オガトの記憶・1
暗くて辺りがよく見えない風穴の底に辿り着くと2人はひんやりとした肌寒さを感じられた。外よりも暖かいのではないか、そんな期待を裏切られて些か、げんなりとしている。
風穴は深さは底が知れないほどだったが、広さはそこまででは無かった。それも、2人を落胆させる材料だったかもしれない。中心に置かれたオガトの銅像がどこかもの寂しさを漂わせている。
オガトの銅像を間近で見ると、本当に今にでも動き出してきそうな生命力を感じられた。ノルンとノビムは片膝をついて冥福を祈るノーブフの作法で哀悼の意を示す。
「オガト様、あなたはどんな人生を歩んできたのでしょうか?」
ノビムがそう銅像に向けて言葉をもらす。ノルンはそんな姉の姿に今にも消えてしまいそうな空気を感じ取り、不安は増していくばかりだ。
オガの風穴、そこは2人が思っていたよりもずっと広かった。銅像もさることながら、ところどころにオガトの縁のものが置かれていた。
酒が大好きなオガトは酒樽のまま、酒を飲み騒ぐほどだったことから、酒樽も置かれている。大酒飲みのドワーフすらも困惑させるほどの酒豪だったのだ。
「ここで満月の光が降り注いで、雪が降ると精霊の声が聞けるらしいよ」
ノルンが笑顔でそう言った。不安が胸を占めるが、ノルンは姉の笑顔がとにかく見たかった。そうすれば、きっと家に帰ることは確実なものになると信じて。
光虫が舞い飛ぶ幻想的なそこは、ともすれば神殿よりも神秘的だ。2人はその神秘に心をときめかせると同時に、それぞれの不安もまた波のように押しては返して心を揺れ動かす。
「あ、雪だ」
「あぁ、ほんとだな」
ひらひらと花びらのように、雪が降り出した。それは、風穴に円を描くように降り落ちてくる。竜巻の中心に居るかのような不思議な現象に、2人は目が奪われている様子だ。
2人の耳に歌声が聴こえてくる。綺麗な声だ。心が洗われるような優しいハープの音色も一緒に聴こえてくる。
--ノビムよ。今一度、記憶のたびへと出るのです。私が導きましょう。
そんな声がノビムの耳朶を震わせた。耳のすぐ近くから--聞こえたようなきがした。
「誰だ?」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「いや、声が……うっ」
ノビムは頭を抱えて蹲ると、その脳裏に次々に映像が流れ込んでくるのだった。
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一人の赤ん坊が川に流されていた。樽の中に押し込められたその子は『ノビム』であった。呪われた『ノビム』はこうして、川へと流される。どれだけ泣き叫んでも、誰も助けはしない。それが『ノビム』の歩まされる、いや絶たされる道だ。
(これは、いったい? この子は、ノーブフ? いや、私とおなじ……)
流されていた赤ん坊の入った樽が川辺に流れ着き、その進みを止めた。
「おぎゃー!」
赤ん坊の鳴き声が、むなしく響く。すると、フェリルの唸り声が辺りから聞こえ出した。
(な、なんで! いなくなれ! その子を食べるな!)
フェリルは、4匹の群れで樽を囲んで匂いを嗅いでいる。水を嫌う用心深い彼らは、川に入らずに前足で樽をガリガリと引っかいた。
赤ん坊の鳴き声が激しいものとなる。すると、川辺の向こうから頭を掻き、面倒くさそうな表情をした男が現れた。その男は〝黒髪〟の人間であった。
「ったく、おちおち昼寝もできやしねぇ。ワン公ども、早いとこ散らねぇと……切り刻むぞ?」
男の手には大鎌が握られていた。全体的にソレは黒く、塗らりとした赤い血管のようなものが走っていた。
(あれは……神の武器?)
ノビムの持つレティシィルにも似た雰囲気が、その武器からは放たれていた。
「ぐるぅぅう!」
フェリルは尻尾をふくらませて男を威嚇する。しかし、男の目が赤く光を放つほどの殺気を放った瞬間。
「キャイン!」
尻尾を丸めて素早く逃げ出していった。
(赤ん坊は、無事のようだ)
「ったく……。ん? なんだこの樽は?」
男は目端に樽を捉えると、気だるげに中身を確認した。額から赤い角を生やし、瞳は漆黒。それにだ、髪が黒かったのだ。
「……はぁ。俺と同じ忌み子かよ。めんどくせぇ。ん? 手紙が入ってやがる」
男は手紙の中身を確認すると顔を歪めて、不機嫌さを隠せていない様子で手紙をくしゃくしゃにして懐に忍ばせた。
(……いい奴かと思ったが、気に食わんな)
「に、してもだ。このままじゃあ風邪でもひかれたら、かなわない。ちと失礼するぜ」
男は優しい手つきで赤ん坊を抱き上げると、己の熾した焚き火の前で赤ん坊をあやし始めた。
(……いい奴なのか、なんなのか、わからなくなるやつだな)
「可愛いもんじゃねぇか。俺には子は出来そうにねぇ。我が子として育ててやるか」
(これは、なんなんだ。誰かの記憶? 夢? 私は何を見せられているんだ……)




