第四十四話
「聖なる癒やしの光を使ったけど……まだ、痛むところはある? ミア……」
私の腕の中で目を見開いた妹にゆっくりと声をかけました。
ミアは涙を流しながら私の肩に力強く手を回して、声を詰まらせながら――。
「姉さんの……、治癒術式が……効かないはずないじゃない……。ぐすっ……、もう会えないと思ってた。フィリア姉さんは……、聖女としての責務を絶対に守る人だから。ここには来ないと……」
私が来たことが信じられないと口にしました。
彼女の言うとおり、聖女としての私はここに来るようなことは決してしないでしょう。
ここにいるのは聖女ではありません。今の私は――。
「聖女……としてではないわ。あなたの姉として、ミア・アデナウアーの一人の姉であるフィリア・アデナウアーとして来たの。どうしても、助けたかった――間違った選択をしたとしても。あなただけは、どうしても……」
私はミアの姉だから故郷に戻りました。今このときだけは、聖女という立場を忘れて……一人の姉に成りたかったのです。
わがまま……というものとは無縁だと思っていました。
心の底から溢れ出る欲求は全て抑え込めると思ってましたから。
でも、彼女だけは諦められなかった。どうしても、切り捨てるなんてこと出来ませんでした。
「ごめんなさい。姉さんみたいに出来なかった……。ジルトニア王国がこんなに酷い状況になってしまって。本当にごめんなさい。私は聖女失格です……」
ミアは魔物によって国が滅茶苦茶になったと謝ります。
確かにジルトニア王国の被害は尋常ではありません。
でも、私はそれでもミアが何も出来なかったとは思っていませんでした。
「いえ、私では妨害するユリウス殿下を失脚まで追い詰められなかったでしょう」
私では聖女としての仕事以外の行動を積極的に起こせない。
ジルトニア王国に私が居たとしても、大破邪魔法陣の発動が許されずに被害がもっと酷くなった可能性もあったのです。
「ありがとう。フィリア姉さん、気を遣わなくてもいいよ。この状態を見て、悲観的に感じないようにするのは無理だから」
「そうかもしれない。でもね、壊れたものは直すことが出来る。ミアは過去を悲観するよりも、これからを考えた方がいいわ」
ボロボロになった故郷を見る私とミア。王都まで煙が上がって建物が倒壊したりしています。
復興にはきっと時間はかかるでしょう。でも、残すことが出来たものも多い。だから――。
「最悪は、免れたのだろうな」
「ええ。そうですね。オスヴァルト殿下の力添えのおかげです」
「いやいや、さっきも言ったが俺は何もしてねーって。フィリア殿がすげぇんだよ」
「そんなことありません。殿下が背中を押してくれたから、私はここまで来れたのです」
日和っていた私に勇気をくれたのはオスヴァルト殿下です。
彼が居なければ、私は動けなかったでしょう。
それに、パルナコルタ騎士団が居なければ、もっと被害は甚大だったに決まっています。
そんなやり取りをオスヴァルト殿下と行っていると、その様子をジィーっと見ていたミアが思ってもみないことを発言しました。
「なんか、姉さんが男の人とこんなに親しそうなの見たことないんだけど……。あっちで恋人作ってるなんて思ってもみなかった」
「「こ、恋人?」」
何をこの子は勘違いしてるのでしょう。私が殿方と親しくしていなかったことは否定しません。
婚約者だったユリウス殿下にも疎んじられてましたから。
でも、だからといって――。
「ミア、変なことは言ってはなりません。オスヴァルト殿下に迷惑がかかります」
「いや、迷惑ってことはねーが。立場上、俺は聖女であるフィリア殿とそういう関係になるのは、なぁ……」
「ふーん……。あのバカ殿下よりもずっと良いと思うけど……。――でも、幸せそうで良かった」
「ミア……」
パルナコルタ王国に行って私は幸せになっているのでしょうか。
確かに良い方々と出会って、穏やかな日々というものを体験しました。最近はミアが心配でなりませんでしたが……。
幸せとは、どういうものなのかよく分かりません。今まで意識したこともありませんでした。
でも、ミアが生きていてくれてホッとした気持ち――それだけは本物です……。
「フィリア……。あなたがこちらに来ているとは思いませんでした……。魔物が一斉に無力化して……もしや、とは思いましたが」
「――師匠。ご無沙汰しております」
ミアと近況を話していると、ヒルデガルトが現れて……私たちに話しかけました。
彼女も疲れた表情をしています。きっと、国のために死力を尽くした後なのでしょう……。
「あなたは元気そうですね」
ヒルデガルトは私に近付きジッと顔を見つめてそう声をかけます。
この方はいつも私の体調を気遣っていました。聖女は体が資本だから病など言語道断だと。
彼女の夫は流行り病で亡くなったらしく、そういうことが気になるのだそうです。
「フィリア姉さん。ヒルダ伯母様は姉さんの――」
「ミア! 余計なことは言ってはなりません。フィリアは新たな国で新たな人生を歩んでいるのですから……」
ミアが何かを言おうとすると、ヒルデガルトはそれを止めました。
ミアはとても複雑な顔をしていますが、それ以上は何も言いません。何を言うつもりだったのでしょうか……。気になります……。
「フィリア、大事なことをひとつ。――ミアは私の養子になります」
「えっ? ミアが!? 師匠の養子に……?」
私の疑問はヒルデガルトの衝撃の発言で吹き飛びました。
ミアが養子とは……どういうことなのでしょう……。
「ごめん。フィリア姉さん。実はお父様とお母様は投獄されたの。フェルナンド殿下の暗殺の主犯として。話せば長いんだけど――」
ミアから聞かされた両親の投獄とユリウス殿下との関係。
私がもっとしっかりしてたら――別の道もあったかもしれません……。残念です……。
「フィリア殿、ご両親のことは気の毒だな。それに、ミア殿やヒルデガルト殿たちのことも気になるだろうし、故郷の復興も手伝いたいと思っているはずだ。もし、フィリア殿が望むなら――」
「戻りませんよ。いつまでもグレイスさんに魔力の中心点を任せるわけにはいきませんし。ずっと魔力共有することも出来ません」
そう、広がりきった魔法陣を維持するのは私の魔力だけで事足りますし。グレイスもボルメルンに戻ります。
私がこちらに長居することなど叶わないのです。
「それに、この国にはもはや私は不要です。一人前の聖女がいますから」
私はミアの肩を抱いて……自分の代わりになれる人材はいるとオスヴァルト殿下に主張しました。
「フィリア姉さん……。ぐすっ……、私……、今はまだダメダメだけど……、絶対に姉さんに追いつく! ううん。超えるくらいの凄い聖女になる! ぐすっ……」
「私も現役に復帰して、ミアを鍛え直します。あなた以上の才能は感じていますから、うかうかしていられませんよ」
ミアの決意とヒルデガルトの復帰――それを聞いて私は安心します。
名残惜しいですが、帰りましょう。パルナコルタ王国へ……。
騎士団と共に、パルナコルタ王国へ戻る私。
そのとき私は実感したのです。私は故郷の隣国の聖女になった――。
そして、これからもそうである……、と――。




