第八十九話
ダルバート王国はこの広大なセデルガルド大陸の西端に位置する大陸で最も領土の広い王国であり、人口もパルナコルタ王国の二倍以上と大陸の中で一番多い国です。
大聖女フィアナ様の出身地であるこの国には様々な伝説も残されていました。
クラムー教ではかつて魔界、天界、地上は繋がっていたと信じられており、地上は魔界と天界の代理戦争の場として利用されていたという神話が残っています。
その途方もない戦いは三つの世界を全て滅ぼすと危惧した神々の一人は三つの世界を分断することに成功。しかし、生と死を司る神ハーデスのみ、地上に取り残されてしまい、ここダルバート王国にある聖地にて長い眠りについたのでした。
結果として魔周期以外には地上は大きく魔界の影響を受けなくなりましたが、神の助けを得ることも出来なくなります。
そこで祈りを捧げて、その加護を得ることで神の力を借り受けるというクラムー教が生まれたのです。
さらにフィアナ様という、より純度の高い神の力を得ることが出来る人材が現れたことで、聖女という新たな役職がクラムー教の中に出来ました。
つまり我々クラムー教の信徒にとって、このダルバート王国は全ての始まりの国だと言っても過言ではありません。
「久しぶりに見たが、ダルバートの王都はやはり栄えているな」
式典などでこの国に来たことがあるというオスヴァルト殿下は王都の賑わいに言及しました。
確かにパルナコルタや私の故郷のジルトニアを遥かに凌ぐほどの賑わいを見せています。
「ちょうどお昼時ですから、飲食店が特に混み合っていますね」
「このあたりは観光客相手にダルバート料理を出す店が多いのよ。ほらご覧なさい。ドラゴンの解体ショーやっているでしょ。竜の肉はダルバート料理でよく用いられるのはご存じ?」
エルザさんの指差す方向を見ますと、大柄な男性が牛刀を持って台の上で見事にドラゴンを捌いているパフォーマンスをしている姿を確認出来ました。
確かにあのようなパフォーマンスは観光客は喜んで見ますよね。私も殿下も、思わず見入ってしまいました。
「竜の肉を使うというのは知っているぞ。ダルバート料理はパルナコルタでも何店舗か食べられる店があるが、それゆえに材料を用意するのが大変みたいだな。その上、ドラゴンの肉のにおいは癖が凄いから、数十種類のスパイスを使って臭み抜きをするんだって聞いたぞ」
「私もレオナルドさんから聞きました。今度、挑戦してみるとも言っていましたよ」
ドラゴンの肉は野生の熊や猪などよりも更ににおいが強くて、普通に調理しては血なまぐさい独特の香りが邪魔をして食べられるものではないとのことです。
私の読んだ書物には何日も洗っていない革靴を口に突っ込んだような感覚だと書かれていました。
それを美味しく食べられるまで調理するというのは相当な技術と経験が必要とされます。さらにスパイスを幾十と取り扱うので鋭敏な嗅覚も必須です。
「あいつ、本当にいつか自分の店を持ちたいとか言うんじゃないか」
「レオナルドさんのお店でしたら繁盛間違いないですね」
「はは、それは間違いないな。毎日通ってしまいそうだ」
レオナルドさんは飽くまでも執事で料理人になるつもりはないと言っていましたが、もしも彼がお店を持ちたいと言われたら全力で応援したいです。
ドラゴンの解体ショーを見ながらしばらく雑談をする私たち。
しかしながら、ずっとここでそれを見ているわけにはいきません。
「そろそろ良いかしら? クラムー教の本部に案内したいんだけど」
エルザさんは、さっそくクラムー教の本部に私たちを案内すると口にしました。
クラムー教の総本山である教会本部にいよいよ行くのですね。緊張します。
「クラムー教の本部はこっちよ。付いてきなさい」
「ダルバート大聖堂は大陸最大の芸術作品だとは聞いているが、まだ見たことないんだよな」
「私もその噂は聞いています。拝見するのが楽しみです」
エルザさんの声に従って、私たちは移動を開始しました。
そして解体ショーをしていた場所から歩くこと数分で、私たちはダルバート大聖堂が世界最大の芸術作品と言われる所以を知ります。
「こ、これは何とも……」
「す、凄いな! 大きいとは聞いていたが、実物を見るとこうも圧倒されるとは!」
荘厳にして優美なダルバート大聖堂を目の前にして私とオスヴァルト殿下は感嘆の声を上げました。
大昔の建築様式にも関わらず綿密に計算され尽くしたその外観は究極の美だと言っても過言ではありません。
そして、その大きさ。ジルトニアやパルナコルタの王宮よりもさらに大きいにも関わらず、妥協なくどこまでも続くと思わせられるほどのあらゆる装飾の数々。
ひと目ではとても収まりきらないダイナミックさには、ただ見惚れて立ちすくむことしか出来ませんでした。
「外観だけじゃなくて、内観もかなりイケてるぜ。こいつのおかげで、僕ァデートスポットにこの数百年困ったことがないんだなぁ」
「そうでしょうね。ここまでロマンチックでそれでいて飽きない場所など他にはありませんでしょうし」
「フィリアちゃんは冗談にも本気で答えてくれるところが素敵だねぇ。オスヴァルトの旦那は幸せ者だ。じゃ、僕ァこれからデートに行く予定があるから」
外観だけでなく内観もオススメだと伝えてくれたマモンさんは、手を振ってこの場から去りました。
エルザさんが何も言われないところを見ると、何か仕事関連なのかそれとも本当にプライベートなことなのか。
とにかく、ここからは私たち三人で進むことになりました。
「今からオルストラ大司教の所にあなたたちを連れて行くわ。あたしに大聖女さんをここに連れてくるように命じた人物よ」
「オルストラ大司教の命令だったのか。俺はてっきりヘンリー大司教が命じたのかと思っていたぞ」
三人いる大司教の内の一人、オルストラ大司教。
確か大司教の中では一番の年配者だったはずです。
私もオスヴァルト殿下と同様にヘンリー大司教の命令で動いていると思っていましたので、意外でした。
「もちろん、ヘンリー大司教もあなたが来ることは望んでいるけれど、彼はあたしの直属の上司じゃないのよ」
「直属の上司、ですか?」
「なるほど、そういうことか。つまりエルザ殿たち退魔師をまとめているのがオルストラ大司教ってことか」
ヘンリー大司教は直属の上司ではないとしたエルザさんの言葉によって、明らかになったのは退魔師たちをまとめている人物が誰なのかということでした。
オスヴァルト殿下の言葉を聞いてエルザさんはゆっくりと頷きます。
「そのとおりよ。表向きは大司教として信徒たちの前に立っているけど、あの人にはもう一つの顔がある。あたしやクラウス、そしてアリスなど退魔師を取り仕切っている司令官という裏の顔がね」
まさか大司教クラスの人間が退魔師たちのリーダーだったとは思いもよりませんでした。
聖女と退魔師の二足のわらじを履いているアリスさんもそうですが、二つの顔を持つ者がここ本部には多そうです。
「オルストラ大司教とはどのような方なのですか? 何十年も厳しい修行を積んで大司教となったと聞いていますが、司祭や司教などの経歴は不明とされていまして、謎の多い人物です」
ヘンリー大司教とも別でオルストラ大司教もまた謎の多い人物でした。
大司教になるまでの経歴がまったくの謎でして、何十年にも渡る厳しい修行が教皇様に認められたとしか記録がないのです。
「ああ、オルストラ大司教は退魔師として現役でずっと活動していたのよ。その実績が認められて大司教になったんだけど、それは秘密事項だから。腕は六十歳超えた今でも確かよ」
「なるほど、元退魔師として地位を与えられてエルザさんたちをまとめているのですね」
エルザさんの話に私は納得して頷きました。現場を知っている人が上に立っているのなら彼女たちにとってはこれ以上のリーダーはいないでしょう。
「エルザ殿、そのオルストラ大司教はフィリア殿が次期教皇になるということに反対はしなかったのか?」
オルストラ大司教についての人となりを聞いて、オスヴァルト殿下は彼は私が教皇になることに嫌な顔はしなかったのかと問いかけました。
これは共通認識としてどうなのでしょうか。ヘンリー大司教はともかくとして、教会関係者は私が教皇になることについて、声に出せないだけで反対されている方はかなり多いのではと懸念しているのですが。
「彼は教皇になりたいとかそういうのとは無縁なのよね。意外には思ったでしょうけど」
殿下の問いかけにそう答えるエルザさん。どうやらオルストラ大司教は教皇という地位に興味がないみたいです。
「さぁ、着いたわ。ここで待っていて、オルストラ大司教が来るから」
神秘的で豪華な装飾を見ながら歩いていると一瞬で大聖堂の客室に付きました。
出来れば、オルストラ大司教には味方になってほしいところだと思っています。
エルザさんに続いて私たちも室内へと入り込みました。




