1 1-4 mashed potatoes
「あの大戦はの対立構造における、最大の被害者はやっぱり第三者になった。中東王国では多くの人が亡くなった。今の日本による復興援助は成功するだろう。きっと良好な関係を築き上げるだろう。だけど、そこに莫大な利権が絡む。ビジネスによる偽善の救済は多くの人命を救うんだ。」
秋の嘆きにラルドは考えさせられる。自分がいざ海を跨いだら、其処にいるのは種族を違えた存在なのだ。価値観、思想、言語、宗教、貨幣や肌の色、何もかも自分とは異なる存在。時代が違えば、知る由もない存在。それでも少女は彼らを憂う。
「ラルド君、私はこの世界が嫌い。私が世界という機械の歯車だと思いたくもない。人の価値が資本の損得勘定でしか決まらないこの世界を嫌悪する。偽善の善意は人命を救い、一部の私腹を肥やす。素晴らしいじゃないか。あの戦争で中東王国は、他でもない、資本主義に敗北した。」
それは最もであった。日本が戦後、多くの資源を、中東王国から輸入した。それは本来、中東王国が発展するための資本であり、中央共和国から守り抜いたものだった。国民を犠牲にして…。
秋の言う世界の定義では、資本主義の最大の欠点を示していた。その思想は人と金を同じフェイズで語られてしまっている。これは極論だ。だが、あの大戦で、人命は石油の贄になった事実を、一体どう受け止めろというのだろうか?
「その結果がこいつか…。」
ラルドは街道に置かれたディスプレイに映し出されたその顔を見上げる。
齢16にしてあの戦争を終わらせた張本人。
資本主義に中指を立て、共産主義に唾を吐き捨てた男。
テロリストグループ"Necron"のリーダー。
それはスイス銀行への強盗。
それは英国の国会議員の暗殺。
それは北京を地獄に変えた虐殺。
黒曜設理
彼は世界を無邪気に笑う。
「"世界に恐れられた犯罪者は、中東王国で英雄扱い"…ね。」
Necronによる全ての犯罪行為は、他国への報復措置に他ならない。彼らのテロリズムの背景には一切の宗教も、信仰も、ましてはイデオロギーすら存在しない。
故に"思想なき暴力"
本来存在しない、してはならない概念。
「やってることは破壊行為そのものだ。それが例え愛国心によるものであっても、その行為を、生じる殺戮を、世界は許容しない。」
ラルドは切り捨てる。
「奴がいくら棄民を救おうと、いくら戦争を終わらせようとも、それが法の範疇を外れれば、その瞬間有罪だ。奴がどれだけ正しい理論を翳そうとも、どれだけ素晴らしい思想を掲げようとも、その事実は変わらない。法が人の感情や思想から独立した鉄の法則である限り、奴は犯罪者であり続ける。」
「彼が、ただ千人の命を守るために、利権欲しさに進軍する私たちと戦うとき、君は彼を殺せるかい?」
ラルドは閉口する。それはきっと彼の持つ感情に由来するためだろう。
「殺すさ。それが千人の命を救う口実でも、やってることがテロリズムなら、結局誰も救えない。世界は救われた千人を必ず殺す。奴は、見たくないものを見ていない。」
「手厳しいね、だけど正解だよ。私もそうする。彼がその立場で戦うなら、私もこの立場で彼を殺す。」
沈黙が二人を支配する。
ラルドは思う。いくら正論を並べたとして、黒曜設理という男の心中を理解することはできないのだと。そもそも基準から逸脱した彼の行為を、自分が持つ常識の範疇で推し量ることができるのか、と。
やはりこの議論は不毛である。
ラルドは秋の持つやさしさと世界への嫌悪を再三知る羽目になるだけだった。
「だけど、きっと殺せない。」
それは彼女の本音だった。
彼女にはわかっているのだろう。彼が博愛主義者であることを。
彼のテロリズムによる犯罪行為には、事実上中東王国への脅威をNecronへと肩代わりしている節がある。あの戦争以降、中東王国内での被害はほとんどなくなった。Necron側は中東王国との関係性を一切否定しているため、他国の軍事介入への口実を与えなかった。
”思想なき暴力”
彼らは何かを守るために戦い続けたのだ。
今一度問う。ラルドは黒曜設理を殺せるだろうか?
法ならば殺せる。躊躇いもなくその男を殺すだろう。そこには人の思想も感情も介入しない。
だが、もしラルドがその男と対峙した時、その男の心中を知ってしまった時、ラルドの殺意には必ず感情が添加する。それが何を意味するかは言うまでもない。
それは、黒曜設理の持つ思想が、ラルドにとって否定するべきものであってほしいという願望なのか。
それは、闘争という概念への逃避なのか。
はたして、桜崎ラルドは黒曜設理を殺せるのだろうか。
ラルドはそれ以上考えることを止めた。
思考を巡らすほど、先程の発言の軽さを思い知らされる。
秋は歩む。ラルドを導く。
説教と皮肉を言ったあの言葉は、あながち間違っていなかったようだ。
ラルドはこの少女から重さを与えられているように感じた。
まるで思考の海に自分を沈めるために。
それ程、彼女の言葉は重かったのだ。