第百二話
「行きますか」
「うむ。随分と落ち着いているな。流石だ」
「フィリア姉さん、私も頑張るからね。必ずやり遂げる」
今日は教皇継承の儀式が行われる日。聖杯から神の血を飲めば、私は新たな教皇となり死ぬまでこの国にいなくてはならなくなります。
そうならぬために、全ての決着をつけるのです。
ヘンリー大司教には個人的な恨みはありません。恨まれているのかもしれませんが、私自身は特にそういった感情を持ち合わせていないのです。
憎しみや怒りがあれば楽だったと思います。ヘンリー大司教には罰を受けて貰わなくてはなりませんから。
私は手を下さなくてはならない義務から逃げません。
ミアの、あの子の強さをこの目で見ました。妹が懸命になりながら、心を痛めながら、故郷の国のために奔走したのです。
私もパルナコルタを故郷と呼ぶのなら、パルナコルタの聖女と名乗るのなら、その強さをオスヴァルト殿下やミアに見てもらいたい。
一度、その覚悟を固めると不思議なほどに落ち着いて、理想的な精神状態になってくれました。
「前に会った感じだと怖じ気つくかもしれないと思ったけど、その心配はなさそうね」
「エルザさん……。ご心配おかけしました」
「うおっ! ミアちゃん、いるじゃん! 前見たときより可愛い気がする! 教皇継承の儀式なんて行かずに僕とデートしようぜ!」
「丁重にお断りしますね」
「ミアちゃんって、断っているときの笑顔も素敵なんだなぁ!」
エルザさんとマモンさんも屋敷に来てくれました。
お二人も継承式に同行してくれるとのこと。何かあったときの護衛を買って出てくれたのです。
本来はクラムー教本部側の方々なのですが、力を貸してくれて感謝しています。
「すみません。ご迷惑おかけします」
「いいのよ、身内の不始末だもの。退魔師の仕事も暇だし」
「そして、僕ァ姐さんの暇つぶしに付き合う哀れな使い魔」
「そうよ、もっとこき使っても良いんだけど。どうしようかしら」
「フィリアちゃーん。エルザ姐さんに悪魔にも人権があるって教えてやってくれよー」
いつものように楽しそうな会話を繰り広げるお二人。神隠し事件からの付き合いですが、頼りになる方々なのは分かっています。
エルザさんとマモンさんまで付いてきてくださるなら大丈夫。私はなんの憂いもなく聖地へと足を進めました。
◆
「ここが聖地なのね。姉さんと一緒に行きたいという夢が叶って良かった」
「こんな形だとは思わなかったけど、ミアと来られて私も感慨深いわ」
ミアはジルトニア聖女なので聖地に入ることが許されました。
オスヴァルト殿下は王族で、エルザさんとマモンさんは本部の関係者。今日は儀式があるので、特別な許可がなくては聖地に入れないのですが、全員許可を頂けました。
ミア以外は教皇様の葬儀に出席出来ましたから心配はしていませんでしたが、もしかしたらヘンリー大司教が妨害を企てる可能性もありました。
それが杞憂で済んだのは幸運です。しかし、その幸運が続くとも限りませんから油断は禁物。気を引き締めなくてはなりません。
「その割には表情固いね」
「元々こんな顔だから」
「ミア殿、これから大事な儀式なんだ。フィリア殿だって少しくらい緊張もする」
「私やオスヴァルト殿下がいるんだから、もっとリラックスしなさいよね」
「だから、こんな顔なの。オスヴァルト殿下、私は緊張などしていませんよ」
オスヴァルト殿下まで私が緊張していると仰る。
普通にしていると思うのですが。良い精神状態を作れたと思っていましたから。
「そうか? 俺には屋敷を出るときよりも若干強張っているように見えるが」
「あー、オスヴァルト殿下も分かりましたか!? やっぱりそう見えますよね」
それでも二人は意見を曲げませんでした。というより、同じ部分を見ているみたいです。
顔が強張っていますか? 全然、そんな実感はありません。
「いつもと同じ顔じゃない」
「フィリアちゃんはどんな顔していても美人さんだぜ」
エルザさんは変わらないと言っていますが気になります。
知らない間に緊張していて、術に失敗なんてしないでしょうか。
「大丈夫、俺たちは一緒に帰るんだろ? それだけを考えていれば良いんだ」
「オスヴァルト殿下……」
手を握られながら、優しく声をかけていただくと肩の力が抜けたような感覚になりました。
どうやら本当に余分な力が入っていたみたいですね。まるっきり気付きませんでした。
「さすがはオスヴァルト殿下。フィリア姉さんがデレッとした表情を見せるなんて」
「……そんな顔は絶対にしていないわ」
「だったら、なんで顔を背けるのよ」
そんな私を見て冷やかすミア。この子はスキあらば、私とオスヴァルト殿下をからかうんですから。
師匠に言いつけてあげましょうかしら。本当に仕方のない妹です。
そんな話をしているとあっという間に聖地の祭壇の近くに辿り着きました。
「フィリア様ですね。お待ちしておりました。壇上にお上がりください。そして――」
「あたしたちは壇上には上がれないんだから、さっさと向こうに行くわよ。大聖女さん、健闘を祈っているわ」
「フィリアちゃん、僕ァ君が幸せになる人生しか見えていないんだなぁ。気楽に行け」
「姉さん、全部終わったらまた……」
「頑張れ、フィリア殿。俺は客席から見ているから」
ここで皆さんとは離れます。当たり前ですが壇上に上がれるのは私一人です。
皆さんの温かい言葉を受けて、私は一歩ずつ壇上へと近付いて行きました。
祭壇の傍らにはヘンリー大司教がおり、恭しく私にお辞儀します。
「これは、これは、フィリアくん。いや教皇様。いよいよですなぁ。新たな教皇の誕生に私も興奮が隠せません」
「本当にそうお思いですか?」
「……ふふふふふ、もちろんですとも。亡き妹も喜んでいるでしょうな。自分の後釜が教皇になれた、と」
ニヤリと歪むヘンリー大司教のその表情。エリザベスさんの人となりはよく知りませんが、グレイスさんから聞いた話だとそんなことで喜ぶような方ではないように思えました。
「祭壇の上の先代教皇に挨拶を。そして、神の血を飲み干し、我らをお導きください。さぁ! 新教皇フィリア様! 儀式を決行するのです!」
「分かりました……」
一歩ずつ階段を上り、祭壇の上の聖杯と棺に近付きます。
ヘンリー大司教はここまで何か行動を起こそうという気配はありません。
これなら集中力を乱さずに“神の術式”を使用出来そうです。
「まずは全身の魔力を神の魔力に変換……!」
「「――っ!?」」
「な、なんだ!? あれは!」
「眩しい!」
「儀式を開始するのではないのか!?」
今までで一番スムーズに全身の魔力を神の魔力に変換出来ました。
ざわざわと儀式を見守っている本部の関係者の方々が騒いでいますが、止まるわけにはいきません。
「それでは、いきます! “降霊魔法”……!」
「なっ!? こ、今度は地震だ!」
「空を見ろ! 光がフィリア様に!」
「あれは、確か! “神の術式”!?」
「はぁ、はぁ、い、意識が……」
やはり、これはかなりハードですね。気を抜けば一瞬で意識を持って行かれそうになりました。
本来なら人間には扱えない魔法を無理やり体内で神の魔力を精製して使用していますから、体力の消耗が激しいのです。
ですが、練習の甲斐もあって。“降霊魔法”は成功しました。
『信じられん。まさか、魂を呼び寄せる“降霊魔法”を成功させるとは。術者は誰だ?』
「はい。お初にお目にかかります、というのは変かもしれませんが。私はフィリア・アデナウアー。パルナコルタの聖女です」
『なるほど、大聖女フィリアか。このワシの魂を地上に呼び戻す理由はなんだ? 余程の事態と見えるが』
「あれは教皇様の声だ!」
「やはり“神の術式”で“降霊魔法”を使ったのか!」
「しかし、何のために!?」
亡くなった教皇様の魂は私に低い声で語りかけました。
自己紹介をすると、彼は早速理由を尋ねます。
恐らくこの術式を維持出来る時間が短いという弱点を察したのでしょう。
周囲の方々にも教皇様の魂が降りてきたという認識をしていただけましたみたいです。
「手短に質問する無礼をお許しください。教皇様、遺言で次の教皇として私を指名したとありますが、それは事実ですか?」
この質問の答えを頂くためにここまで来て、皆さんの協力のもとで頑張ってきました。
オスヴァルト殿下、エルザさんにマモンさん、そしてアリスさんにミア。みんなが勇気付けてくれたからこそ、私はこの術式を無事に成功させたのです。
さぁ、答えを聞かせてください。その答えが聞ければ私たちの頑張りは報われるのです。
『何!? 何故、そんなことになっているのだ!? ワシは次期教皇にヘンリーを指名した! 何故、ヘンリーはそんな嘘をつくのだ!?』
「「「――っ!?」」」
動揺したような口調で私ではなくヘンリー大司教を指名したという教皇様の魂。
その言葉を聞いた皆様は一斉に視線をヘンリー大司教に向けました。
「教皇様は何を仰っているのだ!?」
「次期教皇に指名したのはヘンリー大司教!?」
「なんでだ!? どうしてそんな!?」
口々に驚きの言葉を発してヘンリー大司教に向かって詰め寄ろうとします。
聞きたかったセリフは聞けました。あとは慎重に“神の術式”を解除して――。
「ふふふふふ、私に近付くでない! 愚民共が!!」
「「――っ!?」」
ヘンリー大司教は腕を振り上げると、突風が巻き起こり、駆寄ろうとした人々が吹き飛ばされました。
さらに壇上に緑色の金属で出来た檻がせり上がり私はその中に閉じ込められてしまいます。
迂闊でしたね。気配は察知していましたのに、思った以上に体が重くて動けませんでした。
「ふふふふふふ、その檻は魔力を吸収する金属で出来ている! 神の魔力は頂いた! ふふふふふふ、ふははははははは!」
片手に黒い水晶玉を持っているヘンリーは勝ち誇ったように笑い出しました。
どうやら彼は神の魔力を吸収することが目的地だったみたいです。
黒い水晶玉は虹色に輝き、神の魔力を檻を介して私から吸い取ってしまいました。
「さぁ! これで私も“神の術式”が使える! 冥府の神ハーデスの復活だ! ふふふふふ! エリザベス! もうすぐ君に会える! 待っていてくれ!」
どうやらヘンリー大司教はハーデスを復活させてエリザベスさんを生き返らせることが目的だったみたいです。
つまり、私がこうして教皇様の魂を呼び出すのは全て彼の計算どおり。そうなるように仕向けていたという話になりますね……。
「エリザベスの後釜で大層優秀だと聞いていた! そんなに優秀ならば“神の術式”も習得すると信じていた! だが、全てはこの私の手のひらの上だ!」
「ハーデスを復活させても、神はあなたの思いどおりには動きませんよ。それどころか、この国……、いえこの大陸に大きな混乱を招くのは間違いありません」
「そのための“神隷の杖”だ! ふふふふ、ふははははははは! 私の忠実な下僕たちが今それを取りに行っている! おっと! 今から向かっても無駄だぞ! 絶対に間に合わんからなぁ!」
神を自在に扱う“神隷の杖”。それは厳重に保管しているとのことですが、ヘンリー大司教の護衛をしていた悪魔たちが取りに行っているみたいです。
――想定していた最悪のケースですね。やはりヘンリー大司教の目的はエリザベスさんの復活でしたか。
ミア、頼みましたよ。彼女には念のために“神隷の杖”を守るようにお願いしていました。
このような事態になった以上。頼れるのはあの子しかいません。