ノルンとノビムとノブフの花・1
煌歴112年の年だった。冬の空気で息を吸い込めば、肺が少し苦しくなるくらい、凍える日だった。
ノルンとノビムは、5歳にまで成長していた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。今朝ねコアトケスが卵を産んだんだよ。雛鳥が生まれたら名前をつけてあげたいな。何がいいとおもう?」
シャツの前身頃を広げて、コアケトスの卵を乗せてノビムに見せてきた少年、ノルンがそう言った。
コアトケスの卵は栄養満点の、ノーブフのご馳走である。冬ともなれば、大切なタンパク源。産んでもらったらノーブフは大騒ぎするものである。
「ノルン、君も外で遊んできたらいいのに。こんなジメジメとした地下にわざわざ来るなんて物好きなものだ」
黒く艶やかな髪。真紅に染まったその角とのコントラストが何処か、浮世離れした美しさを彼女に与えていた。
まだ5歳。だというのに、落ち着いた声音と話し方は大人びている。背徳的なまでの隔絶した美姫だとは、父であるチットの言である。
さらに、その吸い込まれてしまいそうな程に星ぼしが煌めくような紫紺の瞳は、優しい深みを与えていた。そこには、今にも消えてしまいそうな儚さが同居していた。
ノビムは美しく成長した。
「だって、お外は寒いんだもん。お姉ちゃんは、お外に出られないからわからないだろうけど、雪っていうのがあってね! 白くてすっごく冷たいんだよ!」
地下は簡素な造りになっている。女の子らしいものは何一つ置いていない。必要なものしか置かない、ノビムの性格が反映されていた。
ノビムはベットに腰掛け、ほほ笑みを浮かべる。
そして、ノルンは勉強机の椅子に座りながら体を揺らしていた。
ノルンは、ノビムとは対象的に『ノーブフ』そのものの容姿をしている。黒く立派な角に、光輪のさした真紅の髪が輝き、その瞳は燃えるように赤い。
「あぁ、もう雪の季節が来たのか。書物でしかその存在を私は確かに知らないが、ノルンよりも雪については詳しいつもりだよ?」
ノルンがその言葉に反応して、ピっと前のめりになって目を輝かせた。
「じゃあ! 雪だるまってわかる?」
「あぁ、雪玉を転がして大きくしたものを2つ重ねて人に見立てた人形のようなものだろう? ほら、見本がこの本にあるぞ」
ノビムが分厚い装丁の本を広げてノルンによく見えるように、差し出す。そこにはびっしりと文字が羅列されていた。けれど、まだそれはノルンには読めないようで、眉間に皺を寄せて「うげぇ」と呻いた。
しかし、挿絵に雪だるまを見つけるとその表情を綻ばせて声を弾ませた。
「お姉ちゃん!! すごい! これ雪だるまだ!」
「ははっ、そうだろうとも。この本はお父様が私に外に連れ出せない代わりにと下さった素敵な本なんだ」
「でも……、なんでお外に出ちゃいけないんだろう? 僕には難しくてわからないんだ」
「ノルン。わからなくてもいいのさ。君はその身を、この地の民の為に尽くすことさえできれば」
「私のことなど気にするな……」ノビムは、消え入りそうな声で呟いてノルンには気取られないように気をつけた様子だった。
その甲斐あって、ノルンにその言葉は届いていない。屈託のない笑顔でノルンはノビムを見つめて歯を見せて笑っていた。
「お姉ちゃん!! 何かお姉ちゃん見たいものある? 僕が出来るなら見せてあげるよ? 雪は溶けちゃうから見せられないけれど」
目を輝かせたノルンは得意げにそう言葉にした。やる気に満ちた元気な声だ。
「ははっ、ノルンは優しいな。ノルンにはそのまま大人に成長してもらいたいよ。そうだなぁ、冬にしか咲かない花があると聞いたことがある。雪の結晶が栄養になるらしくて、たしかノブフの花といったかな。とっても綺麗らしいんだ」
ノビムも笑ってそう言うが、どこか浮かない笑顔だ。
「うん! 任せてよ! お姉ちゃんは、お花が好きなの?」
「いや、普通の女の子は花が好きだと聞くからな。私もそれに倣おうというわけだ。お父様にも少しは女らしく振舞えと言われているからな。余計なお世話だと、いいたいところだが。……お父様には頭が上がらないからな」
「へへ、やっぱりお姉ちゃんもお父様がこわいんだね!」
「いや、こわいとは違うんだかな。これをノルンに言っても仕方が無いな。とにかく、私はノブフの花が見てみたいな。出来るかい?」
そうノビムが言うと、ノルンは胸を叩いて言葉を続けた。
「任せてよ! 僕はこれでも氏族に連なる、息子なんだから! 子分だっているんだよ?」
ふんす、と鼻息荒くノルンは胸を叩いて偉ぶった。それを見てノビムは微笑ましくも笑ってしまう。ノルンは馬鹿にされたと思ったのか、ちょっと不満顔だ。
「ごめんごめん、笑ったのはノルンが逞しいと思ったからだよ。お姉ちゃんを許してくれ」
「しようがないなぁ。お姉ちゃんのその顔を驚きに変えてあげるんだから! 待っててよ! 必ず持ってくるよ。えっと? ノーブフの花……だっけ? ノーブフの花? ノーブフが花? あれれ?」
「いや、ノブフの花だよ。間違えないでくれよ? けれど、確かに似ているな。どうしても、欲しくて名前の意味は頭に無かったが、もしかすると……ノーブフに深く関わりがあるのかもしれないね」
ノビムは、驚いたように目を見開く。そして、ふっ、と微笑んだ。
「うん! よし、覚えたよ! ノブフの花……それじゃあ行ってきまぁす!」
元気よく階段を駆け上がると、地下へ続くそれを蓋をして隠したノルンはご機嫌に去っていった。それを見送ったノビムは、その笑顔に翳りをのぞかせた。
「私は、いつか外の世界を見ることが叶うのだろうか? この閉鎖された空間で一生を過ごして終るのだろうか? わがままなのはわかっている。けれど、私もいつか外の世界へと旅に出てみたいものだ。ノブフの花は願掛けのようなものさ。もし見つかるなら、私は……」
ふと、ノビムは思い出していた。ノルンが話してくれたことがある子分についてだ。一人は大柄な子だけど、体を動かすよりも頭がいいと言う子でニッケ。チットの家臣のニヘトの子だという話だ。
そして、二人目がマグス。五年前、つまりノルンとノビムの生まれた歳にやってきた鉱夫の子という話だったはずだ、と記憶の整理を終えた。
「ニッケに、マグスね。いつか会ってみたいものだな」
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冬の寒さは厳しいもので、ノーブフたちはイノムスの毛皮に身を包み除雪に精を出していた。
冬は農耕も上手くいかない土地柄であり、家畜たちを潰すのも躊躇われる事のため、保存食ばかりの侘しい生活を強いられる。
もちろん、エルフ領やドワーフ領からの物資の交易は行われるが、そればかりに頼ってもいられない。どこの国も、冬は厳しい季節なのだ。
チットが作り上げたこの国は、まだまだ発展が見込める余地がある。けれど、まずは魔法生物との戦いにも備えなくてはならない。今は鉱山が主な収入源だ。
まだまだ他にも特産となるようなものをチットは作りたいと思っていた。
それが実るかどうかは、未知数だが。子供が生まれることは国の発展には不可欠だ。人口が増えればそれだけ発展の余力は増えることは間違いがない。
同時に食糧などの消費も増えるが、それはどこの国も同じ事だ。
大切なのは、どう国民の幸せを考えるか。チットの手腕が試される。
「おい! ニッケ! マグス! 今日の任務を言い渡すぞ! えっと、のぶふの花? っていう花を探すんだ!」
「えぇ? 冬に花が咲くわけないよ、ノルン様。それに、その、ノブフの花っていうのは伝説のお花で、見つけた者は幸運が舞い込むんだってお姉ちゃんがいってたよ、マグスは知ってる?」
ニッケはチットの家臣であるニヘトの子で、ノルンの家臣となる予定の子分だ。
ニヘトはノーブフの中でも体格がいい壮年の男であり、武に明るい者だ。
ニッケはその血を色濃く継いでいるのか、既にその体格は普通のノーブフの大人並である。
「ふぇっ?! えーっと、僕にはわからないかな? 相変わらず体格に似合わずニッケは博識だね」
マグスは、オドオドと落ち着かない様子で答えた。
「余計な一言が多いなぁ。ま、マグスが知らないのも無理は無いかぁ」
マグスは5年前に移民者としてやってきた鉱夫のマケットの息子で、将来は炭鉱夫なんかになるのではないかと自分で思っているようだ。
鉱物に関する知識だけあればいいと、頭をそちらばかりに使っている鉱物博士である。
「みんな、だらしがないなぁ。よし! ここは、お父様を頼ろう!」
ノルンがそう言うと、ニッケとマグスは呆れたと言わんばかりにノルンを見つめた。
しかし、忠言をするほど信頼関係はまだ出来ていない様子で、ため息をつくに留めたのだった。
「えと……、お父様も知らないの?」
家に着き、父に尋ねれば知らぬという答えが返ってきてノルンは尻すぼみにそう言葉にした。
「あぁ、すまないなノルン。ノブフの花はこのノーブフ領域にたしかに咲くことは伝え聞くが、それを見た者は今はもう生きていないんだ。ノーブフの伝説として存在しているくらい珍しいものなんだよ」
「そんなぁ……お姉ちゃんに見せてあげるって約束したのに」
「ほお? ノビムのやつが花を? 珍しいことがあったものだ。よし! 父さんもノブフの花探しを手伝ってあげよう。もちろん、すぐに見つかるとは思わないことだ。それと、子供たちだけで国の外には出ないようにな」
「え! お父様も手伝ってくれるの?! でも、お仕事は大丈夫なの?」
心底驚いたように、ノルンは目を見開いた。
「任せなさい。これまでの5年でこの国も冬を乗り越えるだけの蓄えも安定してきているからな。俺一人が抜けたところで支障はでないだろう」
「もしかして、お父様は暇なの……?」
「んんっ、……そんなことは無いぞ。さて、お前も話はそれくらいにしてニッケとマグスと遊んでおいで」
チットは咳ばらいをして、威厳の回復に務めるとノルンを外出に促した。子分たちが待っていることに気を使った様子だ。
「うん! じゃあ、行ってきまぁす」
ノルンが駆け出して、チットは微笑ましいものを見たという目で見送るとエナトの元へ向かうことにした。ノルンには見えないように隠していたチルノの花束を抱えて。
「そうか、ノビムが花をなぁ」
(しかし、ノブフの花とは……因果を感じてしまうな)
普段から男勝りのある大人びた話し方に、女の子らしい遊びもしないノビム。そんなノビムの姿にチットは不安を抱いたものだが、今日は驚くことだらけだな、と幸せな気持ちになっていた。
「エナト、入るぞ」
チットは妻であるエナトの休む部屋にノックする。しかし、返事を待たずに、上機嫌で入っていく。風邪をひいたエナトにいい話を聞かせてやれそうだという思いからだ。