第三十七話(グレイス視点)
「あら、お帰りなさいませ。グレイス様。予定よりもお早いお帰りですね」
「アンナ、少しだけ予定が変わりましたの。お父様はどちらに?」
「旦那様ですか? 書斎に居られると思いますが……」
フィリア様の屋敷から馬車を飛ばして、ようやくボルメルン王国の自宅へと戻ることが出来ました。
メイドのアンナによると、父は書斎にいるとのこと。早く用件を伝えて、姉たちに術を伝授しなくては――。
「おおっ! グレイス、戻ってきたか。パパが恋しくて予定を早めたのかね?」
「いえ、そうではありませんの」
「そ、そうか……」
父は満面の笑みを浮かべてわたくしが予定を早めて戻った理由を寂しさからなのかと尋ねましたので、わたくしは否定しました。
彼は露骨にがっかりした表情をされます。父のこのようなところは困ったものです。
「まぁ、座りなさい。歴代最高の聖女――フィリア・アデナウアーはどんな方だったのか聞かせておくれ。彼女の破邪結界は非常に素晴らしい結果を残しとるが、その人となりには興味がある」
父は焦るわたくしを座らせてフィリア様の話を聞きたがりました。
そうですわね。順を追って説明したほうがよろしいのかもしれません。彼女が如何に素晴らしい聖女なのかまずは知ってもらいましょう。
わたくしはフィリア様が思っていた通りの人物であり、今は大陸全土を救おうと古代術式の研究を進めて、破邪魔法陣を広げようと考えているということを話しました。
そして、それを可能にするためにはわたくしたち姉妹の力が必要だということも……。
「という訳でして、わたくしとお姉様たちの魔力を一つに集めて、その力を利用して――一気に破邪魔法陣の範囲を広げるという作戦をフィリア様は考えられました」
「なるほど……」
一通り話を終えたわたくしは父の表情を眺めます。
彼は顎髭を触りながら数秒考えて口を開きました。
「マーティラス家の総力戦というわけか……。歴代最高の聖女は我らを試そうとしているのだな。ふっふっふっ、面白い! その挑戦受けて立とうではないか!」
「お、お父様……?」
急に立ち上がり大声を出される父にびっくりしてしまうわたくし。
フィリア様は挑戦とかそんなことは一切考えてないと思いますが……。とりあえず乗り気になって頂けて良かったと思うべきなのでしょう。
「それでは、お姉様たちに術をお教えしなくてはなりませんので、至急陛下にご承諾を……」
「任せておけ。陛下はワシの盟友だ。それに……ボルメルン王国にとって破邪魔法陣は多額の金と資材を投げ売ってでも欲しい代物。グレイス、此度の活躍でマーティラスの名は世界に轟くだろう。大儀であった」
豪快そうに見えて実は計算高い父のこと……恐らく近隣の国々に貸しを作れると皮算用しているのでしょう。
もちろん、フィリア様もそれを見越してボルメルンやジルトニアだけでなく大陸全土を救う計画を立てたのでしょうが……。
この国はわたくしを除いても三人も聖女がおり、魔界などの研究も独自で行ってましたので、他の国よりも被害は少ない。
それにもかかわらず、その被害の大きさは無視できないくらいの大きさでしたので、ジルトニアに限らず近隣諸国の被害は甚大と見ていいでしょう。
なので、前回の魔界の接近時に国家レベルの崩壊が頻発したという記録は正しかったと思われます。
つまり、フィリア様の計画が成功するか否かは近隣諸国の命運まで左右するほどの大事なのです。
「至急、娘たちをこちらに集める。グレイスは着替えて準備をしなさい」
「はい! 承知致しましたわ」
父は立ち上がり、わたくしに準備をするように指示しました。
あとは姉たちが素直に言うことを聞くかどうかですが……アマンダとジェーンはともかくとして、一番上のエミリーは……。
少しだけ不安を覚えながらもわたくしは着替えて、姉たちの到着を待ちました。
◆ ◆ ◆
「お父様はどうかしていますわ! あのフィリア・アデナウアーのおこぼれに与ろうなんて、プライドはないのでしょうか!」
案の定、長女のエミリーは文句を口にしました。
彼女はフィリア様を強烈にライバル視しており、そのために厳しい修行や特訓を重ねていました。
エミリーは姉妹の中では最も力が強く優秀なのですが、プライドの高さからフィリア様の魔法陣を広げるという作戦に乗り気にならないというのは予測どおりです。
「そもそも、わたくしたちの力だけでボルメルンは魔物たちから守ることが出来ております。マーティラス家の長女として意見を言うならば――」
「はーい、そこまで。エミリーお姉様、魔物の被害はこれから増えそうなことは私よりも賢いあなたなら分かりますでしょ?」
「そ、それは――」
エミリーがヒートアップしたのを次女のアマンダが止めに入ります。
そうです。フィリア様の予測でもボルメルン王国の見解でも魔物の勢いは更に強くなることで一致していました。
今は大丈夫では、済ませられないのです。
「うふふ、エミリーお姉様はフィリアさんに嫉妬されていますのね。そういう感情って聖女としてどうなのかしら?」
「ジェーン! お黙りなさい! 嫉妬なんてみっともないことするものですか。分かりました。やれば良いのでしょう。やれば……」
結局、エミリーは折れてくれました。さすがに父の意向に逆らおうとするほど自分勝手ではないみたいですわね……。
こうして、わたくしは姉たちに魔力集束術を教えるべく……まずは古代術式の基礎からフィリア様の直筆の指南書を片手に教えることになりました。
さすがはエミリーですわ。誰よりも飲み込みが早いです。この指南書がよく出来ているのもありますが――。
「グレイス、そのフィリアが書いたという紙きれを寄越しなさい」
突然、エミリーはフィリア様の指南書に興味を示しました。自分で読みたくなったのでしょうか……。
わたくしからそれを受け取った彼女はそれに目を通します。
「何よ! 何よ! こんなのっ!」
目を通し終えたエミリーはわたくしに指南書を押しつけるように渡して――全身に白い光を纏わせました。
これは古代術式の初歩、“光のローブ”という防御術式です。
エミリーは一通り目を通しただけで、それをマスターしたのでした。
「わ、わたくしの才能が秀でているだけですわ。こんな指南書……全然凄くなんか……。フィリア・アデナウアー、必ずや超えてみせます!」
「それって、現時点での負けを認めてるんじゃ……」
「ジェーン! 黙りなさいと言ったはずです!」
メラメラと闘志を燃やすエミリーは誰よりも早く古代術式を修得していき、既に魔力集束術をもマスターしかけています。
アマンダとジェーンも順調に修得までの道のりを歩み、フィリア様の予測通りのスピードで術を覚えられそうです。
これなら、きっと間に合いますわ……。フィリア様、待っていてくださいまし。必ずやグレイスは再びパルナコルタに戻ります――。