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神の怒り  作者: 松 潨
1/1

Blood Carnival

 Prologue: 魂の出会い


 四千年一月一日

 それを知っていた人はほんのわずかだった。あの瞬間、逃亡によって二つの魂が、遠く離れた二つの國で繋がれた事を。

 深い森林を必死で走り続けていた少女はどうすればいいのか見当すらつかなかった。確かに無惨な奴らだとは知っていたが、流石に村ごと葬るほどの無慈悲とは思えなかった。しかも只の村ではなく、自分が生まれ育った実家だ。

 高校生ほどの年齢をした少女の後を11歳の小さな男の子が追いかけていた。


「諦めないで、優人!」怯えながらも、彼女は従弟と離れないよう、ペースを下げて手を差し出した。顔にかかっていた黒く長い髪から汗が滴り落ちていた。


「先に...行ってて。」息絶え絶えだった坊やは疲労に勝てず、足を止めた。「ちょっとだけ―」


 だが、その一瞬がおしまいとなった。子供が立ち止まった時点、森の中から槍が飛んで来た。そして、少女が唖然と見据える中で、胸を見事に貫かれた優人はその場に倒れた。

 息をせず。

 それでも躊躇う時間は無かった。きっと次の狙いが彼女に定められていただろう。

 金の人生は生まれつき辛いものだった。ダークコマンダーズの襲撃に寄って両親を奪われた彼女は叔父とその息子、優人と村で暮らしていた。そんな日々の記憶の断片がなぜか今蘇っていた。


(ここで諦めちゃいけない!責めてまだ少しの气が残っていれば...)


 やがて、夢中で走り続けていた少女の目に森の出口が映った。顔には木の枝による無数の切創が開いており、戸惑いを覚えた彼女が表情を歪ませた途端に不快な痛みが走った。とは言え、いくら次のステップを考えていなかったとしても、村が廃墟になった以上、前に進むしかなかった。


「早く...早く!」


 全身くまなく襲う痛みがエスカレートしていくなかで体中を回る血液が沸騰しているかのようだった。最後の呼吸も残りわずからしく、いつ肺が破裂してもおかしくないと、足を引き摺りながら金は思った。

 要約森を出た少女には溜息を吐く隙すら与えられなかった。体の左側を何かが凄まじい勢いで直撃し、口内は生温かい鉄錆のような血の味で溢れ漏れた。


「えっ...?」


 気が遠くなっていく中で崩れ落ちた少女が最後にぼやけて見たのは、黒い服装を纏った男が数人近づいて来る光景だった。

 

 ・・・

 

 目を覚ましながら拘束されている事に気付いた。どう得たかすら憶えていなかった腰辺りの傷は手当てされていたが、捕らわれの身になっていた事と、牢屋内に血生臭い悪臭が漂っていた事だけは確かだった。


「起きたみたいだな。」どこからか静かな声がした。少女は慌ててその方向に目を向け、壁に鎖で縛られていた、自分とほぼ同い年の青年を見つけた。「DCsダークコマンダーズに連れて来られた時は持たないかと思った。」


 細長いすらりとした顔と黒い乱れ髪の、ごく普通な外観を逆らう印象的な目の奥に葡萄色の輝きが微かに見えていた。金はその視線に違和感を覚え、落ち着かなくなった。


「あなたは?」 少女は怯えた視線を逸らさず聞いた。


「俺は神成鋼一(かみなりこういち)。暗黒の國の者だ。」前方を向いたまま、彼が自動的な答え方をした。金はそこで初めて青年の無表情に気付いた。


 全身が哀れなほど汚く、無数の怪我や乾燥し切った血で覆われていたのに、少しも気にしていないようだった。


毒龍金(どくどらごんきん)...です。」


「生憎俺たちはついてないみたいだ、金。」 虚ろな声だった。「どうやら奴隷隊に捕らわれた。戦士として価値ある人材と見なされただろうな。」


「どういうこと?」


「決まってるだろ?兵器としてこき使われてから殺される、という事だ。」


 金には理解出来なかった。あれほど恐怖や戸惑いの欠片すら見せず、惨い未来について何ともなく口走るなんて有り得ないと思っていた。


「な、何それ...まるで納得してるかのような口調じゃない。」


 青年の視線を浴びた時点で金は頬が熱くなるのを感じた。一言言われずとも答えは明らかだった。捕獲された上に致死兵器として利用される奴らの目的に納得出来る訳が無い...


「俺たちをここから出す。」視線とは裏腹に、彼の声は落ち着いていた。「が、その為には少しばかりの時間稼ぎが要る。お前の气はもう回復している筈だ。」


「ここで暴れて欲しいの?」


「ちっ、質問の多い女だな。ああ、そうだ。暴れろって言ってるんだ。じゃなきゃ奴隷にされて終わりだ。」鋼一は言葉を遮り、耳を澄ませた。「よし、もうすぐ奴らが俺らを解放しに来る。頼んだぞ。」


「待ってよ、あなたに惑わされてない保証なんて無いわ」


「そんなことして何の利益もねぇと思うが?」


 事実、長く考える必要は無かった。だが、いくらあの状況で逃亡以外の目論みがあるようには見えていなくても、残酷な世界で生きてきた金からすれば、容易に誰かを信じる行為は自殺に等しかった。


「来るぞ。」鋼一は目を閉じ、警備員に聞かれないよう、囁きながら集中し始めた。「先ずはお前を解放するだろう。自由になったらすぐ近くの奴を攻撃しろ。あとは俺が片付ける。」


 牢屋の前に立ち止まった男達は気味の悪い笑みを浮かべていた。金と鋼一を見据えたその目に、新しい玩具で遊びたくて堪らない悪戯な子供の興奮と大人の淫乱な視線が混じり、凄まじい嫌悪感を引き起こした。

 鋼一が想定した通り、金が先に解放された。片方の監視官が青年を解く間にもう一人が金属の首輪を持って来るのを見て、少女は合図を待った。そして、鋼一が自由になった時点で繰り出した微かな頷きで金は目を閉じた。

 目を開くと同時に氷の棘を喚び出した金の周りが一瞬で冷え切り、巨大な氷柱が地面から発芽し、手前のダークコマンダーズ三人を貫いた。地面に崩れ落ちた男達の真っ白な征衣が血で染まり切っていた。


「でかしたぞ、金!」 牢屋を出ながら少女を褒めていた鋼一は間一髪で射撃をかわした。


 金が見守る中、青年は一切の狼狽えを見せず姿勢を戻し、銃を持った二人の警備員に突進した。首を見事に攻撃された男達は瀕死状態で倒れ、ぴくともしなかった。天晴としか言えない戦闘振りだった。


「準備完了。」 そう告げた途端、鋼一の目に宿っていた紫色の輝きが増し、彼は身の毛がよだつ程の恐ろしい笑みを見せた。


 次の瞬間、彼の体から漲り始めた闇が辺り全体に広がった。隅でただ見ていた金の背筋は凍ったように硬くなり、その身は振るい出した。闇に覆われた牢屋は灯りの無い狭い部屋の様に窮屈だったが、その心地悪さは静寂な破裂と共に突然消えた。

 不図目を閉じた少女が躊躇いながら開きなおした目にはとんでもない光景が映された。廊下で駆け寄っていた何十人もの兵士が山積みに倒れていた...と言うより、死んでいた。


「敵ベース、処分完了。」冷静な笑顔で鋼一が言った。「ってカッコイイ事言ってても、なんて疲労だ...カオスを使う度にくたびれる」


 DCのベースを見慣れているかのように歩き出した青年を金は追いかけて行ったが、目は兵士の死体に釘付けだった。目に見えるような怪我や出血が無かったので、どう見ても眠っているとしか思えなかった。


「さ、先の...凄かった」 沈黙を破るように、彼女がさりげなく言った。


「まあな。カオスは俺が味方として見る奴以外は全員仕留めるから敵の敷地では便利だが、その代わり气を完全に消耗してしまう。何度も使えるものじゃない。」


 金は思わず顔をしかめた。あの口調だとまるでカオスとやらが別の人だった感じがしたが、当然二人以外の存在はいなかった。ともあれ、質問する気にもならなかったので、取り敢えず流しておく事にした。


「な...クローゼット?」衣服が沢山掛けられたスペースを見ながら、少女が驚いた声で囁いた。あれほどの服を目にしたのは生まれて初めてだった。


 逃亡し始めてから考える時間など全く無かったが、か細い身体を纏っていたのは布切れに近いものだった。鋼一も同様で、着衣を選び出す手間は分にも及ばず、素早いと言えた。寧ろ何でもよかっただろう。黒いシャツに同色のジャケットとジーンズを抱え、青年が提案した。


「交代して着替えよう。俺が先に行くからあっち向いてくれ。」


 言われた通りに背を向けた金の耳に、布が肌を覆い被る音が入って来た。仕方無く頬が燃えるのを無視しながら、彼女はひたすら着替えが済むのを待った。

 鋼一が突然視界に入って来た。


「お前の番だ。急がなくていい。」


 一人になった少女は暫くクローゼットを見つめ続けた。まさかダークコマンダーズの拠点にこんなものがあるとは...可笑しさにも程がある訳だ。

 真っ白なシャツに厚い茶色のコートとシンプルなジーンズに着替え終わった金が戻る最中に鋼一が選んだジャケットの背中が見えた。そこには白いシンボルが縫ってあり、彼女は何気なく綺麗と思った。


「これからどうするの?」 心配を隠さず問い出した。「拠点を丸ごと消してしまったし、処罰を免れるとは思えない...」


「そこはもう考えてある。俺の知り合いを当たって助けを求めよう思う。」前の冷たいトーンだった。「当然ただでは行かないが、俺達を匿ってくれるだろう。」


 最悪のパターンを期待する事に慣れていた金の表情が強張った事に気付いた。鋼一は補足した。


「心配するな。大して悪い事じゃない...筈。まあ、見解次第で悪いかもしれないし、場合によっては殺される可能性もあるが...」


 落ち着かせるところか、少女は以前より怯えていた。


「兎に角、悪いようにはされない。」


 村を破壊され、叔父と小さな従弟が死んでしまった以上、金には選択が残されていなかった。今更戻ろうとしたって無駄に狩られるだけだろう。


「分かった...手伝ってくれるなら、付いて行く。他に行く場所が無いし。」

 

 ・・・

 

 鋼一がリードしていく中で二人はDCsのベースを出た。深い森の奥にそれが建っていたので、森林を潜り抜けるには数メートル歩いてから一旦止まり、方向を確かめなければいけなかった。

 只、それを分かっていたのは鋼一のみだったので、急な立ち止まりによってその背中に衝突しかけた金はうんざりしてならなかった。


「さっきから何なの?」 苛立った声を抑えながら、彼女が聞いた。


「道の確認。森の气を感じれば分かる。」ポケットに手を突っ込んだまま、彼は答えた。


 金は思わず目を見開いてしまった。一応自分にも气を感じ・利用する力があったが、その薄い糸のような流れを読み取るにはかなりの集中力が必要だった。

 なのに、あの青年は単に星を眺めるかのようなシンプルさで成し遂げていた。


「そんな繊細なものを自然に感じ取れるの?」


「ああ。トレーニングを重ねた上で難事とも思えなくなった。」


 大した事無いような言い方でも、金にはその難易度がよく分かっていた。簡単なトリックみたいに出来るものでも、すぐに覚えるものでも無い。

 ルートの確認が終わった鋼一が徒歩を再開し、二人は進んだ。

 

 ・・・

 

 四千年一月三日


「ここだ。」 数メートル離れた場所にどっしりと座っていた岩石を指差した。


 金は岩石以外の何かを探しながら辺りを見た。岩が洞窟か隠し扉らしきものの入口を塞いでいるという事なのだろうか?なら、酷く栄養失調していた、貧弱な二人があれほど巨大なものをどう動かせというのか?


「は?」 少女は懐疑を隠せなかった。「隠れ処ってこの岩石のこと?」


 鋼一が彼女に向けた視線は正気か、とでも言うように呆れていた。青年は答えを返さず岩元まで歩き、その硬い表面を指先で触れると同時に目を瞑った。途端に彼の体から闇が生じ、見えない手が岩石を動かしているかのようにゆっくりと道が開かれた...

 地面に埋め込まれたかの様な隠し扉が現れた。鋼一は一切の戸惑いを見せず扉を開き、金を後にして飛び降りた。

 暫くの間動転していたので、自分も飛び降りなければいけない事をすっかり忘れていた金は急いで扉の入口まで足を運び、青年を真似た。落下するところか、滑々な円柱を潜り始めた。

 まるで胃が喉まで浮いて来ているような面白い感じだった。数秒滑り続けていたら、突然目の前に地面が現れたが、衝突してしまう前に二本の腕が彼女を掬い上げてくれた。鋼一が待ってくれていたようだ。


「大将にこの入口を何とかして欲しいな。」無表情を保ったまま、青年が呟いた。


「大将?」 金は無意識に首を傾げた。


「ああ、沖田大将さ。」


 突然、頭内で何かが鳴った。その覚えのある名前は何度か叔父のラジオで聞いた事があり、ある革命軍を率いる、ダークコマンダーズの大敵として名乗り上げていた人の事だった。― その軍団は「神の怒り」として広く知られていた。

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