第七十二話(ミア視点)
フィリア姉さんの声がリーナさんのネックレスを通して聞こえてきたとき、私たちはみんな、姉さんの無事を知ってホッとしたわ。
でも、その後のフィリア姉さんから語られたのは地上に戻ることが出来ないという衝撃の告白。
どうもあの、バカ王子に憑依したアスモデウスという悪魔がこっちに戻ってくるのを妨害しているらしい。
だから、オスヴァルト殿下は自らフィリア姉さんを助けに行きたいとクラウスさんに迫っているんだけど――。
「頼む! クラウス殿! 俺をフィリア殿のところに連れて行ってくれ!」
「さっきも申しましたが駄目なものは駄目ですよ。いくら殿下の頼みでもそれだけは聞けません。僕が怒られるんですから」
クラウスさんも頑固なんだから。
殿下の気持ちを汲んであげてよ。
オスヴァルト殿下、フィリア姉さんのこと好きなんだと思う。多分だけど……。
だから、あんなに必死なんじゃないかなー。
「悪魔に関しては、本来、退魔師の管轄なんです! 王族や聖女であろうとも手を出してもらっては困るんですよ!」
それでもクラウスさんは曲げない。
退魔師こそが悪魔退治の専門家だという自負があるからなんだろうけど、オスヴァルト殿下だってさっきは槍で腕を貫いて大活躍していたじゃないの。
もっと柔軟に考えてもらえないかしら。
「クラウス殿の理屈は分かった。だけど、俺にとって一番大切な人の命がかかっているんだ! 悪いが、そんな理屈を聞いていられないんだよ!」
「……それは最早、告白なんじゃ」
「フィリアが聞いていれば、そうかもしれませんね」
オスヴァルト殿下はクラウスさんの胸ぐらを掴んで、大声でフィリア姉さんを一番大切な人だと主張した。
なんか、気持ちいいくらい真っ直ぐな人だなぁ。
私は変なところで拗らせているフィリア姉さんとお似合いだと思っているんだけど、ヒルダお義母様もそう思ってそう。
「オスヴァルト殿下、離してください。殿下は悪魔の恐ろしさをまるで理解していません」
「……離すもんか! 俺はあんたが連れて行くって言ってくれるまで離さないぞ!」
「はぁ、仕方ありませんね。他国の王子にこんなことはしたくありませんが。……サタナキア、出ろ」
「ヌオオオオオオ~~~!!」
「――っ!? な、なんだぁ! これは!?」
クラウスさんが指を鳴らすと彼の影の中から全身フードの大男が現れて、オスヴァルト殿下を羽交い締めにした。
背中にも腕が生えているし、明らかに人間じゃない。
「サタナキア、ですわ。クラウス様の使い魔です」
「わたくしには歯が立たずに負けましたけど、まぁまぁの強さでしたわよ」
「エミリーお姉様、四人がかりで、が抜けてますわ」
あー、エルザさんと居たマモンみたいな使い魔か。
同じ使い魔でも、こんなに見た目が違うんだ。
まぁ、だからこそ騒ぎにならないように普段は影の中に隠していたんだろうけど。
「オスヴァルト殿下、理解できましたか? 本来、人間はこのような上級の悪魔からすると無力なのです」
「それがどうした! ぐっ! 離せ!」
私たちは何故か手が出せないでいる。
オスヴァルト殿下の目が手出し無用だと言っているみたいだったからだ。
クラウスさんの言うとおり、悪魔はとても強いし、アスモデウスはその中でもとんでもない化物だ。
だけど、オスヴァルト殿下はまったく引かない。フィリア姉さんを助けに行きたいという主張は絶対に曲げないという強い信念を持っている。
「話は大体聞きました。オスヴァルト、みっともないですよ。駄々っ子みたいに我儘を言うものではありません」
「「――っ!?」」
「あ、兄上……!」
その時、瓦礫の山を乗り越えて、パルナコルタ王国の第一王子であるライハルト殿下がやって来た。
さっき、私たちに挨拶したときはとても知的で紳士的だったから好感が持てたんだよね。
話したことはないけれど……。
「兄上、俺を止めに来たのか!? フィリア殿を助けに行くのは王子のすることじゃないって!」
オスヴァルト殿下はライハルト殿下がフィリア姉さんを助けに行くのを止めに来たと思っているみたいだ。
確かに真っ当な考えをするならば王子様が危険な場所に聖女を助けに行くなんて間違っているのかもしれない。
でも、私にはオスヴァルト殿下の気持ちが痛いくらい分かる。だって、フィリア姉さんを助けに行きたい気持ちは一緒なんだもの。
「そんなにフィリアさんが大切なのですか? 自分の命と天秤にかけても」
ライハルト殿下は静かにオスヴァルト殿下に問いかけた。
命懸けになったとしても、フィリア姉さんを守りたいのかどうか。
私たちはその答えをジッと見守っている。
「当たり前だ! 俺はフィリア殿を何がなんでも助けに行くぞ! 約束したんだ! 今度、食事に行くってな! 俺は死んでも約束を守る!」
「「…………」」
惜しい……! 愛の告白をするのかと思っていた。
まぁ、それはフィリア姉さん本人の前でしてもらえば良いか。
でも、オスヴァルト殿下の覚悟は決まっているみたいね。それなら私も援護射撃――。
「余計なことはやめなさい」
「うっ……、お義母様」
私がウズウズしているのを察したのか、肩を掴んで自重するように促すヒルダお義母様。
だって、このままじゃオスヴァルト殿下は姉さんを助けに行けないじゃない。
「クラウスさん。こんな礼儀知らずの愚弟で申し訳ありませんが、弟の好きにさせてやってもらえないでしょうか?」
「あ、兄上……」
ライハルト殿下はきれいに頭を下げた。
クラウスさんにオスヴァルト殿下の好きにさせて欲しいと。
第一王子っていうと、次期国王みたいな人なんだけど、自らの弟のためとはいえ、皆の前で頭を下げるって大変なことだよね。
「……あ、頭を上げてください。本当に困りますって。見てください! サタナキアを! こんな化物が数多くいるところに弟君を行かせようとか考えられますか?」
でも、クラウスさんはそれをも拒否した。
悪魔は恐ろしいし、オスヴァルト殿下も手も足も出ないっていうのは説得力に欠けるかもしれないけど、槍さえ持っていれば何とかなると思う。
素手で魔法を使っちゃ駄目なら私だって厳しいし――。
「悪魔がどうした!? うおおおおっ!」
「ヌオッ!? ヌオオオオオオン!? ヌオッ!」
気付いたら、オスヴァルト殿下は自力で片腕を振り上げて篭手でサタナキアの顔を殴っていた。
そして、怯んだところを腕を掴んで投げ飛ばしたのである。
あの篭手も赤い鉱石が使ってあるってことはフィリア姉さんの開発した武器みたいね。
すごーい。オスヴァルト殿下って物凄く鍛えているんだ。
農業が好きだって言っていたけど。今度、フェルナンド殿下にも農業を勧めてみようかしら。健康的だって。
「クラウスさん、私からもお願いします! オスヴァルト殿下は強いです! 自分の代わりに姉を助けに行かせてあげてください!」
「み、ミアさんもですか!? オスヴァルト殿下がサタナキアを投げ飛ばしたのには驚きましたが……」
私も堪らなくなって、オスヴァルト殿下を行かせてあげてほしいと懇願した。
クラウスさん、ちょっと揺らいでる? もうひと押しで何とかなりそうだけど。
「クラウスくん。ぼ、ボクからも頼みます。もしも教皇が怒ったら、ボクが責任を取りますから」
「アリス先輩まで……」
クラウスさんと同様にダルバート王国から来た聖女であるアリスさんもまたオスヴァルト殿下の心意気に免じて、彼を連れて行って欲しいと頼んでくれた。
責任は自分が取るとまで言ってくれて。
「仕方ありません。僕の負けですよ。オスヴァルト殿下、力を貸してください。生きて帰ることが出来る保証はありませんが」
「任せてくれ! 行くからには足は絶対に引っ張らない!」
あー、ようやくクラウスさんが折れてくれた。
すっごく頑固なんだから。びっくりしたよ。
でも、私やグレイスたちは大破邪魔法陣の関係で狭間の世界に行くことは出来ないけど、オスヴァルト殿下以外にも姉さんを助けに行きたいって人はいるはずだよね。
お義母様とかどうなんだろう? 実の娘だし一番心配していると思うんだけど。
「サタナキアの転移魔法で一度に連れていけるのは僕以外に五人だけです。つまりオスヴァルト殿下の他にあと四人行けますが」
ということで、色々と話し合った結果。
まだ、こっちにも悪魔がいるかもしれないということで、退魔師でもあるアリスさんは残ることになった。
そして、結局、フィリア姉さんを助けに行きたいと譲らなかったのは次の四人である。
フィリップさん、リーナさん、レオナルドさん、ヒマリさん……。
つまり、フィリア姉さんの護衛をしていた人たちが自分たちの使命だとして絶対に姉さんを救ってみせると意気込んだのだ。
「お義母様も行きたかったんじゃないですか?」
「私は本当なら引退している人間です。体力的に若い方には及ばないでしょう。それにこの国の、フィリアが守ろうとしている国の方々があんなにも本気であの子を助けようとしているのに、割って入るのは無粋ではありませんか」
そんなことを言ってお義母様は身を引いた。
どうやら、私が気絶している間にフィリア姉さんはヒルダお義母様が本当の母親だと知ったみたい。
姉さんが帰ってきたらいっぱいお話させなきゃね。それが親孝行ってもんでしょう。
「オスヴァルト殿下、娘をよろしくお願いします」
「ヒルデガルト殿……。俺に任せてください。フィリア殿は必ず連れて帰ります。一緒に笑うために!」
こんなときなのに。
オスヴァルト殿下は屈託のない笑顔をヒルダお義母様に見せた。
ああ、この笑顔がきっとフィリア姉さんの心の中の氷を溶かしたんだ。
私はもう確信していた。フィリア姉さんとまた会えることを。
きっと大丈夫だ。オスヴァルト殿下が助けてくれる。




