ノルンとノビムとノブフの花・9
山の中を走ることは、体力の消耗が激しくなる行為だ。只でさえ道が悪いのもあるが、魔法生物がいないかなどの警戒もしなくてはならない。
チットはその足を加速させる一方で、周囲への警戒はグランティスカに任せることにしたらしい。
グランティスカの能力は武器としてにとどまらない。これはレティシィルにも言えることだ。ノビムは今頃、その相棒の力をいかんなく発揮させていることだろう。
それだけに、チットが追いつくのは骨が折れるような大変な行為だ。子供の足といえど、ノビムはその体を神臓で強化されている。チットも魔臓で強化はされているが、差が開くのは当然だ。性能が違う。
ノーブフが住まう山は、ドラゴンの縄張りであることも忘れてはならない。国が簡単に討ち滅ぼされるくらい、ドラゴンの力は強大だ。ドラゴンと一騎打ちをして勝つような者が居るのは、物語の中だけだ。
最弱種と言われるドラゴン。その代名詞を持つスレイプスですら一騎打ちなんかをした日には、喰われて終わりだと言われている。それだけに、ノーブフはドラゴンの縄張りを日々、把握することに務めている。
簡単に、縄張りは広がったり移ったりはしないが、ドラゴンの繁殖期は別だ。ドラゴン同士の子を成すための、パートナーの奪い合いは熾烈を極めるものである。
「ちっ、嫌な予感がしやがる。殺気があたりからピリピリと漂ってきやがる。何が起こっている?」
チットは両腕をさすりながら、ぶるりと震えた。気のせいではない。これは、山で何かが起こっている。そうチットは確信した。
「馬鹿な人間でも入り込んだか? クソ。ドラゴンの覇気を感じる。面倒な」
チットはこの殺気を、ドラゴンのものだと結論づけた。つまり、ドラゴンが暴れている。子供たちが心配という気持ちが先を立つが、面倒と思う気持ちが一瞬だが、勝る。大幅にドラゴンの縄張りも変わることに繋がり、また縄張りの調査をしなくてはならなくなるからだ。
「こんな時にラグマイア共が来やがるとは、ほんとに愚図な野郎共だな」
チットはドラゴンの暴れている方角に向けて走り出した。ドラゴンを鎮めるのもまたノーブフの務めだからだ。ドラゴンを鎮める音色を奏でるオカリナ。龍笛とも言われるそれを片手にチットはひた走る。
「こっちか……」
濃密なドラゴンから漂う獣臭。だが、普通の動物が放つ臭いよりもずっと強烈だ。近くにいることをチットは確信した。
「た、たすけてくれぇ!!」
男の悲鳴が響き渡る。どうやら本当に人間が入り込んでいたようだ。チットは駆ける。たとえ人間といえどもドラゴンに喰わせる訳にはいかない。味を覚えてノーブフまで襲われては、かなわないのだ。
「ちくしょう! この子だけでも! うぁああ!」
--子供連れかよ?! 何だってこんなとこに子供を連れてきたんだ!
チットが駆けつけた時には、男は虫の息という有様であった。それに、ノルンとノビムと同じくらいの年頃の子も傷だらけだ。生きているのが不思議なくらいである。
「ん?! あの子供は」
チットが目を瞠るのも無理はないことだった。子供の髪は〝黒髪〟だったのである。
「っ!」
脳裏でノビムとこの子を一瞬重ねてしまうほどの、衝撃だった。胸が脈打ち、頭の奥までどくどくと震える。汗がぶわりと滲む。息も苦しい。チットは何とか落ち着かせようと呼吸を深くする。そして、龍笛を口に当てた。
震える吐息で吹く龍笛でも、どうやら演奏に問題はなさそうだとチットは安堵する。
「----」
ドラゴンの先程までの荒ぶりようが、嘘のように引いていく。赤く充血していた瞳も、本来の深い青みのある色合いに戻っていく。そのドラゴンはスレイプス。鱗は翠の輝きを放ち、瞳は青、四肢は太く逞しく胴体は辺に生えている木々の高さと同じくらい。まさにドラゴンであった。翼の皮膜はボロボロで、飛べそうにない。
縄張り争いに敗れたスレイプスなのだろう。大人しくなると、我を取り戻したかのように山の奥深くへと歩き去っていく。
どっとした疲労がチットを襲った。けれど、休んではいられない。治療をしてやらなくては。
--クソ、なんでラグマイアがこんな時に……。二人とも頼む。無事でいてくれ。
手際よく人間と子供を治療していくチット。その手の動きに迷いはない。命は助かりそうである。それに並行して、チットは狼煙を上げた。そして、狼煙の上がった火元に不思議な粉を撒き散らす。これは、ノーブフの氏族ごとに違う色の狼煙を上げるためのものだ。これで、ニヘトあたりが気がつくとチットは信じることにした。
--はぁ、早く来てくれよ? ニヘト……。
地べたに座り込むとチットは、疲れを癒すことに集中し始めた。




