ノルンとノビムとノブフの花・10
----時間は遡る。
空は茜色に染まり、太陽も半ば沈んでいる。ノルンとノビムはケト国への検問をレティシィルの力で乗り越えていた。
検問は二人体制で門兵が見張りをしていたが、レティシィルの力の前では無意味だった。姿避けの魔法を施した為である。
「お姉ちゃんに、まさかそんな魔法生物のペットが居たなんて気が付かなかったよ」
レティシィルは〝黒猫〟の姿でノビムの腕に抱かれていた。その顔はどこか不服そうである。
〝ペット〟だと言われたからだ。『私はこれでも神だぞ、子わっぱ』と内心毒づくが、その声はノビムにしか届かない。
「ノルン、この子は家族さ。ペットなんかじゃないよ。さて、あまり話すのは辞めておこう。周りに人がいないからって気配を出したらせっかくの魔法が台無しだ」
ノビムはそっと唇に人差し指を当てて、ノルンにそう言った。ノルンはまるでお母様みたいだ、とノビムに母を重ねた。ノビムがやったような所作で、エナトに良く寝かしつけられたのだ。
二人は周りの者に気づかれないようにコソコソと歩く、逆に目立ちそうなものだが、そこはレティシィル。魔法の力で姿を覆い隠しているのだ。
そのレティシィルはといえば、借りてきた猫のように小さく丸まり、文字通り丸まっているだけだが。果ては、ノビムの腕の中であくびを漏らす始末だ。気の抜けた様子ではあるが、実際には高度な魔法を使っている。
ケト国ゼイアの森。それが、ノルンとノビムが今いる場所だ。国によって、祀られる大地の精霊神は違う。
マット国のセレルの森、ケト国のゼイアの森、チット国のセリアの森、このように森にはその精霊神の名が冠される。
「ゼイア様にはバレていそうだけれどね!」
「神様って凄いんだね!」
『ふふん、今更そんな簡単に褒めたところで機嫌はなおらないわよ! この小僧っ子め』
ゼイアの森を越えた先にケト国の主城と街がある。しかし、そこに用はない。ゼイアの神殿の裏にそのオガトが空けた穴はあると、レティシィルは言う。
『ふん、あのオガトのとこに行くなんて。ノビムのお願いじゃなければゴメンだわ』
或いは、ノルンの言葉に不服な訳ではないのかもしれない。レティシィルは、オガトのことを知っていそうな事を言った。ノビムは年齢については突っ込まないでおこうと、心に疑問をとどめた。
そこからは、無言の時間がしばらく続いた。オガトが空けた穴は、オガトの墓が建てられている。過去に何があったにしても〝伝説のノーブフ〟と伝わっていることに変わりはない。ノーブフが〝英雄視される為に〟仕組まれた存在だとしても。ノーブフの為には〝必要〟な事だったのだ。
「しかし、この服は着心地がいいな。装飾も悪くない」
「お姉ちゃん、似合ってるよ!」
ノーブフは〝黒〟を死と連想するが、黒の服を着込むことが多い。それは相対する敵に〝威嚇〟する為だ。
ノビムが着ている衣服は皮と骨と動物の腱で出来ている。
ヨーハという羊の羊毛から糸を紡ぎ、衣服を作ることもあるが、旅をする時や狩りをする時にはそぐわない。
皮と骨と腱で出来た衣服をノーブフは、コフガと呼ぶ。コフガは糸を全く使わない。衣服を縫い合わせるのも、腱で行う。
装飾は骨を特殊な技術で柔らかくして、さらに草花の汁で色付けをする。
それをさらに、衣服に縫い付けることで色鮮やかな装飾が施される。過去の技術ではあるが、今でも使えるものだ。
柔らかくした骨も、元の骨よりも堅くする技術を使うことで防御力も心配ない。
「このコフガ、ノルンの初狩の時に狩ったバフローのもので出来ているんだろう?」
バフローはノーブフが初狩の時に狩る動物で、2本のうねった角を生やした牛のような動物だ。その肉は美味しく、栄養も満点だ。だが、その真価は全身が堅い事だ。
子供が本来、狩れるような動物ではない。しかし、そこは大人のノーブフの力を借りて、狩ることに意味がある。動物の命を狩ることで、命の尊さを学ぶ。同時に、感謝を知るのだ。
「うん。すごく強かったよ! バフロー!」
「しかし、悪いな。そんな大事なコフガを借りてしまって」
「ううん、これプレゼントだから。お姉ちゃんにあげるよ」
「ますます、悪いな。お返しに何か考えなくちゃな」
「いいの! お姉ちゃんの命を護るためのものだから。男として当然さ!」
「ふふ、そうだな」
2人は、もはや隠れて歩いていることも忘れたように愉しげだった。レティシィルは気を利かせて黙っていた。この姉弟のこれからを思うと、その空気を壊すことは躊躇われることだからだ。
「お父様にも、この姿を見せてやりたかったな」
「帰ったら見せてあげよ? 何不思議なことを言っているの? お姉ちゃん。まるで、もう帰れないみたいに」
「はは、そうだ、な。帰ったら見せてあげよう。コフガを着れるなんてわたしはとても、気分が昂揚しているらしい。気にしないでくれ」
『ノビム……』
レティシィルの声が、悲しげに揺れていた--。




