第二十話(オスヴァルト視点)
「して、ライハルト……そしてオスヴァルトよ。聖女殿の様子は如何だったか?」
俺の父――つまり、この国の王であるエーゲルシュタイン・パルナコルタは兄と俺にフィリア殿の様子について問うた。
恐らく、誰かしらに俺たちが彼女に会いに行ったという話を聞いたのだろう。
フィリア・アデナウアー――最近、この国の聖女に就任してくれた女性だ。いや、「就任してくれた」はおかしいな。我が国は卑しくも聖女を隣国から金で買ったのだから……。
そんな経緯もあったので、俺はフィリア殿に顔向けが出来ぬと思っていた。しかし、彼女に挨拶をしないというのは如何にも不義理だし、何よりも無責任だ。
もしも、彼女が故郷に帰りたいと希望を述べれば帰還出来るように精一杯努めよう。そう覚悟を決めて俺はあの日、フィリア殿に会いに行ったのだ。
彼女は一言で言うならば「聡明」――そんな言葉が似合う女性だ。頭の回転が早く教養があり、あまり喋りたがらないが話題も豊富である。
歴代最高の聖女と言われるのも納得の人材だった。彼女ほどの人を特に貧困というわけではないのに金で手放すジルトニア王国が不思議だと感じるほどに――。
いきなり隣国で聖女をやれと言われて、素直にやれるほど人間というのは上手く出来ていない。だから、フィリア殿にも生活に慣れるまではゆっくりするように、と伝えていた。
しかし、彼女はさっそく早朝から働きに出たらしい。元俺の側近だったレオナルドとリーナの話によるとその働きぶりたるや、先代聖女の仕事量の三倍以上だったとか。
その上で新薬の開発や農地についての提案書の作成など、パルナコルタの生活事情を素早く仕入れて国益をもたらすにはどうすれば良いか誰にも言われずに自分の頭で考えて行動しているのだから、王家の者として彼女には頭が上がらない。
彼女はこの国に来たその日に既にパルナコルタの聖女になってくれていたのだ。これは誰でも出来ることではない。
人には未練とか葛藤とか、色々な感情があるからだ。新しい環境に置かれて即時に覚悟を完了させるなど、余程の精神力でないと無理である。
そして、彼女は間もなくして俺たちにある可能性を伝えてきた。パルナコルタ……いや、国内に留まらず近隣諸国すべてを巻き込むような大災厄が近付いていることを――。
俺はフィリア殿に助言を求め、彼女はそれに対して最善の策を以てして応えてくれた。
その策は彼女自身を王都に釘付けにして、国全体を大いなる破邪の力で守ること。つまり、彼女は故郷が危機に瀕する可能性を考えても尚……パルナコルタの安全を優先してくれたのだ。
何て女性だ――と思った。聖女としての立ち居振る舞いを完璧に成そうとするその姿は畏敬の念すら覚える。
そんな彼女だからこそ、俺はどんなことがあっても彼女のことを最優先に考えて行動することを誓った。願わくば、いつかフィリア殿とはわがままを言ってもらえるような――そんな関係になりたいと思っている――。
「フィリアさんは元気そうでしたよ。私が用意した花束も喜んで頂きましたし……」
俺の兄、第一王子ライハルトはいつもの穏やかな口調でそう答える。次期国王となる彼は幼いときから、徹底した教育で王たる者は何なのかを学んでいた。
そして彼はその教育に応えて国益をすべてに優先する国粋主義者になったのだ。その全ての中には自分の人生そのものも含まれる。
つまり、この男は国に確実に益をもたらす為にフィリア殿を妻に娶ろうと考えたのである。自分の人生も他人の人生も国の将来と天秤にかけて二の次に考えている彼は合理的な考え方のみで動いていた。
まぁ、フィリア殿に求婚した理由は他にもあるが……。
「ライハルト、そなたはフィリア殿に求婚をしたそうだな。二度しか会っておらぬ彼女に……」
父もライハルトの求婚話を聞いて呆れたのだろう。諭すように彼に話しかけていた。
「はい。確かに……。完璧な聖女たる彼女を未来の王妃に迎え入れたいと考えるのは当然かと……」
悪びれもせずに父の言葉を肯定するライハルト。
そりゃあそうだ。兄はこれっぽっちも悪いと考えていないのだから。
「フィリア殿はエリザベスではないのだぞ」
「もちろん、存じています」
やはり父もエリザベスのことを引き合いに出したか。兄の元婚約者を……。
ライハルトには婚約者がいた。「いた」というのはその婚約者であるエリザベスが亡くなったからである。
エリザベスはこの国の先代聖女だ。病弱でありながら、孤軍奮闘してこの国を守ってくれていた英雄でもある。
誰にでも優しく、癒やしを与えてくれた彼女は太陽のような存在であり、多分兄は珍しく本気で彼女に惚れていた。
聖女を守ることこそ、王になる者の務めだと言い出したのは彼女に会ってからだったしな……。
そんな彼女が亡くなって兄は自分を責めた。人一人を病から守れずに何が将来の王だと……。
フィリア殿をこの国に迎え入れようと提案したのはそれから僅かに三ヶ月後のことだった――。
あの男はフィリア殿に亡き婚約者を重ねて、そのときに果たせなかった義務を果たそうとしている。
俺はそんな兄の性根が許せないし、何よりも悲しかった。
あいつ一人に背負わせてのうのうと生きている俺自身が……。
ライハルト、お前は一人じゃねぇ。フィリア殿はエリザベスの代わりじゃねぇ……。
この馬鹿にいつかそれを分からせる。それが弟としての俺の務めだ。
「して、話は変わるが。北のボルメルン王国のマーティラス家が、四女……グレイス殿にフィリア殿の破邪術を教授してもらいたいと頼み込んできての。彼女がその打診を快く受けると返事をされたので、明朝にもこちらに到着する。知ってのとおり、グレイス殿はエリザベスの従妹じゃ。二人ともそれとなく気を遣ってやってほしい」
我が国と交流が深いボルメルン王国の名家であるマーティラス家。あそこは数多くの聖女を輩出しており、確か現在は四人の姉妹が全員聖女になっていたはずだ。
名家だけあって魔界の接近にも独自に気付いており、その対策として最高の成果を上げているフィリア殿の破邪魔法陣に目をつけたというわけか……。
まさか、エリザベスの従妹がこっちに来るとは、な。俺はともかくライハルトはどう思うだろう……。それにフィリアも……。
何かが大きく動きだす。そんな予感がしていた――。