス殿か!」
書物の山と二人で格闘をしていましたら、優しそうな声が聞こえました。
声の主はこのダルバート王国の聖女にして、退魔師も兼任しているアリス・イースフィルさんです。
「フィリアさんが、こ、ここにいるとエルザから聞いて来ました。ご、ごめんなさい。クラウスくんじゃなくて、ボクが王都を案内出来たら良かったのですが。ちょっと忙しくて」
「いえいえ、良いんですよ。教皇様の葬儀の関係で聖女として聖地の結界を強化されていたのは聞いていましたから」
アリスさんは聖地全体に八十八ヶ所、最も強固な結界を張っていました。
大破邪魔法陣の影響下とはいえ、弱体化した魔物が会場に入ってくる可能性がゼロではありません。
通例として聖地で何か催しがある際は一切の邪気を入り込ませないために過剰に結界を張っておくことになっているらしく、アリスさんはその作業でここ数日間大変だったみたいです。
「大破邪魔法陣があるので、大丈夫だという意見もあったのですが、ルールは曲げてはならないという意見の方が強くて。ボクもやるからには半端な結界を張りたくなかったですから。なんせフィリアさんが参加しますし」
「そんな! 私のことなど気にしなくても……」
「い、いえ、フィリアさんはボクが一番尊敬している人なので気にしないのは無理なんです。えへへ」
はにかみながら私のために頑張ってくれたと口にするアリスさん。どうやら、お気を遣わせてしまったみたいです。
昨日、聖地で感じられたマナの濃度の高さはアリスさんの結界によって閉じられた空間だったからこそかもしれませんね。聖地ということで、普通の場所よりも濃いのは間違いないのですが、オスヴァルト殿下が気付くほどでしたから。
「ありがとうございます。私もアリスさんのことを尊敬しておりますよ。いつも勉強させていただいております」
「そ、そんな。ボクの方こそフィリアさんには――」
しばらく、このような感じで私たちは聖女国際会議以来の再会を喜びました。
あの集会は悪魔を呼び寄せる結果にはなりましたが、私たち聖女にとって、いえ大陸全土の安寧にとって非常に有意義な交流だったと思います。
「アリス殿、あの日に俺がクラウス殿と揉めていたとき。彼を説得してくれてありがとうな。改めて礼を言わせてくれ」
私がアスモデウスの魔力によって狭間の世界に閉じ込められた際、オスヴァルト殿下がこちらに向かうのをクラウスさんは最後まで止めていたらしいです。
そんな彼にオスヴァルト殿下を行かせた責任は自分が取るとまで言って説得してくれたのがアリスさんだという話は殿下やミアから聞いていました。
「い、いえ。ぼ、ボクはそのう。オスヴァルト殿下の想いの強さに胸を打たれただけです。……なので、お二人が結ばれたと聞いて嬉しかったです。た、多分、あの場にいた全員が殿下のその言葉をボクたちじゃなくてフィリアさんに伝えられれば、と思っていたはずですよ」
「そ、そうか。俺ってあのとき何言ったのかあまり覚えていないんだ。もしかして、恥ずかしいセリフとか言っていたのか?」
「そ、そんな。滅相もありません。ボクは素敵だと思いましたよ」
ミアがほとんどプロポーズだったと言っていましたが、一体どんなことを仰ったのでしょう。
殿下は本当に忘れられているみたいですから、残念ながら分からず終いです。
アリスさんがそんな反応をするとまた気になってしまいました。
「と、とにかくですね。フィリアさん、オスヴァルト殿下、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「うむ。こうして、二人でいられるのはアリス殿のおかげだ」
こうして、婚約について祝福してくれる方々が多くいることは何よりもの幸せだと思っています。
「だが、アリス殿はフィリア殿の代わりにパルナコルタに行けと言われていると聞いた。こうして顔を合わせるのは嫌というか、気まずくはないのか?」
そうです。私がダルバート王国に行く代わりにクラムー教本部はアリスさんに聖女としてパルナコルタに赴くように命じられています。
彼女が私に対して複雑な感情を抱いているのかもしれないと、私も気になっていました。
「そ、そうですね。確かにイースフィル家はフィアナ様の代からダルバート王国を守ってきました。ボクもこの国のことは誰よりも愛しています……!」
アリスさんの目には強い意志が込められており、彼女にとってこの国がかけがえのないものだということが伝わりました。
聖女にとって守ってきた国というものは何よりも価値があるものですし、私もジルトニアからパルナコルタに向かった際は胸が張り裂けるくらい辛かったですから。
あのときの私は売られたときの悲しみもありましたが、繁栄の為に尽くしていたジルトニア王国の聖女でいられなくなるという事実が受け入れられないという感情もかなり強かったのです。
アリスさんの心中が穏やかではないのは当たり前のことなのです。
「でしたら、アリスさんは――」
「ですが、せ、先祖であるフィアナ様を救ってくれたのはクラムー教ですからね。ぼ、ボクは本部の意志に従います。フィリアさんは気にしないでください。えへへ」
きれいな笑顔を見せるアリスさんを見て、私は彼女の心の強さを知りました。
それは彼女の笑顔が偽りではなく本心からだと感じられたからです。
「で、でも、エルザから聞いたのですがフィリアさんは教皇のゆ、遺言が偽物だと疑っているんですよね? あ、あの、ヘンリー大司教が」
「はい。疑いというよりも確信しています」
「か、確信ですか? もしそれが本当なら許されることではありませんよ。証拠はあるんですか?」
アリスさんは驚くのと同時に証拠を気にされています。
まず気になりますよね。私が強い言葉を使ったせいでもあると思いますが。
「証拠は何とかなりそうです。確たる証拠を突きつけるつもりですから」
「――っ!? フィリアさんがそんなにはっきりと仰るということは……。ほ、本当に証拠があるのですね」
「はい。こちらの文献をご覧になってくださいますか?」
私はオスヴァルト殿下と共に集めていた文献のうちの一つをアリスさんに見せました。
この文献に私の作戦のすべてが載っていると言っても過言ではありません。
この方法ならば確実にヘンリー大司教が遺言を書き換えたと証明することが出来ます。
「こ、これは、め、冥府の神ハーデスについての記述じゃないですか。どうしてこんなものを?」
そう、私たちは冥府の神ハーデスについて調べていました。
ハーデスとは生と死を司る神にして、その理を超越した存在。ハーデスの使ったとされる“神の術式”は生死に関わる魔法ばかりでした。
遺言状とは死者が遺した手紙のことです。ならば、それが真実なのか虚実なのかは一番確かな情報を持っているのは死者です。
「私は遺言を書いた本人、つまり亡くなられた教皇様に尋ねてみることにします」
「そ、それって、まさか。フィリアさん、ほ、本気でそんなことを言っているのですか?」
アリスさんは私が何をしようとしているのか察したみたいです。
我ながら無謀な考えだとは思いますが、教皇様ならば絶対に真実を知っております。
「ハーデスの使っていたという魔法の中には死者の魂と会話する魔法があります。それを用いて教皇様の魂と会話するつもりです」
「ハーデスの魔法は“神の術式”です! 死の危険が伴うんですよ!」
アリスさんも“神の術式”の危険性を知っていましたか。彼女もまた聖女ですから、知識があっても何の不思議もありませんが。
「オスヴァルト殿下とパルナコルタに帰ることが出来るならば、多少のリスクは承知の上です」
「お、オスヴァルト殿下。フィリアさんが無茶しようとしていますよ! と、止めなくて良いんですか!? ご、ご存じないかもしれないですが、か、“神の術式”はその危険性が故に歴代の教皇ですらほとんど使用された例がない魔法なんです!」
オスヴァルト殿下に私を止めるように声をかけるアリスさん。
彼女に心配をかけてしまったことは非常に申し訳ありませんが、もう決めたことなのです。
そして、リスクについても私は既に殿下に話していました。
「フィリア殿のことを止められなかったんだ。俺は死ぬリスクを負うくらいならダルバート王国で暮らしたほうが良いと提案したんだけどな。駄目だったんだ。絶対に譲らないとまで言われたよ」
「で、ですが――!」
「アリスさん、私はオスヴァルト殿下が愛した国の未来を共に見られなくなるのは死ぬよりも辛いんです」
パルナコルタ王国のことを私は愛しています。
もちろん、個人的に愛着が出来たという部分もありますが、何よりもオスヴァルト殿下が愛した国だからという理由の方が適切かもしれません。
オスヴァルト殿下が国の未来について、どうしたらもっと民が暮らしやすくなるのか話しているときの顔を見るのが好きです。
殿下と大地を耕して新たな命が芽吹く瞬間を見るのが好きです。
パルナコルタ王国じゃないと駄目なのです。私はどうしてもオスヴァルト殿下と共にあの国で生きていくと決めたのですから。
「ですが私もあまり無茶はしたくありません。神の魔力について調べて、出来るだけ練習方法のリスクを減らそうと思っています」
「フィリア殿がここまで言うのだ、俺はそれを信じるしかあるまい。こうして共に調べものをして、彼女をサポートすることにしたんだ」
オスヴァルト殿下の説得には時間がかかりました。なんせ、殿下も私と負けず劣らず頑固です。
こうと決めたら譲らない、殿下との話し合いは深夜にまで及びました。
「それにアリスさんの言葉を聞いたら、さらにやる気になりました」
「えっ?」
「アリスさんがこの国をとても愛していることが分かりましたので。お互いに愛する国で生きていけるように頑張りたいって思えたんです」
アリスさんは私の騒動に巻き込まれて、故郷から離されようとしています。
それだけは絶対に阻止しませんと、彼女に合わせる顔がありません。
「お二人共、む、無謀すぎますよ。で、ですが、フィリアさんとオスヴァルト殿下の想いの強さはわかりました。ぼ、ボクでよろしければ、調べものを手伝わせてもらえませんか?」
「「是非とも喜んで」」
こうして、私たちは夜まで三人で王立図書館中の書物を調べて、必要な情報をノートにまとめました。
退魔術の知識など私にはない知識が豊富なアリスさんのおかげで大変作業の効率が上がり、私はリスクの少ない神の魔力修得のための練習方法を確立することが出来ました。