第七十四話
神隠し事件の被害者の方々を救出しようとしたその瞬間、アスモデウスが私たちの前に姿を見せました。
「僕が側まで近付いて来るのに気付かなかったみたいだね。そろそろこの体にもかなり馴染んできたんだ。魔力を隠すくらい造作もない程にな」
先程までその強大な魔力によってただならぬ気配を発していたアスモデウスは、ユリウスの体でもその魔力を隠せるほどまで繊細なコントロールが可能となったことを口にしました。
つまり、今の彼は王宮で暴れ回ったときよりも単純に強化されていると考えるのが妥当でしょう。
「フィリア、いやフィアナの魂よ! よく来てくれた! 僕はこの四百年の間、君と再会することをどれだけ待ち望んでいたか! 共に永遠の時を歩もう! 君に相応しい最高の身体を用意したんだ!」
アスモデウスは棺桶に手をかざすと蓋が開き、中から目を閉じた銀髪の女性が宙に浮かび上がりました。
生気を全く感じません。最初は遺体だと思いましたが、恐らくは人形ですね。それも通路に並べられたものとは比べ物にならないくらい精巧に作られた……。
「フィアナの身体を正確に再現するのには苦労したんだよ。あの子のことを覚えている悪魔の記憶を何十、何百、何千と覗いてね。最高の人形技師を二百年くらい働かせたかな」
仮にその人に懸ける労力というものが愛情の大きさに比例するならばアスモデウスのその執念とも言える愛というものは、計り知れない大きさなのでしょう。
最初から彼は私を見ていませんでした。
私の中にあるフィアナ様の面影を、魂を、追い続けていたのでしょう。
「さぁ、儀式を始めよう。まずは君の魂を新しい器に移して、刻まれたフィアナの記憶を引き出す」
「…………」
「怖がらなくても大丈夫だよ、君の人格は消えてしまっても永遠の命を得ることが出来るのだから。僕は君のことを永久に愛し続けるから」
アスモデウスは人形の中に私の魂を入れると言いながら、こちらに向かって手を伸ばしてきました。
永遠の命というものはあらゆる権力者が追い求めたほど魅力的なモノみたいですが、私の欲しいものとはかけ離れています。
「だから、あたしたちを無視しないで貰えるかしら?」
「フィリアの姐さんには手を出させないぜ」
もう、何度目になるでしょうか。
エルザさんとマモンさんは体を張って、私を守ってくれます。
傷だらけになりながら、必死で歯を食いしばり。
「ええい! 鬱陶しい! フィリアが巻き添えにならぬように力を抑えているからって調子に乗りよって!」
「「――っ!?」」
アスモデウスは怒りに身を任せて口から黒い稲妻を放ちました。
どんどん、ユリウスの体が悪魔に近付いているみたいです。
二人とも防御するにも遅れてしまっています。
それならば――。
「聖光の盾ッ!」
邪の力を防ぐ光の盾で私はエルザさんたちを守りました。
守りの力ならば聖女の得意分野です。
特に結界などの強固さに関しましてはかなりの自信があります。
黒い稲妻は四散して、消え去りました。アスモデウスはプライドが傷付いたのか、憮然とした表情で私を睨みました。
「ふふふ、また君にしてやられたか。昔を思い出すよ。ことごとく僕の邪魔をして、プライドを粉々に打ち砕かれたことを」
しかしすぐに表情を変えて楽しそうに笑うアスモデウス。
三人で力を合わせれば何とか持久戦に持ち込むことは可能みたいです。
じっくり戦って勝機を見出せば――。
「あーあ、やっぱり力づくっていうのは僕の性に合わないよな。フィリアには自ら望んで魂を差し出して欲しいし」
そんなことを考えていると、アスモデウスは首を横に振って攻撃を止めました。
私に自らの意志で魂を差し出させたいとは、どういうことでしょう。
「さっきの君を見て思ったんだ。フィリア、君は実に慈悲深い。自分を捨てた母親であるヒルデガルトを僕の手を取ってでも助けようとした。あのとき、君は覚悟していたはずだ。そのまま捕まるという可能性も」
確かに魔力を流し込んで彼の動きが止まるかどうかは賭けでした。
マモンさんで試すわけにもいきませんでしたので。
師匠を助けたいと思ったのは、そうしたいと素直に思ったからでして、特に理由はないのですが。
「この体の記憶には君に関する楽しい記憶が沢山ある。ねぇ、フィリア。この二人を助けたいと思えるかい?」
アスモデウスの背後に黒い穴が二つ出現して、その中から縛られた男女が出てきました。
こ、このお二人は……。まさか、こんなことって。
「ど、どこだ、ここは!? ワシらは一体!? フィリア!? お、お前、そこで何をしている!?」
「フィリア、あなたの仕業ですか!? 私たちに何をするつもりです!?」
「お、お父様、お母様……」
目の前にいるのは私の父親のゲオルク・アデナウアーと母親のコルネリア・アデナウアー。
つまり、ジルトニア王国で投獄されているはずの両親です。
こんな形で再会することになるとは思いませんでした。
「さて、人質作戦第二弾と行こうじゃないか。ただ、僕としてはフィリア、君が育ての親を見捨てるところも見てみたい」
「見捨てる……?」
「そうさ! こいつらは君のことを目の敵にしてずっと虐めていた。そして、最後は大金と地位に目が眩んでパルナコルタに喜んで売り払ったんだぞ! 君に酷いことをした人間を僕は許さない! 君が殺せと命じれば喜んで殺してあげるよ! あははははははは!」
アスモデウスは笑いながら、人質である両親を喜んで殺すなどと口走りました。
私が売られたことや厳しい態度で接せられたことを引き合いにして。
人質を取るということは通常、その人が言うことを聞かせたい対象にとって大事だと確信して実行するはずなのですが、アスモデウスにとってこれは余興のようなものなのでしょうか。
「さぁ、どうする!? 僕としてはどっちでもいいんだ。君の魂を楽に手に入られるか、もしくは君のために殺す喜びを得られるか!」
「フィリア! お前の存在がどれだけワシらを不幸のどん底に陥れたか!」
「そうですよ。あなたさえ生まれてこなければ、私たちはミアと共に今も幸せに暮らしていたというのに!」
思い出しました。私はこの二人に愛されたかったのだと。
聖女として一人前になろうと努力を続けていたのも、両親に認めてもらうためでした。
どんなに力を得ようと手に入らなかったのですが。
「大聖女さん! 見捨てなさい! アデナウアー夫妻は元々、極刑は免れない犯罪者! あなた程の人間が身代わりになる価値はないわ!」
「おっと、退魔師。お前が人質を殺すって選択も面白いな。どうぞご自由に」
「あら、そう。それならお言葉に甘えて――」
エルザさんは私の非情な選択をさせないために自らの手を汚す覚悟で両親にファルシオンを向けようとしました。
「待ってください!」
「――っ!?」
私は大声で彼女を止めます。エルザさんは構えたファルシオンを下ろしてこちらを見ました。
ごめんなさい。
何が正しくて、何が間違っているのか、私には分かりません。
ですが、私には出来ないのです。
「アスモデウス、降参します。お二人を解放してください」
私は両手を上げて、降参の意志を示しました。
自分の中のルールを曲げることはどうしても出来ません。
二人を見捨てるという選択肢は元々私にはありませんでした。
「ふむ。悩みもせずに即答か。揺るぎない心の強さ。それも君らしいと言えば、君らしい」
「私は抵抗しません。まず先に両親を自由にしてください」
私は両親の無事を先に示すように要求しました。
なんせ、アスモデウスはこの二人を殺したいと言ったのですから。
交換条件を飲むのなら、当然それは主張させてもらいます。
「調子に乗るな、と言いたいところだけど良いだろう。まずは一人解放してやる。残りの一人は君を拘束してからだ。また魔力を流し込まれたら面倒だからな」
もう、油断はしてくれませんか。
アスモデウスは父の拘束を解いて、黒いロープで私の身体を強く縛ります。
このロープは魔力で強化された繊維を使っており、恐ろしく丈夫です。自力での脱出は無理でしょう。
「お前も好きにするが良い」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
そして、約束通り父に続けて母を解放しました。
父と母は足早にこの部屋から出ましたが、それはそれで心配です。
ここから帰る術はないのですから。
「フィアナ! ついに君に会えるときが来た! 儀式を開始する! 人間共よ! 魔力を一点に集中しろ!」
部屋の中にある多数の檻が緑色の光を放ち、棺桶の上に浮いている人形に吸収されていきます。
およそ百人分もの人間の魔力がどんどん吸い取られて、その度に人形はその輝きを増していきました。
「さて、次はフィリア。君の魂の番だ……!」
「大聖女さん! なぜ、なぜ、あなたは! あんな人たちのために!?」
アスモデウスは拘束されて動けない私の心臓にゆっくりと腕を伸ばします。
魂とやらは胸の奥にあると聞きましたが、それを抜き取られるという感覚はどんなものなのか――。
「エルザさん、大丈夫ですよ。私、ずっと信じていたんです」
「「――っ!?」」
「うおおおおおおおおおっ! フィリア殿はやらせない!!」
私がエルザさんに話しかけた瞬間、アスモデウスの腕はオスヴァルト殿下の槍によって切り落とされました。
魂の抜き取られる感覚は味わうことはないでしょう。
ずっと信じていました。オスヴァルト殿下が来ると仰るのなら、必ず来ると。
彼の腕の中で私は安堵しました。