第八十七話
「別にちょっとぐらい良かっただろぉ? もう少しで今夜の予定が決まりそうだったのに」
「あんたがここに泊まりたいって駄々こねたんでしょ? 何、勝手に他所の女の所に転がり込もうとしてるのよ」
「なんだ、姐さん。寂しかったのか。僕ァいつでも添い寝くらい――。うぎゃあっ!」
家に戻るとマモンさんの首が目の前に転がって来ました。
この風景を懐かしいと思ってしまうのはあまり良くない傾向かもしれません。
「やぁ、フィリアちゃん。おかえり。相変わらず、その動じないクールなところが素敵だねぇ」
マモンさんは私に視線を向けるとニコリと笑みを浮かべて胴体に自らの頭を拾いに来させています。
エルザさんはそんな彼を冷ややかな目で見ていました。
「おかえりなさい。大聖女さん。第二王子様とは有意義な話し合いは出来たかしら?」
そして彼女は私に視線を向けてオスヴァルト殿下と話し合ったことを確認します。
やはり先程は私たちに気を使って距離を取ったみたいですね。
「ええ、オスヴァルト殿下と話し合いある程度の方向性を示して、足並みを揃えることが出来ました」
「それは良かったわ。もちろん、教皇になるという結論になったんでしょうね?」
「いえ、残念ながら。ご期待に添えそうもありません」
私は素直に教皇になる意志はないと答えました。
オスヴァルト殿下と話し合い、二人の将来のために最後まで足掻くことを決めましたから。
「大聖女さん、アスモデウスの件に関してはあなたに本当に感謝しているわ。あなたが居なくてはあの化物を退けることは出来なかったと認めているの」
「ですが、あの事件は元々私の魂を狙ったものですし」
「関係ないわ。そもそもフィアナが居なきゃ、この世界はとっくに滅びていたんだから。とにかく退魔師として醜態は晒したし、恩人であるあなたにこんなことをいえる立場じゃないことは分かっている」
私の言葉を聞いたエルザさんは急にアスモデウスの一件について感謝の言葉を述べられました。
わざわざ、改まってそんなことを言われるなんて。一体、どうしたのでしょうか。
「人生は諦めも大事よ。あなたには教皇になるしか選択肢はないわ。本当は分かっているんでしょう!? 頭良いのに何でこんなに物分りが悪いの!?」
段々と声を荒げながら、エルザさんは教皇になるべきだと口にします。
ここまで彼女が大きな声を出すのは珍しいです。
エルザさんの声が大きなときはいつもその必要がある時でしたし……。
「エルザさん! フィリア様に対してそこまで言わないでください~! フィリア様がこの国を出たいなんて仰るはずがないじゃないですか~!」
「でも、故郷の国は出たじゃない! それと一緒でしょ!?」
「そんなことありませ~ん! 全然、事情が違います~!」
いつの間にかリーナさんがエルザさんに近付いてムッとした表情で反論しました。
それに対してエルザさんはさらに彼女に向かってヒートアップして言葉を返します。
「リーナさん、抑えてください。言い争ってはなりません。エルザさんも、まだ六日ありますから。六日後には私なりの結論を出すことをお約束しますので、どうかお待ちください」
リーナさんが私のために怒ってくれているのはよく分かりますし、嬉しいです。
ですが、エルザさんにも立場というものがあります。
ですから私はお二人の言い争いを止めました。ここでの言い合いは不毛です。
「大きな声を出して悪かったわね。先に休ませてもらうわ」
エルザさんはトーンを落として謝罪をし、階段を上って自らの寝室へと向かいます。
そんな彼女を見送ってリーナさんも興奮が収まったのか、申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ました。
「申し訳ありません~。私、どうしてもフィリア様が貶められるのが許せなくて~」
「リーナさんを咎めるつもりはありませんよ。ただ、エルザさんには、エルザさんの事情がありますから。あまり気を立てないであげてください」
「は~い。分かりました~。あとでエルザさんに謝ります~」
私の言葉を聞いてリーナさんは素直に頷きます。
彼女は頭が良くて心も優しい方なので私の言っている意味は伝わったはずです。
きっと仲直りしてくれることでしょう。
「フィリアちゃん、リーナちゃん、姐さんが済まないな。少し気が立ってしまっているだけなんだよ。誤解してくれないでくれ」
「マモンさん、私は特にエルザさんに対して嫌な感情は抱いてはいませんよ」
私たちの様子をだまって見守っていたマモンさんはエルザさんを庇われるようなセリフを言いました。
「実は今回の件で一番本部に反発したのはエルザ姐さんなんだよ。恩人の自由を奪うなんて恥知らずだってな」
なんと私を次期教皇にするという話を聞いたとき、エルザさんは怒ってくれたみたいです。
それは想像していませんでした。彼女はそんなことを言っていませんでしたし。
やはり彼女から感じている静かな優しさは確かなものだったのでしょう。
「だが、何を言っても覆されるものじゃねぇ。そこでエルザ姉さんはクラムー教の本部にかけあって、フィリアちゃんが出来る限りの自由を得られるように約束させたんだよ」
そしてエルザさんは私に対して出来うる限りの自由を保証出来るようにしてくれたみたいです。
本当に教皇の遺言が絶対ならば有無を言わせずに私を連れて行けば良いにも関わらずです。
かなり寛大な判断をされているな、とは思っていました。
「遺言どおりにフィリアちゃんがダルバートで教皇にさえなってくれればよぉ、何をしたって良い。それはエルザ姐さんが何としてでも保証してくれるはずだ。頼むぜ、フィリアちゃん。姐さんの気持ちを汲んでやってくれ」
マモンさんはエルザさんのことを想っているのでしょう。
だからこそ、彼女の優しさを知ってほしいと願っているのかもしれません。
「そうですね。エルザさんが気遣ってくれたことには感謝いたします」
「フィリアちゃんも頑固だねぇ。その気丈な感じは僕ァ大好きだが、実際打つ手なしじゃないのかい?」
「いえ、実は打つ手がないわけでもないんです。マモンさん、その教皇様の遺言なのですが、どなたが預かっていたのかご存じですか? 大司教の内のどなたかだとは思うのですが」
打つ手なしだと断じるマモンさんですが、私はそれを否定します。
そして、教皇様の遺言が誰に管理されていたのかを問いました。これはある仮説を想像している私にとって一番大事な質問です。
「遺言か? ああ、ヘンリー大司教だ。大々的に本部の連中を集めてあの男が公開したんだよ」
「ヘンリー大司教が預かっていたということですね」
なるほど。ヘンリー大司教が教皇様の遺言を所持していたと。
三人いる大司教の誰かが預かっていたのはほとんど確かなことだと思っていました。そしてある仮説が正しいならば私はその中でもヘンリー大司教が手紙を持っているのでは、と予想していたのです。
ここのマモンさんの返答を聞いて私は自分の想像が核心をついているのではないかと密かに期待していました。
「教皇がヘンリー大司教に遺言を預けたって聞いたとき、俺ァてっきり奴が次期教皇だと思ったんだ。今まで何百年も見てきて大体、遺言を預けるってことはそういうことだったしな」
さらにマモンさんは自分の見てきた歴史の中では遺言を預けられた人間が次期教皇に選ばれる傾向にあったと告げます。
そうですよね。自らの後継者を記した手紙ですから、そうするのが自然なのですよね。
「それにヘンリー大司教は二十代の若造だけどよぉ、その年齢で大司教になっただけあって能力が高い。教皇もヘンリー大司教のことを買っていたんだ。フィリアちゃんが選ばれたことがまず意外だったんだが、それ以上にあの若造が選ばれなかったことが僕ァ意外だったんだなぁ」
ヘンリー大司教の力は教皇になるにあたって申し分のない実力で、さらに教皇様からもその力を認められていたと話すマモンさん。
悪魔という種族で人間以上の力を持つ彼が能力の高さを認めるということは余程有能な方なのでしょう。
「…………」
「どうしたんだい? フィリアちゃん。随分と考え込んでいるが何か僕の話に違和感でもあるのかい?」
マモンさんの話を聞いて私は思考を展開させます。
つまり仮説が真実だとして、それを証明するには……。
どうやら調べて見る必要がありますね。まずはこの国であの時期に何が起きたのか、から調べてみますか。
「マモンさん、ありがとうございます。非常に参考になるお話でした」
「お、おう。僕ァ大した話はしてないと思うんだけどなぁ」
「ヒマリさん、お願いがあるのですが」
「お呼びになりましたか。フィリア様……!」
思考をまとめた私はマモンさんにお礼を述べて、ヒマリさんを呼びます。
この頼みごとはヒマリさんが適任でしょう。彼女ならば迅速に欲しい情報を集めてくれると思います。
私がヒマリさんの名前を呼ぶとほうきを持った彼女が一瞬で目の前に現れました。
「調べてほしい事があります。実は――」
私はヒマリさんに調べてほしいことの詳細を伝えます。
彼女は黙ってそれを聞き、時折頷いていました。
そして、全てを伝え終えるとヒマリさんはエプロンを取り去って、ほうきをリーナさんに渡して、即座に忍び装束と呼ばれる格好に着替えます。
「――フィリア様のご命令、しかと承知いたしました。しばし、お待ちください。必ずやご期待に添えられるよう、成果を残しますゆえ」
そう言い残したヒマリさんは音もなく消えるようにこの場から立ち去りました。
彼女の能力の高さは疑いようがありません。きっと欲しい情報を集めてくれるでしょう。
「早いねぇ、さすがは忍者。ナンパする暇もなかったなぁ」
その風のようなスピードに圧倒されつつも、彼らしい感想をマモンさん。
悪魔の彼からしても彼女の快刀乱麻ぶりは目を見張るものがあるみたいです。
「それでヒマリちゃんに何頼んだのかわからないが、あと六日後には結論を出さなきゃならない。本当に大丈夫なのかい? 僕ァ、エルザ姐さんが納得するような結論が出るとは思わないんだが」
「結論はもう出ていますよ。ある程度は纏まっています」
「マジかよ!?」
このとき、既に私の中ではオスヴァルト殿下に話したとおりクラムー教の本部に直談判する方針で固まっていました。
そして、何を根拠に抗議するのかもある程度は決まっていたのです。
「ですが、せっかくの猶予期間ですから。ギリギリまでは使わせてもらいます。確実に今回の命令を覆すために……!」
「やっぱり、その強い目の輝きが似てるんだよなぁ。僕ァ大昔に先代の大聖女フィアナを見てるが同じ輝きをしていた。かかか、さすがはアスモデウスの旦那をやっつけただけはある。悪魔の目から見ても恐ろしいぜ。フィリアちゃんは」
マモンさんは笑いながら、自分の部屋に戻っていきました。
これから六日間は無駄にはしない。そして、必ずやオスヴァルト殿下と二人で望んだ未来を掴み取って再びダルバート王国からパルナコルタ王国に戻ってきてみせる。
そんな決意を胸に、私も情報を集めていると、六日間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。