第七十九話
いつもどおり、日が昇る前に起きた私は庭で日課の鍛錬を行います。
アスモデウスとの決着がつき、無事にパルナコルタへ戻って来れたことは奇跡です。
聖女世界会議は一日で終了となってしまいました。
一瞬とはいえ、大破邪魔法陣が解けてしまっていますので、各国でトラブルが発生したと考えられたからです。
エルザさんに睨まれてマモンさんは各国の聖女たちの帰還を手助けして差し上げていました。
最後にエルザさんは「もう会うことはないわ」と仰っていましたがどうなのでしょうか。
人生なんてわからないものですし、また会える気もしているのですが。
「やはり昨日の魔力は一時的なものでしたか」
魔力を集中させて高めてみます。
思ったとおり、アスモデウスと決着を付けたとき程の魔力は引き出せませんでした。
一時的にとんでもない量の魔力を内在したので、器自体はほんの少しですが広がった気がします。
自然界のマナを集めて体内に取り込めば、今まで以上の力が出るかもしれません。
それだけ、あの時の経験は強烈でした。
フィアナ様に近付くのは無理かもしれませんが、あの時の記憶を頼りにこれから精進していきましょう。
「……師匠も鍛錬ですか?」
「ええ、私も現役に復帰しましたから。……以前よりも魔力の流れがスムーズになりましたね。毎日鍛錬を欠かさずに行っている証拠です」
「毎日しないと落ち着かないんですよ。もう習慣になっていますから」
師匠は昨日の夜になって、姿を見せました。
そして、色々と話し合った結果、ジルトニアにはミアが一人で先に帰還することに……。
ミアは私と師匠が話をするために彼女が気を利かせたのです。
結局、昨夜は特に何も話せずに終わりましたけど。
改めてアスモデウスが言い放った事実を頭に思い浮かべます。
師匠か私の本当の母親であるという話。それを聞いたときの心境。
そして、あのときの師匠の顔。「お母様」と呼べない自分の弱さ。
「……あなたと関わるようになって、いくらでも真実を告げるチャンスはあったと思います。にも関わらず、ずっと黙っていて申し訳ありません」
精神集中を終えた師匠はゆっくりとした口調で私に謝罪しました。
ジルトニアで私と師匠が共に過ごした期間はかなり長いです。
聖女になるための修練の半分以上は師匠から言い渡されていますし、聖女になってからも引退するまでの間は先輩として指導をしてくれていました。
彼女から課せられた修行はどれも過酷で、何度も挫けそうになったほどです。
ですが、その中に優しさがありました。どんな環境でも耐え抜いていけるという自信にもなりました。
師匠から鍛えてもらえなかったら今の私は聖女としてやっていけなかったでしょう。
「ミアから事情を聞きました。あの子からすると言い難い話だったと思いますが」
私が生まれる前、師匠はアデナウアーの本家から追い出されて冷遇されていました。
しかし、本家に聖女になれる女児が生まれず、困った私の祖父は師匠から生まれたばかりの赤ん坊を無理やり奪い取り、本家夫婦の子として育てるようにしたという何とも言えないようなお話。
それが私の出生にまつわる話だとミアから聞いたのです。
「私は師匠から沢山のことを教わりました。聖女としてだけではなく、人としてどう生きるのかということも。今、私がこうしていられるのは師匠のおかげです」
「しかし、私はあなたに与えるべき母親の愛情を――」
「頂いていますよ。それはもう、数え切れないくらい。師匠がお母様で嬉しかったと思ったのは、私が最も尊敬している理想の聖女がヒルデガルト・アデナウアーだったからです。この体も、この力も、人生も、すべて宝物ですから。宝物を渡してくれたのが自分の母親だと知ってとても嬉しかったのです」
何度も挫けそうになったことはありました。
涙を流して歯を食いしばり、耐えなくてはならなかったことも。
努力を重ねて、前を向き、突き進むことを師匠が背中を見せることで教えてくれたから、私はこうして頑張れるのです。
師匠はどんなに辛い特訓も、自らの実践を見せていました。
私の行く先には必ず師匠が居たのです。道に迷わないように、高い目標であり続けてくれました。
そんな憧れの存在が母親だという事実からは、喜ばしさしか感じられません。
ずっと欲しかったものが手に入った、と思いました。
「あなたは既に私など大きく上回っています。弟子が師匠を超えるということは本懐です。母親らしいことが出来ない代わりに、全てを教えようと思いましたが、もうそれも出来ません。フィリア、あなたこそ理想の聖女です」
師匠はもう自分が教えられることはないと告げました。
確かに魔法などの技術面や心の持ち方などの精神面は全て教えて頂けたと思っています。
ですが、それだけです。師匠は私の理想ですし、まだまだ背中を追い続けたい目標です。
それに私は――。
「師匠、いえ、お母様!」
「――っ!? あ、改まってなんですか? わ、私はあなたの母親ぶることなんて――」
「お母様、私は教えてもらいたいことがまだあります。昨日からずっと気になっていたことです」
「気になることですか? あなたなら大体のことは知っているでしょう。私が教えるようなことはもう無いと思いますが」
ヒルデガルト・アデナウアーが私の実の母親だと知って、気になることが出来ました。
どうしても知りたいと思ってしまったのです。
ここで聞いておかなくては、もう答えて貰えない気がしましたので勇気を持って質問します。
「私の実のお父様のことです。どんな人だったのか、どうやって出会ったのか、出来るだけ詳細に教えて頂けませんか?」
「あ、あなたの父親のこと? 出来るだけ詳細に……、ですか? そうですね。当たり前の質問なのかもしれませんが、何故か想定外でした。あなたがあまりにも普通の質問をするので」
え、ええーっと、私が自分の父親について質問することってそんなに変ですか?
不思議です。こんなにも驚かれた顔をされるなんて。
もしかして、私のこと変わった質問をする人だと思っていらっしゃったとか。
「あなたの父親は治癒術師ですよ。怪我を治す腕は確かでした。流行り病にかかって亡くなりましたが、最期まであなたのことを気にかけていました」
父親は治癒術師でしたか。
私が治癒魔術が得意なのはもしかしたら、父親譲りなのかもしれません。
とても興味深い話です。亡くなる前も私のことを気にかけてくれたという話も、心に響きました。
優しい人柄の方だったのでしょうか? それとも……。
私は自分の父親の話を聞くことが出来て嬉しいのですが、師匠、いえ母は気恥ずかしそうな顔をして黙っています。
「……あの、それだけですか?」
「えっ? それだけって、どういうことです?」
「ですから、いつどこでどんな出会い方をして、どのような付き合いをした上で、結婚をしたのかと、説明を求めています。詳細にとお願いしたのですが……」
まさか、このような簡単な説明で終わるはずはないと思ったのですが、どうやらそのつもりだったらしく、母は今までに見たこともないくらい動揺していました。
常識的に考えて、赤ん坊のときから会っていない父親の話をこれくらいで終わらせるなんてあり得ないですよね。
私の口下手って、もしかして母親譲りなのでしょうか……。
「思った以上にグイグイ来るのですね。ミアかと思いましたよ」
「ミアには話したのですか?」
「あの子には遠慮という言葉がありませんでしたから」
ミアに話したのでしたら、なおさら私にも聞かせてくださいよ。
どんな他愛のない話でもいいのです。これからの人生を歩む上でそういった話がまた宝物になるのですから。
「そうですね。観念することにします。元より、あなたの望むことは何でもするつもりでしたし」
母は苦笑いしながら、話し始めました。どうやって父に出会って、恋に落ちたのか。そんなお話を。
いつの間にか日が昇り、リーナが紅茶を淹れてくれ、彼女も話に加わりました。
彼女は核心をつく質問が上手く、話は大いに盛り上がります。
「お口に会いますかな? フィリア様から魚料理がお好みだと聞きましたので、このレオナルド、腕によりをかけて真心を込めて作りました」
「レオナルドさ〜ん、腕によりをかけすぎですよ〜。太っちゃいます〜」
「リーナ殿、心配召されるな。フィリア様はあれで大食漢であらせられる」
「え〜〜? フィリア様はそんなに沢山食べませんよ〜〜」
「ひ、ヒマリさん、あれは修行で沢山の量の食べ物を口にしてエネルギーに変換する術を――」
「なんと、そんな術があったとは知りませんでしたなー」
今日はレオナルドさんが腕をふるって、ご馳走を作りました。
ミアやエルザさんたちが帰られたことを知らなかったらしく、大量の食材が余ったのでとにかく量が多いです。
賑やかな食卓にもいつの間にか慣れていました。そして食事が楽しいと感じることも。
「フィリア、あなたは良い人たちに恵まれましたね。パルナコルタへと送られたことを聞いた時は心配しましたが、杞憂で済んで本当に良かったと思っています」
「はい。皆さんには毎日感謝しています。私がこの国のために聖女としての務めを果たせるのも皆さんのおかげですので」
私は母の言葉に同調してリーナさんたちへの感謝の言葉を述べました。
小さなことで幸せだと感じる毎日。
出会いが新たな出会いのきっかけとなり、それが連鎖して絆が繋がる。
今日、母の話を聞いて私は両親の愛を受けて生まれてきたことを知り、また一つ大事なモノを手に入れました――。
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