第七十六話
オスヴァルト殿下たちが近くまで来ていること、こちらの様子を見ていることは分かっていました。
リーナさんに手渡したネックレスが自分に近付くとほんの少しだけ振動して方向と大体の距離を示してくれるように作っていましたから。
お務め中に迷子になったときように作った機能ですがこんな時に役立つとは思いませんでした。
クラウスさんは恐らく魔力を消して、オスヴァルト殿下たちは元々魔力を持たないので、アスモデウスは気付いていなかったみたいです。
ですから、私は安心して捕まる覚悟が出来ました。
きっと殿下たちなら絶好のタイミングで奇襲を仕掛けてくれると信じていたからです。
彼らがまだ来ていないのなら、お父様とお母様には申し訳ありませんが、時間を稼ぐ必要も出てきましたでしょうし、二人を助けて尚かつ自分も助かる方法を考えなくてはならなかったでしょう。
「フィリア殿、今、その拘束を切ってやるからな」
「お願いします」
私を拘束している黒いロープをオスヴァルト殿下は槍で切り裂きました。
かなり硬い上に魔力でコーティングされている特殊なロープだったのですが……。
武器を十二分に使いこなすオスヴァルト殿下の技量はやはり見事です。
軽々とアスモデウスの腕を落としたのにも納得出来ました。
「パルナコルタの王子よ! あまり調子に乗るな!」
私の拘束が解けた瞬間、アスモデウスはこちらに急接近します。
オスヴァルト殿下は背中を向けていますし、今から私が術式で盾を発動しても間に合いません。
「ぬおおおおおっ! フィリア様と殿下に近づくな! この下郎が!」
「火遁の術!!」
「な、なんだ!? 貴様ら! いきなり!」
フィリップさんがアスモデウスの進行を槍で受け止めて、ヒマリさんが炎を顔に浴びせます。
アスモデウスは面食らったのか、目を閉じてしまいました。
「いけませんな。目を閉じるとは、武人としては三流ですぞ」
「うぐあっ!?」
さらにレオナルドさんがアスモデウスの後頭部を蹴飛ばして、地面に叩き伏せられます。
私のためにこんなにも多くの人が駆けつけてくれるなんて。
狭間の世界から戻ることが出来る保証もありませんのに。
「フィリア様〜〜! お怪我はありませんか〜〜?」
「大丈夫ですよ。リーナさんも来てくれたのですね。ありがとうございます」
「当たり前ですよ〜。フィリア様と一緒にまたお務めに行きたいですし、お菓子も作りたいですし、一杯やりたいことがあるのですから〜」
リーナさんは私とやりたいことがあると笑顔を見せました。
私もまだまだやり残したことが沢山あります。
ここで一生を終えるわけには行きません。たとえ、永遠の命が手に入ったとしても。
「ちょっと、どういうことなの? なんで退魔師でもない一般人があんなにこっちに来てるのよ!」
「す、すみません。だってアリス先輩が……」
「だってじゃないわよ。あの人なんて、パルナコルタの王子じゃない! 何かあったら国際問題よ! 国際問題!」
「わ、分かっていますよ〜」
エルザさんは駆けつけてきてくれたクラウスさんを叱っています。
クラウスさん、本当に感謝します。あなたが主張を曲げて皆さんをこちらに連れてきてくれたことを。
皆さんの顔を見ると不思議と力が湧いてきましたから。
「まぁまぁ、エルザの姐さん、その辺にしておきな。アスモデウスの旦那をこれから袋叩きに出来るんだからよぉ」
私の両親を捕まえていた悪魔を叩き伏せたマモンさんはエルザさんを窘めます。
彼の言うとおりですね。アスモデウスは何故か一人ぼっちで仲間を呼ぶ気配がありません。
呼んだのは、低級悪魔と呼ばれる力の弱い悪魔たちだけ。
パルナコルタのお城には多くの中級悪魔を呼んでいたのにも関わらず、不思議なことになっています。
「これなら勝てるかもしれないわ。あいつが仲間を呼ばない理由が分からないけど」
エルザさんは八人で一丸となって力を合わせればアスモデウスに勝つ可能性が出てきたと言います。
そうかもしれませんね。アスモデウスの力がこの程度なら、勝率は決して低くないでしょう。
「ははははは、お前たちはたったの八人雁首揃えただけで、この僕に勝てると夢見ているのか?」
「むぅ〜〜! 私たちは負けませんよ〜!」
「アスモデウス! パルナコルタ騎士団長として、貴公を討伐する! 覚悟しろ!」
挑発的なアスモデウスに対して、リーナさんとフィリップさんは飛びかかります。
嫌な予感がしました。大事な何かを見落としているような。
「頭が高い! ひれ伏せ! 下等な人間よ!」
「きゃっ〜!」
「ぬおっ!?」
突如として、アスモデウスの背中から巨大な黒い翼が生えてフィリップさんとリーナさんをなぎ払います。
これは、もはやユリウスの面影が……。
全身に紫色の体毛が生えて、額と手の甲に瞳が浮かび上がり、背中には黒い翼。
爪と牙が伸び、妖しく銀色に光り……、おおよそ人間の姿とは言えなくなりました。
「ふはははははは、この人間の身体はいい! 魂の濁り具合がワシの魂とよく馴染む! もはや、我が身体の封印を解くことなど不要! ユリウスという男の身体は完全に悪魔と化した!」
室内で竜巻がいくつも発生して、彼が叫べば叫ぶほど大気が震えます。
いえ、大気だけでなく実際に地面も大きく揺れていました。
さっきまでのスケールとはまるで違います。
まるで神を怒らせてしまったかのような凄みをアスモデウスから感じてしまいました。
四百年前はフィアナという規格外の力の持ち主が居たからたまたま人類は救われましたが、彼女が現れるまでは彼の存在は天災のように扱われ、人々は抵抗することすら諦めていたらしいです。
理不尽な暴力。これがアスモデウスの正体。
「この城に悪魔が居なかったことに違和感を覚えなかったのか!? 全部、ワシの腹の中だ! この身体が欲したのでな! 全てを黒く塗りつぶす悪魔の血を!」
同族を食べた?
悪魔の話ではないですが、大陸を超えたとある国で災厄をもたらした魔物も同族を次々と食べることで力を増して、神獣と呼ばれる程の力を身につけたとか。
アスモデウスの魔力の大きさは異常です。
ただでさえ、手に負えないと感じていましたのに、ここに来て切り札を出されるとは思いませんでした。
「なんと面妖な……!」
「ヒマリさん、とにかく鍵を開けて、捕らわれた方々を助けましょう。皆、魔力を奪われたみたいですが、怪我などはしていないみたいですから」
「御意!」
私はヒマリさんに檻の鍵を半分手渡しますと彼女はまるで数人に分裂したと錯覚するほどのスピードであっという間に捕まった人々を解放しました。
「フィリア殿、俺も手伝おう」
「オスヴァルト殿下……」
オスヴァルト殿下とも分担して残りの半分の檻の中から“神隠し事件”の被害者たちを解放します。
アスモデウスは高笑いを続けており、突風と竜巻により、立っているのも辛くなってきました。
壁も天井もひび割れて、崩れだします。フィアナ様の身体だという人形もあるのに、この場所を崩壊させてしまうつもりでしょうか。
「う、うわーーーー!」
「も、もう駄目です……!」
あ、あそこにいるのは、私の両親。ひび割れた天井が崩れて下敷きになりそうになっています。
「聖光の盾!」
「「――っ!?」」
「お父様、お母様、急いでください。この城はそう遠くない未来に崩れ落ちます」
間一髪でした。
私の放った光の盾で両親を瓦礫から守ります。
二人は顔を見合わせてびっくりしたような表情で私を見ました。
「フィリア……、お、お前はワシらを恨んでいないのか?」
「犯した罪は償って頂きたいです。ですが、私自身は特に何も恨みは抱いていません。師匠はどう考えているのか知りませんが」
「そ、そうですか。あなたはそのことをご存知なんですね――」
物心ついたときから両親との生活は全く上手くいきませんでした。
修道院に預けられてからは更に溝は深まったと思っています。
だからといって、今お二人を恨むということはその後の私の出会いや人生を否定することにも繋がります。
ですから私は両親を恨んでいません。そして、残念ですが何の感情も持てませんでした。
「くくくくくく、フィリアよ! 最後の警告だ! 皆殺しが嫌ならば、ワシに魂を差し出せ! さもなくば、お前の仲間は全員死ぬぞ!」
「「「――っ!?」」」
私の魂を要求したのと同時にオスヴァルト殿下たちが全員突風によって吹き飛ばされて壁に激突します。
脅しというよりは最後通告ですね。
彼も暴力に訴えて無理矢理というやり方を実行しても良いくらい考えていそうです。
「アスモデウス、それ以上に暴れるとフィアナ様の人形に傷が付きますよ」
私は一縷の望みを賭けて、アスモデウスが堅固な扉を作ってまで守り続けていたフィアナの人形について言及しました。
大量の記憶を読んで、人形技師に二百年という途方もない歳月をかけて作らせた精巧な人形。
彼とて、壊れるのは惜しいでしょう。
「ははははははは、打算的なところはフィアナとは似ても似つかぬな、フィリアよ! もういい! お前はやはりフィアナではないのだ! ズタズタに切り刻んでから強引に魂を引き出してやる!」
「…………」
「魔力を吸収したフィアナの身体のポテンシャルをナメるな! たとえ城が瓦礫の山になろうとも傷一つ負わぬわ!」
ようやく、私がフィアナ様とは別人という思考に行きつきましたか。
タイミングとしては最悪のタイミングかもしれませんが。
フィアナの人形にはアスモデウスの言うとおり途方もない魔力が吸収されています。
瓦礫などでは壊れない自信、というより確信があるから暴れられる。そんな絶望に等しい宣告を彼は私たちに下したのです。
「皆さん、とにかく防御姿勢を取ってください。恐らく王宮の時とは比べ物にならない――」
「天変地異……!!」
私がそう口走ったとき、アスモデウスの五つの眼が赤い光を照射して、この部屋は弾け飛びました。
「聖光の大盾ッ!」
前に出なくては――、とにかく前に、一歩でも。
みんなを守るために私は全魔力を振り絞って急ごしらえの結界を張ります。
しかし、非力な私の結界では刹那の時間しか爆発を押し留めることしか出来ずに、気付いたときには瓦礫の下に埋まってしまいました。
不意をつかれた王宮とは違って、全力で身を守ろうとしたにも関わらず、それが全く意味をなさないなんて……。
既に身体中はボロボロで手足には激痛が走ります。
――絶望的な力の差。
僅かな攻防で嫌というほど、それを思い知らされました。




