第二十九話(ミア視点)
本日2回目の更新です。
「フェルナンド殿下、お初にお目にかかります。私はミア・アデナウアー。ユリウス殿下の婚約者です」
形式に則った挨拶をする私の目の前にはベッドに腰掛けた青白い顔色の痩せた青年がいる。
髪は薄い茶髪で目はどこか虚ろだけど……、顔立ちは整っており、それが一層彼を病的に見せていた。
ジルトニア王国の第一王子、フェルナンドを見た第一印象はこんな感じだった。
本来はもちろんユリウス殿下と共に向かう話となっていたが、私がピエールに二人きりで話す時間が欲しいと頼み、ユリウスを足止めしてもらったのだ。黄金像のデザインについて意見を貰う時間が欲しいとかで。
なので、ユリウス殿下はかなり遅れてここに到着する。……つまり、彼が来るまでが勝負なのである。
「ミア……? ユリウスの婚約者は確かフィリアだという名前だったような……」
しばらく私をボーッと眺めていたフェルナンド殿下は首を傾げる。
どうやら外からの情報はほとんどシャットアウトしているらしく、彼はフィリア姉さんが隣国に売られたことを知らないみたいだ。
「私の姉であるフィリア・アデナウアーは隣国、パルナコルタの聖女になるべくユリウス殿下とお別れになりました」
「へぇ、あのフィリアを手放したのか。父がよくそんな決断をしたものだ。一度しか会ってはおらぬが、彼女の優秀さはジルトニアの歴史でも随一だと思っていたが」
意外なことにフェルナンド殿下は一度きりしか会っていないフィリア姉さんを高く評価していた。
国王陛下が体を壊しているのは知らないみたいだけど。
「陛下は御体調が優れませんので、今はユリウス殿下が主に国政を動かしております」
「なるほど、あいつが王の真似事をしてるってわけか。いよいよ僕もお払い箱になるんだろうな。ユリウスが王になりたいのなら、僕ほどの邪魔者はいないだろうし」
自暴自棄なのか、やけっぱちなのか知らないが、フェルナンド殿下は随分とはっきりと物申す。
ユリウス殿下が王になる野心があり、自らを排斥しようとしていることを理解していても全く動じていない。
「しかし、国民の中にはフェルナンド殿下に王位を継いで欲しいと思っている人もいます」
「形式を大事にする保守派だよ、それは。長男が継がなきゃならないって既成の概念に捕らわれているんだ」
「そんな小さな理由じゃありません。ユリウス殿下がこのまま実権を握っていたら、国が滅びます」
フェルナンド殿下の言い分は少し前のジルトニア王国の内情なら、通っただろう。
しかし、今は違う。この状況で次々と的外れなことばかりしている殿下を許すわけにはいかない。
「おおよそ、自分の婚約者に対してのセリフだとは思えないな。弟が嫌いなのかい?」
虚ろな目で私を見据えるフェルナンド殿下は静かにそんな質問をした。
取り繕うことは出来る。でも、私は……。
――ここで、嘘をついてまで自分を守るつもりはない。
「はい。嫌いです。ですが、嫌いだから先の発言をした訳ではありません。先程の台詞はユリウス殿下の婚約者としてではなく、この国の聖女としての発言です」
私ははっきりとユリウス殿下に対する嫌悪と、それとは関係無しでこの国に危機が迫って来ていることを話した。
そう、確かに私怨もあるけど……現在の状況が悪いのは彼のせいだ。だから、さっきの言葉は私怨とは関係ない。
「そっか。君も聖女なのか……。フィリアと同じ……。あの人もそんな目をしていたよ。自分が何でも救わなくちゃならないんだって目を……。それで僕に会いに来た本当の目的は?」
「フェルナンド殿下に立ち上がってもらい、国を救うためにユリウス殿下を失脚させるためです。殿下、私に協力してください!」
私は精一杯、心を込めて言葉を発して懇願した。彼に味方になってもらえるように……。
そして、フェルナンド殿下は間髪を入れずに言葉を返す。
「……嫌だ」
そう言った彼は布団を被って横になってしまう。
ああ、一筋縄でいかないと思ったけど、やっぱり面倒くさい人ね――。
――でも……ハイそうですかって、引き下がるわけにはいかない。
「フェルナンド殿下、重ねてお願い申し上げます。この国の将来のために立ち上がり、ユリウス殿下を糾弾してください」
もう一度、フェルナンド殿下に声をかけた。人が会話をしてるときに布団を被るなんて……ちょっと腹が立ってきたけど……。
この人じゃなきゃ、ユリウス殿下に対抗出来ないのよね。陛下も次期王位継承者としてフェルナンド殿下が立ち上がれば、ユリウス殿下を叱責しやすいだろうし……。
「……放っておいてくれ。僕じゃ力不足だ。生まれつき体が弱いんだよ。知ってるだろ? 父上だってユリウスに跡を継いで欲しいと思ってるはずだ。僕なんかと比べたらね」
布団の下からか細い声が聞こえる。コンプレックスに塗れた弱々しい声が……。
ああ、この人は自分で壁を作ってるのね。そして、その壁から出られなくなってる。
体が弱いのは仕方ないけど、心まで弱くなるのは頂けない。それに、フィリア姉さんの薬をあえて飲まない理由にもならない。
「姉のフィリアが作った薬は良く効いていると聞きました。どうしてそれをお飲みにならないのですか?」
「……あの薬か。君の姉君は恐ろしいものを作ってくれる。――いいかい、今さら僕の体が多少良くなったとて、それは争いの火種にしかならない。ユリウスは僕を殺そうと躍起になるだろう。実際、そういう準備をしてると聞いた。ならばこそ、あの薬は僕の死期を逆に早めているんだ」
なるほど。要するにユリウス殿下を恐れて弱い自分のままで居たいってわけね。
ピエールが言ってたのと随分と違うわね。体が健康になると、自分に言い訳が出来なくなるとかって言われてたけど。
「それでは、身の安全が保証されれば……薬を飲んで体を治されるということですか?」
「…………わ、分からない。もし、そうだとしても僕は……」
やはり、そんな単純な話じゃなかったか。彼の声から伝わるのは自信のなさ……そして、未来への絶望……。
「本当にこんな体が死ぬほど嫌だったのに……いつの間にか、こんな体に縋りついている自分が居るんだ。虚弱だから仕方ない、って囁く自分が凄い強さで弱い自分を縛ってくるんだよ」
弱さに縛られて動けないなんて。意気地のないこと言って……。
そんなの理由になんてならないのよ。こっちからしてみれば……。
あなたの体が弱かろうが強かろうが、第一王子に生まれたからには国を背負う運命にあるのだから。
それに、せっかくフィリア姉さんがあなたの体を想って薬を残したのよ。それなのに……それを迷惑がるってどういう了見なの……。
――許せないわ……!
「フェルナンド殿下はそうやってずっと言い訳をして生きてゆくおつもりですか!? 私の姉は、突然……婚約を破棄されて隣国に売られたって自分の運命から逃げなかった。その上で、自分を売った故郷すら守ろうと力を貸してくれています」
「それは、君の姉君が強いからだよ。僕にだって分かる。あの人は多才な上に勤勉で努力家だ。僕にはそれが無いんだ。このまま、負け犬のような人生を歩むしか道が無い」
フィリア姉さんが強いから……ですって。そんな陳腐な一言で終わらせないで――。
それに、殿下は自分のことを負け犬とか言っているけど……。
「殿下、あなたはこのままだと負け犬にすら成れません。負けるというのは戦った者だけに与えられる称号ですから。逃げて、逃げて、言い訳だけして終わるなんて……悲しすぎると思いませんか? あなたはこのままだと負けることすら出来ないんです」
「…………」
「負けたって良いじゃないですか。それでも、自分の運命から逃げなかったと胸を張れるなら、上等ですよ。少なくとも私はその方が好きです!」
あちゃ~~。やってしまった……。ついつい、悪い癖が出てしまっている。
私は感情的になりやすい。殿下を冷静に説得するつもりが、いつの間にかヒートアップして理屈にもならないことを長々と叫んでしまってた。
最後の最後で私の好みまで持ち出すなんて……こんなのフィリア姉さんなら絶対にしないよ……。
「負けてすら、いないか……」
フェルナンド殿下は何を思ったのか、ガバッと布団を捲くってゆっくりと起き上がり……そして立ち上がる。よろけながら、不安定になりながら、それでも最後には背筋を伸ばして私の前に立った。
「ミア・アデナウアー。僕は全てがどうでもいいと思っていた。弟が何をしようと……僕を攻撃しなければ、それでいいと。少しでも長く生きられるなら、それで満足だと。だが、そんなことを考えてる時点で僕は半ば死んでいた」
「フェルナンド殿下……」
「だけど、さっきの君の言葉を聞いて……負けてみたくなったよ。――僕は生きてすらいなかった。どうせなら、君が好きだと言ってくれた生き方を最期くらい……してみたい」
――光が宿った。彼の虚ろだった目に。
だけど私はこれっぽっちも負けさせてあげるつもりはない。立ち上がってくれたなら、私はあなたを負け犬になんかさせない。
そう、これは反撃の狼煙。全部自分の思いどおりになっていると思い込んでいる愚か者に手痛い一撃を与えるための――。