第八十三話
オスヴァルト殿下と薬草を採取するために登山をした翌日。
私はパルナコルタ教会を訪問しました。
「今日もご苦労さまです。最近、腰痛や肩こりに悩まされるお年寄りが減ったともっぱらの評判ですよ。私の治癒魔法ではとても追いつかないので助かります」
ヨルン司教はいつもと変わらない穏やかな笑顔で私に紅茶を差し入れてくださいました。
「昨日は美味しいケーキの差し入れをありがとうございます。丁度、オスヴァルト殿下も来られておりましたので、殿下も召し上がられたのですが、これが大好評でして」
「それは畏れ多いです。ですが、喜んでいただけて光栄です」
私は昨日のケーキのお礼を述べます。殿下も甘いものはお好きでしたので、大変喜ばれました。
そのことをヨルン司教にお伝えしますと彼は嬉しそうな顔をされます。
「そういえば、大聖堂の工事がついに始まったみたいですね」
「ええ、ようやく設計図が出来たみたいでして、やはりフィリア様とオスヴァルト殿下の結婚式を行う場所ですし、これからも沢山の方が祈りを捧げる神聖な所ですから慎重に建設しないとなりませんから。ですが、完成予想図は凄いですよ。ご覧になりますか?」
「はい。是非とも拝見させてください」
アスモデウスによって破壊された大聖堂は破損箇所を直すための工事が予定されていましたが、中々着手されませんでした。
ですが、最近になって設計図が完成して遂に工事が始まったのです。
「こちらが完成予想図です」
「増築も予定されているんですね。これなら以前よりも多くの方が参拝することが可能ということですか」
「はい。結婚式にも沢山の方を招待することが出来ますよ」
大聖堂の完成予想図を見て、半年後の結婚式に思いを馳せます。
ミアやグレイスさんたちは来てくれるということですが、エルザさんたちはどうでしょうか。
半年後に色んな方と再会出来ると考えるだけで楽しみだと感じられました。
「ところで、先日ダルバート王国のアリスさんからの手紙で知ったのですが。教皇様の容態があまり良くないみたいです」
設計図を見たあとに私はヨルン司教にも教皇様の容態について伝えます。もしかしたら、まだ聞いていないかもしれないと思ったからです。
「そうですか。ご病気なのは知っていましたが。そこまでとは」
私の言葉を聞いてヨルン司教は神妙な顔つきになり返事をされました。
教皇様はクラムー教の信徒全員から親しまれておりますから、教会の関係者なら当然の反応です。
「ヨルン司教は教皇様にお会いしたことはあるのですか?」
「若い頃、修行時代にダルバート王国の聖地を先輩と訪れたことがあります。そのとき、短い時間でしたが会話もしたことがありますよ」
懐かしそうに若い頃に教皇様と話されたときのことを回想するヨルン司教。
その先輩というのはもしや――。
「一緒にダルバートで修行された先輩という方は以前にお話されたヘンリー大司教のことですか?」
私はヨルン司教にヘンリー大司教の話題を出してみました。
昨日のオスヴァルト殿下の表情がやはり気になったので近しい存在だった彼にヘンリー大司教のことを聞いてみたくなったのです。
「ええ、そのとおりですよ。先輩、いえヘンリー大司教に本場で修行しないかと誘われて半年ほど私と彼はダルバート王国に留学したのです」
「留学、ですか」
「はい。私はこのとおり凡庸な感じで修行に打ち込めなかったのですが、ヘンリー大司教は違いました。パルナコルタに戻らずに本部に所属してもっと本格的な修行をしないかと誘われていましたから」
どうやらヘンリー大司教とは若い頃から優秀でクラムー教の本部から勧誘されるほどの方だったらしいです。
本部所属というだけで、教会関係者の中では所謂エリートという扱いですから勧誘されるというのは大変名誉なことだと認識されています。
ヨルン司教の口ぶりから彼がヘンリー大司教のことを尊敬されていることが伝わってきました。
「でも、その時はパルナコルタに帰って来られたのですよね。こちらで司教をなさっていたということは」
「仰るとおりです。ヘンリー大司教はこのパルナコルタから離れるつもりはありませんでした。この国の教会で悩める信徒たちの救済に尽力したいと仰って、それを目に見える形で実践もされたのです」
なるほど、自身のキャリアよりも故郷での活動を優先させたということですか。
ですが、私がこちらに来たときは既に彼はいなくてヨルンさんが司教になっていました。
ということはヘンリー大司教にはこの国で活動をする理由が無くなってしまった、と考えられるのですが。
「フィリア様、それでは何故ヘンリー大司教はこの国を出ていかれたのか疑問に思われていますね?」
「顔に出ていましたか?」
「いえ、聡明なフィリア様がそれを疑問に思わないはずがありません。ですが、軽々に聞いてはならないことだと質問されるのを堪えられたのかと」
「はい。その事情を聞くのは部外者の私が差し出がましいと思いましたので」
全てヨルン司教の仰るとおりです。
オスヴァルト殿下の件と繋がる話だと予想しつつも、私が立ち入った話を聞いて良いものなのか迷いました。
ヘンリー大司教とは面識のない私にその権利があるのか。それを考えると何も聞けなくなりました。
「フィリア様は部外者という訳ではありません」
「えっ?」
「ヘンリー大司教は先代聖女であるエリザベス様の兄ですから。フィリア様がこちらに来られるきっかけも、ヘンリー大司教がこちらを出られたきっかけも、エリザベス様の死が関連したお話ですから、決して無関係ではないのです」
何と、そういうことでしたか。
エリザベスさんは確か、マーティラス家の分家筋であるエルクランツ家のご令嬢でしたがヘンリー大司教のフルネームはヘンリー・オーレンハイム。
エリザベスさんのご家族ならヘンリー・エルクランツとなるはずです。
名前にも家名が入っていませんでしたので、まったく関連付けられませんでした。
「ヘンリー大司教はダルバート王国に行った際にあちらの有力貴族であるオーレンハイム伯爵家に婿養子に入りましたから。フィリア様が知らぬのも無理はありません」
「ええ、グレイスさんたちの従兄弟でもあるはずですが、一度も話題になりませんので存じませんでした」
エリザベスさんの兄ということはグレイスさんの従兄弟であるということです。
話題に出さなかったということは、あまり良い話ではないということだったのでしょうか。
「そうでしたか。先輩、いえヘンリー大司教は体の弱いエリザベスさんのことを常に気遣って、溺愛されていました」
「エリザベスさんが病気がちだったことは聞いております」
「ええ、ですからヘンリー大司教はエリザベスさんが聖女になることも大反対されていましたよ。結局、エリザベスさんが自分にしか出来ないことだと意見を曲げなかったので、最後には応援されていましたが」
どうやらヘンリー大司教はエリザベスさんをとても大事に思われていたみたいです。
聖女は激務ですから、彼が反対される気持ちも分かります。エリザベスさんがこの国の事情を知っていて自分の意見を曲げなかった気持ちも。
「そして、エリザベス様が亡くなられた。国中が失意の底に沈みました。ヘンリー大司教がダルバート王国に行ってしまわれたのは、それからたったの二週間後のことです」
「やはりエリザベスさんが亡くなられたことを気に病んで、ということですか?」
「そうだとは言われませんでしたけどね。クラムー教の聖地にもう一度行って修行をし直したいとしか。本部所属の希望を出したら受け入れられたと事後報告をされてすぐに出国されました」
表向きの理由はダルバート王国で修行をし直したいとしてヘンリー大司教はパルナコルタ王国から出て行かれたみたいですね。
最初に本部に勧誘されたときはこちらに留まるという選択をされたのにも関わらず。
人の気持ちというのは変わるものですが、エリザベスさんの死と無関係ではないと私はヨルン司教の話を聞いて率直な感想を持ちました。
「ただ、自分はエリザベス様の葬儀の直後に彼女の婚約者であったライハルト殿下と揉めていた場面を目撃してしまいましたから、どうしても関連があったと思ってしまうのですよ」
「えっ? そんなことがあったのですか?」
ライハルト殿下もまたエリザベスさんのことを愛していらっしゃったと聞いております。
ヘンリー大司教は何をライハルト殿下と争ったのでしょうか。
「あっ! ああー、失礼しました。申し訳ありません。少し要らないことを話しすぎましたね」
しまったという表情をされて、ヨルン司教は私に謝罪をされました。
自分はヘンリー大司教に興味を持ってしまったので、気にしてはいなかったのですが。
「いえ、私も不躾なことを聞こうとしていましたから」
「フィリア様がパルナコルタのことに興味を持たれてくれたことを誰も不躾だとは思いませんよ」
「そうでしょうか?」
「はい。それは間違いありません」
パルナコルタ王国について知らないことがまだ多いのだと私は実感しました。
ヘンリー大司教の話を聞いたとき、オスヴァルト殿下があのような表情を見せたのはライハルト殿下と揉められたことを知っていたからかもしれません。
「フィリア様、紅茶のお替りは如何ですか?」
「では、頂きます」
これ以上は深入りするのは止めておこう。
冷めてしまった紅茶を飲み干した私は思った以上にオスヴァルト殿下やライハルト殿下の悲しき記憶に関わるこの話について話題にすることを避けようと考えていました。