第七十五話(オスヴァルト視点)
ユリウス殿に憑依したアスモデウスという悪魔に捕まったフィリア殿を俺は一度は救出することに成功した。
なんで、あそこで手を離してしまったんだ。
馬から落とされたくらいで俺は、どうしてフィリア殿を。
あのとき、俺がもっと力強く離さないでいれば、フィリア殿は訳のわからない世界に閉じ込められることなんかなかったのに。
俺は自分の無力さ加減に辟易した。そして、呪いもした。
決してこの国でフィリア殿に不自由を感じさせないと誓い、いつかパルナコルタを愛して貰えるように、側で支えて行こうと思っていたのに、こんなことになってしまうなんてな。
なぜ、俺はここまで打ちひしがれているのだろう?
フィリア殿が得難い人材だからか?
約束を守れなかったからか?
違う! 俺にとってフィリア殿がかけがえのない存在だからだ!
彼女が笑うと嬉しいんだ。そうやって同じときを過ごすことが何よりも俺にとって大事なモノになっていたんだ。
それは全部、俺のわがままなんだろうが、いつの間にかフィリア殿のことを俺は――。
フィリアが仮に俺のことをどう思っていようと関係ない、俺の気持ちを伝えなくては絶対に後悔するから、俺は自分のためにも彼女を必ず救い出してみせる。
「オスヴァルト殿下、槍を見つけました! さぁ、我らの槍術で! 悪魔共に目にもの見せてやりましょうぞ!」
フィリップが俺の落とした槍を拾って持ってきて、気合を入れる。
俺はその昔、この男から槍術を習った。
そのとき、俺に「いつか守りたい人が出来た時のため」とか言ってかなり扱かれたものだが、今では感謝している。
いつまでも、悩んだって仕方ない。俺が落ち込んでいたら、フィリア殿に合わせる顔もない。
「ああ、そうだな。この槍で俺は今度こそフィリア殿を助けてみせる」
俺はフィリップから槍を受け取り、ブンッとひと振りしてみる。
手に吸い付くこの感覚。使い勝手は今まで使ったどの槍よりも良い。
大丈夫、もう二度と俺は醜態を晒さない。
「オスヴァルト殿下〜、フィリップさ〜ん、クラウスさんが準備出来たと仰ってます〜」
「今行く!」
リーナ、レオナルド、それにヒマリもフィリア殿が開発した武器を携えて、クラウス殿の近くに集合する。
祖父が護身術道場の師範でずっと訓練を積んでいたメイドのリーナ、パルナコルタ騎士団、先々代団長のレオナルド、そしてムラサメ王国で幼少期から王族の護衛をしていたというヒマリ。
フィリップも含めてみんな頼りになる人材だ。
「これからアスモデウスのいる狭間の世界へと向かいます。悪魔たちが蔓延る非常に危険な場所です。生きて帰ることが出来ないかも――」
「クラウス殿! 弱気は止めておこう! みんなでこっちに帰ることだけを考えようじゃないか!」
「……まったく、この国の王子様は僕らの国とは全然違いますから調子が狂いますよ。分かりました。全員で生きて帰りましょう!」
「「おおーっ!!」」
拳を天に突き上げた俺たちはフィリア殿たちがいる狭間の世界へと向かった。
クラウス殿の使い魔であるサタナキアが上を向き、目から光りを出して、空中に円を描く。
俺たちはその円の中に吸い込まれていき、気付けば真っ白な世界に飛ばされていた。
「これが狭間の世界ってやつか。何ていうか、生き物の気配を感じないな」
「草木が全くない上に、岩や地面も白色とは。この空間は自然に出来たものとは到底思えませんな」
レオナルドの言うとおりだ。
何というか作り物の匂いがするんだよな。
この世界全体が紛い物というか、嘘みたいな性質を持っているというか。
「仰るとおりです。この世界はその昔、魔界で絶対的な権力を持っていたサタンという悪魔が暇つぶしで作ったのだとか。太陽も岩も大地も何もかもが偽物。途中で飽きてしまって、色を付けるのを止めたらしいです」
「うわ〜〜、いい加減ですね〜。私は塗り絵が大好きですから、色を塗るのは楽しいと思いますが〜」
なるほど、とんでもないスケールの話だ。
悪魔という連中はこんな世界まで作ることが出来る能力を持っているのか。
俺たち人間とはスケールが全然違う。
アスモデウスって悪魔もクラウス殿の話によればまだ全然本気ではなかったと聞くし。
いや、恐れてどうする。こんなのどうってことない。
目的からひと時も目を逸らすな……!
「クラウス殿……、フィリア殿たちがどこにいるのか分かるか?」
このうんざりする程の白に塗れた世界。
方向を間違えればフィリア殿に会えるどころか直ぐに迷子になってしまう。
エルザ殿の口ぶりではアスモデウスの居場所にはある程度の見当はついていそうな感じはしていた。
恐らくクラウス殿もその点についての不安は口にしていなかったから、分かっているのだろうが。
「エルザ先輩たちは恐らくあちらの方向にある“常闇の魔城”に向かっているかと思われます」
「常闇の魔城ですか〜?」
「アスモデウスの根城ですよ。どうにかスキをついて、倒すしかないでしょうから、隠れて好機が来るのを待っているかと」
なるほど、こんな世界にも城があるのか。
それで、そこにアスモデウスが住んでいると。
まぁ、確かにあんな化物に正面からぶつかろうとは思わないよな。
フィリア殿も無謀なことはしないだろうし。
「なるほど、アスモデウスを暗殺しようと爪を研いでいると。まさか、先日、フィリア様に雑談がてら様々な暗殺方法について話したことが役立つとは……」
「ヒマリ、フィリア様が何でも興味を持つのに甘えてはなりませぬぞ。もっと明るい話題にすべきです」
「レオナルドさんは〜、お料理の話をしてますものね〜〜」
みんなと仲良く暮らしているんだな。
それは知っている。
フィリア殿も楽しそうな顔をして、みんなの話をしてくれるから。
まぁ、レオナルドに言われたことを実践しては失敗している話をするときだけは悲しそうな顔をしていたが。
「それでは、皆さん。僕について来てください。案内しますよ」
クラウスの言葉に従って俺たちは“常闇の魔城”を目指す。
と言っても、クラウス殿はその近くに到着するようにサタナキアに指示を出していたみたいで、何分か歩いたら、目の前に真っ黒な城が現れた。
なるほど、今度は黒一色か。俺も芸術的な感性には自信がある方じゃないが、悪魔はそういうのに無頓着なのかもしれないな。
「……やはりエルザ先輩たちは“常闇の魔城”にいますね。魔力を感知しました」
「そうか。まだ無事でいるなら良かった」
クラウス殿は目をつむって、魔城の中からフィリア殿たちの魔力を感じると俺たちに教えてくれた。
凄いな。魔力を持った人間が遠くに居てもそれを感じることができるのか。
俺たちは全員、魔法には縁がない人間だから、こういうのは全部クラウス殿任せになってしまう。
「んっ? 待ってください。さらに魔力を持った人間が沢山いるみたいです。多分、“神隠し事件”の被害者の方々だと思われます」
「「――っ!?」」
そうか。そりゃそうだよな。
フィリア殿に聞いた話ではアスモデウスの目的は四百年前に絶大な魔力で大陸の危機を救ったという大聖女フィアナの復活。
そして、“神隠し事件”はその目的達成のために彼女の復活に必要な魔力を集めるために行なわれた。
だったら、自分の根城に捕まえた人間たちを置いておくに決まっているか。
「クラウス殿、急ぐぞ! きっとフィリア殿たちは捕まった人たちを解放しようと頑張っているはずだ!」
「お、オスヴァルト殿下! もっとこっそり入らなくては危険ですよーーー!」
俺たちは“常闇の魔城”へと駆け込んだ。
そういうことなら、フィリア殿たちは悠長に構えてなんかいるはずがない。
急いで“神隠し事件”の被害者たちを助けようと動いているに決まっている!
「何だか意外だな。魔城っていうから、もっと見張りとかがいるイメージだったんだが」
俺たちは思ったよりもずっとあっさりと“常闇の魔城”の中に入ることが出来た。
パルナコルタは治安の良い方だけど、それでも城門の前には何人もの兵士たちが城への侵入者を警戒している。
しかし、この城にはそういった類の見張りは一切居なかった。
大雑把な性格の俺でももうちょっと防犯意識を持てって言いたいくらいだ。
「悪魔というのは元々こんな感じなんですよ。己の力に絶対的な自信があり、見張りや罠を仕掛けるのは弱者がすることだと嘲笑うような連中です」
クラウスは悪魔という者たちの考え方について講義する。
なるほど……、って、それならこっそりする必要はないじゃないか。
悪魔というのは油断しやすい連中みたいだな。
「でもでも〜、アスモデウスってフィリア様のお母様を人質にしていませんでしたっけ〜?」
「人質作戦など、どう考えても弱者のやり方ですな」
「アスモデウスはフィリアさんを無傷で捕らえたいと言っていましたから。最も労力のかからない方法を選んだのでしょう」
うーむ、フィリア殿を無傷でか。
あんなに大暴れしておいて、加減していたということなのか。
人質作戦――アスモデウスは記憶を読み取る能力があるらしいが、それによってヒルデガルト殿が実はフィリア殿の母親であるという事実が明るみになったらしい。
どうやら、ヒルデガルト殿の養子となったミア殿のみがその事実を知っており、フィリア殿はそれまで知らなかったとのことだが。
様々な事情があるんだろう。
フィリア殿の師匠でもあるヒルデガルト殿はそれは厳しい修行を彼女に強制したらしいが。
それも愛情ゆえだったのだろうか。
ずっと知らされていなかった秘め事を知ってしまったフィリア殿の内心は分からないが、声を聞いた感じだと受け入れて前向きに考えているみたいだった。
だけど、彼女は不器用なところもあるしな。おせっかいだが、俺もフィリア殿が上手くやれるように手伝いをしたいと思う。
「むっ……、この人形たちは一体!?」
「うわ〜〜、いっぱい並んでいますね〜」
「これは二百年ほど前に流行った人形造りの手法ですなぁ。どの人形も良く出来ている」
通路には何体もの人形がズラリと並んでいた。
どの人形も銀髪の女性で白っぽいローブを着ている。まるで――。
「フィリア様に似ている気がします!」
フィリップの言うとおり。この人形たちはフィリア殿に似ていた。
しかし、なんでまたこんなに沢山の人形を?
これも悪魔の習性とかそんなのに絡んでいるのか?
「「…………」」
「な、なんですか? 僕に視線を送っても駄目ですよ。分からないですから。悪魔のことなら何でも知っているとか変な期待をしないでください」
そっか、クラウス殿でも分からないなら仕方ない。
しかし……、悪魔は見張りを配置しないと言った割には通路に大きな穴が空いているし、争った形跡は見受けられるんだな。
この床だって、相当な硬さをしてそうなのに、こんなことする奴とフィリア殿たちが争ったと考えるとのんびりしちゃいられないんじゃ……。
「――っ!? あちらの方向で凄まじい魔力がいきなり現れました。アスモデウスに間違いありません。エルザ先輩たちの魔力も同じ場所で感じます」
「やっぱり、急がなきゃな。みんな! 行くぞ!」
俺たちはフィリア殿たちとアスモデウスが交戦を開始したと聞いて、再び走り出した。
フィリア殿、すぐに助けに行くからな……!
「大聖女さん! 見捨てなさい! アデナウアー夫妻は元々、極刑は免れない犯罪者! あなた程の人間が身代わりになる価値はないわ!」
「おっと、退魔師。お前が人質を殺すって選択も面白いな。どうぞご自由に」
「あら、そう。それならお言葉に甘えて――」
「待ってください!」
フィリア殿たちの側に到着したとき、壊れた扉の中では何やら人質がどうとかいう争いごとが起こっていた。
どうやら、フィリア殿の育ての親であるアデナウアー夫妻が人質にされており、フィリア殿は降伏を促されているみたいだ。
「これでは迂闊に動けません。どうしますか?」
「一か八か飛び出すという手もありますよ〜」
「それでもし、人質が殺されたらフィリア様に顔向け出来ないですな」
「だが、私たちの目的は主を救うこと……」
そうだな。フィリア殿さえ無事なら良いという考えなら、ここで突入が正解だろう。
だが、それで彼女の笑顔が奪われれば俺は……。
んっ? 今、一瞬だがフィリア殿が俺の方を見たような。
気付いている? 俺たちが近くにいることを。
人質の解放と引き換えに自らが捕まることを良しとしているが、彼女は俺たちに何かを期待しているんだ。
「クラウス殿、魂ってどうやって抜くんだ?」
「えっ? そりゃあ、心臓の近くに手を伸ばして、特殊な魔力を使って体内から――」
「つまり、アスモデウスは必ずフィリア殿に手を伸ばすということか」
どんな生き物もスキだらけになる瞬間がある。
それは獲物を捕らえようとする瞬間だ。
悪魔は油断しやすいと聞いた。だから俺はアスモデウスがフィリア殿の魂を抜取ろうとする瞬間に飛び出して、手痛い一撃を与えてやろうと決めた。
「フィリア殿は俺たちが動き出して救出に来ることを信じている。チャンスは一瞬だ。みんな、合わせてくれ」
俺はみんなにフィリア殿にアスモデウスが手を伸ばした瞬間に飛び出すように指示を出す。
勝機は一瞬。見逃すな……!
「エルザさん、大丈夫ですよ。私、ずっと信じていたんです」
フィリア殿の心臓にアスモデウスの手が伸びる。
俺たちは全力で俺たちの聖女に手を出す不埒な悪魔に突撃した!
「うおおおおおおおおおっ! フィリア殿はやらせない!!」
「な、何ぃっ!?」
俺はアスモデウスの腕を切り落として、フィリア殿を片腕で抱いて、距離を取る。
上手くいった。そう思ったのも束の間、アスモデウスの奴は瞬時に切られた腕を再生して俺の方に伸ばしてきた。
「小癪な人間風情が! この僕の邪魔をして!」
「もう絶対にフィリア殿は離さない!」
「ぐっ……!」
俺は迫りくる腕を躱して、蹴飛ばしてさらに距離を取る。
自然に腕に力が入った。二度と大事な人を奪われるものかと。
必ずフィリア殿と共に地上に帰る。帰ってみせる。