第百三話(ミア視点)
『ヘンリー大司教の本当の目的は眠っているハーデスを覚醒魔法で起こして、エリザベスさんを生き返らせることかもしれません。アスモデウスが魔力を吸収したのと同様のやり方で私から神の魔力を吸収して覚醒魔法を使おうと考えている可能性もあります』
フィリア姉さんは“神の術式”である降霊魔法を使って教皇様に真実を語らせる、その状況こそがヘンリー大司教の目的だという可能性について言及した。
それはつまり、ここまでの姉さんやオスヴァルト殿下の動きは全部ヘンリー大司教の手のひらの上って話になる。
まったく姉さんの優秀さを逆手に取るなんて厄介な人ね。
もっとも、それが姉さんの買いかぶりかもしれない。ヘンリー大司教は単なる嫌がらせで姉さんをパルナコルタから取り上げようとしたという可能性も当然ある。
でも、私はその話を聞いたとき正直に言って動機として弱いと思ってしまった。姉さんもそう感じていたのだろう。
普通なら修得困難な“神の術式”をフィリア姉さんが使えるようになる確率に賭けるなんてしないだろうけれど、ヘンリー大司教は誰よりも姉さんの優秀さを評価していたのだろう。
腹が立つわね。何でもかんでも利用するだけじゃなくって、不確定な部分まで信頼という形で計画に組み込むって。
『ミア、あなたには“神隷の杖”を守ってもらいます。ヘンリー大司教にハーデスを起こさせる訳にはいきませんから』
思い過ごしなら良いという前置きをしつつ、姉さんは私に“神隷の杖”を守るように頼まれた。
私を信じてこの重大な仕事を任してくれたのである。
後ろの扉の先には“神隷の杖”が保管されている。魔力で転移魔法で悪魔が入れないようにしているが、この扉を壊して侵入される可能性はある。
つまり、私の役目はこの先に誰一人として通さないことだ。
『教皇様の遺言が間違いであると証明せねばなりませんから、降霊魔法を使わない訳にはいきません。しかし、使えば恐らく一時的に私は体力を使い果たして動けなくなります。そうなると分かっていても魔力の吸収を回避出来ない可能性が高いです』
『俺がそうさせないようにフィリア殿を守るさ』
『いえ、壇上付近には誰も近付けさせないでしょう。私の魔力を吸収するまでは。助けていただくのはその後になると思います』
『危ないから近付くな、とは言わないんだな』
『危なくても助けに来てくれると知っていますから』
そんな惚気話を聞かされながらはっきりしたのは、姉さんは“神の魔力”を吸収されるまでは想定の範囲にしているということ。
大事なのはそれから。要するにハーデスを起こさせなければいい。
神を操る力を持つ“神隷の杖”。それをヘンリー大司教の手に渡さないようにすればいいのだ。
とにかく私は嬉しかった。尊敬するフィリア姉さんに「頼まれた」のだから。
「随分と嬉しそうじゃない」
「えっ? あはは、顔に出ちゃってました?」
まぁ、姉さんが「頼んだ」のは私だけじゃなかったんだけどね。
退魔師のエルザ・ノーティス。神隠し事件が発生してクラムー教の本部から護衛として送られてきたのがきっかけでフィリア姉さんから信頼を得ている。
何か上から目線で嫌な感じな人だと思ったけど、姉さんは優しい人だって言っていたわ。姉さんの優しいの基準はズレているのかもしれないけど、悪い人ではなさそうだ。
実力はある。悪魔退治の専門家だから、守りに重きをおいている聖女に対して攻めに特化しているというか。
とにかく、フィリア姉さんが頼りにするに足る高い能力の持ち主だ。
「姉さんに何かを任されるのって初めてなんですよ。聖女として一人前だって言ってもらったことはあったけど、それでも今日私はようやくフィリア姉さんに認められたんだなぁって」
「大聖女さんに認められるのってそんなに嬉しいものなの?」
「当たり前じゃないですか。あの人はいつでも、どこでも、私の憧れなんですから」
私はフィリア姉さんみたいになりたくて聖女として頑張っている。
師匠の厳しい修行に耐えて、毎日早朝に起きて自分一人でも鍛錬を積んできた。
この嬉しさは誰にも理解されないかもしれない。とにかく期待してもらったからには役目は果たして見せるわ。
「やっぱりミアちゃんは素敵だなぁ。可愛い上に努力家で。このあと、二人で城下町で夕食でもどう――」
「丁重にお断りします」
マモンさんは悪魔だ。凄くナンパしてくるけど、悪魔らしい。
前に屋敷に行ったときはお義母様もナンパしていた。女性を見ると見境がないらしい。
「さぁすが、“最速の聖女”。僕を振ったスピードも最速じゃない。もっと惚れちまったよ。僕ァ何としてでも君と――」
「マモン、いい加減になさい。その首を切り落とすわよ」
「「“神隷の杖”はこの奥か……!」」
「「――っ!?」」
エルザさんが赤いファルシオンをマモンさんに向けようとしたとき、こもったような低い声が二重に聞こえた。
フィリア姉さんがヘンリー大司教は二体の悪魔を従えていると言っていたけど、この魔力は私やエルザさんよりも大きい。上級悪魔であるマモンさんと同じくらいだ。
「オリアスにヴァプラじゃないか。今日はヘンリーのやつに尻尾振らなくて良いのかい? 大変だよなぁ。ご主人様からの命令無しじゃなーんも出来ない人形にされちまって」
「「…………」」
マモンさんが挑発的な言動をすると、二体の悪魔はフードをめぐって隠されたその顔を顕にする。
たてがみがあるわね。まるでライオンみたい。
とにかく相手は二体。私たちは三人。数の上では有利だ。
あの挑発はこっちに意識を持っていくためのもの。飛びかかってきたら、返り討ちにして――。
「「扉、破壊する……」」
魔法陣が二つ展開したかと思えば、どす黒い円盤がそこから放たれて、ガラガラと音を立てて扉が破壊される。
そして悪魔たちは私たちなどには一瞥もせずに扉の奥に進もうとした。つまりマモンさんの挑発は完全に無視されてしまったみたいである。
ええーっと、どっちがオリアスでどっちがヴァプラだっけ?
「まっ、いいか。どっちでも。聖光の鎖!」
両手から二本の光の鎖を伸ばして、二体の悪魔を拘束する。
マモンさんも言っていたとおり、私は“最速の聖女”と呼ばれるくらい術式の発動速度を短時間で行える。
そして古代魔術によって魔力も増幅しているから、この鎖はちょっとやそっとじゃ引きちぎれない。
「「“神隷の杖”を主の手に!!」」
「――っ!? うそっ!?」
なんていう馬鹿力。魔力を増幅して前よりも術式を強化出来るようになったのに。
あの二人の悪魔は力尽くで鎖を引きちぎってしまった。
まったく、悪魔って存在は魔物以上に厄介だと聞いていたし、実際アスモデウスっていうとんでもないのと対峙したこともあるけど、こうもあっさりと脱出されると傷付く。
「やるわね。大聖女の妹さんも!」
「こんだけ時間を稼いでくれたら十分だ!」
「「――っ!?」」
私が心の中で舌打ちをしていると、マモンさんとエルザさんが扉の奥に再び進もうとする悪魔たちを吹き飛ばした。
さすがは悪魔退治の専門家。私の作った時間を有効に活用して、攻める準備をしていたみたい。
「「“神隷の杖”を主の元に……!」」
この二体の悪魔は同じセリフしか吐けないの? 操り人形と化しているって考えると可哀想な気もするわね。
ヘンリー大司教は妹を生き返らせるために様々な人間性を失ったみたいだ。
「姉さんにここを任されているのよ。ここは絶対に通さないんだから! 聖光の鎖!」
「ミアちゃん、また同じ魔法を!?」
「いえ、違うわ。今度は二十本……! 二十本の光の鎖を!」
スピードや質だけじゃなくって、量も上乗せすれば、どんなにこの悪魔が暴れん坊でも拘束出来るはず。
あの二人が立ち上がったその瞬間に私は二十本の光の鎖で悪魔たちを拘束した。
「「ぬぐぐ、“神隷の杖”を我が主の前に……」」
ジタバタしているが悪魔たちは身動きが取れなくなり完全に捕獲することが出来た。
フィリア姉さん! 私、姉さんの期待に応えられたかな? あとで目一杯褒めてね……!