そして全てがゼロになる(男爵令嬢の人生が)
「適当なことおっしゃらないでください!」
私は思わずカッとなり声を荒げる。
「私がキース様と初めてお会いしたのは、学園の卒業パーティーがあった日ですわ!」
彼の人生を振り返ると必ずと言っていい程登場する『心に決めた人』。それが一年前のあの日に出会った私であるはずがない。
「グレイスはそう思っているけど、俺は随分昔から君を知っている」
キースさんは悲しそうに微笑みながらそう言った。
「ゴドウィン公爵が地方に領地をお持ちなのは知っているよね?」
公爵である父は王都に邸宅を持つだけでなく、地方に広大な領地も所有している。そしてそこには、この城ホテルの数倍はある巨大な邸宅もある。
「その領地で働く執事の養子という形で、公爵は俺に『キース』という新たな人生を用意してくださったんだ。だから神官学校は全寮制だったけど、長期休暇の時にはゴドウィン公爵の領地へ帰っていた」
広大な領地……ということもあり、王都からはかなり離れた場所にその領地はある。子供の頃は私も何度かその邸宅で休暇を楽しんだことがあった。
「最初は恋愛という感情だったわけではないんだ。ただ命を助けてくださった公爵に、何としてでも恩返しがしたかった。だから彼が何よりも大切にしているグレイスを俺も大切にしたいと思うようになっていたんだ」
「一緒に遊んでいただいたことがありますの?」
自然が豊かな地方領での休暇は楽しい思い出ばかりだが、今思い返してもその記憶にキースさんは登場しない。
「うんん。ただ見ているだけだったよ。でも危険が及ばないように、君に害をなす人間がいたら排除するように……。君の幸せをいつも心から祈っていたんだ」
とんでもない告白に思わず耳を疑う。
「だから君と結婚なんてとてもではないけど、できないと思っていた。形だけの第一王子である俺と結婚してもグレイスは幸せになんてなれないからね。それにそれはゴドウィン公爵に対する裏切りでもあるし――」
だから父から恨み節を言われた時、キースさんは申し訳なさそうな表情をしていたのか、と思わず納得してしまう。
「でも一緒に過ごすうちに君を手放せなくなった。多分、君に対する想いが『憧れ』から『愛』に変わっていたんだと思う」
そう言って私の手を握った彼の手はいつも以上に温かい気がした。その手を握り返しながら私はアルフレッドが訪れた日のことを思い出した。
「だから死にたいって仰られたの?」
瀕死の状態となったキースさんは「これでいい」とその状況を歓迎している風だった。
「そうだね。君を幸せにできないけど一緒に居たい。それなら自分が死ぬのが一番なのかもしれないって思っていた時期もある」
「もう絶対、そんなこと仰らないでくださいませね」
私はそう言ってキースさんの胸に飛び込みながら、ティアナの言葉の意味を理解した。
キースさんは『悪役令嬢』に心を奪われた攻略対象なのだ。
それをヒロインが強奪するというのは確かに『ちょっと違った』程度では攻略できないだろう。ただ一方で『悪役令嬢』の私からすると、特に問題なく迎えられるハッピーエンドだったに違いない。やっぱりあのティアナは一筋縄ではいかないらしい。
そんな私の悩みを解決してくれたのは、キースさんの言葉ではなく意外にもディランの言葉だった。
「あの城ホテル、もって半年だな」
王都に帰るやいなや、ディランは自信ありげにそう呟いた。
「あれだけ人気なのにですか?」
「確かに人気だが、一過性にしか過ぎない。何より料金が高すぎる。一番安い部屋で金貨十枚ってどんなだよ?俺達が泊まった部屋は普通に支払ったら一人金貨三十枚だぜ?」
合計百二十枚……。貧乏診療所の医者の嫁からすると、想像を絶する値段だ。
「一番ありえないのは、客に優劣をつけることだ。しかも付け方が間違っている。あの場合、身分は一番低くてもエマお嬢様を大切にするべきだった」
ティアナの対応は社交界では当たり前かもしれないが、エマは終始不機嫌で一緒にいた私達も居心地は悪かった。
「でも随分、楽しそうに話していたじゃないの」
エマは軽く睨むようにディランに視線を送る。未だにティアナの対応が腹に据えかねているという様子だ。
「いえね、あの城を俺の物にできるかな……って探りをいれていたんですよ」
その言葉に初めて、ティアナに向けられたディランの笑顔は『愛情』からではなく、近い未来自分が手にすることができる『財産』に対するものだったことを知る。
「俺、城主になるのが夢だったんだ」
ウットリとしながら空中を見る彼の脳内には、おそらくティアナの城ホテルを破綻させるための計画がいくつか浮上しているのだろう。そう思うと彼の横顔が初めて怖く見えた。




