VRサーバー開放日
それは最悪のスキルだった。
「エアレーの怒号!?」
眼の前で鋭い角を持つ牛のような巨大なモンスターが、咆哮をあげる。
これは嫌だ! これは嫌だ! これは嫌だ!
効果は麻痺。つまりは動けなくなる。まさに今、麻痺耐性のないメンバーが一人、麻痺で動けなくなった。
このタイミングで、この最悪のスキルを使われるなんて……!
私がスキルに気がついて叫んだところで、もう遅かった。私たちの何倍もの大きさのボスモンスターは強く、強く、足踏みする。
「っ!」
「うぁっ」
ぐらぐらと地震のように床が揺れ、パーティーメンバー全員が体勢を崩した。
――ギュルルルルルルルル
ボスモンスターの角が、ドリルのように回転をしだす。
「回旋角!?」
――駄目!!
サムライの撫子さんと格闘家のスイさんが、今の咆哮と足踏みで体勢を立て直せていない。
しかも彼らは足踏みの振動で盛大に転がって、今はボスモンスターの目前にいる……!
「撫子さん、スイさん!」
間に合わないっ!
ボスモンスターが、掬い上げるように回転する角を撫子さんに突き刺した。
「ぐ、ああああああああ!!!」
撫子さんの背中から、角が生える。
回転する角は撫子さんの体を内側から削っていく。
撫子さんの痛みの絶叫が、耳が痛いほどに空間中にこだました。
「撫子!」
それを救おうとした格闘家のスイさんも犠牲になって。
「上級治癒魔法!」
「やめて! やめて乙さん!」
テイマーの乙さんが必死に治癒魔法をかけるけど、そんなの二人の苦痛を長引かせるだけで。
私は麻痺の解除をするために介抱していた薬師のしーを置いて、乙さんを止めようと駆け出した。
だけど。
「――■■!」
ボスモンスターの前足が私の体を弾き飛ばす。
「きゃぁぁっ!」
近くの柱に叩きつけられた私のHPは半減し、意識が飛びかけた。
まさに地獄絵図。
こんなゲーム、クリアできるわけないじゃない……!
◇
きーんこーん、かーんこーん。
随分と間延びしたチャイムの音。
ノートから顔を上げれば、先生がチョークを置いた。
はぁ〜、ようやく一日の終わりだよぉ。
「起立、礼」
生真面目なクラス室長の号令で、今日の最後の授業が終わった。もうあと残すのは、ホームルームだけ。
ホームルームが終わったらさくっと帰れるように、私はさっさと教科書やノートの類を全部鞄の中へとしまい始めたんだけど……とことこと私の席にやってくるクラスメイトがいた。
「ナノちゃん!」
「平群くん、名前!」
「あ、ごめん。能倉さん」
むっとして注意すれば、私の方にやってきたクラスメイトの男子・平群玲音は、ちゃんと私の名前を言い直してくれた。
私の名前は能倉奈乃だけども、断じてクラスメイトの男子から「ちゃん付け」で呼ばれるような馴れ馴れしい女子ではないの!
じろりと玲音を睨めつけると、彼は私の机の上に自分のスマホを置いて、画面のロックを解除した。そこにはゲームアプリの画面が起動していて。
うきうきと弾んだ声で、玲音が話しだした。
「もうすぐだね。今、ギルドチャットみたら、今日のサーバー開放日に合わせて引き継ぎできそうなの、僕ら合わせて、五人みたい」
「キミ、授業中もアプリ開いていたの?」
「え!? あ、えぇと、お、終わる五分くらい前に開いただけだよ……! スマホだし、動作が重たいからチャットのログを確認しただけ……」
語尾がどんどん小さくなっていくのは、授業中にゲームアプリを起動していた自分が悪いのを十分承知しているからなんだよね?
さすがの私だって気になってしょうがなかったのをぐっと我慢していたのに、この眼の前の男子は我慢が効かなかったみたい。スマホ没収されちゃったら、どうするつもりだったのか聞いてみたいよ。
はぁ、とため息をつけば、玲音はおそるおそるとわたしに声をかけてくる。
「能倉さんは楽しみじゃないの……? パレヒスのVRサーバーの開放」
高校生にしては幼稚かもと思いながらも、ふくらむ頬を大人しくさせることはできなかった。その言葉は心外なんですけど!
「私が楽しみじゃないわけないでしょ。それこそ一年前、VRサーバー開放が決定してからバイト始めて、VRオンラインセット買ったんだから」
「そ、そうだよね!」
それで楽しみじゃないって言わせるつもりだったの? 玲音はそういうところが気がきかないんだよね、まったく!
あわあわしてる玲音からそっぽ向いて、さっさと帰宅準備を進めていたら、クラス担任が教室に入ってきた。
少し早いけど、ホームルームが始まるみたい。玲音が慌ててスマホを制服のポケットにしまい込んで、自分の席に戻っていく。
「起立、礼」
帰りのショートホームルームが始まって、担任の簡単な話が始まる。それから先日やった小テストの返却と、明日の授業の時間割の確認。
いつものルーティーンを、流行る気持ちを抑えながら聞き流す。
さっきの玲音の話のせいで、今日はあんまり考えないようにしていたのに、早く帰りたくて体が疼いちゃうじゃないの!
――――――――――
『パレスセレスト・ヒストリーVR』へようこそ!
これは時の海から流れ着く、あなたたちの物語。
何も持たないあなたたちが、天上の宮殿「パレスセレスト」に辿り着いて天上の称号を戴けることを、我々、大地の民は祈っています。
そして、大地の民を日々襲うモンスターから、我々をどうぞお助けくださいませ!
さぁ、天上の称号を目指す旅へ、いざ――
――――――――――
謳い文句は古文の暗記テストなんかよりも、よっぽど簡単に諳んじられる。
玲音が言っていたのは、私も相当やり込んでいるオンラインゲーム『パレスセレスト・ヒストリー』のアップデートのこと。
今回のアップデートは最近流行りのVR型オンラインゲームとして、パレスセレスト・ヒストリー……通称パレヒスが新規サーバーを設けるというものだったんだよね。
専用のハードとソフト購入し、ネットワーク接続環境を整えれば、誰でもパレヒスがフルダイブ型VRゲームとしてプレイできる。
私はこれを知った瞬間に、アルバイトを始めてお小遣いをためて、専用のハード……VRオンラインセット「VOISE」と言われるゲーム機とVR専用のパレヒスソフトを予約購入。
VRゲームが普及し始め、VOISEの流通が安定してきた今でもトータル金額は五万円以上と、アルバイトのお給料はあっという間に飛んでいったのは良い思い出。
そして今日、ソフト発売から一週間、ようやくサーバーの開放がされるの!
さらにパレヒスは旧サーバーで発行する引き継ぎコードによってアバターの引き継ぎが可能。私は昨日のうちにお気に入りのアバターの引き継ぎコードを発行して、準備も万端、後はもうログインするだけの状態になってる。
自分が育てたアバターになりきってゲームがプレイできるなんて、ゲーマー魂に火がつかないわけがないじゃない!
そんな私、今日一日、よく我慢したほうだと思う。それをまぁ、玲音ったら楽しみじゃないの? なんて聞くものだから、気遣いが足りないったらありゃしない。
たった五分で終わるショートホームルームも、気が散ってしょうがなかった。
学校が終わった私は猛ダッシュ。
脇目も振らずに通学路を駆けて、息を弾ませ、私は玄関に飛び込んだ!
靴を揃えるのも面倒! ローファーがあちこちに飛び散る。でも、後で帰ってくるお父さんにたしなめられそうだなと思い直して、ローファーを揃えた。よくできました、私!
「ただいまっ!」
「お帰り~。課題は?」
「大丈夫! 休み時間にやって来た!」
「ならよし。お風呂入ってらっしゃい」
お母さんが台所から顔をのぞかせて、二階に上がろうとした私を呼び止めてきたけど、すぐにオッケーサインをくれる。
前々から今日はゲームにログインしたいからってお願いして、夕食や入浴の時間を早くしてもらったんだよね!
その条件が「課題をきちんと終わらせること」。
なので私は今日一日、気を紛らわせるためにも休み時間にひたすら出される課題を粛々とこなしていたのです。偉いでしょ!
どたばたと自分の部屋に戻り、制服のブレザーとスカート、それからネクタイをハンガーポールにバッサバサとかける。
鞄はその下。今のうちに中身を、明日の授業のものに入れ換えておこう!
それから今日使ったタオルとかお弁当箱とかを持って階下へ。
台所に行って、お弁当箱をお母さんが料理をしている横、流しに置いて、蛇口をひねる。桶の中に水をためて、お弁当箱を水につけておく。
保冷バックは冷蔵庫の横の棚へ。
「お母さん、お弁当箱おねがいっ」
「はいはい」
「うわっ奈乃っ?」
「お兄ちゃん邪魔! 私急いでるから!」
台所から飛び出してお風呂場に駆け込もうとする途中、廊下で大学生のお兄ちゃん、那糸とすれ違った。
制服のブラウス一枚だけのはしたない妹が台所から飛び出してきたのにぎょっとしたのかも。びっくりした顔で脇に避けてくれた。
私がバタンとお風呂場の扉を締めたあと、廊下の向こう側から、お兄ちゃんとお母さんの声が聞こえてくる。
「何あいつ」
「好きなゲームがやりたくてうずうずしているみたい」
「ふーん。あいつ、何のゲームやってんの?」
「えーと、パレスセレ……なんとかヒストリー? って奴みたいよ。ほら、パソコン買ってあげたときに夢中になりすぎて、私が一度叱った奴」
「ああ、あれか。何? イベント?」
「ほら最近ニュースでやってるVRってので、そのゲームもやれるようになるんですって。あの子、そのためにアルバイトもやってたのよ」
「ほぉー。高校生のくせに立派なゲーマーじゃん」
お兄ちゃんのからかい交じりの声が聞こえてきたけど、私は無視して服を脱ぎ捨てる。
ゲーマーで何が悪い。
日がな一日、大学に行ってるのか行ってないのかよく分かんないくらいにふらふらしているお兄ちゃんより、ずっと有意義な生活してるんだから!
私は浴室へとつながる扉を全開にすると、いつもの倍速でお風呂へと入った。