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エディプスの裔

作者: 久行ハル

 齢二百歳を数える古強者のヒルギが死んだ。巣穴の土砂の掻き出し口から侵入をはかった大躯(オーク)どもを相手に、単身奮闘し傷つき倒れた。


 その長生にふさわしく、ヒルギは大躯の倍もある巨体で敵を払いのけ、踏み潰し、死体の山を築いた。大躯の槍を躰で受け、突いた相手の首をねじ切った。土を捨てにきた苦力(クーリー)のヒバはその一部始終を目の当たりにした。血生臭い戦闘にヒバの若い血は滾り、魂を奪われた様にただただ死闘を目で追った。襲撃を知った大柄な戦士たちが駆けつけ守りを固めると、死期を自ら悟ったかのようにヒルギは事切れ後ろに倒れた。危うく避けたヒバは、ヒルギの傷から吹き出た鮮血を体中に浴びた。大駆の長は恨みのこもった雄叫びを上げたがそれは撤収の合図だった。食用にするため仲間の死体を背負うと大駆どもは逃げ去った。


 オオオニウコギの森の地下に長大な地下道を掘り木の根を食糧として暮らす蟻属(ギゾク)の民にとって、本来天敵と呼べるものはいない。干魃で地上から草食種族の求流鹿(グルカ)が姿を消し、食糧難に陥ったさきの大躯のような肉食種族が稀に襲ってくる程度だ。それも生まれながらにして長い手足を持ち、死ぬまで成長し続ける戦士階級が守りを固めている。ゆえに、この長手(ながて)コロニーは、初代の女王が拓いてから千年を超える歴史を持つという。知恵者のマグルマは、大躯も求流鹿もわれわれ蟻属も元はヒトという一つの種族だったと言う。子供のころ貴重な紙の書物の挿絵をランプ頼りに見たことがあるが、どれも全く違う生物のようでヒバには俄かには信じられなかった。


 躰に染み付いた血の匂い。ヒルギの死闘を思い出すたび、ヒバは苦力の役目に違和感を持つようになった。この巣の九割九分を占める苦力の仕事は皆平等だ。子らの養育を主にする者、巣穴を掃除する者、井戸から水を汲む者。その分担は様々だが、誰が指図するわけでもなく、巣穴に満ちるフェロモンの勾配で自然に自分の役割を嗅ぎ分ける。ヒバの役目は木製のシャベルを用いた穴掘りだ。上から突き出たウコギの根を囓りつつ、先へと巣を掘り進める。最近は仕事中に掘り出す地虫もつまみ、好んで口に放る。ヒバはヘソの下に横溢する力を感じ、仕事に身が入らない事がしばしばとなった。


 ある日ついに自分の役目を嗅ぎ分けられなくなった。己の居場所を失った。これまで誰に教えを乞うこともなく行っていた仕事が「わからなくなった」。激しい焦燥感からヒバは助けを求め彷徨い、知恵者マグルマの庵に辿り着いた。それは体内のホルモン分泌の変化だとマグルマは言った。勧められて庵に蟄居した数日後、ヒバは唐突に女王の居室の修繕を言い渡された。女王はコロニーの頂点に君臨し、唯一子を成す存在だ。いまの女王はすでに三十年近くその座にあり、ヒバを産んだ母でもあった。修繕作業の合間、女王セネジロの長く艶やかな髪の芳香を御簾越しに嗅いだヒバは、その晩二十五年の生で初めての精通を迎えた。


 マグルマの導きで再び女王の居室に迎え入れられたヒバの前には、三人の父がうっそりと佇んでいた。しかし憔悴とかすかな惑乱が同居したギラついた目がその印象を裏切っていた。女王は父たちとの交合を通じて、自分の遺伝子を受け継ぐ子らを一度の出産で十人以上産む。一方で精力を貪られる父たちは、良質な子種を残すことができなくなれば食も細くなり衰弱死する。


 マグルマはヒバに、お前は女王の(つま)として見初められたと囁いた。巣の中の血は女王に連なり濃ければ濃いほど良い。女王の手足として子らはその細胞になり、巣穴の全員が一つの個体として振る舞う。お前は女王セネジロを母とし、セネジロの父でありヒバにとっては祖父でもある雄を父として生まれてきたとマグルマは言う。優れた血だと。そう聞いてヒバは奮い立つ。この血をもって一族の紐帯をより密にする為に生まれてきたのだと知った。すでに苦力には戻れないヒバは、父の一人を殺し代替わりを求められている。女王の寝所に立ちこめる芳香が、雄として完全な躰へ変態を遂げるにはそうせざるを得ないと本能的に悟らせる。ヒバは自分と同じ灰色の瞳を持つ、最年長と思われる父に狙いを定めた。心から渇望した神聖な役割の匂いを嗅ぎ、頭は覚醒状態にある。腰にいつも差している鋼の剣先のこてに手を這わせ、ぞくりと背を這う快感をヒバは覚えた。

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