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08 ネットアイドル★サッキー

 速い。

 尋常ではない速さで女性の姿が小さくなっていく。

 走り方のフォームはめちゃくちゃなのに、目を疑うほどに速い。


「ぽ、ポマード?」


「やべ、そっか口裂け女さんか。もしかして油取りさん、ポマード持ってます?」


「常備してるが」


「使うほどの髪の毛ないじゃない!」


「凛花ちゃん失礼なこと言わない! 油取りさんサーセン! そですよね、ポマードも油ですもんね!」


「それより……!」


 のんびり話している場合ではない。

 凛花も遅れて走り出した。

 油取りから有力な話が聞けなかった以上、現時点では彼女が唯一の手がかりだ。

 これを取り逃すわけにはいかない。


 しかし――速い!

 高めのヒールを履いているというのにデタラメだ。


 地を蹴る。

 腕を振りきる。

 踏み込む。

 風を切る。

 もっと。

 もっと!


「こっの……!」


 トラックが道をふさぐように停まっている。

 それを避けようと女性――口裂け女のスピードが緩んだ。

 凛花はそれを見逃さない。逆に前へ踏み込む。


 迫ってくる背中。

 腕を伸ばす。

 もう少し。

 もう少しで――。


「ひゃっ……あ!」


 凛花がコートを掴む直前、口裂け女が大きくよろけた。

 トラックの方に倒れ込む。

 そして何がどうしてそうなったのか。


「え? あれ? あ、やだ!」


 口避け女のコートの端が、トラックに引っかかった。

 しかし、運転手に口裂け女は見えていない。

 休憩が終わったのだろう。彼は何事もなかったかのようにアクセルを踏み込んだ。


「いやぁぁぁぁぁぁ!?」


 トラックに引きずられるように口裂け女は再び走り出した。

 ゆっくりと動き始めたトラックは徐々にスピードを増していく。

 それにつられて口裂け女も併走する。

 驚くほどぴったりとついていく。


「ち、ちょっと……!」


 さすがに車の速さには追いつけない!


「スゲー。凛花ちゃんも口裂け女さんも足速すぎっしょ」


「秀さん! そんな呑気に……、秀さん?」


「ウィッス」


「何ですかそれ」


「テンさんが乗せてくれるっつーから」


「秀殿だけ置いていくわけにもいかないであろう」


 横を飛ぶ天狗、その天狗に背負われている秀。

 おかげで彼は汗ひとつかいていない。随分と厚遇だった。


「にしてもスゲーな。さすが百メートルを三秒だか六秒だかで走るっつー噂もある口裂け女さんだわ」


「だから感心してる場合じゃなくて!」


「口裂け女さんも姿を見せりゃいいんだケドな。パニクって忘れてるっぽい」


「ドジッコなの!?」


 変なところで躓いたり、それでトラックに引きずられるだけでも信じがたいというのに。

 さらにはパニックだなんて。妖怪としていかがなものか。


「ひゃあぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇ」


「しかも泣きそう!?」


 どんどん口裂け女のイメージから離れていく。


 ――【口裂け女】。

 大きなマスクが特徴的で、学校帰りの子供に「私、綺麗?」と訊ねてくる。

 マスクの下は耳元まで口が裂けており、答えによっては刃物で襲ってくると言われている都市伝説だ。

 対処法も、質問に対し「ふつう」と答える、ポマードと唱える、べっこう飴を与えるなど様々な噂があり、何かと諸説が多い存在である。

 ただ、少なくともその存在はかつての子供たちに強い恐怖を与えた。

 それは社会問題にまで発展したほどらしい――のだが。


「止まってぇぇぇぇ」


「……」


 凛花より年上だろうに、慌てふためくその姿からは威厳も何も感じられない。

 なんだか可哀相になってくる。


「とりあえず凛花殿もこちらに」


「え? ……わ、わ!?」


「テンさんゴー!」


「承知」


「ちょっと!?」


 気づけば、凛花は天狗にひょいと抱え上げられていた。

 ぐん、と勢いが増す。

 人を二人も乗せているというのに、ブレず、乗り心地は悪くない。

 しかも片手でそれぞれ凛花と秀を前後に抱えているのだから驚きだ。

 そのまま天狗は口裂け女に並ぶ。

 口裂け女がぎょっとしたように目を丸くした。


「えっ?」


「口裂け女さん、ちぃーっす」


「ち、ちーっす……?」


「今外しますねー、って言いたいとこなんすケド……やべ、さすがにこの体勢じゃキッツいな!? 凛花ちゃんいける?」


「私もちょっと……」


「テンさんは」


「出来ると思うか」


「デスヨネ」


 自動車と同じ速度を片手で支えてもらっている状態だ。

 さすがにしがみついていないと身の危険を感じる。

 天狗は両手が塞がっているのだから言うまでもないだろう。


「これじゃただの珍走行が増えただけじゃないですか……!?」


「うはは珍走行って」


「笑い事じゃないですよ!」


「しゃーないな」


 言い、身を乗り出した秀が車窓をノックした。

 コンコン。二度。

 気づいた運転手が顔を向けてくる。


「すんませーん」


「?」


 声が聞き取れなかったのだろう。窓が下がってきた。

 ニヘラ、と笑みを浮かべた秀が後ろを指差す。

 それにしても当たり前のように笑う人だ。

 あまりにも当たり前すぎて、運転手も違和感を覚えていないらしい。そんな馬鹿な。


「おにーさん。荷台」


「え? 何?」


「そっから荷物、落ちてるみたいですよ」


「ええ!? 嘘だろ!?」


「一回確認した方が良くないっすか?」


「参ったな……」


 頭をかいた運転手がトラックを脇に停める。

 街中に差し掛かる前だったこともあり、それ自体はスムーズに行われた。

 天狗が凛花たちを下ろし、凛花はこっそり口裂け女の救出に向かう。

 その間、一度降りてきた運転手が荷台を確認し、首を傾げた。


「うん? 特に異常はないな?」


「え、あれ? 本当だ。おかしいっすねー。見間違いかな? 段ボール箱だったと思うんすケド。これっくらいの、なんか英語のロゴが入った?」


「段ボール? じゃあうちじゃねーな。木箱ばっかだし。英語のロゴなんてのもなかったはずだし」


「あ、そうなんですね! じゃあ本当に見間違いだったみたいっす。すんません! お時間取らせちゃって!」


「あーいや、まあ、問題なかったならそれでいいけど」


「お仕事お疲れ様です!」


 真面目くさった顔で大仰に敬礼してみせた秀に、運転手は毒気が抜けたように笑った。

 ヒラヒラと手を振って運転席に戻っていく。


 じゃあ、とお互い手を振り合い――凛花たちは顔を見合わせた。


 コクリ。


 頷き合い、口裂け女共々走る。

 後方で「――あれ!?」と短い悲鳴が聞こえた、気がした。


「うはははヤベェ、ダッシュ婆みたいな都市伝説になったらどーしよ!」


「天狗に乗って街中を駆け回ってたら十分都市伝説ですけどね!」


「違いねえ!」



***



 十分トラックからも離れたところで凛花たちは息をついた。

 口裂け女も膝に手をついてぜぇぜぇしている。

 彼女の場合はどちらかというと心労によるものだろう。

 顔色が悪い。妖怪に顔色があるのかも定かではないが。


「さて、あなた……」


「ヒィ!?」


 ――ビビられた。まだ何もしていないのに。

 口裂け女はぶるぶる震えながら凛花から距離を取る。


「何ですか、その反応」


「だって怖い顔してる……」


「……元からこういう顔です」


「凛花ちゃんは笑えばもっと可愛いと思うんだケドなー?」


「同感だな」


「ややこしいんで混ぜっ返さないでください」


「男性二人にもそんな強気なんて……何て子なの……」


「ああもうっ」


 話が全く進まない!

 イライラしていると、ふいに秀が前に進み出た。

 口裂け女が怯えたように後退る。

 しかし、それで気後れする彼ではなかった。

 思えば、彼は凛花や妖怪に対しても基本的に距離が近い。無駄に近い。


「ああああの……」


「あ、やっぱり。もしかしてなんすケド、ネットアイドルの【サッキー】さんですよね?」


「はぇ!?」


「……ネットアイドル?」


「そそ。ほら、自撮りとかもよくアップしてる」


 そう言って秀がワイフォンで見せてきたのは、ツブヤイッターだ。

 サッキーというアカウント名のホーム画面では、確かにちょっとした呟きと写真がたくさん載っている。

 マスクをした上目使いのアップ画像ばかりなのはある意味見事だ。


「一時期、炎上しちゃって心配してたんすよー」


「そ、その節はご迷惑を……」


「いえいえ、有名人は大変っすね。ところで肘、大丈夫です?」


「う、ちょっと擦ってしまっただけなんで……」


 口裂け女はあわあわと手を振った。

 見ればコートが汚れ、小さく破けている。

 トラックに引っかかったときのものだろう。

 破けたところからは擦り傷が覗いていた。

 ひょい、と秀が腕を取る。


「ちょいと失礼しまっす」


「え、あ、あの。……え?」


 一撫で。

 すると、秀が手を離した頃には擦り傷は綺麗になくなっていた。

 ――手当、だろう。やはり不思議な力だ。


 口裂け女が何度も瞬く。

 マスクの下で見えはしないが、ポカンと口も開いているようだった。


「さすがにコートは直せませんケド、とりあえず応急処置っつーことで」


「……あなた、一体……」


「あ、それと、良かったらこれ」


 ニコニコと秀がポケットから取り出したのは、半透明で黄褐色の、見るからにとろりとした甘さが詰め込まれたような――。


「べっこう飴……!」


「プロフに好きって書いてましたもんね」


 小さな飴を両手で受け取った口裂け女は、パァァと表情を輝かせた。

 恐怖心がそれだけで溶け消えたのだろうか。

 頬をわずかに染め上げた彼女は消え入りそうな声で「ありがとうございます」と呟き目元を和ませる。

 ――チョロすぎないだろうか。いくら何でも。

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