第八十一話
「おっ!? ここにもあった。おーい! フィリア殿の言っていた薬草。こっちにいっぱい生えているぞ!」
木陰から顔を出して、大きな声で私の名を呼ぶその声はいつも元気を与えてくれました。
「こんなに沢山。これだけあれば十分です」
「そうか、そうか。それならここまで登ってきた甲斐があったな」
私の声に反応していつもどおりの朗らかな笑みを浮かべて、喜びを分かち合う彼はオスヴァルト殿下。
このパルナコルタ王国の第二王子で私の婚約者です。
今日は新しい薬を作るために必要な薬草を採取するためにこの山にきております。
「しかし、この山にそんな貴重な薬草があったなんて知らなかったぞ」
「これのみを使うだけだと炎症止めとしても効果は今一つですから。利用価値がそれほどないとされていただけですよ。ですが、乾燥させて他の薬草と一緒に煎じて、急速に冷却し、その後で熱した鉄で一時間ほど押し潰して――」
「とにかく凄く手間をかけると新薬が完成するんだな?」
「あ、はい。仰るとおりです。帰ったらこれを天日干しします」
オスヴァルト殿下のおかげで薬草は十分すぎるほど採集出来ました。
あとは昨日作ったレシピに沿って試作品を作るだけです。
「それでは、そろそろ下山しましょうか」
時刻はお昼過ぎ。目的を達成したので、私はオスヴァルト殿下に下山しようと提案しました。
この辺りも魔物が出ていたのですが、大破邪魔法陣のおかげで静かになったものです。
「ああ、そうだな。もしも、フィリア殿が嫌ではなかったら、頂上を目指さないか? もうちょっと登ることにはなるが」
私の言葉を聞いたオスヴァルト殿下は頷きつつも他の提案をしました。
頂上を目指す? ここの頂上に何かあるのでしょうか。
私の記憶にはまったく心当たりがないのですが、特に否定する理由もありませんので殿下の提案に乗ることにします。
「承知いたしました。それでは頂上に向かいましょう」
「ありがとうな。でも、後悔はしないと思うぞ」
オスヴァルト殿下の言葉に従って私たちは頂上まで足を進めます。
それほど険しい山ではないので、比較的に容易に一番上まで辿り着きました。
「おー、ついたついた。ここに来たのは久しぶりだなぁ」
思いきり背伸びをして機嫌が良さそうに微笑むオスヴァルト殿下。
こうして、何の目的なのか知らずに登山したことはないかもしれません。
「ほら、こっちに来てみてくれ。ここからの景色が良いんだよ」
「景色、ですか?」
頂上にある岩に腰掛けているオスヴァルト殿下の声に誘われて彼の隣に座ると、目の前にはこの辺り一帯の景色が広がっていました。
丁度、秋に差し掛かり木の葉も赤く色付く時期だったので、何とも言えない紅葉織りなす幻想的な風景に私は思わず息を呑みます。
「とても美しいですね」
「昔、父上と兄上と共にここに来たことがあるんだ。そのとき、父上がな。将来大切な人が出来たらその人にも見せてやれって。だからって訳じゃないけど、その時のこの景色が印象的だったからな。フィリア殿と一緒に見たくなった」
そうですか。殿下のお父様である国王陛下がそんなことを。
意外です。厳格そうなイメージがありましたから。
「陛下はロマンチックなことを仰るのですね」
「はは、意外だろ? 今日は父上が見つけた場所だが、この先、俺たちも見つけてみないか? また一緒に行きたくなる場所を」
「はい。それは、もう。私もオスヴァルト殿下と色んなところに行ってみたいです」
それは嬉しい提案でした。
同じ景色でも多分、一人で見てもこんなに感動しなかったと思います。
この和やかな時間は私にとって大きな宝物でした。
「ところで、話は変わるが最近よく手紙のやり取りをしているように見えるが。誰と連絡を取っているんだ? いや、フィリア殿の交友関係に口を挟むつもりはないんだが」
馬車の中などで私が手紙を書いているところを頻繁にご覧になられていたからなのか、オスヴァルト殿下はそのことについて尋ねます。
「聖女国際会議以降、各国の聖女と情報交換をするようになったのですよ。“神隠し事件”みたいなことが、またあったとしても何かしらの知識が役立つ可能性がありますから」
「なるほど。そういうことか。確かにあのとき、一時的に大破邪魔法陣が解けてしまったが、ミア殿とエミリー殿が即座に魔法陣を作り直して事なきを得た。情報の共有をしていなかったらと考えるとゾッとする」
オスヴァルト殿下の仰るとおり、あのとき私がミアたちに大破邪魔法陣の形成方法を教えていなかったら、アスモデウスによる被害は比べ物にならないくらいの大きさだったでしょう。
もしかしたら、オスヴァルト殿下たちも救援に来られずに私は敗北していた可能性もあります。
ですから、私たちは最新の情報などを出来るだけ共有して、自国の発展だけではなくて大陸全体の繁栄を目指そうと一丸となることを約束したのです。
「大破邪魔法陣はどの国の聖女も使えるようになりましたし、魔周期も終わりましたので、しばらくは平和な時間を過ごせると思います」
「たったの三ヶ月の成果としては上出来過ぎるな。フィリア殿は未だに修行を熱心にされているのを見るとまだ満足していないように思えるが」
オスヴァルト殿下は私の話を聞いて満足そうに頷きました。
修行はルーティンといいますか、しなくては落ち着かないので毎日行っているだけなのですが。
「修行の成果なんですけど、光の柱に魔力を過剰に込めれば一週間ほどではありますが、大破邪魔法陣を私が不在でも維持できるようになりました」
「それは凄いな! 唯一の弱点が克服出来たのか。国の中枢付近からフィリア殿が動けないことだけが弱点だったもんな」
大破邪魔法陣を一週間維持出来るように改良したと話すと殿下は驚きながらも喜びます。
「これで行くことが出来ますよ。新婚旅行に」
「…………」
「オスヴァルト殿下?」
そして私とオスヴァルト殿下の結婚式の後に新婚旅行に向かうことが出来ると告げると殿下はびっくりした表情のまま黙ってしまいました。
な、何か間違ったことを言いましたでしょうか。旅行にいくという我儘のために術を改良したことはやはり不純だと思われてしまったでしょうか。
「あっはっはっはっは」
そんなことを心配していますと殿下は突然笑われます。
私、笑わせるようなこと言いましたか? 真面目な話しかしていなかったように思えますけど。
「まさか、フィリア殿の口から新婚旅行という言葉が飛び出すとは思わなかった」
「えっ? だって、ミアが夫婦になったら皆さん旅行に出かけると教えてくださったので、当然殿下も行こうとお考えだと思ったのですが」
ミアに以前に手紙で婚約を報告した際に新婚旅行のときは自分が代わりにパルナコルタで大破邪魔法陣を張ろうかと提案したので、流石にそこまで甘えるわけにはいかないと思い改良を急いだという経緯があります。
「いや、笑って悪かった。あまりにも意外だったものでな」
「そ、そんなに変でした? すみません。差し出がましいことを言ってしまいましたでしょうか?」
「謝らないでくれ。フィリア殿が新婚旅行のために頑張ったと言ってくれたんだ。それを愛しく思わないはずがない」
いつの間にか私の手を握りしめていて、オスヴァルト殿下は嬉しそうな顔をしました。
私は今日見たこの景色を忘れないでしょう。そして、また共にこんな体験をするために明日を生きるのだと思います。
◆
それから私たちは下山して帰路につきました。
すっかり夕方になってしまい、戻る頃には夕食の時間になっていそうです。
「先程の手紙の話に戻りますが、ダルバート王国の聖女アリスさんの手紙によると教皇様はご病気でそれほど長く生きられないと診断されたみたいです」
「何だと? そうか、教皇様はもう長くないのか」
クラムー教の教皇は大陸全ての教会を束ねる最高権力者であり、その権限は各国の王族を凌ぎます。
と言ってもその権力を振りかざすことは滅多になく、政治的な口出しを行ったという例は少ないです。
大陸全土の教会の最高権力者という立場ですし、教徒の中で最も徳が高いという位置付けなので道義に反することをするような方が任命されたことがありませんでしたから。
「残念ですが、もうかなり老齢ですし、寿命という部分も大きいのでしょう」
「そ、そうか。一度お目にかかりたいと思っていたが無理だろうな。しかし、新たな教皇は誰になるのだろうか?」
「教皇の地位を継がれるのは、大司教のどなたかになるのが通例となっています。皆さんダルバート王国にいらっしゃいますが」
教皇とは神の血縁者とも呼ばれて、神の血を飲んで死ぬまでクラムー教の本部の長としての務めを果たします。
教皇が死すと、神の血は聖杯へと戻り、それを次の教皇となる者が飲んでその役目を引き継ぐこととなるのです。
大司教は三人おりまして、全員がダルバート王国にあるクラムー教の本部に所属していました。
「そういえば、ヨルン司教に聞きましたが、大司教のうちの一人であるヘンリーさんは彼の前にパルナコルタ教会で司教をされていたみたいですね」
その話の繋がりで、私はふと先月に教会を訪れたときにヨルン司教から聞いた話をオスヴァルト殿下にしました。
ヘンリー大司教はパルナコルタ出身なので、もしかしたらオスヴァルト殿下も話したことがあるかもしれません。
「えっ? ヘンリー大司教? あ、ああ、うん。あの人のことか。まぁ、知っている」
私がヘンリー大司教の名前を出すと急にオスヴァルト殿下の顔が曇りました。
このような表情をされるのを私はほとんど見たことがありません。
「おっと、はは、悪いな。ちょっとボーッとしてしまった。どうやらそろそろフィリア殿の屋敷に着くみたいだぞ。忘れ物がないように確認してくれ」
「は、はい。承知いたしました。忘れ物は、ないと思いますが」
「分からないぞ。大事な薬草はきちんと持っているか?」
「え、ええ。大丈夫かと思われます」
明らかにはぐらかされてしまいました。
私は直感します。オスヴァルト殿下は私にヘンリー大司教についての話をしたくないのだと。
「よろしければ、夕食をご一緒しませんか?」
私は咄嗟に家に寄って食事でもどうかとオスヴァルトを誘いました。
良い野菜が手に入ったので、今日はレオナルドさんが腕によりをかけて沢山料理を作ると張り切っていましたので。
話を変えたほうがいいと思いましたし、きっと殿下も楽しめると思ったのです。
「夕食か。お腹も空いているし、ごちそうになろう」
いつもの笑みを見せて、オスヴァルト殿下は私と共に我が家の門をくぐりました。
こうやって、殿下を気軽にお招きするようになったのも婚約してから大きく変わったことです。
以前は緊張していたのですが、今はとても自然に共に歩けるようになりました。
お待たせしました〜!
ここから第三部スタートです!
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